夏が終わったら逢いにきて 〜初めて恋した相手は幽霊でした〜

「え? でもこの問題はこっち使いましたよね?」

「いや、こっちはここの式がこう……だから、こっちの公式を当てはめて……」

「……似てるのに解き方が違うなんてズルい……」

 拗ねた口調でノートを睨みつければ、ユーレイさんがふっと吹き出した。

「いや、ズルいって……そんな……」

 相変わらずゲラなユーレイさんは笑いの沸点が低い。
 僕の言葉の何が面白かったのか、プルプルと背中を震わせながら笑ってる。

 その様子に……どこかほっとする。
 先日の、黒い霧に呑み込まれそうな、そんな不安定な感じは今のユーレイさんからは見受けられない。
 あの霧に呑み込まれてしまってたら、どうなっていたんだろう?
 恐ろしい考えを振り払うように目の前の問題に集中する。
 ユーレイさんから教わった通りに解き進めれば、難解だったはずの問題はスラスラと解けた。

「……はぁ。この問題が解ける時のすっきり感って、なんかいいですよね?」

 だいぶ笑いがおさまったユーレイさんにそう声をかける。
 ん? って感じの優しい表情(かお)で覗き込まれたユーレイさんの顔に、どこか既視感を感じた。

「……あ……れ? ユーレイさんって僕とどこかで会ったことありましたっけ?」

 今後は大きく目を見開くユーレイさん。
 そして浮かべたのは、どこか苦い笑みだった。

「……どうかなぁ? わかんね」

「あ……ごめんなさい」

 そうだ。ユーレイさんは生前の記憶を失ってるんだった。
 もし僕とどこかで会ってたとしても、わからないだろう。
 軽はずみなことを口にしてしまった後悔が僕に襲い掛かる。

「……んな顔すんなって」

 俯いた僕の顔を覗き込むユーレイさん。
 少しだけ笑ってるその表情に、無理は感じられなかった。

「確かに、自分がどこの誰で、どうしてここにいんのかってわかんねぇけどさ。俺は……お前に勉強を教えるためにいんだろ?」

 それは先日僕が口にした理由。
 暗闇に呑み込まれそうなユーレイさんを引き留めるために口にした言葉。

 真っすぐに僕を見つめるユーレイさんの目には、あの日の昏い影はもうない。
 じっと見つめられて、頬に熱が上る。
 ユーレイさん、顔が良すぎる……。
 
「そ、そうですよ! ユーレイさんは僕に勉強を教えるって重要な役目があるんです! そ、それにしても幽霊さん教えるの上手ですね! せ、先生とか向いてそう……」

 照れ隠しで勢いよく飛び出した言葉に、自分の失態を悟る。
 この短時間になにやってんだよ、と内心の僕が慌てふためいた。
 だけどもう既に遅し。
 一度発してしまった言葉はもう元には戻らない。
 恐る恐るユーレイさんの顔を見上げると……。

「……っ!」

 どこまでも嬉しそうな表情で……笑っていた。

「なん……で……?」

 なんでそんな嬉しそうなんだろう。
 だってユーレイさんは幽霊だから……未来なんて……。
 またどうしようもないことを言ってしまいそうで、慌てて口を塞ぐ。
 そんな僕を照れくさそうに見つめるユーレイさん。もう意味が分からない……。

「ありがとな……。そう言ってくれた人は……二人目だ」

 はにかんで笑うユーレイさんに抱いた気持ち、これはなんなんだろう。
 あり得ない未来をユーレイさんに提示してしまった罪悪感か。
 ユーレイさんのすごいところを見抜いたのが僕だけじゃないという嫉妬か。
 
 自分でもわからない……。

 だけど一つ言えることは……。

「ユーレイさん……? 記憶が……?」

 ユーレイさんは二人目だと言った。
 それは過去にユーレイさんにその言葉を伝えた人物のことを覚えてなければ出ない言葉だ。

「そうだ……俺は……」

 ユーレイさんの表情が柔らかく綻ぶ。
 どこか儚いソレに僕の心臓はドクドクと鼓動を早くした。

「ユーレイ……さん?」

「そうだ……そうだった……俺は……」

 音楽室の窓から差し込む光に照らされて、儚く笑うユーレイさん。

「っ! ユーレイさん!」

「ありがとな……」

 必死に手を伸ばして、伸ばして、伸ばして。
 虚しく(くう)を掴む。

「ホント……ありがとな……」

 北斗。

「っ! ユーレイさんっ!!」

 僕の絶叫が第三音楽室に虚しく響く。
 ユーレイさんの姿は、鮮烈な夏の光に溶け込むようにして……消えた。

 それが……ユーレイさんを見た最後だった。