ゾウのおなかに一等星



 一学期の期末テストが終わった。
 来週には全部帰ってきて、それが過ぎれば夏休みが始まる。

「あー、オワッター」
「もう、死んだ」

 ぎゃあぎゃあと盛り上がる同級生たち。あの問題の答えはどうだったとか確かめ合ったり、地震がある教科、ない教科を教え合ったりと騒がしい。
 俺? 俺はボッチだから、ただもくもくと帰る準備をするだけだ。
 ちなみにチョータがくれた過去問のおかげで、そこそこいい点は取れたと思う。誰も聞いてくれないけれないけど。
 もしかしたら二十番以内は狙えるんじゃないだろうか。誰も聞いてくれないけど。
 うん、別にいいけど。

 スマホが震えて、ロック画面に「1件のメッセージ」が出る。
 顔認証で開くと、LINE画面にデロデロに溶けたキツネが「死んだ」と看板を掲げていた。
 どうせそんなことを言いながら全部90点台、少なくとも80点後半は取ってるくせに。
 俺はタヌキがどろんぱっと超メカ戦隊に変身するスタンプに続けて、「勝った」と送る。

『もう帰る?』
『昼は?』

 一秒と置かずに既読が付いて、メッセージが届く。
 今日は午前のテストだけで終って帰るだけ。
 昼か……制服のままチョータと出かけるの、学校の奴らに見つかったら面倒なんだよな。

「着替えてからなら」
『面倒。駅前のファミレス食いたい』

 学校からすぐのとこじゃねえかよ。
 無理無理。俺じゃなくって、いつもつるんでる奴らと行けよ。

「ダチと行け」
『彼女たちとカラオケだって』

 あー、なるほど。芸術関係が壊滅的なセンス、かつ万年金欠のチョータはカラオケなんて行きたくないと。
 白けた顔のタヌキを送る。

『バイトの着替えあるから』

 つまりそれを俺に着ろと?
 どれだけサイズ違うと思ってんだよ。
 ため息を吐く。これだけ食い下がってくるのは珍しい。
 仕方がない。相手をしてやろうじゃないか。

「公民館で」

 高校から駅に行く間に、公民館がある。そこで落ち合おうと送る。
 すぐにキツネが両手に扇子を持って小躍りするスタンプが返って来た。

 公民館の自動ドアをくぐると、エアコンの効いた涼しい空気に包まれる。
 スマホで手早く「着いた」と打つと、『二階』とだけ連絡が返って来た。

「おー、おっつー」
「お前、強引すぎ」
「いやー、腹減って腹減って。テスト中も腹がなってやばかった」

 そのでかい図体を維持するのは大変ですこと。
 口をへの字に曲げたままズイッと手を出す。すぐにバックパックを渡された。

「いってら」

 にかりと笑われても、こっちは迷惑だ。まったく、なんだってこんなこと。
 文句は永遠に湧き出てくる。でもなんだかんだで断れないせいで口にできない。

「ちきしょー」

 ぽつりとつぶやいてトイレに入る。それからそのまま小便ではなく、大便のほうへ。
 今ここでくそったれと口に出すのは憚られて口をつぐむ。
 バックパックの紐を引っ張って、中から黒いTシャツを取り出す。

「でっ……」

 クソでかすぎだろ、馬鹿。XLかよ。
 制服のシャツを脱いで、眼鏡を取ってからTシャツをかぶる。案の定ダボダボだ。
 Tシャツから柔軟剤の匂いがする。俺のうちとは違う香り。

「これが下か?」

 引っ張り出してすぐに畳む。絶対にサイズが合わない。
 ため息を吐いて、下は制服のままで個室から出る。
 眼鏡を取って、適当にシャツで包んでカバンに押し込む。あとは鬱陶しい前髪をあげてピンで止めれば、それなりに印象は変わる。
 よっぽどオタヨシの吉井旺太とはすぐに結びつかないはずだ。そもそもクラスメイトでさえ、俺の顔をしっかり見た奴なんていないだろうし。こういう時、ボッチは役に立つ。嬉しいねぇ!
 トイレから出て、ベンチでスマホをいじってるチョータに声をかける。

