■
秋の空模様は変わりやすく、その日は朝から重く雲が垂れ込め、強い風が吹き始めていた。
朝、自宅。
「台風が来るから、今日はバスで行きなさい」
リビングでパンを食べながらニュースを見ていた妹が言う。
出かけようとすると、母親が玄関まで追いかけてきた。
「まだ降ってないよ」
「夕方から降るんだって」
「傘! 玲生、忘れてる!」
後ろから母親の声が聞こえたが、バスの時間があるのでそれどころではなかった。
自転車で風を感じながら通学するのが、楽しいのに。
確かに雨の日は地獄だけど。
今日は木曜日。昼休みの放送の日。
放送室で読み上げる今日の話題は、バスケ部の練習試合の結果と、美化委員会からのお知らせ。
午後になって、校内放送が流れる。
「台風の進行が予想より速まり、夕方から雨風が急激に強まる見込みです。本日の授業は六時限目で打ち切り、七時限目および部活動を中止します。生徒は六時限目終了後、速やかに下校してください」
放送にクラスがざわめく。
「今日は部活なしかあ」
「じゃあね」
「また明日ー!」
「おつかれー」
六限が終わり、クラスメイトがそれぞれ帰っていく。
城田と藤木は、家が近いがそれぞれ部活があるので、普段あまり一緒に帰ることはない。三人で連れ立って帰ろうとしたところだった。
廊下に出ると、女子の視線が、一か所に集まっている。
前にこんな状況、見たことあるな…
二年の廊下に、紺色の校章の見慣れた長身。
蒼也は俺と目が合うと控えめに笑い、まっすぐ近づいてきた。
「噂のサッカー部一年じゃん! イケメンだなおい!」
「脚、長っ。若者すげ~! 玲生に会いに来たんじゃ~?」
「そうみたい! ごめん先帰ってて!」
二人は笑いながら手を振ると、階段を降りていった。
「すみません。練習がないから、玲生と帰れるかもと思って」
蒼也は少し身を縮めた。
「一緒に帰ろ!」
蒼也は笑った。
「俺、傘忘れたんだよね…」
「俺も自転車で帰るつもりだったのでないです」
窓を大粒の雨が叩いている。
蒼也は果敢にも自転車で来たらしいが、それは学校の駐輪場に置いておくことにして、一緒にバスへ乗った。
湿気でもわりとした車内。
大粒になってきた雨が、バスの窓を流れていく。
こんな日は外出を控える人が多いのか、乗客は俺たちのような学生がほとんどだった。
蒼也は黙っていて、俺もなんとなく静かにしていた。
「……うちに寄っていきませんか」
世界が、ガラスを叩く雨と、蒼也と、俺だけになったかと思った。
「行く」
蒼也の家の近くだというバス停の停車ボタンを押し、二人で雨の中を降りる。
バス停から家まではすぐだったが、傘を持たない俺たちは、一瞬でベチャベチャになった。
角に建つ二階建ての白い家。
「うちです」
蒼也は急いで玄関ドアの鍵を回す。そこで思い出したように言った。
「……犬は大丈夫ですか?」
「えっ? 大好きだけど…?」
「来ます」
玄関のドアを開けるなり、トトトトトト…と軽い足音が近づいてくる。
と思った瞬間、廊下から、目にもとまらぬ速さの白いものが飛び出してジャンプ。俺の脚に飛びついた。
これは…!
「ベル!!」
白いマルチーズ。ベルだ。
ベルは会えた嬉しさを全身で表現する。尻尾どころか全身を振って喜び、俺の膝に前脚をかけてくる。
「ベル、離れて。玲生がびっくりする」
玄関に座り込んで、両手で撫でる。
「いいよ〜!! かわいい! これが噂の妹ベル! 白いフワフワ! 兄貴がいなくて寂しかったな!」
ひとしきりなでると、ベルはくるりと向きを変え、尻尾を向けると尻を近づけてくる。
「お尻を向けてくる!」
「ベルの嬉しいときの挨拶です」
「そうなの!? 俺も尻で挨拶してみる。ベル、会えて嬉しいよ」
初めましての気持ちを込めて、尻をベルに向けてみる。
ベルはそれを無視し、横に回ると俺の膝に前脚をついて乗り上がってきた。
「あれ?」
「ぶはっ」
蒼也が横で笑ったようだったが、俺はベルの猛攻の前にそれどころではなかった。
もっと撫でろと手へ頭を押しつけてくるので、わしわしと撫でる。
「人懐っこい〜! 兄貴とはだいぶ違うな!」
「……ベルが羨ましくなってきた」
「なにそれ?」
玄関にしゃがんでひたすらベルを撫でる俺と、撫でられるベルを、蒼也は黙って見ていた。
■
「ふーー……最高~~」
気がついたら、勧められるまま、風呂に入っていた。
服も髪もびしょびしょだったから、気持ちよすぎる。
「……うん?」
温かい湯船につかって目を閉じ、ふと気がついた。
俺のことが好きなやつと、一つ屋根の下で二人と一匹きりで風呂に入ってる…!?
