その後百合人の手術は、無事終わった。経過も順調で、あとは退院を待つのみだ。その日も百合人はベッドの上で、所在なく過ごしていた。もう一人の中年男も退院し、今や大部屋には百合人一人だ。午前中は救急車で運び込まれた患者がいたらしく、やや騒々しかったが、現在は再びしんと静まりかえっている。
――南原に会いたいな……。
彼は、見舞いには来てくれなかった。普段それほど親しいわけではないのだから、当然だろう。たまたまあの日は、少し話せただけのことだ……。
とはいえ、微かに期待していただけに、何だか寂しい。百合人は、そんな思いを断ち切ろうと、窓のカーテンを開けた。
外には、猫が二匹いた。いずれも白色だが、痩せ細って薄汚れているところを見ると、野良だろう。一方は、かなり小さい。親子猫かな、と百合人は思った。
二匹は、じっと百合人の方を見つめている。昼の食事を取っておけばよかったな、と思う。そうしたら、あげられたのに。
他にあげられる物は無いだろうか。あれこれ考えていると、子猫の方が小さく鳴いた。
「ミャ~」
その時だった。親と思われる猫が、ミッと鋭く鳴いた。まるで、子どもを叱りつけるように。子猫が再び押し黙る。ああそうか、と百合人は思った。
――『野良猫の生き方』を教えてるんだな、きっと。
下手に鳴いて催促したら、人間のご機嫌を損ね、もらえたはずの餌をもらえないかもしれない。親猫は、それを指導したかったに違いなかった。
――何かいいなあ、この光景……。
彼らにふさわしいのは、どんな庭だろうか。あれこれ思い描いていると、自然に絵筆を動かすような仕草をしてしまう。その時不意に、背後で聞き覚えのある声がした。
「そんなに、絵が描きてーの? こんな時まで」
百合人は、はっとして振り返った。そこにいたのは、南原だった。制服姿で、学校帰りにそのまま来たといった様子だ。紙袋を提げている。
「俺、いつもお前を驚かせてばかりだな」
南原は、くすりと笑った。
「一応、ノックはしたんだけどな。全然気づかないし」
「……ごめん」
百合人は謝ると、庭の猫たちを指さした。
「親子の野良猫なんだよ。親猫が子猫に、餌のもらい方を指導してるんだ。可愛くって、つい描きたくなった」
「へえ、そうなんだ。なら、食いもん持って来たらよかったな」
南原は、庭をのぞき込んだ。
「確かに、可愛いけど。でも、そうやって猫の気持ちを想像できる花岡の方が可愛いぜ」
「え!? かっ……」
可愛い、今確かにそう言わなかったか。パニックで、まともな返事ができない。そうしている間に、南原はさらっと話題を変えた。
「にしても花岡って、本当に絵が好きなんだな。美大には進まないのか?」
「うん……」
百合人は、ちょっとためらってから告げた。
「確かに絵も好きだけど、僕は他にやりたい仕事があるから。僕、ガーデンデザイナーを目指してるんだ」
「ガーデンデザイナー?」
聞き慣れない言葉だったらしく、南原は首をかしげた。
「うん。庭を設計したりデザインしたりする仕事。僕、植物が好きだから、ずっと憧れてて。そのために、建築学部に進もうと思ってるんだ。絵はただの趣味」
こんな話は、親や親しい友人にも話したことがない。花が好き、などと言ったら軟弱だと思われそうな気がしたのだ。それなのに、南原にはあっさり話せてしまった。そんな自分に驚く。
「もったいないな。あれだけ描けるのに……。てか花岡、めちゃくちゃ将来のビジョンが具体的じゃん。むしろそっちを尊敬するわ」
意外にも南原は、真剣に相づちを打ってくれた。馬鹿にする様子もない。
「いや、南原だって……。病院、継ぐんだろ?」
「俺はただ、敷かれた人生のレールの上を走ってるだけ。自分で何でも決めてるお前とは違う」
南原は、やや気障な台詞を吐くと、手にしていた紙袋を百合人に差し出した。
「今の話を聞いて安心した。俺の見舞いの品、間違ってなかったみたいだな。……これに決めるまで、何がいいのか色々悩んじまってさ。それで、見舞いに来るのが遅くなった。悪い」
「いや、気にしないでよ。ありがとう。開けてもいい?」
