家に帰るまでも、帰った後もおれは浮かれていた。
これで柊夜くんが誰かと付き合うことはないんだ! 嬉しい! おれ自身は彼氏になる気がなかったが、柊夜くんに交際相手ができるのを防げるのなら、そういう自分の細かい感情はどうでもいい。ついでに何故柊夜くんが付き合ってくれることになったのかも正直分からないけれど、神様の考えていることは人間に分からなくて当然だよなあと浮かれた頭で考えていた。
付き合うって何するんだろう。スマホの検索履歴は「付き合う とは」「彼氏 すること」などで埋まっている。こうやって悩むなら、今までに告白してきた人たちと適当に付き合っておけばよかったな。もう皆の顔も覚えてない。夕飯を食べながら検索を続けているとサジェストに「キス」と表示された。柊夜くんがそんな俗っぽいことするわけないだろ。スマホを投げそうになって、ぎりぎりで踏みとどまった。柊夜くんの交際相手がスマホ画面バキバキ人間だったらなんか嫌だから。
遊園地から帰って疲れていたはずなのにアドレナリンのせいで脳が覚醒している。リビングにある机や椅子など何の変哲もない家具たちすら見ていて愉快だった。幸せなんだと思った。
休み明け月曜日の朝、いつものようにインターホンが鳴って柊夜くんが迎えに来る。おれは少しドキドキしながら家を出た。
「おはよう」
柊夜くんの笑顔は今日も輝いている。格好良い。この人が今はおれの彼氏になってるんだ。すごいな。
「おはようございますー」
おれが浮かれてるのを柊夜くんに気取られたくなくて、普段通りのトーンになるよう意識して返す。
二人で学校まで歩きながら、柊夜くんは今朝のニュースや今日の小テストの話をする。これまでと変わらず柊夜くんは真面目だ。
……本当に付き合ってるんだよな?
いや、急に態度が変わっても嫌だけど。柊夜くんは付き合ってから突然浮かれ出すような人じゃないし。でも不安になる。あれは夢だったか、或いはおれが何か致命的な勘違いをしているんじゃないか。
「柊夜くんは交際経験あるんすか」
相手の顔色を探りながら遠回りの質問をする。
「これが初めてだな」
夢や勘違いでないことがあっさりと分かった。
「ふーん」
にやけてきてしまって、たぶん自分は今すごく気持ち悪い表情になっているから下を向く。おれだけ嬉しさが抑えられなくなるのをやめたい。このままでは柊夜くんにきついなあとか思われる。
「愛瀬はそういうの気にする?」
「え、いえ」
「何するのかとか、よく分かってないんだよな」
柊夜くんはカラッと笑った。
「おれもですっ」
顔を上げると、「一緒だな」と柊夜くんが優しい視線を寄越した。どきっとする。今まで沢山見てきたのと同じ表情のはずなのに。おれは今までの人生でも柊夜くんにときめいてはいたが、ここに来てなんだか落ち着かない気持ちが多く混ざるようになってしまった。心臓には得体の知れない違和感がある。気持ち悪い。
これでいいのかな。なんでそんなこと考えるんだよ、せっかく柊夜くんと付き合えたのに身の程知らず。どこか引っかかるのはきっと気のせいだと自分に言い聞かせて歩いた。
学校でもこれまで同様の日常を過ごした。授業中にノートをとる柊夜くんをこっそり眺めたり。休み時間に誰かと話す柊夜くんを遠くから確認したり。昼休みは柊夜くんは集団の中でご飯を食べて、おれは一人。
いくら柊夜くんが付き合うとは何かよく分かってないとはいえ、ここまで一切変化のないことがあるだろうか。おれも一般的な交際のサンプリングを持っていないから戸惑う。
おれと付き合ってることを柊夜くんは皆に隠したいんじゃないのかな、と思った。一旦その考えが思いつくと被害妄想は際限なく広がっていく。おれは性格が終わっていて他人に自慢できないような恋人代表だから柊夜くんも交際を隠したくなるはずだ。皆の前で柊夜くんにべたべたしたら、すごく困らせることになりそう。おれたちが交際中であること隠すつもりなら邪魔してやろう。面白くない気分から愉しみを見出して、午後の授業を受けながらおれの口の端は自然と上がっていた。
「今日も疲れました〜」
帰りのホームルームが終わってすぐ、おれは柊夜くんの元へ行って彼の胴体に腕を回した。教室にはまだ殆どのクラスメイトが残っている。目撃者がそれだけ居るってことだ。
