柊夜くんは何とも思わないのかな。自分の家に帰って料理をしながら考える。柊夜くんの態度に恋人らしい甘さみたいなものはなくて、普段通りだった。何も変わらないのがつまらないという感情と、自分の感じたあの得体の知れない気持ち悪さ。あの気持ち悪さは、おれの側では何か変わった気がしている証左だ。包丁でにんじんを切る。
柊夜くんが誰のものにもならないように告白した。だからたとえ付き合うという行為におれが適応できないとしても続けてやる。
冷静になってみると、柊夜くんが付き合うことを了承した理由が気になってくる。あの人は今のこの状態をどう感じているんだろう。柊夜くんを縛るという目的は別れを切り出されたりしたらそこから達成できなくなる。おれは自分が不快を感じても別れたりするつもりはないが、柊夜くんの方はそうではないはずだ。関係が終わりにならないために、どうすれば。
おれは、おそらく間違っている。
付き合うことそのものには興味がない人間に付き合わされている柊夜くんがどうにも被害者に思えてならない。おれは真剣でも客観的に見たらひどく不誠実だ。柊夜くんはそれに弄ばれている。善良な人間がおれみたいな人間に損なわれているのが、快かった。可哀想で可愛い。そうやって思うのは、どうかしている!
包丁を持つ手に力が入り、まな板がダンと音を立てた。柊夜くんは本来「真っ当な」幸せを得るような人間だろうに。なんでおれを許したりするんだ。それがヒーローとしての正義なのだろうか。柊夜くんはおれを弱者として眼差す。いつも大人ぶる根元にあるのはその眼差しだ。これは被害妄想じゃない。長年一緒に居るからそこは違えていないと言い切れる。
おれは柊夜くんの正義がどこまで保つのか知りたくなった。それはその正義を脆弱なものと指摘し打ち破る欲望からではなくて、寧ろ破壊されることのないものとして信じているからだった。おれなんかに負けない柊夜くんの格好良い煌めきを浴びたい。そして敗北をおれに与えてほしい。
こうして、付き合っているのをいいことに柊夜くんに無茶な要求をしようと決めた。
翌朝、柊夜くんに手を繋ぐか訊かれた。おれが昨日それを望んだから柊夜くんの方から確認してくれたんだろう。まめな人だ。
「柊夜くんは優しいっすね〜」
自分から繋ごうとは思っていなかったが、相手が言うなら話は変わってくる。握られた手のグロテスクな感覚が脳内に蘇る。おれは柊夜くんの善意によって自分の傷つくことがあったら気持ち良いという予感がしていた。柊夜くんの手を絡め取る。硬い骨の感触。高い体温。皮膚がある。彼の皮膚の内側には血が通っている。やはり今日も気味が悪かった。そして期待通りその嫌な感じが嬉しかった。おれは柊夜くんを害しているから。自分も傷つけられたかった。
「でも〜、手を繋ぐだけじゃつまんないっすよねー?」
わざと甘ったるい声と陰湿な笑みを作って柊夜くんの顔を覗き込む。吐きそうだ。柊夜くんは呆気にとられたように、口を僅かに開けたまま目を見開いて固まっている。
「えっと、愛瀬?」
柊夜くんの顔に不安の色を見つけて心が痺れる。嬉しい、嬉しい。
「柊夜くんにもっと恋人っぽいことされたいな~」
自分の台詞が不快だったが、そうして抉られることによって、おれは生きている感じがした。
「柊夜くんは嫌ですか?」
柊夜くんの表情をじっくりと探る。彼は最初は困ったように視線を彷徨わせていたが、ふと意を決したように真剣な目でおれを真っ直ぐ見つめた。
「オレは興味ないけど愛瀬がしてほしいならいいよ」
なんだそれ。この人はどこまで、他人の幸福を願って自分を消耗できるんだろう。格好良い。交際相手にこんな返答されたら、たぶんおれ以外の人間ならかなり幻滅しそうだけど。おれにとっては、神様として理想的な答えだった。心臓が熱くなった。
「ここは外だし、あんまり変なことは駄目だからな」
柊夜くんは気まずそうにおれから目を逸らす。真面目だ。可愛くて世界一格好良い。
「じゃあ学校終わったらおれの家に来てください」
「え。なんでそういう流れになるんだ」
「家の中なら何でもオッケーってことですよね~」
「違うだろ」
柊夜くんは早足で歩いた。手は繋いだまま。その手に引っ張られるようにおれもついて行く。
「おれ、毎日家に一人だし寂しいんすよー。だめですかあ?」
我ながら可愛い子ぶっている。背筋がぞわぞわした。
「寂しい、か。……いつ来てほしい?」
柊夜くんは歩調を緩めた。寂しいという言葉を持ち出せばこの人は優しくなると分かっていた。まあおれが孤独なのは本当だけど。単純すぎて心配になるほどお人好しだ。
「今日とか」
柊夜くんの隣に並び、おれは意地悪な気持ちでにやにやする。相手を困らせるつもりでいた。
「あー、いいよ。予定ないし」
「えっ、い、いいんですか」
「愛瀬が言い出したんだろ」
柊夜くんはおかしそうに笑う。その笑顔が穏やかで眩しくて、ドキドキした。
柊夜くんが誰のものにもならないように告白した。だからたとえ付き合うという行為におれが適応できないとしても続けてやる。
冷静になってみると、柊夜くんが付き合うことを了承した理由が気になってくる。あの人は今のこの状態をどう感じているんだろう。柊夜くんを縛るという目的は別れを切り出されたりしたらそこから達成できなくなる。おれは自分が不快を感じても別れたりするつもりはないが、柊夜くんの方はそうではないはずだ。関係が終わりにならないために、どうすれば。
おれは、おそらく間違っている。
付き合うことそのものには興味がない人間に付き合わされている柊夜くんがどうにも被害者に思えてならない。おれは真剣でも客観的に見たらひどく不誠実だ。柊夜くんはそれに弄ばれている。善良な人間がおれみたいな人間に損なわれているのが、快かった。可哀想で可愛い。そうやって思うのは、どうかしている!
