従姉がナンパしたグループの一人は、俺が男だと知ったあとも距離を縮めてくる

 俺は、目の前の伊吹ちゃんを見て驚いていた。
 さっきから、表情がころころと変わっている。
 彼に何か言われれば、分かりやすく頬を膨らませ、むっとした顔で言い返す。
 そんな伊吹ちゃんを見たのは、初めてだった。
 さっきだって、伊吹ちゃんは怒っていた。
 けれど、俺たちの前では笑顔を浮かべたまま、声に少し苛立ちを滲ませていたくらいだった。
 それなのに、彼の前では違う。
 嫌そうに顔をしかめたり、頬を膨らませたり、呆れたようにため息をついたり。
 ……伊吹ちゃんって、こんな顔もするんだ。
 彼に頭を撫でられたときも、伊吹ちゃんは嫌そうにその手を払い落とした。
 けれど、本当に嫌だったわけではないのだろう。
 手を払う仕草とは裏腹に、その顔には笑みが浮かんでいた。
 ……嫌なら、あんなふうに笑わないよな。
 今日、俺と話していたときも、伊吹ちゃんは笑っていた。
 でも、今見せている笑顔とは、どこか違う。
 俺と話しているときは、どこか緊張しているように見えた。
 笑うときも控えめで、言葉を選びながら話していたように思う。
 それに比べて、彼といる今の伊吹ちゃんは、両頬にエクボができるくらい笑っている。
 ……こんなに表情豊かに笑うんだ。
 二人の話を聞くつもりはなかった。
 何を話しているのかも、ここからではよく分からない。
 それでも、時折聞こえてくる伊吹ちゃんの声に、思わず意識が向いてしまう。
 声には弾みがあった。
 俺と話していたときのように、何を言おうかと考えている感じもしない。
 思ったことを、そのまま口にしているように聞こえた。
 きっと、彼には気を遣っていないんだ。
 何を言えばいいのかなんて考えなくても、自然と言葉が出てくる。
 それだけ、彼とは仲がいいんだろう。
 俺には見せなかった表情も、俺には聞かせなかった声も、彼には当たり前のように見せている。
 そう思った瞬間、胸の奥が少しだけざわついた。
 ……なんだか、悔しかった。
 昨日、話していて、俺は伊吹ちゃんと結構仲良くなれた気でいた。
 連絡先も交換して、今日だって伊吹ちゃんのほうから話しかけてくれた。
 だから、少しくらいは距離が縮まったと思っていた。
 けれど、今こうして二人の様子を見ていると、縮まった距離はほんのわずかだったんだなと思えてくる。
 それに、今日でまた距離ができてしまった気もする。
 あー……やらかしたな。
 そんなことを思っても、どうすればいいのか分からない。
 自然と肩が落ちた。
 ここまで落ち込むなんて、自分でも意外だった。
 昨日、初めて会ったばかりの相手なのに。
 俺はもともと、あまり他人に興味を持つほうじゃない。
 それなのに、どうしてこんなに伊吹ちゃんのことが気になってしまうんだろう。
 考えても、答えは出てこない。
 俺は小さく息を吐くと、そのまま机に伏せた。
 ……どうしよう。
「お待たせしました」
 声が聞こえて、俺は体を起こす。
 杏奈ちゃんが、注文した料理を運んできてくれたようだ。
 料理をテーブルに置く杏奈ちゃんの表情は、どこか硬かった。
 やっぱり、怒っているように見える。
 無理もない。
 俺たちは、杏奈ちゃんの大切な従弟である伊吹ちゃんを傷つけたのだから。
「……ごめんね」
 俺が謝ると、悠人と翔も続けて口を開いた。
「ごめん」
「俺も、ごめん」
「……何についてですか?」
 杏奈ちゃんは、静かに俺たちを見る。
「伊吹ちゃんのこと。傷つけて、ごめん」
 杏奈ちゃんは一瞬、伊吹ちゃんのほうへ視線を向けた。
 それから、俺たちに視線を戻す。
「……ちゃんと反省してるみたいですし、もういいですよ。いぶちゃんも、いいって言ってるんで」
 そう言って、杏奈ちゃんは少しだけ笑った。
「でも、これからはやめてくださいね。いぶちゃん、女の子扱いされるの嫌いなんで」
 そう言われて、俺は素直に頷いた。
「それはもちろんです」
「しません。俺たちも、本来ならいつもこんな感じでやってるわけじゃないんです」
 悠人さんがそう言うと、杏奈ちゃんが首を傾げた。
「じゃあ、なんで今回はやったの?」
 そう聞かれて、翔が少し気まずそうに口を開く。
「俺は……昨日、ナンパされたのがちょっと嬉しくて。調子に乗ってました」
「なるほど……」
 杏奈ちゃんが頷く。
「じゃあ、悠人さんは?」
「俺は……まあ、ちょっと珍しいことがあって」
「珍しいこと?」
「うん。普段なら聞かないような話を聞いて、それがなんか嬉しくて。俺もテンションが上がりすぎちゃったというか……」
