歪と信仰

 授業が終わって、今日はこれから部活動見学がある。普段は毎週水曜日にしか魔法研究パソコン部の活動はないが、今日から三日間は新入生が見学に来るため活動日にしてある。
「人が来てくれると良いな」
 柊夜くんはコンピューター室にあるキャスター付きの椅子に座り、くるくる回った。そわついているのが分かりやすくて可愛い。
「相変わらず先生はいませんね〜」
 おれも椅子に座って欠伸をした。顧問は基本的に部室に来ない。顧問の顔と名前をおれがきちんと把握できていないレベルで、おれたちの部活は放任されている。先生がいないおかげで今は柊夜くんと二人きりだった。ここにいない先生への好感度が上がる。先生ありがとう。
「失礼します」
 暫くおれが柊夜くんと雑談を楽しんでいると部室のドアが開いた。二人の女子が入ってくる。
「えっ、全然人がいない」
 部室に入るなりポニーテールの女の子が率直なリアクションをした。もう一人のおさげの女子もきょろきょろ視線を彷徨わせている。コンピューター室の広い空間におれたちがぽつんと座っているだけだった。
「入部希望者か?」
 柊夜くんは生き生きと目を輝かせて立ち上がった。期待が全身から滲み出ていて若干の圧すら感じられる。
「いえ。顔を見に来ただけです。そっちの人の」
 先ほど人がいないことを指摘した女子が平然と右手でおれを示した。思わずビクッと震える。「私は付き添いで……」隣のおさげの子がおずおずと付け加えた。
「そうか、なら存分に愛瀬を見て味わうといい」
 柊夜くんは入部希望でないことに落胆したりせず得意げに胸を張った。なんであんたが偉そうにするんだ。おれのことなのに勝手に許可してるし。
「普通に恥ずかしいんですけど。変なこと言わないでくださいよ。じっくり観察されても気まずいっす」
 おれも立ち上がって柊夜くんの後ろに隠れた。身長差によって上手く隠れられない。顔がはみ出る。
「そっか。ごめんな」
 柊夜くんが身体の向きを変えて優しい目でおれを見上げた。自然な動作でこちらに手が伸びてきて、おれの身体が強張る。しかし、その柊夜くんの手は中途半端に空中で止まって下ろされてしまった。肩にいつの間にか入っていた力がすとんと抜ける。
「二人とも、この先輩は人見知りなんだ。部活に入ったら、一緒に過ごすうちに段々慣れてきて対面してくれるようになるよ」
 柊夜くんは女子たちに向き直って笑顔のセールストーク。たくましい。部員を増やそうと頑張っている。
「やー、流石に入部はちょっと。変な部活に入るのはね」
「すみません」
 辛辣な発言とセットで、あっさり断られた。
 部室を出ていく二人の背中に「来てくれてありがとな」と柊夜くんは声をかけた。柊夜くんのこういう、感じの良いところが好きだなって思う。
「やっぱおれ、柊夜くん以外の人は無理です。せっかく先輩がいなくなって快適になると思ってたのに一年生が来たら……」
 もそもそ呟きながら柊夜くんの背に引っ付いた。流れるような動作で彼の胴体に腕を回す。知らない人と対面した緊張がまだ残っていて、おれの心臓はドキドキしている。柊夜くんの身体に引っ付くことでおれは安心感を得ようとしていた。そこで呼吸をすると柊夜くんの匂いが脳に伝わって、段々鼓動が落ち着いてくる。
「先輩たちに対して結構失礼だな」
 柊夜くんの声色は咎めるような雰囲気でもなくて、少し困ったように笑っていた。
「どうする? これからまた誰か来たら」
 柊夜くんは落ち着いたトーンであやすようにおれに問いかける。お母さんみたい。おれの本当のお母さんはこんなんじゃないけど。柊夜くんがお母さんだったらいいのにな。って、何考えてるんだろう。柊夜くんは柊夜くんだろ。
「追い払ってください」
「それはだめだろ」
「なんでですか」
 柊夜くんって体温が高いな。頭がぼんやりしてきて本当に子供みたいな気分になってしまう。
「隠れとくか? 先生の机のあたりとか丁度いいんじゃないか」
 確かに先生の使う席は横に広いし、位置的にもしゃがんだら向こうからはおれの姿が見えなくなりそうだ。
「一人で隠れてるのは寂しいので〜、却下っす」
「愛瀬って」
 そこで柊夜くんの言葉が途切れる。
「なんすか」
 むず痒くなっておれは続きを催促した。
「かなり子供っぽいよな」
「そ」
 そんなことない、とは言えない。おれが未熟なのは自分でもよく分かっている。