「お待たせ」
「……うん、ニアッテルヨ」
「カタコトで言うな、あほ」
「まぁ、男はニ十歳まで成長するって言うし? 諦めるな」
「変な慰めはいらねえよ」

 ボスッとバックパックを押し付け、そのまま階段を降り始める。

「んで? どこのファミレス?」
「サイゼ」
「いつもと同じか」

 貧乏学生が安く腹を膨らまそうと思ったら、選択肢は多くない。

「俺、チキン食いたい」
「言うと思った。俺はドリアな」

 ファミレスに入ると、入り口のお姉さんの視線がチョータの腕にちらりと行く。でも表情を崩すことなく笑顔でテーブルへと案内された。プロだ。
 今、チョータの腕にはサメが大きな口を開けている。金魚のあとに中世の騎士を挟んでサメ。次は何にしようか。
 ちなみにテスト中はアームカバーをしている。これはカンニングを防ぐためだとさ。
 高校に入ってすぐ、チョータがこんな見た目なのに成績が良くて、カンニング疑惑が出てからずっとだ。馬鹿教師どもめ。

「おい、チョータ。サラダ食え、サラダ」
「腹膨れねえじゃん」
「だったら俺が頼むから、半分食え」
「しゃーねーな。手伝ってやる」

 チョータが目を細める。でかい体を維持するには多少は野菜を食えってんだ。
 注文を済ませ、チョータをテーブルに残してドリンクバーで炭酸とウーロン茶を注ぐ。変わり種のドリンクがないのが残念。

「カッシーじゃん」
「おう」

 戻ろうとして、チョータを呼ぶ女子の声が聞こえた。
 うっわー、なんかわらわらいる。

「えー、一人?」
「いや、ダチと」

 面倒くさいな。トイレでも行くか? でもドリンク二つ持ってるしな。
 そうこうしているうちに、チョータが適当に女子たちをあしらった。
 ちらちらとチョータを見て去っていく女子たち。チョータと食事している間にめっちゃ観察されそう。
 女子たちがテーブルに移動する間に、チョータの前にコップを置く。位置的に俺の顔が見えないとこで良かった。

「男子だ」
「だれ?」
「見たことない」

 こそこそと声が聞こえる。うぜー、まじうぜー。
 俺の顔を見てチョータが吹き出す。くそ、うぜーぞ。

「ははっ、すぐ興味なくすって」
「ったく、見せもんじゃねー。次のお代わり、お前行け」
「分かったって」

 どっちみち、高校から一番近い駅でさらに格安のファミレスとなれば、誰か知り合いに会うのは確実だった。良かった、いつもの格好のまま来なくて。
 すぐにサラダとチキンが運ばれてくる。待て、肉じゃねえ。先にサラダを食え、サラダを。
 取り皿に自分の分を乗せ、残りをチョータに押し付ける。チョータはぶつぶつ言いながらも、箸でサラダに乗ってるエビを摘まみだした。

「テスト、どうだった?」
「ばっちり。過去問、さんきゅ。そっちは?」
「びみょー? 自信ねえ」
「いつもそう言ってる」
「だっけ?」

 次に届いたドリアに早速手を伸ばすチョータ。サラダまだ残ってんぞ、オラ。
 ちらっと見た俺に「交互に食う」と言う。ったく、ガキか。

「夏休みはまたバイト?」
「おう、金稼ぐぞ」
「無理すんなよ」
「しねえよ。倒れたら金かかるし稼げなくなる」
「そう言う問題じゃ……まぁ、気を付けるならいいけど」

 金のためだとしても、自分でコントロールする気があるなら俺はもうそれ以上は言わない。
 夏休みは嫌いだ。暇で死にそうになる。
 学校は友達がいないし、塾に行くほど成績が悪くはないし、バイトするような積極性もない。絵をずっと描いていたら時間はまぎれるけれど、毎日何時間もやるほどの熱量はない。
 つくづく詰まんない人間だな、俺は。

「なにすっかなぁ、夏休み」
「バイトすれば?」
「うーん……」

 チキンの骨についた肉をがじがじ噛みながら曖昧な声を出す。
 バイトかぁ。暑いよな、外。十六歳の高校生ができるバイトも少ないだろうし。

「チョータは今年は何すんの?」
「去年と大体同じ。イベント設営、引っ越し、清掃とか?」
「うわー、がっつり肉体労働」
「紹介してもいいけど?」
「即刻戦力外で首だわ」

