歪と信仰

 翌日の朝、柊夜くんといつも通り登校する。昨日の帰りのことを思い出して憂鬱になった。柊夜くんはなんでおれをでろでろに甘やかしてくれないんだろう。健全な提案だけして。正しくなくたっていいじゃん。おれが困るとかどうでもよくなるくらい、おれを溺愛したくてしょうがなくなればいいのに。やっぱりおれ自身が甘やかしたくなるような存在に変わらないといけないのだろうか。それって、どんな?
「愛瀬、眠いのか?」
 一人で頭を悩ませていると柊夜くんがおれの顔を覗き込んできた。至近距離に心臓が止まりかける。柊夜くんは今日も煌めいてる。
「はい〜、寝不足で身体に力が入らないっすー。おぶってくださーい」
 伸びやかな声で勿論本気じゃないですよという空気を作った。嘘の欠伸をして、いかにもゆるい人間を演じる。
「ちゃんと寝ろ。昨日は何時に布団に入ったんだ?」
 おれの軽口を受け流して柊夜くんは小言を並べ始める。「身体を壊すぞ、睡眠時間は八時間くらいが……」なんて本当におれの兄か親にでもなったみたいだ。そんな尊大さが愚かしくて可愛い。柊夜くんを摘み上げておれの口に放り込みたくなる。
 こういうムーブをされるたび、柊夜くんはその性格からおれを放っておけないだけだって思う。だから余計に手のかかるやつで居続けたくなってしまうし、自立なんてしてやらないからなって思う。隠れるの禁止ルールも破ろうと決意を固めた。
「おはようございます」
 校門につくと生徒会役員の人に挨拶をされた。去年の秋から、生徒会は毎朝校門に立って登校してくる生徒たちに挨拶をするという活動をしている。おれはこれが苦手だ。彼らに挨拶を返せたことがない。「おはようございます」と模範的な挨拶をする柊夜くんの横で、おれは今日も喉が貼りついてしまっていた。逃げるように顔を伏せて歩く。
「愛瀬」
 柊夜くんに呼ばれて初めて、おれが柊夜くんの制服の背を無意識に掴んでいたことに気づいた。こうやって柊夜くんを掴むのはもう昔からの癖になっていて、いつもよくやってしまう。
「それも禁止」
「え」
 おれは硬直した。「なんのことですか」ととぼけてみても、「オレの背中とか袖とか、よく引っ張ってくるだろ。今日からやめてみよう」と優しく袖まで禁止事項に加えられてしまった。ひどい。どうしてそんなに厳しいんだ。
「もう二年生で、先輩になったんだから」
 おれの思っていたことに答えるように柊夜くんは諭してきた。その大人ぶった顔を見ながら無性にムカムカする。もっとおれのこと考えてよ。急に色々言われても困るし。
 おれの不満が表に出てしまっていたのか、「そんなだと部活に一年生が入ったら恥ずかしいだろ」と柊夜くんは困ったみたいに笑った。
 別に恥ずかしくない。他人の目なんてどうでもいい。おれは歩きながら小石を蹴っていた。

「愛瀬くんたちの部活って何してるの?」
 教室に着くなり廊下側の席の鈴木さんに話しかけられた。彼女は読みかけっぽい教科書を机に置いてこちらを見上げている。今年から同じクラスになった人だ。反射で柊夜くんの後ろに下がろうとしたら、彼に腕を掴まれた。心臓が跳ねる。「待て」と柊夜くんが呟く声を聞いて、後ろに隠れるなと言われていたのを思い出した。柊夜くん、マジで許してくれないんだ。わざわざ大胆に腕を掴んでまで……実はサドなのかな。なんか生意気でやだ。そういう変なことを一旦考えてしまうと、柊夜くんの手が触れている部分をどうしても意識してしまう。ドキドキしてくる。おれは馬鹿なんじゃないか。
「適当に集まって喋ってるだけだよ」
 鈴木さんに部活について説明する柊夜くんを見つめながら、彼は想像以上に禁止を律儀に守らせるつもりなのだと理解して、これから厄介なことになりそうだと思った。柊夜くんは頑固なところがあるから、こうなったら手強い。泣いてやりたくなったが今は教室にいるので憚られた。人目よりも柊夜くんに甘えるほうが優先とはいえ、流石に皆のいる場所で泣き真似をするほどの胆力はない。
「腕、離してくださいよ。こんな強引にしたらだめだって思わないんすか」
 鈴木さんと部活トークを繰り広げている最中の柊夜くんの耳元で囁いた。おれの息がかかって、くすぐったがりの柊夜くんはビクッと揺れる。その反応に、ふつふつと得意な気持ちが湧いてきて自分でも自分の口角が上がっているのが分かった。
「おどかすなよ」
 柊夜くんは力なくぼやく。掴まれていた腕はそっと解放された。それからも鈴木さんと柊夜くんの会話はまだ続きそうだったため、おれは自分の席へ移動した。
 面白くない。柊夜くんが人と楽しそうに話している。誰とでも仲良くできる柊夜くんの性格を尊敬してるし好きだけど、それはそれとして嫉妬はする。おれと一緒にいる時よりも楽しそうに笑ってるんじゃないか? あ、血が出た。これもいつもの癖で、おれはつい自分の指の皮膚を千切ってしまっていた。おれの指先はボロボロで汚い。
 絆創膏をリュックから出して、さっき千切ったところと、まだ修復しきっていないところに貼って汚い部分を隠した。また指の絆創膏が増えた。自分でも自分のことが嫌いだった。おれの指はおれの肉体や精神の歪みを象徴するものであるかのように思えた。