包丁を持つ手に力が入り、まな板がダンと音を立てた。柊夜くんは本来「真っ当な」幸せを得るような人間だろうに。なんでおれを許したりするんだ。それがヒーローとしての正義なのだろうか。柊夜くんはおれを弱者として眼差す。いつも大人ぶる根元にあるのはその眼差しだ。これは被害妄想じゃない。長年一緒に居るからそこは違えていないと言い切れる。
おれは柊夜くんの正義がどこまで保つのか知りたくなった。それはその正義を脆弱なものと指摘し打ち破る欲望からではなくて、寧ろ破壊されることのないものとして信じているからだった。おれなんかに負けない柊夜くんの格好良い煌めきを浴びたい。そして敗北をおれに与えてほしい。
こうして、付き合っているのをいいことに柊夜くんに無茶な要求をしようと決めた。
翌朝、柊夜くんに手を繋ぐか訊かれた。おれが昨日それを望んだから柊夜くんの方から確認してくれたんだろう。まめな人だ。
「柊夜くんは優しいっすね〜」
自分から繋ごうとは思っていなかったが、相手が言うなら話は変わってくる。握られた手のグロテスクな感覚が脳内に蘇る。おれは柊夜くんの善意によって自分の傷つくことがあったら気持ち良いという予感がしていた。柊夜くんの手を絡め取る。硬い骨の感触。高い体温。皮膚がある。彼の皮膚の内側には血が通っている。やはり今日も気味が悪かった。そして期待通りその嫌な感じが嬉しかった。おれは柊夜くんを害しているから。自分も傷つけられたかった。
「でも〜、手を繋ぐだけじゃつまんないっすよねー?」
わざと甘ったるい声と陰湿な笑みを作って柊夜くんの顔を覗き込む。吐きそうだ。柊夜くんは呆気にとられたように、口を僅かに開けたまま目を見開いて固まっている。
「えっと、愛瀬?」
柊夜くんの顔に不安の色を見つけて心が痺れる。嬉しい、嬉しい。
「柊夜くんにもっと恋人っぽいことされたいな~」
自分の台詞が不快だったが、そうして抉られることによって、おれは生きている感じがした。
「柊夜くんは嫌ですか?」
柊夜くんの表情をじっくりと探る。彼は最初は困ったように視線を彷徨わせていたが、ふと意を決したように真剣な目でおれを真っ直ぐ見つめた。
「オレは興味ないけど愛瀬がしてほしいならいいよ」
なんだそれ。この人はどこまで、他人の幸福を願って自分を消耗できるんだろう。格好良い。交際相手にこんな返答されたら、たぶんおれ以外の人間ならかなり幻滅しそうだけど。おれにとっては、神様として理想的な答えだった。心臓が熱くなった。
「ここは外だし、あんまり変なことは駄目だからな」
柊夜くんは気まずそうにおれから目を逸らす。真面目だ。可愛くて世界一格好良い。
「じゃあ学校終わったらおれの家に来てください」
「え。なんでそういう流れになるんだ」
「家の中なら何でもオッケーってことですよね~」
「違うだろ」
柊夜くんは早足で歩いた。手は繋いだまま。その手に引っ張られるようにおれもついて行く。
「おれ、毎日家に一人だし寂しいんすよー。だめですかあ?」
我ながら可愛い子ぶっている。背筋がぞわぞわした。
「寂しい、か。……いつ来てほしい?」
柊夜くんは歩調を緩めた。寂しいという言葉を持ち出せばこの人は優しくなると分かっていた。まあおれが孤独なのは本当だけど。単純すぎて心配になるほどお人好しだ。
「今日とか」
柊夜くんの隣に並び、おれは意地悪な気持ちでにやにやする。相手を困らせるつもりでいた。
「あー、いいよ。予定ないし」
「えっ、い、いいんですか」
「愛瀬が言い出したんだろ」
柊夜くんはおかしそうに笑う。その笑顔が穏やかで眩しくて、ドキドキした。
