夏が終わったら逢いにきて 〜初めて恋した相手は幽霊でした〜

「ほくちゃん、やっぱりここにいた」

 ガラリと開かれた音楽室のドア。
 僕は音漏れを気にして慌ててピアノを弾く手を止めた。

「……沢渡先生。ほくちゃんは止めてくださいほくちゃんは……」

 呆れたように沢渡先生を睨むけど、相手はどこ吹く風だ。
 ニコニコと微笑みながら、当然のように僕の方へ向かってきた。

 いやだから、特定の生徒と親しくなるのって……どうなの?
 いやまて、別に親しいわけじゃない。

「だって、ほくちゃんが俺の話聞いてくれないんだもん」

 だもん、なんて小さな女の子しか似合わないと思ってたんだけどな?
 イケメンは凄いな? ぷうと片頬を膨らませる仕草までカッコよく見える。
 ……さすが、連日女子生徒、と一部の男子生徒から熱烈な視線を向けられてるだけある。
 え? そんなイケメン先生と二人っきりになったとか、僕ヤバくない?
 明日学校中から総スカン喰らったりしない?

「ねぇ? 俺といるのに何考えてるの?」

「ひゃっ?!」

 ぐっと近づいてきた顔が視界一杯に広がって、頬が熱くなる。
 この人、危機管理薄いんじゃないだろうか?
 自分を好きだって思ってる相手の至近距離に近づいてくるなんて、危機管理が足りない。
 いや、その気持ちを告げた訳じゃないけどさぁ! イケメンなんだから身の危険は常に感じておけよぉ!

「ほくちゃんのほうが無防備だと思うよ?」

「……チガイマス」

 ますます熱を持つ顔を隠しながら、なんとか沢渡先生と距離を取る。

「……で? お話ってなんですか? 沢渡先生。今回の小テストはそこそこできたと思うんですが……」

 沢渡先生が授業を受け持ってるのは数学だ。
 少し前まで散々だったけど、最近は授業にも身が入って小テストの結果も悪くない。
 ……自分の単純さが嫌になるけどさ。

「ん、今回もバッチリだったね。最近、あまり授業に身が入ってないみたいだって保坂先生が言ってたけど……」

「そ、それは……っ!」

 沢渡先生だけには言われたくない。
 なんて口に出来ないから、睨みつけることしかできない。

「……っ」
 
 揶揄ってるな笑みを浮かべているんだろうと思った。
 そうだと……思いたかった。
 だけど現実(リアル)は全然違っていて……。

「なん……ですか?」

 真剣な色を乗せた沢渡先生の黒い瞳に呑み込まれそうになる。
 どこまでも深く深く、落ちていくような感覚に背筋がふるりと震えた。
 だけど、それが恐怖だったのか、それ以外の感情から来たのか、今の僕には理解できない。いや、したくないんだ。

「……教師を目指してる人間がこんなこと言っちゃだめだと思うけど……。授業に身が入らない程に君の心を占めていたのが……俺のことだと良いなって……思うよ」

「そ……れは……っ!」

 この人はどこまでわかって言ってるんだろう?
 三年早く生まれただけで、こんなに余裕が持てるものなんだろうか。
 三年後の自分にこんな駆け引きができるとはとても思えない。
 これはあれだ。きっと持って生まれた顔面力とコミュニケーション能力の違いだ。

「そん……な……」

 否定したい。否定しなくちゃ。
 だけどもともと嘘は苦手だ。
 違うって言いたいのに、僕の口から零れ落ちたのは空気の塊だけだった。

「ねぇ? ほくちゃん? もう聞いてるかもしれないけど、俺が目を覚ましてから一番最初に探したのは君のことだったんだよ」

 それは……葛西君経由で聞いて知っていた。
 彼が目を覚ました時、真っ先に訊ねたのが『島原北斗』についてだったって。
『島原北斗(僕)』のおかげで目を覚ますことができたなんて口走ったおかげで入院期間が長引いたってことも聞いている。
 葛西君のお姉さんに会ったあの時、すでにその話はお姉さんを始めとした沢渡先生の元クラスメイトの間には出回ってたらしい。
 後日、僕がその島原北斗だと聞いてお姉さんは驚いたそうだ。
 確かにあの日、葛西君は僕のことをお姉さんに『クラスメイトの島ちゃん』としか紹介してなかったな。
 というか、あんな重要な情報を貰ったのに、ちゃんとした自己紹介もしてなかったのはなかな不義理だったと今では思う。

「俺、君にもう一度逢うために、結構頑張ったんだよ?」
 
 そんなことを徒然と思い出してると、再び沢渡先生との距離が縮まっていた。
 ぐっと近づいてくる整った顔。
 ユーレイさんの時より精悍になった顔はどこまでも真剣で。

 僕は喘ぐように呼吸をすることしかできなかった。