「ああ」
何だろう、とドキドキしながら袋を開ける。中から出てきたのは、プリザーブドフラワーだった。――赤いゼラニウムの。
――南原に会いたいな……。
彼は、見舞いには来てくれなかった。普段それほど親しいわけではないのだから、当然だろう。たまたまあの日は、少し話せただけのことだ……。
とはいえ、微かに期待していただけに、何だか寂しい。百合人は、そんな思いを断ち切ろうと、窓のカーテンを開けた。
外には、猫が二匹いた。いずれも白色だが、痩せ細って薄汚れているところを見ると、野良だろう。一方は、かなり小さい。親子猫かな、と百合人は思った。
二匹は、じっと百合人の方を見つめている。昼の食事を取っておけばよかったな、と思う。そうしたら、あげられたのに。
他にあげられる物は無いだろうか。あれこれ考えていると、子猫の方が小さく鳴いた。
「ミャ~」
その時だった。親と思われる猫が、ミッと鋭く鳴いた。まるで、子どもを叱りつけるように。子猫が再び押し黙る。ああそうか、と百合人は思った。
――『野良猫の生き方』を教えてるんだな、きっと。
下手に鳴いて催促したら、人間のご機嫌を損ね、もらえたはずの餌をもらえないかもしれない。親猫は、それを指導したかったに違いなかった。
――何かいいなあ、この光景……。
彼らにふさわしいのは、どんな庭だろうか。あれこれ思い描いていると、自然に絵筆を動かすような仕草をしてしまう。その時不意に、背後で聞き覚えのある声がした。
「そんなに、絵が描きてーの? こんな時まで」
百合人は、はっとして振り返った。そこにいたのは、南原だった。制服姿で、学校帰りにそのまま来たといった様子だ。紙袋を提げている。
「俺、いつもお前を驚かせてばかりだな」
南原は、くすりと笑った。
「一応、ノックはしたんだけどな。全然気づかないし」
「……ごめん」
百合人は謝ると、庭の猫たちを指さした。
「親子の野良猫なんだよ。親猫が子猫に、餌のもらい方を指導してるんだ。可愛くって、つい描きたくなった」
「へえ、そうなんだ。なら、食いもん持って来たらよかったな」
南原は、庭をのぞき込んだ。
「確かに、可愛いけど。でも、そうやって猫の気持ちを想像できる花岡の方が可愛いぜ」
「え!? かっ……」
可愛い、今確かにそう言わなかったか。パニックで、まともな返事ができない。そうしている間に、南原はさらっと話題を変えた。
「にしても花岡って、本当に絵が好きなんだな。美大には進まないのか?」
「うん……」
百合人は、ちょっとためらってから告げた。
「確かに絵も好きだけど、僕は他にやりたい仕事があるから。僕、ガーデンデザイナーを目指してるんだ」
「ガーデンデザイナー?」
聞き慣れない言葉だったらしく、南原は首をかしげた。
「うん。庭を設計したりデザインしたりする仕事。僕、植物が好きだから、ずっと憧れてて。そのために、建築学部に進もうと思ってるんだ。絵はただの趣味」
こんな話は、親や親しい友人にも話したことがない。花が好き、などと言ったら軟弱だと思われそうな気がしたのだ。それなのに、南原にはあっさり話せてしまった。そんな自分に驚く。
「もったいないな。あれだけ描けるのに……。てか花岡、めちゃくちゃ将来のビジョンが具体的じゃん。むしろそっちを尊敬するわ」
意外にも南原は、真剣に相づちを打ってくれた。馬鹿にする様子もない。
「いや、南原だって……。病院、継ぐんだろ?」
「俺はただ、敷かれた人生のレールの上を走ってるだけ。自分で何でも決めてるお前とは違う」
南原は、やや気障な台詞を吐くと、手にしていた紙袋を百合人に差し出した。
「今の話を聞いて安心した。俺の見舞いの品、間違ってなかったみたいだな。……これに決めるまで、何がいいのか色々悩んじまってさ。それで、見舞いに来るのが遅くなった。悪い」
「いや、気にしないでよ。ありがとう。開けてもいい?」
「ああ」
何だろう、とドキドキしながら袋を開ける。中から出てきたのは、プリザーブドフラワーだった。――赤いゼラニウムの。

