異界朝廷後宮奇譚

 今からおよそ千五百年前、ある所に、白雲という、それはそれは美しい娘がおりました。しかし、白雲がいたのは、私たちが住むこの世界ではありません。この世界とそっくりの別の世界にいたのです。
 二つの世界は、とても良く似ていたので、白雲のいた別の世界にも、今、私たちが暮らすこの国と瓜二つの島国がありました。後の世の人々に賢帝と呼ばれることになる若き帝を頂点とする朝廷は、その国を良く治めておりました。
 その賢帝のお妃として後宮に入りたいと、御所の門前に願い出てきたのが白雲でした。あまりにも突飛な申し出に、門番の者はとり合おうとはしませんでした。しかし、たまたま通りかかった大臣の一人が、白雲の美しさに目を止め、門前払いにしてしまうには惜しいと思い、白雲の話を聞いてみることにしたのです。
 白雲は豪族の出ではありませんでした。生まれも育ちも、どのようにして都にたどり着いたのかも、はっきりしませんでした。それまでの習わしに従えば、白雲はお妃として後宮に入れる身分ではありませんでした。しかし、高貴な出としか思えぬような立ち振る舞い、学びの深さ、そして、何よりその美しさは、正に帝のためにあるべきものだと大臣は考え、朝廷に進言をしたのです。そのお陰で、白雲は、皇后様や他のお妃方がお住いになられる後宮に、数人目のお妃として入ることができたのです。

 初めての顔合わせの折、賢帝は、雪のように白い肌をした白雲に、強く御心をお惹かれになりました。賢帝が御心の落ち着きを取り戻される前に、白雲が口を開きました。
「お久しゅうございます。あの折の帝の優しき御心に報いるために参りました。これよりは、この命が尽きるまで、帝にお仕えしとうございます」
 その言葉をお聞きになり、賢帝は大そう驚かれました。賢帝は、それより前に白雲に会った覚えがお有りにならなかったからです。白雲ほどの美しい娘に会ったことがあれば、どんな人でも忘れる訳がありません。初めて会ったはずの白雲が、なぜ、そのようなことを言ったのか、賢帝は不思議に思われました。
 しかし、白雲の目は、深山の脇水の如く澄んでおり、戯言を口にしているようには見えませんでした。加えて、賢帝は、白雲に不思議な親しみをお感じになりました。初めて会ったはずなのに、いつかどこかで会ったことがあるような思いを抱かれたのです。だから、賢帝は、あえて、白雲に問いを投げようとはなさらなかったのです。
 
 その夜、賢帝は白雲の部屋にお渡りになり、契りを結ばれました。白雲との交わりは、それまでのものとは比べようもない程のものでした。しかし、ひとたび、ことが済むと、白雲は真っすぐに賢帝の目を見据えて、冷ややかにも聞こえる言葉を放ちました。
「どうか、朝が来る前にご寝所にお戻りくださいませ」
 何か大事なことを強く訴えかけるような眼差しに押され、賢帝は初夜が明ける前に、ご寝所にお戻りになられました。

 その日以来、賢帝は、夜毎、白雲の部屋に通われるようになられました。ただ、それは、男の欲を満たすためだけではありませんでした。国を治める帝の位におられることで、賢帝はいつもその御心に、数えきれない程の悩みや迷い、怒りや悲しみを抱えておいででした。しかし、白雲と過ごしていると、そのような悪いもの全てが消えてゆき、御心が清められたようなお気持ちになられるのでした。
 ところが、ある晩、白雲が思いもかけぬ言葉を口にしました。
「どうか、これよりは、ここへのお渡りは七日に一度にして頂きたいと存じます。皇后様を初め、他のお妃の方々も寂しい思いをされていることでしょう。それに、多くのお子を残すことは、帝のお努めの一つかと存じます」
 逢瀬は七日に一度という決めごとは、受け入れがたいものではありましたが、白雲の考えには理があると、賢帝はお考えになりました。今のままでは、やがて白雲は嫉妬を買い、後宮の輪が乱れることは明らかでした。そして、まだ、子の無かった賢帝にとっては、まずは皇后様との間に世継ぎをもうけ、さらに他のお妃方との間にも多くの子を残すことが大切な役目であることも確かでした。賢帝は、寂しさをお抱えになりながらも、白雲の言う決めごとを守ろうとお気持ちを固められました。

 しかし、いかに徳の高き賢帝におかれましても、白雲にお会いになりたいというお気持ちを封じるのは難しいことでした。そして、とうとう、六日目の晩に、賢帝は白雲の部屋にお渡りになってしまったのです。
 ところが、白雲は部屋にはおりませんでした。賢帝は白雲を探すよう従者にお命じになられました。でも、いくら探しても、白雲の姿はどこにも見つかりませんでした。御心を落とされた賢帝は、そのままご寝所にお帰りになられたのです。

