ゾウのおなかに一等星


 チョータの腕に新しい絵を描いたのが二日前だった。
 女子生徒たちにきゃあきゃあ言われるあいつを冷たい目で見てやって、学校から戻る。

 今日はチョータから過去問をもらう日。
 汗をかいたシャツを脱いで、冷却ボディーシートで体を拭いて、さらに風を浴びてガンガンに体温を下げていく。
 肌がスース―して痛いくらいが気持ちいい。
 適当に汗が引いたらTシャツを着て、台所を覗いてパパッと野菜をいくつか取り出す。ざく切り野菜と薄切り肉。簡単に火を通したら焼き肉のたれをぶっかけて、あっという間に一品完成。
 冷凍しておいた米をレンジで解凍しつつ、湯を沸かしてフリーズドライの卵スープにぶっかける。
 常備しているカットサラダも並べれば、簡単かつ栄養そこそこの晩御飯だ。

 だらだらスマホを見ながらご飯をかき込んでいると、LINEが届いた。
「遅れる~!」の文字と激走するキツネが画面に現れる。
 約束は六時半。チョータの遅れるは大体十五分から三十分。大方、学校でダチと喋っていて帰るタイミングを逃したとかだろう。ご友人が多い奴は大変だ。

「ったく」

 スマホを伏せて、残りのご飯を口に詰め込む。
 今は六時ちょっとすぎ。待ち合わせの公園は徒歩五分。
 微妙に時間が余ったな。
 台所を片付けた後、油と匂いが気になってシャワーを浴びる。また暑い外に出るのに、俺は女子か。
 いや、汗だくなのはたとえ相手がダチでもマナー違反だよな。うん。

 シャワーから上がって鏡の前に立つ。眼鏡をしていない自分の顔はあまり好きじゃない。
 大きくてどんぐりのような目が小動物みたいだ。
 スッと切れ長の目をした母親とは全く違う血を感じる。それも、嫌だ。
 鏡から目を逸らし、おざなりに体を拭いて、無地のTシャツとナイロン素材の薄いズボンを着こむ。わずかに湿った髪は外に出ればじきに乾くだろう。

 準備を整えて、時間は六時四十五分。丁度いい時間だとスマホ片手に玄関に向かう。
 その時、外から扉が開き、俺は足を止めた。

「旺太、出かけるの?」

 俺がそこに立っているのに驚いたように両目を見開いたのは、俺の母親。
 しまった。こんなに早く帰ってくるとは思わなかった。
 顔が歪んだのを悟られないように、顔を伏せてかがみこむ。

「ちょっと、公園まで」
「公園? 今から?」

 裸足の足をスポーツサンダルに突っ込み、ストラップを調整しながら答える。

「学校の先輩に過去問もらいに」
「そう。いい成績は取れそうなの?」
「それなりに」

 成績はトップ争いまではいかないけれど、常に三十番以内はキープしている。
 目立ち過ぎない、周囲に頼られない、でも侮られない。最適なポジション。
 立ち上がると、ヒールのせいで視線の高くなった母親と目が合う。
 眼鏡の奥から探るような目が向けられ、顔を俯けて視線を避ける。
 母親がため息混じりにパンプスを脱ぎ、それを靴箱に仕舞った。
 やっと出られると思った時、母親が目の前で素早くスマホを操作した。それと同時に手の中でスマホが震える。

「お金、送っておいたから、その先輩にお礼しなさい」
「……分かった」

 スマホ画面に支払いアプリ通知が届く。
 開けば母親から一万円が送金ていた。たかが高校生の過去問に金出し過ぎだろ。
 鍵を手にして、肩越しに母親を見る。

「晩飯、作っといたから」
「……ありがとう」

 きつく結ばれていた口元が緩んだ。そこから読み取れる感情は多くない。けれどどこか安堵したようにも見えた。

「いってきます」

 小さな声と共にドアを開ける。
 ガチャンッと音を立ててドアが閉まる瞬間、「行ってらっしゃい」という声が聞こえた。