「えっ…」
これは…もしかして…ヤバいやつなのでは!?
突然の危機に、にわかに緊張が走る。
これは風呂から出たら、どうにかなるやつなのでは…ないだろうか。
しばらく湯船の中に沈んでいたが、出ないわけにもいかない。
恐る恐る浴室のドアを開けると、脱衣所には、蒼也のTシャツとジャージが畳んで置かれていた。
どちらも俺にはわりと大きい。
ぶかぶかの上下を着て廊下へ顔を出すと、オリーブオイルとにんにくの匂いがした。
「いい匂い……」
さっきまでの緊張を忘れて、フラフラと匂いのもとへ向かう。
キッチンでは、蒼也が試合中にボールを受け取ったとき以上に真剣な顔をして、フライパンで何かを混ぜていた。
「蒼也、料理できるんだ!」
匂いにつられて駆け寄る。
山盛りの具材入りのパスタだ。
「これしかできない。玲生と食べようと思って、練習した」
そういうことを、普通に言う。
俺は風呂場で一人、何が起きるのかと警戒していたのに。
蒼也が準備していたのは、恋愛的な何かではなく、具の多いパスタだった。
……いや、これも十分、恋愛的な何かでは?
「美味しそう~!」
テーブルの上には、お洒落な皿に盛られた、ニンニクとオリーブオイルが香るペペロンチーノと、氷の入った冷たい麦茶が置かれていた。
キャベツとキノコとベーコンが明らかに増量されている。
「お、美味しい〜!」
いい香りが口の中に広がる。
もりもり食べていると、蒼也がこっちを観察していた。
「食べてる玲生、いつもよりさらに口が大きく開く」
「えっ」
足元では、ベルもご飯をもらっている。
ベルのご飯にも、味をつけずに別で煮たらしいキャベツが1枚乗っていた。
食べ終わると、蒼也は食器洗い機に食器を入れた。俺はテーブルを拭く。
蒼也はスマホを見た。
「今日は、父は祖母の家に様子を見に行っていて、泊まるそうです。祖母の家は古いので。母も今日は出張で、泊まってくるらしいです」
「そうなんだ…」
蒼也は少しためらった。
「……母に今日、友達を泊めてもいいかと聞いたら、いいって。もし玲生がよければだけど。ベルとたくさん遊べます」
「蒼也の家、泊まりたい!」
即答した俺に、蒼也はちょっと驚いていたが、それから微笑んだ。
俺はその場で、母親に『今日は学校の友達の家に泊まってくる!』とメッセージを送った。
母親は『傘忘れたでしょ。あんなに朝言ったのに』と突っ込んだ後、『大騒ぎして迷惑かけないようにね』と返してきた。
蒼也もスマホを操作してから、こっちを見た。
「母が喜んでいた。友達が来るのは小学生以来なので」
そんな調子なのに、突然高校の先輩が泊まったりしたら、蒼也の母親はびっくりするんじゃないだろうか。
「蒼也のパパとママに、写真送ってあげよ!」
「俺が撮ります」
蒼也はもう慣れた様子でセルフィーを構え、俺はその画面のなかに入った。
後ろにいるベルも入るように、蒼也は画角を器用に動かした。
撮れた写真を覗き込んで、顔を見合わせて笑う。
ベルは写真を撮られ慣れているらしく、ちゃんと小首をかしげてカメラ目線をしていた。
「ふふ。笑ってる蒼也をついに写真に収めた」
「玲生につられた」
蒼也はその写真を母親に送り、メッセージ画面を見せてきた。
『蒼也が笑ってる!』
「蒼也のママも俺と同じこと言ってる。家でも笑わないの!?」
「家でも同じ」
「そうなんだ…」
「これでベルとたくさん遊べますね」
「それも嬉しいけど、蒼也とたくさん話せるのが嬉しい」
冷凍庫からアイスを出していた蒼也は、冷凍庫を開けたまま固まった。
俺は慌てて横から冷凍庫を閉めた。
秋の空模様は変わりやすく、その日は朝から重く雲が垂れ込め、強い風が吹き始めていた。
朝、自宅。
「台風が来るから、今日はバスで行きなさい」
リビングでパンを食べながらニュースを見ていた妹が言う。
出かけようとすると、母親が玄関まで追いかけてきた。
「まだ降ってないよ」
「夕方から降るんだって」
「傘! 玲生、忘れてる!」
後ろから母親の声が聞こえたが、バスの時間があるのでそれどころではなかった。