 次の晩、賢帝が白雲の許をお訪ねになると、白雲はそこにおりました。賢帝は、前の晩にどこにいたのかと、白雲に尋ねようとなさいました。しかし、賢帝は、白雲がひどく悲しそうな目でご自分を見つめていることにお気づきになられました。更には、その悲し気な眼差しには覚えがあるような気持ちになられました。とはいえ、白雲とは、まだ出会ってから日も浅く、そんなことがあったはずがありませんでした。
 そんなことをお考えのうちに、賢帝は、前の晩のことを問い質す気をなくされてしまいました。すると、白雲の方が先に言葉を掛けてきました。
「今宵はお渡りを頂き、ありがとうございます。帝がおいでにならない夜は寂しゅうございました。でも、その寂しさに耐えるのも、私の務めでございますから」
 その言葉を耳になされて、賢帝は、前の晩の自らの行いを恥ずかしことだったと感じられました。会えない辛さを抱えていたのは自分だけではなかった、いや、むしろ、白雲の方が辛い思いをしていたのだと、お気づきになられたのです。そのような思いをしてでも、自分のため、さらには国のために尽そうとしている白雲を、賢帝は、前にも増して愛おしく思われました。それ以来、賢帝は二度と、七日に一度という決めごとをお破りになることはございませんでした。

 それからしばらく、賢帝と白雲の間では、穏やかな日々が流れました。
 満開の桜の花影、蛍舞う月の夜、木の葉の燃える夕暮れ、津々と雪の降る朝。四季折々、そのような景色の中にあると、白雲はいつもより増して美しく見えました。
 鈴虫の如き歌声、鳥の声に似た笛の音、蝶のような舞。宴の折も、白雲は人々の心を惹きつけました。美しい歌を詠み、漢詩すら書ける白雲は、大変な物知りでもありました。
 そして、民にも慕われる賢帝の許、国は益々栄えてゆきました。

 ところが、そんなある日、後宮で大変なことが起こりました。皇后様が物の怪に憑りつかれてしまったのです。
 皇后様の体が弱ってゆくのと裏腹に、物の怪の妖気は強まり、薬師も女官も、皇后様のお傍に留まることができなくなってしまいました。その後、さらに妖気は強さを増し、まるで結界が張られたかのように、皇后様のお部屋には近づくことすらままならなくなってしまったのです。
 そんなある日の、真夜中のことでした。皇后様にお付きの兵が、お部屋の近くに控えていると、白雲が近づいてくるのが目に入りました。
「白雲様、このような夜更けにいずこに参られるのですか?」
「皇后様の許に参るのです」
 兵は腰が抜ける程驚きました。
「白雲様、お止めください。妖気が強く、この先には行けませんし、無理をしていかれれば、お命に関わります。白雲様は、帝の大事なお方です。お通しすることはできません」
「帝にとってお大事なのは私ではありません。皇后様です。私の命に代えても、皇后様をお救いしなければなりません」
 言い置いて奥に進もうとした白雲を、兵は体を張って押し留めようとしました。しかし、なぜか兵の体はピクリとも動かず、白雲は悠々と兵の脇をすり抜け、皇后様のお部屋の方に行ってしまいました。
 兵の体はすぐに動くようになりましたが、物の怪の妖気のせいで、白雲の後を追うことはできず、白雲が皇后様のお部屋に入るのを黙って見ているしかありませんでした。
 程なくして、強い雨が降り始め、空は稲妻の光で白み、雷の音が人々の耳を襲いました。まるで、この世の終わりのような恐ろしい時が、明け方まで続きました。
 
 前の晩のことが、嘘のように晴れ渡った美しい朝が来ると、白雲が皇后様のお部屋
から出てきました。物の怪の妖気は、すっかり消え去っていました。一晩中、立ちつ
くしているしかなかった兵は、白雲の疲れ切った様子が気になりました。
「白雲様、大丈夫でございますか?」
「私は、大丈夫です。すぐに、皇后様の許に薬師を寄こして下さい」
 白雲は、兵にそう命じると、自らの部屋の方に去って行きました。