 悠人さんはそう言って、少しだけ苦笑する。
「ふーん……?」
 杏奈ちゃんは頷きながらも、どこか納得しきれていないような顔をしていた。
「まあ、理由はどうあれ、いぶちゃんが嫌がることはもうしないでくださいね」
「はい」
 そうして話が一段落したところで、杏奈ちゃんがふと俺を見る。
「……海里さん、さっきから何度かいぶちゃんのほう見てますけど、どうしたんですか?」
「ああ……えっと」
 まさか気づかれているとは思わず、一瞬言葉に詰まる。
 けれど、せっかく聞かれたので、俺はさっきから気になっていたことを口にした。
「……ねえ、あの人って誰? 伊吹ちゃんの隣にいる人」
 杏奈ちゃんは、俺が指したほうを見る。
「ああ、怜か」
 そう言って、杏奈ちゃんは頷いた。
「私の弟だよ」
「弟?」
「そう。双子の弟」
 俺は思わず、杏奈ちゃんが弟だと言った怜のほうを見る。
「え、双子なの?」
 悠人も驚いたように、二人を見比べた。
 言われてみても、二人はあまり似ているようには見えない。
 テレビで見る双子はそっくりなことが多いから、俺もそんなイメージを持っていた。
「二卵性なんだね」
 翔は特に驚いた様子もなく、そう言った。
「俺の従姉妹もそうなんだ。性格も全然似てないんだよね」
「へー、私たちと一緒だ」
「そうなの?」
 悠人が聞くと、杏奈ちゃんは頷いた。
「うん。私は思い立ったらすぐ行動するタイプだけど、怜はその逆。ちゃんと考えてから動くんだよ」
「真逆だね」
「そうそう。だから、昔は私が何か思いつくと、よく二人を巻き込んじゃってたんだよね。怜は嫌なことはちゃんと嫌って言うから、無理して付き合うことはなかったけど……」
 杏奈ちゃんは、ちらりと伊吹ちゃんの方を見た。
「いぶちゃんは違っててさ。嫌でも自分から断れないから、結局そのまま付き合ってくれてたんだよね。私はそれに気づかなくて、何度も付き合わせちゃってたの」
 杏奈ちゃんは、どこか申し訳なさそうに続ける。
「怜は人の感情に敏感なほうだから、いぶちゃんのちょっとした変化にも気づいてたんだよね。嫌そうにしてるのを見るたびに止めてくれてたんだけど……私があんまり気づかなかったから、とうとう『いい加減にしろ』って怒られてさ」
「へー……」
「私には『もっと周りを見ろ』って。いぶちゃんには『嫌なら嫌って言え。それが言えないなら、せめて顔に出せ』って怒ってたな」
 杏奈ちゃんは、少し懐かしそうに笑った。
「いぶちゃんも『なんでここまで怒られないといけないの』って、キレてたけどね。あんなに怒ってるいぶちゃんは、見たことなかったな」
 キレる……。
 そんなに感情が爆発することがあるんだ。
「でも、それ以来かな。いぶちゃんも、嫌なことがあるとちゃんと顔に出すようになったんだよね」
 そのとき、怜が席を立ち、ゴミを捨てに行った。
 戻ってくる途中で目が合い、俺が軽く頭を下げると、怜も小さく会釈を返した。
 その後、二人は厨房から声をかけられると、外へ出ていった。
「……って、なんでこんな話になったんだっけ?」
「俺が、伊吹ちゃんの隣にいる人は誰って聞いたから……」
「あー、そうだった」
 杏奈ちゃんがそう言って笑う。
「話してくれてありがとう。伊吹ちゃんのこと、知れてよかった」
 そう言うと、杏奈ちゃんが少し驚いたような顔をした。
「……いぶちゃんのこと、気になるの?」
「え?」
 杏奈ちゃんは俺の顔をじっと見てくる。
 その視線に、俺は素直に気持ちを伝えた。
「ああ。俺は仲良くなりたいと思ってる」
「ふーん……」
 杏奈ちゃんは、少し意外そうな顔をしたあと、嬉しそうに笑った。
「そっか。じゃあ、頑張ってね」
「ああ」
「私から一つアドバイスするとしたら、まずは話しかけ続けることかな。最初は、いぶちゃんが答えやすいように疑問形で話しかけるといいと思う」
「なるほど」
 俺が真面目に頷くと、杏奈ちゃんはそのまま続けた。
「いぶちゃんって人見知りだし、一人でも平気なタイプだから、自分から話しかけにいかないんだよね。話題が終わったら自分からメッセージを送ることもないし。だから、こっちから話しかけないと仲良くなりにくいと思う」
「そっか。じゃあ、俺から話しかけるようにしてみる」
「うん。それがいいと思う」
「まあ、本当に仲良くなれば、いぶちゃんのほうから話しかけてくれるようになるよ」
「頑張ってみる」
「うん。じゃあ、私そろそろ戻るわ」
「ごめん。引き止めちゃって」
「いいよ。私も暇だったし」
「ありがとう」
「ううん、こっちこそ。いい暇つぶしになったし」
 杏奈ちゃんはそう言って笑うと、俺たちに手を振り、その場を離れていった。