わたしは物心ついた時には両親と呼べるものはいなかった。
周りには当たり前に両親という存在がいた。だけど、わたしにはいなかった。
ただ、お母さんはどこか遠くに旅に出ていて、そのうちにあなたのことを迎えに来ると、叔母さんから言われていた。
小さい頃はいつか迎えに来ると信じていた。だけど、成長するにつれて、それが嘘で、その場限りの慰めだと気付いた。
叔母さん、叔父さんには遠慮があった。だから、わたしには反抗期と呼べる時間がない。わたしにとっての唯一、心許せる場所は美術室だった。わたしは勉学はからっきしだけど、絵を描くことに関しては一目置かれていた。
真っ白いカンバスに絵筆を走らせる瞬間は何にも代え難く、わたしは自由でいられた。
だから、高校に入学してから、迷わず美術部に入った。
部員数はわずか五名だが、学園祭で発表したり、市内のジュニアコンクールに応募したりと活躍の場は多岐にわたった。
部内でも、特に仲が良く、ライバル視している同級生がいた。立花由香里だ。彼女は将来は美大に進学して、プロの画家になるのを夢見ている。
「悠は美大に行かないの?」
屋上でわたしと、由香里はベンチに座ってランチをとっていた。
わたしは叔母さんの手作り弁当を広げていた。
「美大かあ。憧れるなあ。うちは美大に行けるお金ないし。多分就職」
「もったいない。絵の才能、あると思うよ。美大に行って才能に磨きをかければ、悠の絵は更に良くなるのに」
「お褒めの言葉、ありがとう。でもさ、わたし、叔母さんにこれ以上、負担はかけたくないの。わたしは本当は望まれない子どもだったから」
「あー、またマイナスな一言。幸運が逃げちゃうよ」
わたしは隙を見て、由香里から卵焼きを奪う。あっと、由香里が気づいた時には、卵焼きはわたしの口の中だ。
「油断も隙もないね」
「由香里、人生はパイの奪い合い。椅子取りゲームだよ。美大に行っても、わたしたちよりもすごい才能の塊みたいなやつがゴロゴロいるよ」
美大は変人、奇人が多いと聞く。
わたしはわりかし、常識はあると思っている。
だから、仮に美大に行けたとしても、やって行けるかどうかはわからない。
「あー、やっぱ、そうだよねー、人生、甘くはないね」
由香里は半ば諦めたように言った。
わたしの母親の名前は溝端恵子。享年四十八歳。死因は心臓発作だった。
もともと、心臓は弱かったらしい。
無理が祟って、アトリエで個展の製作中に息を引き取った。
わたしの母親は一生結婚はしなかった。おつきあいをした異性はいたのだろうけど、それが恋愛に発展することはなかった。母親は自身の限られた時間を絵を描くために費やした。残酷な言い方をすれば、わたしを育てる時間さえも惜しくて、わたしに悠と適当な名前をつけて、妹に託し、自分は芸術の道を極めたに過ぎない。
わたしの母親はカッコウだ。カッコウという鳥は雛を別の鳥に育てさせる習性がある。
だから、わたしは母親が夢半ばで亡くなったのは天罰だと思っている。それなりの遺産はわたしに遺して、罪滅ぼしのつもりだろうが、わたしに言わせれば、単なる身勝手な大人だ。
だから、わたしは葬儀中も、涙ひとつ流さなかった。ここで泣いてしまったら母親を許したことになる。わたしにとって、溝端恵子という女性は赤の他人で、葬儀に出る義理はなかった。だけど、叔母さんの頼みだから仕方ない。
着慣れない喪服を着て、母親の関係者から物珍しそうな視線を浴び、わたしには拷問の時間だった。
葬儀が終わり、出棺される母親を乗せた霊柩車を見送りながら、やっと嫌な義務から解放されたと、ホッとした。
周りには当たり前に両親という存在がいた。だけど、わたしにはいなかった。
ただ、お母さんはどこか遠くに旅に出ていて、そのうちにあなたのことを迎えに来ると、叔母さんから言われていた。
小さい頃はいつか迎えに来ると信じていた。だけど、成長するにつれて、それが嘘で、その場限りの慰めだと気付いた。
叔母さん、叔父さんには遠慮があった。だから、わたしには反抗期と呼べる時間がない。わたしにとっての唯一、心許せる場所は美術室だった。わたしは勉学はからっきしだけど、絵を描くことに関しては一目置かれていた。
真っ白いカンバスに絵筆を走らせる瞬間は何にも代え難く、わたしは自由でいられた。
だから、高校に入学してから、迷わず美術部に入った。
部員数はわずか五名だが、学園祭で発表したり、市内のジュニアコンクールに応募したりと活躍の場は多岐にわたった。
部内でも、特に仲が良く、ライバル視している同級生がいた。立花由香里だ。彼女は将来は美大に進学して、プロの画家になるのを夢見ている。
「悠は美大に行かないの?」
屋上でわたしと、由香里はベンチに座ってランチをとっていた。
わたしは叔母さんの手作り弁当を広げていた。
「美大かあ。憧れるなあ。うちは美大に行けるお金ないし。多分就職」
「もったいない。絵の才能、あると思うよ。美大に行って才能に磨きをかければ、悠の絵は更に良くなるのに」
「お褒めの言葉、ありがとう。でもさ、わたし、叔母さんにこれ以上、負担はかけたくないの。わたしは本当は望まれない子どもだったから」
「あー、またマイナスな一言。幸運が逃げちゃうよ」
わたしは隙を見て、由香里から卵焼きを奪う。あっと、由香里が気づいた時には、卵焼きはわたしの口の中だ。
「油断も隙もないね」
「由香里、人生はパイの奪い合い。椅子取りゲームだよ。美大に行っても、わたしたちよりもすごい才能の塊みたいなやつがゴロゴロいるよ」
美大は変人、奇人が多いと聞く。
わたしはわりかし、常識はあると思っている。
だから、仮に美大に行けたとしても、やって行けるかどうかはわからない。
「あー、やっぱ、そうだよねー、人生、甘くはないね」
由香里は半ば諦めたように言った。
わたしの母親の名前は溝端恵子。享年四十八歳。死因は心臓発作だった。
もともと、心臓は弱かったらしい。
無理が祟って、アトリエで個展の製作中に息を引き取った。
わたしの母親は一生結婚はしなかった。おつきあいをした異性はいたのだろうけど、それが恋愛に発展することはなかった。母親は自身の限られた時間を絵を描くために費やした。残酷な言い方をすれば、わたしを育てる時間さえも惜しくて、わたしに悠と適当な名前をつけて、妹に託し、自分は芸術の道を極めたに過ぎない。
わたしの母親はカッコウだ。カッコウという鳥は雛を別の鳥に育てさせる習性がある。
だから、わたしは母親が夢半ばで亡くなったのは天罰だと思っている。それなりの遺産はわたしに遺して、罪滅ぼしのつもりだろうが、わたしに言わせれば、単なる身勝手な大人だ。
だから、わたしは葬儀中も、涙ひとつ流さなかった。ここで泣いてしまったら母親を許したことになる。わたしにとって、溝端恵子という女性は赤の他人で、葬儀に出る義理はなかった。だけど、叔母さんの頼みだから仕方ない。
着慣れない喪服を着て、母親の関係者から物珍しそうな視線を浴び、わたしには拷問の時間だった。
葬儀が終わり、出棺される母親を乗せた霊柩車を見送りながら、やっと嫌な義務から解放されたと、ホッとした。


