夏が終わったら逢いにきて 〜初めて恋した相手は幽霊でした〜

 第三音楽室の前で荒い息を吐きながら、ドアに手をかける。
 息を整えて、引き戸を開く。
 少しだけ埃っぽい空気。
 窓の外には茜色の気配。

 そして……。

「ユーレイ……さん?」

 窓枠に背中を預けぼんやりと外を眺める一人の生徒の姿。
 それは呆気なく消えてしまいそうな……ユーレイさんだった。

「っ! ユーレイさん?!」

 駆け寄って下から顔を覗き込む。
 そう言えば、と気づく。
 いつも彼はふよふよと浮いてるから気付かなかったけど、彼はずいぶんと背が高い。
 たぶん百八十はあるんじゃないだろうか。
 だから、この年頃の男子としては平均的な身長の僕では、並ぶと下から見上げる形になるのだ。
 見上げてることに変わりはないとはいえ、どこか新鮮だ。

「……ユーレイ……さん?」

 窓の外を見ているようで何も映してない瞳。
 虚ろなソレが怖くて、おずおずと声をかける。
 チラリと向けられた視線はやっぱり虚ろで。
 どうしたらいいかわからなくなった。

 ユーレイさんに、伝えなきゃいけないことがあったはずなのに……。

「ユーレイ……さん。だいじょうぶですか……?」

 その問いかけに、ユーレイさんが真っすぐに僕を見つめた。
 虚ろな黒い瞳に、どこまでも飲み込まれてしまいそうで、少しだけ怖い。

 いや、でも相手はユーレイさんだし……。

 気を取り直して、伝えたいことを口にしようとした瞬間、ユーレイさんが口を開いた。

「……きて……くれたんだ」

 さみし気に呟かれたその言葉に、僕は思い切り首肯する。

「だ、だって七不思議を最後まで調べるって……」

 僕の言葉を聞いたユーレイさんは……嗤った。

「っ!」

 今まで見たことのないその笑い方に、僕は不安を覚える。
 彼に感じたことのない恐怖がじわりと背筋を走って消えた。

「ユーレイ……さん?」

「……そうだよ。俺は幽霊だ。本当はあり得ない存在。誰にも見てもらえない存在。何もない……」

 俯いたユーレイさんの言葉は、どこまでも残酷だった。

「そう……何も……何一つないんだよ! 確かなモノなんて!」

「っ!?」

 それは、今までユーレイさんが僕に見せなかった姿。
 記憶を失って、どうしてここにいるか何一つわからないままに彷徨い続ける。
 どこまでも不安定で不確かであいまいな存在。
 僕が、彼が……七不思議を調べることに託けて、直視してなかった事実。

「なぁ! 結局俺はなんだ?! 誰なんだよっ!? 俺の名前は……っ! ユーレイじゃないっ!」

「っ?!」

 悲痛な声が僕の胸を刺す。
 ユーレイさんと呑気に七不思議を探検してたことに、今更ながら罪悪感がつのった。

「お前がここに来なかった三日間! 俺はいつ消えるか、いつどうなるか、何一つわからないままに! ここにいることしかできなかったっ! お前がいなきゃこの教室から出ることもできないっ! 何一つ! 何一つ自分でできないんだっ! なんで……っ!? なんで俺はここにいる?! なんで……っ!!」

 ぶわりとユーレイさんの背後に黒い霧が吹き出した。

「っ!? ユーレイさん?!」

 黒い霧(アレ)はきっとよくないモノだ。
 黒い霧に呑み込まれそうなユーレイさんの身体に必死に手を伸ばす。
 だけど……僕の手は虚しく(くう)を掴むだけだ。

「なぁ……っ! なんで俺はここにいるんだ……? なんで……なんでなんでなんでなんで……っ!」

「っ!」

 ぶわりと広がった黒い霧がユーレイさんを包み隠そうとする。
 アレに呑み込まれたらきっとユーレイさんとは二度と会えない。
 そんな確信をもって僕は叫んだ。

「ユーレイさんは……っ! 僕に! 勉強を教えるためにここにいるんですっ!」

「……」

「……」

 しいんと静まり返った第三音楽室。
 なんだかとても居た堪れない。

「……え?」

 さっきまでほとんど黒い霧に呑まれてたユーレイさんがきょとんとした顔で僕を見ている。
 僕を見つめる黒い瞳には、さっきまでの虚ろがない。

 それにどこかほっとしながら、僕は言葉を続けた。

「……小テスト、ユーレイさんに教えてもらったおかげでいい点採れたんです。なんなら解き方を教えたクラスメイトに物凄く感謝されました。それは全部……ユーレイさんが……あなたが教えてくれたことです!」

「え……あ、うん……そうなんだ……。……え?」

 困惑してるユーレイさんに更に畳みかける。

「だから! 僕に勉強を教えてください! 僕の成績アップに貢献することが、ユーレイさんの存在意義になれませんか?!」

 我ながら何を言ってるんだろう。
 本来は成仏しなきゃいけないだろう幽霊(ひと)を引き留めてる。
 なんなら、ついさっきヤバ気な黒い霧に呑み込まれかけてた人だ。
 そんな人を引き留めるなんて、絶対間違ってる。
 間違ってるけど……あのまま黒い霧に呑み込まれる彼を見ていたくなかったんだ。

「え……っと? 俺、ほくちゃんに勉強を教えればいいの?」

 キョトンとした顔でまっすぐに見つめられると、とても居た堪れない。
 だけど、教えてもらった小テストの結果が良かったのもまた事実で……。

 なんてこれは方便だ。
 本音のところは……ただ僕が、消えてしまう彼を引き留めたがってるだけ。
 そんな醜い本音を隠しながら、僕はコクンと頷いたのだった。