ゾウのおなかに一等星 ~偽タトゥーなあいつと擬態オタクな俺の恋~



「お邪魔、します」
「はいはい、どーぞー」

 三階の俺の家について、俺に続いてチョータがおずおずと入ってくる。
 なんで背中丸めてかがんでんの。そんなに玄関扉低くないんだけど?

「なんか飲む?」
「いや、いい……です」
「ぶっふぁ!? ははっ、なに、緊張しすぎじゃん? 母さんはまだ帰ってねえよ?」

 靴を脱いで棚に突っ込む。チョータにはそのあたりに揃えておいてと言い捨ててさっさと中に入る。
 チョータがここに来たのはいつ振りだろう。
 基本的に俺たちが会うのは公園で、行く場所は決まってヨーコさんのスナックくらい。
 高校受験の時も、スナックの二階で勉強を教えてもらった。ああ、あの時にヨーコさんが出してくれたデザートや食事は、実はうちの母さんがヨーコさんに頼んでいたんだと、この前チョータのアパートを整理する時に聞いた。
 バイト代を直接払えない代わりにと、ヨーコさんにもお金を払っていたらしい。本当、不器用すぎる母親だと呆れた。

「……変わってない」
「前に来たの、いつだっけ?」
「オータが中二の時。インフルでぶっ倒れた時」
「あー、あったあった」

 熱で記憶が半分ぶっ飛んでる。そう笑いながら、テーブルにグラスを置いてたぱたぱとお茶を注ぐ。
 微妙な沈黙が流れる。
 チョータはなんか変に緊張していて、それが俺に移ったみたいだ。

「あー、チョータ、こっち来いよ」

 こうなったらとっとと本題に入ろうとチョータを俺の部屋に招く。
 中に入って、少しだけベランダへの窓を開ける。秋の風が入ってきて、思わずほっと息を吐いた。

「チョータ?」

 入口で立ち止まったままのチョータを呼ぶ。

「ん、ああ、あんま……変わってねえな」
「ま、趣味も特にないしな」

 最近増えたボディペイント用のマーカーやインクくらい。あとはイラスト集や図鑑が数冊。それとベッド。
 俺はタブレットを手に取って目的の写真を表示させ、そろえておいたインクとペンをパラパラとベッドの上に雑に並べた。
 それから様子をぼおっと見ていたチョータに命令する。
 
「チョータ、上、脱いで」
「うん……はぁ!?」
「なんだよ」
「きゅ、急に脱げって」
「いいから。背中、見せろ」

 後ずさるチョータのシャツを掴む。ずるりと裾がズボンから出てきた。

「ま、待て。なんで、ちょ、脱がすな!」
「いいから背中見せろよ」
「先! 先に、理由を言え!」

 両手首をがしっと掴まれた。くそ、カじゃチョータには絶対勝てねえのに。

「チョータの背中に、絵を描きたい」

 チョータの顔を見上げて告げる。
 チョータの切れ長の目が見開かれ、戸惑ったように揺れる。

「分かってる。まだ痣が残ってるだろうって。でも……だから、描きたい」
「……見ても、楽しいもんじゃねえぞ」

 分かってる。コクリと頷くと、チョータはため息をついて俺の手を放した。
 ではさっそくとチョータのシャツに手を伸ばすと、チョータは二歩後ずさる。おう? なんでだよ。

「自分で脱ぐから!」
「あ、そう?」

 ま、自分で脱いでくれるならどうぞどうぞ。
 ちらりと俺を見てからボタンをはずし、インナーシャツも脱ぐチョータ。視線で「コルセットも?」と問われて頷く。
 ぱさりと落とされるシャツ。折れてしまった肋骨を支えるバンドが外され、チョータはふうっと息を吐いた。
 鍛えられた腹部の筋肉が動く。そしてそこに残る痣も。

「それ、痛い?」
「触らなければ」
「そう。背中も?」

 チョータが上下に首を振る。
 あの屑はチョータの顔、お腹、背中……全身を蹴ってチョータを滅茶苦茶に痛めつけた。
 警察が止めに入るのがあともう少し遅ければ、折れた肋骨が肺に刺さってしまっていただろうって聞いた。
 それほどに苛烈な暴力を振るわれたのだ。チョータがでかくて、体力があったから生き残れた。
 俺だったら死んでたかもしれない。だから、チョータはそんなことが起こらないように……そうか。チョータが言ってた通り、あの無茶な行動の理由は俺だったんだな。

「背中、見せて」

 ゆっくりとチョータが体の向きを変える。
 俺より十センチ以上大きなチョータの背中。シャツ越しじゃなく、実際に見るのは初めてだ。

「オータ?」
「あ、うん。そこ、ベッドの端に座って」

 俺がペンを散らかした横を指さすと、チョータはごくりと喉を鳴らしてからそおおおっとふんわり腰かけた。
 そんなバランスで座るの、きつくねえか?

「もっと奥、登って。絵が描きにくい」
「お、う」

 奥ヘチョータを押しやって、俺もベッドに座る。
 目の前のチョータの背。三週間経って痣の色が変わっている。
 治りかけの黄色や、酷く蹴られたせいで青色が色濃く残る部分も。わき腹が特に酷い。
 これだけの痛みを抱えて、普通の顔して学校に来て。どれだけ我慢強いんだよ、チョータ。
 喉奥が熱くなる。
 手を伸ばす前に、自分の唇に指先を当ててから、そっとチョータの背に触れた。
 ただ、そうしたかった。
 ふるりと大きくチョータの背が揺れる。

「くすぐったかった?」
「え、あ、いや……大丈夫」

 ふっと視線を感じて顔を上げる。クローゼットの鏡からこっちを見るチョータと目が合った。
 見てた?
 今の、俺の、やったことを?
 目を見開いた俺に、チョータが気まずそうにヘラリと笑った。

「まー、いや、うん」
「……見んな、馬鹿」

 くそ、恥ずい。なんだよ、見るな。
 誤魔化すように咳ばらいをしてタブレットを手に取る。
 チョータの背と並べてみて、想像以上に上手くいきそうだと思った。

「何を描くん?」
「描いたら、言う」
「秘密主義だぁ」
「うっせー」

 昼間にも言われたな、それ。でも、出来上がったら言いたいことがるから。
 これまでどうしても言えなかった言葉を。
 だからその覚悟を固めるためにも、俺はこの背中に俺の希望を描きあげたい。

 ペチッとチョータの肩を叩いて前を向かせる。鏡でこちらを伺っているのは感じるけれど、それくらいは許容してやろう。
 ふうっと長く息を吐いて精神統一をする。
 目の奥に浮かぶのは、あの出会いの日。腕を掲げて光に手を伸ばすチョータの姿。
 あの日から、チョータは俺の――

「よし、描くぞ」

 ペンを持ち上げて、その先をチョータの肌に触れさせた。