自転車で風を感じながら通学するのが、楽しいのに。
確かに雨の日は地獄だけど。
今日は木曜日。昼休みの放送の日。
放送室で読み上げる今日の話題は、バスケ部の練習試合の結果と、美化委員会からのお知らせ。
午後になって、校内放送が流れる。
「台風の進行が予想より速まり、夕方から雨風が急激に強まる見込みです。本日の授業は六時限目で打ち切り、七時限目および部活動を中止します。生徒は六時限目終了後、速やかに下校してください」
放送にクラスがざわめく。
「今日は部活なしかあ」
「じゃあね」
「また明日ー!」
「おつかれー」
六限が終わり、クラスメイトがそれぞれ帰っていく。
城田と藤木は、家が近いがそれぞれ部活があるので、普段あまり一緒に帰ることはない。三人で連れ立って帰ろうとしたところだった。
廊下に出ると、女子の視線が、一か所に集まっている。
前にこんな状況、見たことあるな…
二年の廊下に、紺色の校章の見慣れた長身。
蒼也は俺と目が合うと控えめに笑い、まっすぐ近づいてきた。
「噂のサッカー部一年じゃん! イケメンだなおい!」
「脚、長っ。若者すげ~! 玲生に会いに来たんじゃ~?」
「そうみたい! ごめん先帰ってて!」
二人は笑いながら手を振ると、階段を降りていった。
「すみません。練習がないから、玲生と帰れるかもと思って」
蒼也は少し身を縮めた。
「一緒に帰ろ!」
蒼也は笑った。
「俺、傘忘れたんだよね…」
「俺も自転車で帰るつもりだったのでないです」
窓を大粒の雨が叩いている。
蒼也は果敢にも自転車で来たらしいが、それは学校の駐輪場に置いておくことにして、一緒にバスへ乗った。
湿気でもわりとした車内。
大粒になってきた雨が、バスの窓を流れていく。
こんな日は外出を控える人が多いのか、乗客は俺たちのような学生がほとんどだった。
蒼也は黙っていて、俺もなんとなく静かにしていた。
「……うちに寄っていきませんか」
世界が、ガラスを叩く雨と、蒼也と、俺だけになったかと思った。
「行く」
蒼也の家の近くだというバス停の停車ボタンを押し、二人で雨の中を降りる。
バス停から家まではすぐだったが、傘を持たない俺たちは、一瞬でベチャベチャになった。
角に建つ二階建ての白い家。
「うちです」
蒼也は急いで玄関ドアの鍵を回す。そこで思い出したように言った。
「……犬は大丈夫ですか?」
「えっ? 大好きだけど…?」
「来ます」
玄関のドアを開けるなり、トトトトトト…と軽い足音が近づいてくる。
と思った瞬間、廊下から、目にもとまらぬ速さの白いものが飛び出してジャンプ。俺の脚に飛びついた。
これは…!
「ベル!!」
白いマルチーズ。ベルだ。
ベルは会えた嬉しさを全身で表現する。尻尾どころか全身を振って喜び、俺の膝に前脚をかけてくる。
「ベル、離れて。玲生がびっくりする」
玄関に座り込んで、両手で撫でる。
「いいよ〜!! かわいい! これが噂の妹ベル! 白いフワフワ! 兄貴がいなくて寂しかったな!」
ひとしきりなでると、ベルはくるりと向きを変え、尻尾を向けると尻を近づけてくる。
「お尻を向けてくる!」
「ベルの嬉しいときの挨拶です」
「そうなの!? 俺も尻で挨拶してみる。ベル、会えて嬉しいよ」
初めましての気持ちを込めて、尻をベルに向けてみる。
ベルはそれを無視し、横に回ると俺の膝に前脚をついて乗り上がってきた。
「あれ?」
「ぶはっ」
蒼也が横で笑ったようだったが、俺はベルの猛攻の前にそれどころではなかった。
もっと撫でろと手へ頭を押しつけてくるので、わしわしと撫でる。
「人懐っこい〜! 兄貴とはだいぶ違うな!」
「……ベルが羨ましくなってきた」
「なにそれ?」
玄関にしゃがんでひたすらベルを撫でる俺と、撫でられるベルを、蒼也は黙って見ていた。
■
「ふーー……最高~~」
気がついたら、勧められるまま、風呂に入っていた。
服も髪もびしょびしょだったから、気持ちよすぎる。
「……うん?」
温かい湯船につかって目を閉じ、ふと気がついた。
俺のことが好きなやつと、一つ屋根の下で二人と一匹きりで風呂に入ってる…!?
