夏が終わったら逢いにきて 〜初めて恋した相手は幽霊でした〜

「ほら、ここはこっちの公式を使って……」

「え? あぁそうかぁ。だからこっちはこうして……こう?」

「ん……正解~。ほくちゃん頭いいねぇ」

 よしよしと頭を撫でられる気配がした。もちろん気配だけだ。
 だって相手は触れることもできない相手だから。
 それでもなぜか、少しだけ気恥ずかしい。

 僕は今、ユーレイさんに勉強を教わっていた。
 なんでこうなったかというと、七不思議の調査に気を取られて小テストの存在を忘れていたからだ。
 まったく、受験生にあるまじき体たらく。
 今日の授業終わり、担任で数学の担当でもある保坂先生から、いよいよ明日が小テストだと予告されたのだ。
 ひぃひぃ言いながら出題範囲の問題を解いていた僕の後ろを、初めはふよふよつまらなさそうに漂っていたユーレイさんだったが……。
 問題に躓く僕を憐れんだのか、僕の後ろからテキストを覗き込んでは的確なアドバイスをくれるようになっていた。
 
「……ほくちゃんはさぁ。進路どうすんの?」

 なんとか解き直しも終え、小テストはそこそこいい点が取れそうだと大きく体を伸ばす。
 そんな僕に声をかけてきたのは、もちろんユーレイさんだ。
 相変わらずふよふよ音楽室の中を飛び回りながら、まるでクラスメイトのようなことを聞いてくるユーレイさん。
 それがなんだかおかしくて、思わず笑ってしまう。

 なに笑ってんのぉ~? ってちょっとムッとした顔をしながら近づいてくるユーレイさんはとても活き活きしていて、やっぱりおかしい。

「進路……」

 ユーレイさんを見てると笑ってしまいそうなので、聞かれた質問について考える。
 進路……進路ねぇ……。

「どうしよっかなぁ」

「……ほくちゃん、この時期にその認識って……どうなのぉ?」

「まぁ……そうなんですが……」

 呆れたように言われて、さすがに苦笑が浮かぶ。
 確かにこの時期になって進路をどうするか決まってないのはヤバいかもしれない。
 だけど……。

「やりたいことが……見つからないんですよねぇ」

 座っていた椅子の背もたれに身体を預ける。
 僕の体重がかかった背もたれが、きぃと小さな悲鳴をあげた。

「まぁ、俺も人のこと言えた義理じゃねぇけどさ……」

 後頭部をガシガシと掻きながら、そんなことを宣うユーレイさん。

「……記憶……戻ったんですか?」

 何気なくそう訊ねてみれば、ユーレイさんの顔からすっと表情が消えた。
 これはまずいことを聞いたかも……と思って慌てて話題を逸らす。

「昔からやりたいことがなかったわけじゃないんですよ? これでも……」

 逸れてるんだかなんだかわかんないけど、ユーレイさんの顔に不思議そうな表情が浮かんだので、良しとしよう。

「昔は何したかったんだ?」

 あんなことを言ったらそう聞かれるのは当然のことだろう。
 まぁ、ユーレイさんになら話してもいいかもしれない。
 僕の夢……だったモノを。

「昔は……ピアニストになりたかったんですよ。これでも小さい頃は神童って呼ばれるくらいにはピアノが弾けたんですよ?」

 今となっては遠い日だ。
 光に透かすように左手を天井に向ける。じっと見れば、相変わらずうっすらと傷が浮かんでいた。
 けっして消えることのない傷。もう二度と元には戻れない後悔(キズ)

「でも……ある日事故に遭いまして、ピアノが弾けなくなりました」

 ポツンと落とせば、ユーレイさんがはっとした表情に変わる。
 だけど同情めいた視線は欲しく無くて、僕は慌ててユーレイさんに背を向けた。

「それ以来、どうしていいかわかんないんですよ。ずっと……ずっとピアノを弾いていくもんだと思ってたから……。本当に何をしていいかわかんなくて……」

 見るのが辛いだろうと、家にあった僕のピアノは早々に母親の手によって処分された。
 だからこそだろうか。
 すぐに諦めることができず、未練がましくピアノを求めてさまよってしまった。
 その結果が、第三音楽室の七不思議だ。
 ユーレイさんなんかより、僕の方がよっぽど怪異らしいのかもしれない。
 未練を抱えたまま彷徨う亡霊。

「僕が……ユーレイさんの代わりになれればよかったのに……」

 なんの気なしに呟いた言葉は、静まり返っていた第三音楽室に小さく響いて、そして消えていった。