 その日のお昼ごろ、賢帝の許に白雲からの文が届けられました。その晩に、白雲の部屋においで頂きたいと書かれていました。賢帝は、常ならざることに、妙な胸騒ぎをお感じになりました。その日は、七日に一度の逢瀬の日ではありませんでしたし、それまで、賢帝は白雲から文を送られたことも、白雲の方から部屋に招かれたことも無かったからでした。
 とはいえ、白雲に会いたいという気持ちを常に抱かれておいでの賢帝におかれては、それは嬉しいことでした。
 部屋に入った途端に、賢帝は白雲の様子が普段と違うことにお気づきになられました。白雲は、少しやつれていました。澄んだ瞳の中に悲しみが潜んでいるのがお分かりになりました。賢帝は、その夜は契りを結ぶのは控えた方が良いかもしれないと思われました。しかし、賢帝のためらいを引き剥がすように、白雲の方から、賢帝を求めてきました。それもまた、それまでには無いことでした。
 ことが済み、並んで横になっていると、白雲が弱弱しい声で語り掛けてきました。
「どうか、今宵は、朝が来るまでお傍においで下さいませ」
 決めごとを破るその言葉に、賢帝はひどく驚かれました。
 白雲の言葉は更に続きました。
「それと、もう一つお願いがございます。私がこの世を去った後は、私の亡骸を後宮の裏に埋めて頂きたいのです。その上に石を置いて小さな塚を御作り下さいませ。私は、そこで、帝とこの国をいつまでもお守りいたします」
 白雲がこの世を去るのはずっと先のことだし、そのような粗末な扱いなどできるはずがないと賢帝はお考えになりました。しかし、白雲のただならぬ様子に気おされて、賢帝は、白雲の願いは必ず叶えると約束をなさいました。
「ありがとうございます」
 そう言うと、白雲は静かに目を閉じました。その途端、賢帝は強い眠気に襲われ、お眠りになられたのです。

 翌朝、お目覚めになられた賢帝は、信じがたいものを目になさいました。白雲が寝ていたはずの所に、白い蛇の亡骸が横たわっていたのです。
 賢帝は、その白い蛇に見覚えがお有りでした。それは、数年前、『白い蛇は福を招くに違いない』と、ある豪族が賢帝に献上してきたものでした。賢帝も、豪族の言葉にうなずき、美しいその白い蛇を大そうお気に入りになられました。
 しかし、賢帝は、なぜか、その白い蛇が悲しそうな目をしているような気がなさいました。その目が、『自分を元いた所に帰して欲しい』と訴えているようにお感じになりました。この世のものとも思えぬほどに美しい白い蛇は、神が何かしらの務めを与えて、この世に遣わしたものかもしれない?そうお考えになった賢帝は、美しいその白い蛇をずっと手元に置いておきたいというお気持ちに蓋をなさいました。賢帝は、蛇を献上してきた豪族に十分な褒美を与えると共に、白い蛇を元いた所に帰してやるようにお命じになられました。
 あの時の白い蛇が、神に与えられた務めを終えた後、白雲に姿を変えて、自分の許に帰ってきたのだと、賢帝はお気づきになりました。
 賢帝は、白雲との約束通りに、その亡骸を後宮の裏に葬り、そこに小さな塚を築きました。そして、塚の由来を広く語り、国の守り神として敬うようにお達しになられました。
 賢帝が崩御あそばされた後も、塚は国の守り神として敬われました。そうして、賢帝のお血筋の帝が代々治める国は、ますます栄えてゆきました。

 しかし、時が経ち、塚の由来も忘れ去られた頃、後の世の人々に愚帝と呼ばれることになるお方が帝の位につかれました。
 愚帝は、周りの者たちが、塚を国の守り神として敬うことに憤りを感じておられました。国を治めているのは自分で、自分こそが、自分のみが敬われるべきだとお考えになられていたからです。そうして、とうとう、塚を打ち壊すことをお命じになられました。
 しかし、大臣たちを含む全ての臣下の者が愚弟を諫めました。賢帝の御代から国の守り神として敬われてきた塚を打ち壊すなど許されない、そんなことをすれば、神罰が下るとい言うのでした。
 しかし、愚帝は臣下の者たちの言葉に耳を貸そうとはなさいませんでした。愚帝は、度々塚の打ち壊しをお命じになりましたが、誰もが神罰を恐れ、従う者はおりませんでした。
 愚帝は、臣下の者たちが、帝である自分の威光よりも、得体の知れぬちっぽけな塚の祟りを恐れている、とお感じになり、益々不機嫌になられました。そうして、仕舞いには、愚帝は自ら槌を振るい、塚を打ち壊しになられたのです。

 その後すぐ、謀反が起こりました。愚帝は、遥か遠い島に流された後、早々に病を得てお隠れになってしまいました。それからというもの、国は千々に乱れ、朝廷という政の形も消え、帝のお血筋も絶えてしまいました。
 こうして、その国は、私たちの住むこの国とは違って、帝のいない国になってしまったのです。

                    おしまい