夏が終わったら逢いにきて 〜初めて恋した相手は幽霊でした〜

「お、あったあった。踊り場の鏡」

 楽しそうに階段を降りていた雄志さんが、くるりと振り向いた。
 ん? と思ってると、何故か僕のほうに伸ばされる手。
 雄志さんの手と顔を交互に見つめてると、ん……っとさらに手を掴むよう促された。

「……なんでまた……小さい子どもじゃないんだから……」

 雄志さんの手に僕の手を重ねながら疑問を口にすると、少しだけ歪な笑顔を浮かべた雄志さんが僕を見上げていた。
 背の高いを雄志さんを見上げることはあっても、見下ろすことはあまりない。
 新鮮だぁと思っていると、思いがけず強い力で手を握られた。

「……もう……支えられないなんて嫌だから……」

「……あ……」

 その言葉に、雄志さんがユーレイさんだった頃を思い出す。
 僕の不注意で階段から落ちたのに、我がことのように心を痛めていたユーレイさん。

「……そうです……ね」

 だから……もう……。

「この手を放さないでくださいね」

 僕の言葉に、雄志さんはぱちくりと目を見開いた後、本当に嬉しそうに笑ったのだった。

 そして最後にたどり着いた七不思議は、もちろん第三音楽室。

「何か……リクエストはありますか?」

 椅子に腰を下ろし鍵盤に指を乗せた僕は、グランドピアノの側板に身体を預けて僕を見下ろしてる雄志さんに問いかけた。

「んー。じゃ、アレがいいなぁ。初めて会った時の曲!」

「初めてって……」

「ほら! 幽霊の俺に初めて会った時に弾いてた曲!」

 あぁ、と納得する。
 そして、どこか面白くなってクスリと笑みをこぼした。

「どしたの?」

 不思議そうな顔をする雄志さんに、どうしてあの時あの曲を弾いていたかを説明するのは……弾き終わってからでいいかな。

「わかりました。じゃ、行きますね」

 ポロンと一度指鳴らしをするように鍵盤を撫でて、僕は弾き始めた。
 ユーレイさんと初めて出会った時に弾いていたあの曲を。
 顔も名前も知らない相手を思いながら弾いた曲。事故に遭ったというその人が、少しでも早く元気になりますようにと願って引いた曲。
 軽やかなワルツはやがて終わりを迎え、柔らかな余韻を残して消えていった。

 パチパチと遠慮がちな拍手が聞こえる。
 もちろん拍手をしてるのは雄志さんなんだけど、なんでそんな遠慮がちなんだろ?
 ……あんまりピアノ、上手くなかったかなぁ?

「なん……か……」

 訊ねようと口を開いた瞬間。
 僕は雄志さんに抱きしめられていた。
 強く強く、逃がさないと言わんばかりに腕に力が入ってる。
 いったいどうしたというんだろう。

「雄志……さん?」

「なんかさぁ……。ピアノを弾いてるほくちゃんが綺麗過ぎて……どっか行っちゃうんじゃないかって不安になった……」

「え?」

 突然何を言い出すんだこの人は……。
 僕みたいな平凡が綺麗なわけないだろうが……。
 だけど腕に込められた力は本物で。
 僕を離さないという意思だけはしっかりと伝わってきた。

「……大丈夫ですよ。僕は……雄志さんがいらないっていうまでずっと側にいますよ……」

 そう。僕自身をここまで必要としてくれる人なんてきっと二度と現れない。
 だから僕からこの手を離すことなんてないんだから、そこは安心して欲しい。

「……ぐぇ」
 
 そんな気持ちを込めたはずなのに、返ってきたのは苦しいほどの抱擁だった。

「な、何するんですか……」

 苦しくなって、雄志さんの背中を叩く。
 少しだけ力が緩んだけど、離してはくれなさそうだ。

「ねぇ? ほくちゃん? 君は俺の恩人で好きな人で愛してるんだ。そんな簡単に俺に捨てられるなんて……」

 言わないで。

 耳に直接吹き込まれたその言葉にぎゅうと胸が痛んだ。
 あぁ、僕は……。自分に自信がないばかりに無意識にこの優しい人を傷つけたのか。

「……ごめんなさい。雄志さんと……ずっと一緒にいたい……です」

 雄志さんの背中に回してた腕に力を籠める。
 同じように雄志さんの腕にも力が入って、僕たちの距離は隙間もないほど縮まった。

「……じゃ、その証拠に、ほくちゃんから誓いのキスでもしてもらおっかなぁ」

 不意に解放された腕。
 二人の隙間に冷えた空気が挟まり込んで、消えた温もりにさみしさがつのる。

 なんて思ってると、思いがけないことを言われた。

「……へ?」

 見上げた先にはさっきまでの悲壮感はなんだったんだってくらいに楽しそうな雄志さんの顔。
 長い人差し指が指し示す先は、少し薄めの肉付きがどこか色っぽい唇だった。
 トントンと示され、否が応でもそこに視線が吸い寄せられる。

「ね? ほくちゃん? ちゃぁんと俺のモノだって証明してみせて?」

 ニコニコと笑みを浮かべていても、真っ黒い瞳はギラギラと狙った獲物は逃がさないと言わんばかりに煌めいていた。
 とまどいとか、恥ずかしさとか。そういうのは勿論あったけど……。
 吸い寄せられるようにして、僕は雄志さんに触れるだけのキスを落とす。

「これで……んむぅ?!」

 小さな擦過音を立てて離れようとした瞬間。
 後頭部を掴まれた。
 ぐっと引き寄せられ、中途半端に開いていた口の中に、雄志さんの熱い舌がねじ込まれる。

「んむぅ……ん……」

「ふふっ、ほくちゃん息継ぎうまくなったね。はぁ、全く……こんな可愛い顔してこぉんなエロいキスすんなんて……」

 たまんねぇ。
 
 そんな感想を述べながら、再び僕の口を塞ぐ雄志さん。
 こうやってキスするのももう何度目だろう。
 いちおう僕が受験生の間はって自重してくれたから、最後の一線はまだ超えてないけど。
 ちょっとだけって言いながらこういうキスするのはよくあった。
 だから……。
 
「んむ……っ、ぜん……ぶ……ゆうしさんに……んむっ! んはぁ……全部雄志さんに教わった……っ!」

 変な風評被害を防ぐためにも僕は僕の言い分を述べた。
 けどそれは逆効果だったようだ。
 ますます激しくなる口付けと水音に、僕の意識はフワフワし始め、両足に力が入らなくなる。

「ふぁ……ん……っ! ゆうしさぁ……も、もうだめ……っ!」

 ぞわぞわと腰を走る快楽に堕ちそうになって、僕は雄志さんを何とか止めようと試みた。
 だけど、全然効果なくて……。

「ゆうし……さぁ……」

「ほくちゃ……」

「こらぁ! ここで何やってんだぁ!」

 突然の大声に、僕らは文字通り飛び上がったのだった。