「おー、お疲れ様」
柊夜くんは全く動じずに教科書を鞄にしまった。筆箱やノートなども詰めていく。
「褒めてほしいなー」
柊夜くんが焦ったりしないので、わざと可愛らしい甘ったるい声を周りに聞かせるように出してアピールしてみた。痛々しい。もしもおれが他人だったら、おれをぶっ飛ばしてる。はしたない人間が柊夜くんに近付くなって。
「えらいえらい」
鞄のチャックを閉めながら雑に対応された。呑気な顔しやがって。ちゃんと困れよ。早くも心が折れそうだ。
「帰ろうか」
そう言われ、おれは観念して柊夜くんから腕を離した。あれでは困惑は引き出せなかった。すごすごと自分の席へリュックを取りに行って、柊夜くんのところに戻る。
「手、繋ぎませんか~」
次の作戦をとめげずに提案した。友達同士でじゃれて引っ付いたりする人は正直教室内でよく見るけど、手を繋いでいる生徒はなかなかいない。手繋ぎのほうがなんとなくしっとりした雰囲気になってしまう。柊夜くんも流石にこれは見られたくないだろ。
「愛瀬って意外に形から入るんだな」
柊夜くんは平気な顔で手を握ってきた。しかも、なんかおれが張り切ってる人みたいに思われている。それは嫌だ。
廊下を歩きながらちらちらと柊夜くんを気にしても彼はあまりに普通にしているから、おれのほうが逆に困ってきた。すれ違う生徒たちは何人もいるのに、柊夜くんは彼らの存在やおれに怯えたりしない。関係を疑われないか他人の目を心配して、一方では他人に構わずスキンシップするおれに翻弄されて神経をすり減らす柊夜くんの姿を想定していたのに。もしかして別に関係を隠す気はないのか?
柊夜くんは純粋におれを彼氏として扱ってくれているのかもしれない。そう思うと、おれの手を握る彼の手が何故か段々気味悪いもののように感じられてきた。校門を出て道を歩きながらも、正体の分からない気持ち悪さはおれにずっと纏わりついてくる。手から伝わる柊夜くんの骨や体温が恐ろしかった。肉体と生命がある。不快でありながら、そう感じる自分自身も嫌だった。柊夜くんを大好きなのに。おれが全部望んだことなのに。こんなの柊夜くんが可哀想だ。
小学生の頃は遠足とかで「迷子にならないように」って柊夜くんが手を繋いでくれることがあった。あの頃のおれはただ嬉しいだけだった。今は何が違うというのだろう。柊夜くんの手は、まるで知らない人の手だった。大好きなヒーローや神様とは別の誰か、恐ろしい他者の肉塊だった。
これで柊夜くんが誰かと付き合うことはないんだ! 嬉しい! おれ自身は彼氏になる気がなかったが、柊夜くんに交際相手ができるのを防げるのなら、そういう自分の細かい感情はどうでもいい。ついでに何故柊夜くんが付き合ってくれることになったのかも正直分からないけれど、神様の考えていることは人間に分からなくて当然だよなあと浮かれた頭で考えていた。
付き合うって何するんだろう。スマホの検索履歴は「付き合う とは」「彼氏 すること」などで埋まっている。こうやって悩むなら、今までに告白してきた人たちと適当に付き合っておけばよかったな。もう皆の顔も覚えてない。夕飯を食べながら検索を続けているとサジェストに「キス」と表示された。柊夜くんがそんな俗っぽいことするわけないだろ。スマホを投げそうになって、ぎりぎりで踏みとどまった。柊夜くんの交際相手がスマホ画面バキバキ人間だったらなんか嫌だから。
遊園地から帰って疲れていたはずなのにアドレナリンのせいで脳が覚醒している。リビングにある机や椅子など何の変哲もない家具たちすら見ていて愉快だった。幸せなんだと思った。
休み明け月曜日の朝、いつものようにインターホンが鳴って柊夜くんが迎えに来る。おれは少しドキドキしながら家を出た。
「おはよう」
柊夜くんの笑顔は今日も輝いている。格好良い。この人が今はおれの彼氏になってるんだ。すごいな。
「おはようございますー」
おれが浮かれてるのを柊夜くんに気取られたくなくて、普段通りのトーンになるよう意識して返す。
二人で学校まで歩きながら、柊夜くんは今朝のニュースや今日の小テストの話をする。これまでと変わらず柊夜くんは真面目だ。
……本当に付き合ってるんだよな?