「えっ…」
これは…もしかして…ヤバいやつなのでは!?
突然の危機に、にわかに緊張が走る。
これは風呂から出たら、どうにかなるやつなのでは…ないだろうか。
しばらく湯船の中に沈んでいたが、出ないわけにもいかない。
恐る恐る浴室のドアを開けると、脱衣所には、蒼也のTシャツとジャージが畳んで置かれていた。
どちらも俺にはわりと大きい。
ぶかぶかの上下を着て廊下へ顔を出すと、オリーブオイルとにんにくの匂いがした。
「いい匂い……」
さっきまでの緊張を忘れて、フラフラと匂いのもとへ向かう。
キッチンでは、蒼也が試合中にボールを受け取ったとき以上に真剣な顔をして、フライパンで何かを混ぜていた。
「蒼也、料理できるんだ!」
匂いにつられて駆け寄る。
山盛りの具材入りのパスタだ。
「これしかできない。玲生と食べようと思って、練習した」
そういうことを、普通に言う。
俺は風呂場で一人、何が起きるのかと警戒していたのに。
蒼也が準備していたのは、恋愛的な何かではなく、具の多いパスタだった。
……いや、これも十分、恋愛的な何かでは?
「美味しそう~!」
テーブルの上には、お洒落な皿に盛られた、ニンニクとオリーブオイルが香るペペロンチーノと、氷の入った冷たい麦茶が置かれていた。
キャベツとキノコとベーコンが明らかに増量されている。
「お、美味しい〜!」
いい香りが口の中に広がる。
もりもり食べていると、蒼也がこっちを観察していた。
「食べてる玲生、いつもよりさらに口が大きく開く」
「えっ」
足元では、ベルもご飯をもらっている。
ベルのご飯にも、味をつけずに別で煮たらしいキャベツが1枚乗っていた。
食べ終わると、蒼也は食器洗い機に食器を入れた。俺はテーブルを拭く。
蒼也はスマホを見た。
「今日は、父は祖母の家に様子を見に行っていて、泊まるそうです。祖母の家は古いので。母も今日は出張で、泊まってくるらしいです」
「そうなんだ…」
蒼也は少しためらった。
「……母に今日、友達を泊めてもいいかと聞いたら、いいって。もし玲生がよければだけど。ベルとたくさん遊べます」
「蒼也の家、泊まりたい!」
即答した俺に、蒼也はちょっと驚いていたが、それから微笑んだ。
俺はその場で、母親に『今日は学校の友達の家に泊まってくる!』とメッセージを送った。
母親は『傘忘れたでしょ。あんなに朝言ったのに』と突っ込んだ後、『大騒ぎして迷惑かけないようにね』と返してきた。
蒼也もスマホを操作してから、こっちを見た。
「母が喜んでいた。友達が来るのは小学生以来なので」
そんな調子なのに、突然高校の先輩が泊まったりしたら、蒼也の母親はびっくりするんじゃないだろうか。
「蒼也のパパとママに、写真送ってあげよ!」
「俺が撮ります」
蒼也はもう慣れた様子でセルフィーを構え、俺はその画面のなかに入った。
後ろにいるベルも入るように、蒼也は画角を器用に動かした。
撮れた写真を覗き込んで、顔を見合わせて笑う。
ベルは写真を撮られ慣れているらしく、ちゃんと小首をかしげてカメラ目線をしていた。
「ふふ。笑ってる蒼也をついに写真に収めた」
「玲生につられた」
蒼也はその写真を母親に送り、メッセージ画面を見せてきた。
『蒼也が笑ってる!』
「蒼也のママも俺と同じこと言ってる。家でも笑わないの!?」
「家でも同じ」
「そうなんだ…」
「これでベルとたくさん遊べますね」
「それも嬉しいけど、蒼也とたくさん話せるのが嬉しい」
冷凍庫からアイスを出していた蒼也は、冷凍庫を開けたまま固まった。
俺は慌てて横から冷凍庫を閉めた。