 俺の言葉にチョータがすぐに「だな」と同意する。おい、自分で言っときながらそれ、どうよ?
 ゲシッと足を蹴ると大声で笑いやがる。

「イベントって変な客も多いしなぁ。オータ、絡まれそう」

 ちらりと見られる。分かってる。言うな。
 普段のオタヨシも多分ヤンキーたちに絡まれる。んで、眼鏡を取って、デコ出ししても絡まれる。理由は、認めたくないけれど小動物系の顔のせいだ。
 オタクはいい。キモいと放っておかれるから。
 でも少しでも顔がいいとなると女子に群がられる。んで、それを見た男子にやっかまれる。どっちにしてもめんどくさい。
 ペッとチキンの骨をさらに出して、べとべとの手をそのままピザに伸ばす。
 チョータが俺をちらっと見て、また視線を逸らして、んでまた見てきた。

「なんだよ。キモイぞ」
「うっせー。あんさー、ヨーコさんのとこでさー」
「おう」

 カラカラと少ししか残ってない氷をかき回しつつ、チョータが迷いながら言う。

「ボディペイントの話、あっただろ?」

 あったな。変な女がチョータに絡んでたやつ。

「あれ、イベントでもやってみないかって言われたんだわ」
「誰に?」
「イベントスタッフ」

 チョータの話では、イベント設営の短期バイトに出てた時、チョータの腕のペイントを見て、イベント会場の一角でボデイペイントをやってみないかという話をされたらしい。
 つまりチョータのペイントをしている人、俺を紹介しろということだ。

「ふーん」

 ピザを飲みこんで、チョータの顔をじっと見つめる。
 おい、サラダ食うふりして視線逸らしてんじゃねえぞ、馬鹿。
 むしゃくしゃしながら、ぺらっぺらなペーパーナプキンを数枚手に取って指先を綺麗にする。

「いいのかよ」
「え?」
「チョータが、俺をその人に紹介したいってのならすればいいけど」
「オータは……絵が好きだから、それをバイトで稼げるなら…………いいんじゃね?」
「なっが」

 迷いすぎだ、アホ。
 苦笑するバカを睨む。
 ため息を吐いて「無理だろ」と言う。

「ボディペイントには専用のインクや筆がいる。油性ペンとは全く違う。いきなり人から金取れるほどの技術もってねえよ。俺ができるのはせいぜいチョータの腕一本だけだ」
「そ……か? 十分、できてると思うけど」

 少しだけ体の力を抜いて、チョータは自分の腕のサメを見る。
 ぎょろりとした目の奥に、赤いやけどが隠れている。自分でもなかなかの出来。でもそれはあくまで素人のラクガキだ。
 やるんだったら本格的に練習するから、また将来声をかけてくれ。
 そう伝えろとチョータに言えば、「……うん」と微妙な返事をされた。前向きな回答を出すのが嫌なんだろうな。だったらそう言えばいいのに。バーカバーカ。

「今度、チョータの腕もボディペイント用のでやってみるか? エアブラシとかもあるらしいけど」
「いや、これまで通り油性ペンでいい」
「そ」

 きっぱり断られた。でもいつか本格的にやってはみたい。
 チョータの腕だけじゃなく、綺麗に筋肉がついた背中とかまで。
 まじに練習、しようかな。そのためには母親とちゃんと話し合いをしないといけないけど。

「ま、夏休み中俺はいつでも暇してるから、時間があいたら連絡くれよ」
「分かった。次に描いてもらうもの思いついたら送る」
「りょ」

 満腹になって、女子たちの視線を感じながら俺たちはファミレスを出る。
 丁度一時過ぎ。最高気温目前の熱気が顔を襲う。眼鏡と髪の毛がないと、直でくるなぁ。

「あっちー」
「んじゃ、俺、午後からバイト行くわ」
「待てよ、このシャツは?」
「忘れてた」

 ぴょんっと首元を引っ張ってチョータを止める。忘れんなよ。目の前にあるのに。
 チョータは俺をじっと見て、「そのまま着て帰りなよ」と言い出した。

「は?」
「いちいち着替えんの、面倒だろ? 俺、バイト先で余ってるの借りるし」
「えー……分かった。今度洗って返す」

 こんなでっかいの着て電車に乗るの、微妙に嫌だけど。そう思いながら裾を伸ばす。
 ふっと笑う声がしてチョータを見上げる。

「いいじゃん。似合ってる」
「似合わねえよ」

 何言ってんだ。こんなでかいの似合うわけないだろ。
 口を尖らせる俺に、チョータはさらに笑みを深めて「んじゃな」と手を上げた。

「おう。頑張って稼いで来い」
「おう」

 ひらりと手を振る。反対方向に進むチョータの背中をじっと見ていると店の中から視線を感じ、慌てて俺も逆へと歩き出した。