 子供っぽいとか言うなら昔みたいに甘やかして、って言いたい。調理実習で不器用なおれを見かねて包丁をかわってくれた柊夜くん。係の仕事でおれが重い物を運んでると他の係なのにおれの仕事を奪っていく柊夜くん。過去を振り返ってみると、かなり甘やかされていた。おれが周りより弱い存在だったから放っておけなかったんだろう。おれは今でも弱いよ。なのに柊夜くんはあの頃みたいに面倒見てくれないよね。だから物足りない。
 ガラガラと突然ドアが開いてびっくりする。ドア枠を挟んで一人の男子と目が合った。
「うわあ、仲良しですね」
 その男子はおれたちを見るとにっこり笑い、コンピューター室に足を踏み入れた。
「だろ!」
 柊夜くんは俺に密着されたまま明るくピースする。何も考えてなさそうだ。
「それって魔法の儀式とかですか?」
 おそらく一年生の男子は、こちらを見つめながらうきうきした様子だった。揶揄っているのだろうか。
「違います」
 なんだこの子と戸惑い、おれは柊夜くんに絡ませていた腕を外した。
「この部活、儀式とかはしないんですか? 僕そういうのに興味があるんですけど」
 やたらと儀式に拘っている。ただの魔法オタクか。おれが柊夜くんにベタベタしていたことは彼も全く気に留めていなさそうだった。
「儀式は専門外だな」
 専門外とか言ってるけど、魔法に関して柊夜くんはアニメの話くらいしかできない。おれも昔は魔法陣を書かされたなと古い記憶が蘇る。気持ち悪くなって息を少し止めた。苦しくなったあたりで呼吸を再開する。
「なるほど」
 儀式の彼は一つ頷き、それきり部室を出ていった。
「おい、このままだと新入部員ゼロなんじゃないか!?」
「まあまあ、良いじゃないっすか」
「お前はオレ以外と話せないからそんなこと言うんだろ」
 柊夜くんは口をとがらせている。正確には、柊夜くんを独占したいって理由が大きいんだけどな。
 その後コンピューター室にやって来たのは、ふらっと顔を見に来ただけの人が何人かと、パソコン部としてのお手並み拝見に来た謎の複数人の生徒から成るグループが一つだけだった。彼らが入部しそうな手応えはない。謎グループとのタイピング対決に負けてた柊夜くん、普通に悔しがってたのが格好良かったな。
 下校時刻になって家へ帰る途中、「愛瀬にとっても、色々な人と関わるほうが良いと思うんだけど」と柊夜くんが零した。だから新入生は居たほうが良い、と。
 そんなの余計なお世話だよ。柊夜くんだけでおれの世界は完結する。他人との関わりなんていらない。
「明日からオレに隠れるの禁止にしようぜ」
 柊夜くんは少し先を歩きながら唐突に提案した。
「えっ」
「人を避け続けてたってずっと怖いままだろ。ちょっとずつ、大丈夫だって感覚を身につけていかないと愛瀬が将来困るから」
「……。」
 柊夜くんはもっともらしく語った。先生とか大人が言うような正しいことだ。全然納得いかない。目の前が真っ暗になりそうだった。柊夜くんから拒絶された。おれのことを適切に自分から引き剥がそうとしている。嫌だ、そんなの。
「む、無理です」
「まずはチャレンジしようぜ。な」
 柊夜くんはこちらを振り返って優しい視線を投げかけてくる。その表情でおれは断りづらくなる。ずるい人だ。
「分かりました」
 自分でも驚くほど小さな声で返事した。足元のアスファルトのひび割れを目で追う。心細い。寂しい。
「そんな不安そうにすんなよ! 愛瀬なら平気だって」
 柊夜くんは夕焼けをバックに白い歯を見せて笑った。気安くおれの肩に手を置く。いつもなら、ここでおれはドキッとして、ぐーんと幸せになるだろうけど今日は気分が沈んだままだった。密かにため息をつく。
 柊夜くんは、おれのことを何だと思ってるんだろう。きっと対等に見てもらえていない。それは気付かないふりをしていただけで昔からずっとそうだ。柊夜くんは周囲に馴染めない弱者に手を差し伸べている。おれが弱いから世話を焼いている。だから簡単におれと分離できるし、おれに成長を促してくる。対等な友人だったら「将来困るから」なんて大人みたいな発言をしないはずだ。あんたはそんなに偉いんですか、なんて詰りたくなる。挫折なんか知らなさそうな、正しく生きてきた人間らしいその全能感を意地悪につついてやりたい。それもおれの愛の一つだった。
「頑張りますね〜」
 おれは目を細めて柊夜くんに笑顔を示した。足が重くなった気がしていた。