「ヨーコさーん、上借りるよー」
夏休み入って二週目。八月が目前の日、チョータの腕の絵を描きなおしにいつも通りに俺たちはスナックの裏手から入り、ヨーコさんに一声かけて二階に上がる。
「あとでビール頼んだよー」
「あーい」
今日は緑のアイシャドウなんだ、ヨーコさん。なかなかファンキーな色合いだね。
ヨーコさんは、俺たちがまだガキ(今もガキだけど)の頃、公園でいつまでも遊んでいたら危ないからと言って、スナック上の部屋を貸してくれた。
酒飲みがたくさんくるスナックも安全かと言ったらそうでもない。でも何度も声を掛けられているうちに、スナック・ヨーコを頻繁に訪れるようになった。
ヨーコさんがいなかったら、俺たち、特にチョータは良くない方向に進んでいたと思う。
チョータのために十代でもできるバイトを見つけてきたり、チョータのスマホ契約を手伝ってくれたのもヨーコさんだ。親がいないとできないことを、チョータの親代わりになって手を差し伸べてくれた。
だから絵を描き終わって下に降りてきた俺たちに、ヨーコさんが神妙な顔して手招きした時、嫌な予感があった。
緑色の瞼の奥から、凄みのある眼差しがチョータに向けられる。
「あんたの父親、戻ってきてるらしいね。気を付けなよ」
「……ヨーコさんのとこにも、来てる?」
「いや、まだだけど、常連が見たってね。家に帰る時はスマホは隠しな」
「分かった」
屑親に取り上げられて壊されたり、変なことに使われたりしたら最悪だ。
無意識にだろう、チョータの手がさっき描いたばかりの人魚が泳ぐ腕を強く押さえた。
「チョータ、今日、俺んち泊ってく?」
「それはいい。大丈夫だって。あいつも俺に絡んでくるほどダルくないって」
そんなことない。そんなことないから、お前の腕には火傷があるんだろう。
言いたくても言えない言葉を飲み込む。チョータの顔に、瞳に緊張と怯えが見えたから。
どんなに格好つけて、虚勢を張っても、俺には分かる。
自分の腕をつかむチョータの指が白い。俺と目を合わせないのは、俺に弱いところを見せないため?
ちらりとヨーコさんを見る。心配そうな眼差しでチョータを見ていた彼女は、俺と視線を合わせてゆっくりと頷いた。
しっかり見ててやれという意味だろう。俺も頷き返す。
大人がいてくれたらどんなに心強いか。でも毒親は下手に周囲が関わると事態が悪化する。
今までヨーコさんも、地域の相談窓口も何度かあの屑をどうにかしようとした。でもあいつはその度にチョータに手を出したり、暴れたり嫌がらせをしたりして周囲に迷惑をかけた。
どうやって出会うのか、女の人のところを渡り歩いては見捨てられてチョータのところに戻ってくる。
チョータが大きくなって、あの屑よりでかくなってからは「自分でなんとかできるだろう」という空気がありありと伝わってきた。
どんなにでかくても、どんなに力が強くなっても、あの屑はチョータにとっては親で、絶対的支配者だってことを分かってないんだ。
「チョータ、行こう」
「ああ」
肩を叩く。チョータの体が大きく跳ねた。
それに気づかなかったふりをして、重いビールケースを一つ持ち上げて裏口の外に出す。チョータも同じようにして一箱持って、「じゃーね、ヨーコさん」と明るい声で挨拶して出てきた。