いや、急に態度が変わっても嫌だけど。柊夜くんは付き合ってから突然浮かれ出すような人じゃないし。でも不安になる。あれは夢だったか、或いはおれが何か致命的な勘違いをしているんじゃないか。
「柊夜くんは交際経験あるんすか」
相手の顔色を探りながら遠回りの質問をする。
「これが初めてだな」
夢や勘違いでないことがあっさりと分かった。
「ふーん」
にやけてきてしまって、たぶん自分は今すごく気持ち悪い表情になっているから下を向く。おれだけ嬉しさが抑えられなくなるのをやめたい。このままでは柊夜くんにきついなあとか思われる。
「愛瀬はそういうの気にする?」
「え、いえ」
「何するのかとか、よく分かってないんだよな」
柊夜くんはカラッと笑った。
「おれもですっ」
顔を上げると、「一緒だな」と柊夜くんが優しい視線を寄越した。どきっとする。今まで沢山見てきたのと同じ表情のはずなのに。おれは今までの人生でも柊夜くんにときめいてはいたが、ここに来てなんだか落ち着かない気持ちが多く混ざるようになってしまった。心臓には得体の知れない違和感がある。気持ち悪い。
これでいいのかな。なんでそんなこと考えるんだよ、せっかく柊夜くんと付き合えたのに身の程知らず。どこか引っかかるのはきっと気のせいだと自分に言い聞かせて歩いた。
学校でもこれまで同様の日常を過ごした。授業中にノートをとる柊夜くんをこっそり眺めたり。休み時間に誰かと話す柊夜くんを遠くから確認したり。昼休みは柊夜くんは集団の中でご飯を食べて、おれは一人。
いくら柊夜くんが付き合うとは何かよく分かってないとはいえ、ここまで一切変化のないことがあるだろうか。おれも一般的な交際のサンプリングを持っていないから戸惑う。
おれと付き合ってることを柊夜くんは皆に隠したいんじゃないのかな、と思った。一旦その考えが思いつくと被害妄想は際限なく広がっていく。おれは性格が終わっていて他人に自慢できないような恋人代表だから柊夜くんも交際を隠したくなるはずだ。皆の前で柊夜くんにべたべたしたら、すごく困らせることになりそう。おれたちが交際中であること隠すつもりなら邪魔してやろう。面白くない気分から愉しみを見出して、午後の授業を受けながらおれの口の端は自然と上がっていた。
「今日も疲れました〜」
帰りのホームルームが終わってすぐ、おれは柊夜くんの元へ行って彼の胴体に腕を回した。教室にはまだ殆どのクラスメイトが残っている。目撃者がそれだけ居るってことだ。
「おー、お疲れ様」
柊夜くんは全く動じずに教科書を鞄にしまった。筆箱やノートなども詰めていく。
「褒めてほしいなー」
柊夜くんが焦ったりしないので、わざと可愛らしい甘ったるい声を周りに聞かせるように出してアピールしてみた。痛々しい。もしもおれが他人だったら、おれをぶっ飛ばしてる。はしたない人間が柊夜くんに近付くなって。
「えらいえらい」
鞄のチャックを閉めながら雑に対応された。呑気な顔しやがって。ちゃんと困れよ。早くも心が折れそうだ。
「帰ろうか」
そう言われ、おれは観念して柊夜くんから腕を離した。あれでは困惑は引き出せなかった。すごすごと自分の席へリュックを取りに行って、柊夜くんのところに戻る。
「手、繋ぎませんか~」
次の作戦をとめげずに提案した。友達同士でじゃれて引っ付いたりする人は正直教室内でよく見るけど、手を繋いでいる生徒はなかなかいない。手繋ぎのほうがなんとなくしっとりした雰囲気になってしまう。柊夜くんも流石にこれは見られたくないだろ。
「愛瀬って意外に形から入るんだな」
柊夜くんは平気な顔で手を握ってきた。しかも、なんかおれが張り切ってる人みたいに思われている。それは嫌だ。
廊下を歩きながらちらちらと柊夜くんを気にしても彼はあまりに普通にしているから、おれのほうが逆に困ってきた。すれ違う生徒たちは何人もいるのに、柊夜くんは彼らの存在やおれに怯えたりしない。関係を疑われないか他人の目を心配して、一方では他人に構わずスキンシップするおれに翻弄されて神経をすり減らす柊夜くんの姿を想定していたのに。もしかして別に関係を隠す気はないのか?
柊夜くんは純粋におれを彼氏として扱ってくれているのかもしれない。そう思うと、おれの手を握る彼の手が何故か段々気味悪いもののように感じられてきた。校門を出て道を歩きながらも、正体の分からない気持ち悪さはおれにずっと纏わりついてくる。手から伝わる柊夜くんの骨や体温が恐ろしかった。肉体と生命がある。不快でありながら、そう感じる自分自身も嫌だった。柊夜くんを大好きなのに。おれが全部望んだことなのに。こんなの柊夜くんが可哀想だ。
小学生の頃は遠足とかで「迷子にならないように」って柊夜くんが手を繋いでくれることがあった。あの頃のおれはただ嬉しいだけだった。今は何が違うというのだろう。柊夜くんの手は、まるで知らない人の手だった。大好きなヒーローや神様とは別の誰か、恐ろしい他者の肉塊だった。
