従姉がナンパしたグループの一人は、俺が男だと知ったあとも距離を縮めてくる

 最初のうちは、二人とも黙々と課題を進めていた。
 店内には、ページをめくる音や、キーボードを打つ音が静かに響いている。
 海里くんも集中しているようだったので、俺もなるべく話しかけないようにする。
 せっかく誘ってもらったんだから、ちゃんと課題を終わらせないと。
 そう思いながら、テキストの問題を一つずつ進めていく。
 けれど――。
「……ん?」
 途中で、手が止まった。
 何度問題文を読み返しても、どう答えればいいのか分からない。
 少し考えてみたものの、やっぱり分からない。
 海里くんに聞いてみようか。
 そう思って顔を上げる。
 けれど、海里くんは真剣な表情で自分の課題に取り組んでいた。
 ……やっぱり、やめておこう。
 邪魔したら悪いよな。
 俺はもう一度テキストに視線を戻した。
 それからしばらく、問題とにらめっこする。
 でも、いくら考えても答えは出てこない。
「……どうしたの?」
「え?」
 突然声をかけられて、顔を上げる。
 海里くんがこちらを見ていた。
「さっきから、ずっとそこ見てるけど」
「あ……」
 見られていた。
「すみません。ちょっと分からなくて……」
「どれ?」
「これです」
 俺が問題を指差すと、海里くんが少し身を乗り出してテキストを見る。
「あー、これね」
 海里くんは問題文を読みながら、少し考える。
「ここ、こう考えたら分かりやすいかも」
「……なるほど」
 海里くんが説明してくれた内容を聞きながら、もう一度問題を読み直す。
「あ、分かりました」
「よかった」
「ありがとうございます」
「どういたしまして。俺もここ苦手だったんだよね。テスト勉強のとき、頑張って覚えた記憶ある」
 そう言って、海里くんが笑う。
「へぇー、海里くんでも分からないことあるんですね」
「そりゃー、あるよ。勉強得意な方じゃないし」
「そうなんですか?」
「そうそう」
「意外です」
「なんか、俺のことできる人って、勘違いしてない?運動できるとか、勉強できるとか」
「そう見えますので」
「まあ、見た目はよく言われるけどさ。残念ながら中身はそんなにできた人じゃないから」
 そう言って、海里くんは少しだけ口を尖らせた。
 普段は落ち着いていて、大人っぽい海里くん。
 そんな海里くんが、まるで子どもみたいに不満そうな顔をしている。
「ふふっ」
「なんで笑うの?」
「いえ……なんとなく」
「絶対、今ちょっと馬鹿にしたでしょ」
「してないです」
 そう答えながらも、また笑ってしまう。
「ほら、笑ってるじゃん」
「すみません……」
 謝りながらも、どうしても笑いが止まらない。
 いつも大人っぽく見える海里くんの、こんな表情を見るのは初めてだった。
 なんだか少しだけ、海里くんとの距離が近くなったような気がした。
「伊吹ってさ」
 不意に名前を呼ばれて、少しだけ心臓が跳ねた。
「はい」
 そう返事をしてから、今、初めて直接名前を呼ばれたことに気づく。
「表情コロコロ変わって分かりやすいよね」
「そうですか?」
「うん。今はね」
「今は?」
「海の家で働いてるときは、もっと大人しい感じだったから」
「……それは緊張してたから」
「今はない?」
「……はい。だいぶ」
「完全ではないんだ」
「そりゃー。でも、海里くんは話しやすいので結構おしゃべりになってます」
 言ってから、少しだけ恥ずかしくなった。
 けれど、取り消すほどのことでもないので、そのまま海里くんの反応を待つ。
 海里くんが、少し驚いたように目を瞬かせた。
「そっか」
 それから、嬉しそうに笑った。
「なら、よかった」
 たったそれだけの言葉なのに、胸の奥がまた少し温かくなった。
 海里くんの笑顔を見ていると、さっきの自分の言葉が急に恥ずかしくなってくる。
 視線を少しだけ落とした。
「……じゃあ、早く課題終わらせましょう」
「うん。そうだね」
 海里くんも頷いて、テキストに視線を戻す。
 俺も気持ちを切り替えて、残りの問題に取りかかろうとした。
 すると、海里くんがふと口を開く。
「まあ、俺はあと1ページで終わるけど」
「えっ?」
 思わず顔を上げる。
 俺はまだそれなりに残っている。
「もうそんなに終わってるんですか?」
「うん。ほら」
 海里くんはそう言って、自分のテキストを少しこちらに向ける。
 残りのページを見せてもらうと、本当にあと1ページしか残っていなかった。
「……早い」
「まあ、俺はあと一つだったから。伊吹はあとどんなもん残ってるの?」
「数学はあと4ページで終わりますけど、国語がまだあります」
 国語の冊子をパラパラとめくり、残りを確認する。
「国語は問題少なそうだな」
「はい。でも、読解問題なので少し時間かかっちゃいます」
 このままだと、俺の課題が終わるまで海里くんを待たせてしまう。
「海里くんが終わったら、ご飯食べてどっか行きましょう」
「いや、大丈夫だよ。伊吹が終わるまで待つし、何なら俺も他にやりたいことあるし」
「え、いいんですか?」
「うん。俺も受験対策しないといけないし」
 そう言うと、海里くんは鞄の中を探り、一冊のテキストを取り出した。
「小論文?」
「そう」
 海里くんはテキストを机の上に置く。
「部活動推薦で受けるところの受験に、小論文があるんだよね」
「ああ、そうなんですね」
「うん。だから、俺も今のうちから勉強しとこうと思って」
 海里くんはテキストを開き、ページをめくる。
「じゃあ、また勉強頑張ろうね」
「はい。ありがとうございます」
「いや、俺もやらないとやばいし」
 海里くんが自分の勉強を始めてくれたことで、さっきまで感じていた申し訳なさが少し和らいだ。
 俺のために、わざわざ勉強時間を合わせてくれる。
 海里くんの気遣いがありがたかった。
 俺も気持ちを切り替えて、国語の課題に向き直った。