ゾウのおなかに一等星


「ヨーコさん~、これ、あまり」
「冷蔵庫に入れときな」

 先にスナックに顔を出したチョータがヨーコさんに声をかけている。
 すぐにわっと歓声が上がり、俺はそちらに顔を向けた。
 夜職っぽいネイルの長い姉ちゃんが、チョータの腕に絡まって笑っている。

「えー、なにこれー、すっごーい、まじかっこいー」

 馬鹿みたいに語尾が長い。ナニコレじゃねえよ。
 けっと舌打ちしたくなるのを我慢して、付けっぱなしだった髪留めを外す。
 ……ピンクのリボンかよ。クソだせえ。
 ばさばさと前髪を顔の前に落としていると、高い声がまた叫んだ。

「え? あっちの子が描いたの? すごーい」
「オータは天才だから」

 にかっと笑うチョータ。ばか、勝手に自慢してんなあほ。

「へぇ、オータクン」

 薄くラメの散った瞼が俺を見てぱちぱちと瞬く。
 ナチュラルなように見せて、ナチュラルとは程遠い工事後の顔。早くその手をチョータから外せよ。無駄にくっついてんじゃねえよ。
 冷めた目を向けられていると分かっているのに、「ねぇねぇ、これ、うちでやってよ」とそいつは続けた。

「は?」
「うちのさ、夏のイベントとかで、ボディペイントやるんだけど」

 そう言ってわざとらしく膨らんだ胸元を指さす。ついでにむぎゅっとチョータの腕に押し付けて。

「お姉さんたちのー、肩とかー、太ももとかー、えーっと、胸とか、きゃっ、ね?」

 何が「きゃっ、ね?」だよ。
 ちゃんと主語述語を使って日本語を話せ、バーカ。

「だめ」
「え?」

 チョータの低い声、そして馬鹿女の声。
 俺ももう少しで声が出そうになった。
 前髪の影から、チョータを伺う。
 チョータはするりと腕を馬鹿女からはずし、背を向けた。
 必然的に俺と正面から向き合う。

「帰ろうぜ」
「お、おう」
「ヨーコさん、またねー」
「ばいばい」
「おう、また来なー」

 勝手口に向かう俺たちの背中から、ヨーコさんが「あんた、若い子に手を出すんじゃないよ」とか言ってる。
 いや、手を出された覚えもないけど。出されても避けるし。

 そんなことを思いながら、また二人で公演へとダラダラ歩く。
 口を開きかけてまた閉じる。さっきのは、何だったんだ。聞いたら、答えは返ってくる?

 その時、ザッとビーサンの足が音を立てる。突然チョータが足を止めて俺を振り返った。
 でかい体が、街灯の光を浴びて影を作る。
 自然と俺も足を止めて、チョータを見上げた。
 ずいっとさっき金魚の絵が完成したばかりの腕が差し出された。

「触って」
「は?」
「いいから」
「おう」

 ぺとっと手を当てる。
 チョータが「もっと」と言う。
 なんなんだよ。
 むかつきながら両手で雑巾をしぼるみたいに、金魚の上からチョータの肌に触れた。
 じっとりした夏の夜。手が熱い。

「おし、おっけー」
「な、にがだよ!」

 突然の終わり。チョータの手が離れていく。
 思わずつっこむ。なんだったんだ。
 手を放しても、なんとなく触れた肌の感触が残っていてグーパーを繰り返す。
 歯を見せて笑うチョータを睨む。なんの効果もねえけど。
 その笑顔のまま、チョータが「明後日」と言った。

「んぁ?」
「過去問、また持ってくるから」
「あ、おう」

 そうだった。
 うんと頷けば、チョータは公園のわきの道をそのまま進む。
 俺は公園を通って反対側だ。

「んじゃ」
「じゃ」

 手を軽く上げてそれぞれの道を行く。
 公園の中ほどでちらりと振り返れば、チョータはまだ入り口に立ってこっちを見ていた。

「っ早く帰れ、ばーか」
「おう、気を付けろよ」
「うっせー」

 ったく女じゃねえんだから。
 歩くスピードを上げてさっさと公園を抜ける。
 角を曲がる時、やっとあいつが反対方向へと歩き出すのが見えた。