なんとかしてこれからも定期的に熱を出そうかという倒錯した考えは一晩寝たら改まった。何度も体調を悪くしたって、そのうち新鮮味に欠ける。病気に拘らなくとも、柊夜くんがどうしても面倒を見たくなるような感じのおれを演出すればいいんだ。身体は完全に回復したし善は急げだ、と張り切ってみたが詳細なプランが決まっているわけではない。
洗面所の鏡の前で櫛を梳かす。肩につく長さの髪。小学生の頃はもっと伸ばしていた。髪の毛は魔法の材料になるから。あと、親の趣味でもあったと思う。背に届くほどに伸ばされたおれの髪を、親は毎日違う髪型にセットしていた。サイドテール、三つ編み、ハーフアップ、ツインテール、とか他にも色々。まるで着せ替え人形だ。おれは髪型はどうでもよかったけど「柊夜くんと一緒にいる女の子」に勘違いする人がいるのが愉快だった。彼女? みたいな下世話な視線。後から「なーんだ」って反応されるのはイラっとした。女子じゃないってだけで安堵すんなよ、おれだって柊夜くんの……なれるかもしれないのに。あの頃の自分は幼くて、自分が成りたいものをはっきりと分からないでいた。まあ、よく分かってないのは今も同じか。
柊夜くんの好みの外見になって骨抜きにすれば溺愛してくれるかな。ふざけるな、柊夜くんはそんな俗物じゃないだろ。櫛を鏡に投げつけた。急激に頭が冷えて、はね返って床に落ちた櫛を拾う。でも、可愛い感じに振舞ったらちょっとは甘やかしたくなるんじゃないか? 少なくとも、こうやって物を投げたりするような人間ではだめだ。血迷っているのではと思いつつ何もしないのは嫌だった。今日から積極的に、柊夜くんをおれに惚れさせてみよう。
マジカルバター以外で、柊夜くんがどういう人を好きになるのか、ならないのかを知らない。神様だし誰か一人を愛したりしないかもという気もする。それは単なるおれの望みだろうか。頭を悩ませたが結局何も思いつかないまま家を出る時間になった。
昼休みのことだった。おれは教室の自分の席で一人で弁当を食べていた。柊夜くんは友人たちとどこかに行っている。お昼はいつもこうだ。
「陽先輩、ちょっといいですか」
きんぴらを咀嚼していると、どこからともなく真汐くんが現れた。びっくりして喉が詰まりそうになる。
「な、な、な、なんでしょう」
格好悪い。おれは早速人見知りを発動させていた。
「先輩にお話があって。ご飯食べ終わるまで待ちますよ」
真汐くんは爽やかな笑顔を見せる。話ってなんだろう。ただじっと目の前に立って待たれるのは居心地が悪く、おれは焦りながら弁当を食べ進めた。
「……で、その話って」
「ちょっとしたお願いです。水緒くんのことなんですけど」
真汐くんの話を要約すると、水緒くんと一緒に出掛けたいが誘っても断られてしまうため、部活を持ち出してどうにか上手く誘いたいということだった。
「僕じゃなくて先輩が相手なら断りにくいでしょうし。新入生歓迎会とかなんとか言えば来てくれると思うんですよね」
にこにこしているが策士だ。
「陽先輩にとっても悪いことじゃないですよね。柊夜先輩とお出掛けするんですから。あ、二人きりのほうがよかったりしますか?」
微笑みながら真汐くんはとんでもない発言をしてくる。おれはきょろきょろと周囲の様子を窺った。この子は何なんだ。
「……や、お、おれも柊夜くんとは大して仲良くないし遊ぶきっかけがないので、ありがたいっす」
「じゃあ決まりですね。部長に伝えておいてください」
よろしくお願いします、と笑顔で念を押して真汐くんは教室を出ていった。
勢いに呑まれてしまった。おれの柊夜くんへの眼差しを、彼はどのように解釈しているのだろうか。真汐くんは何故か水緒くんのことを好いているみたいだけど。
そういえばおれ、柊夜くんと学校の外で遊んだ経験がないな。振り返ってみても十歳の誕生日に家に招かれただけ。好きなタイプを知らなくてもこの付き合いの浅さなら仕方ない。登下校と、部活と、学校で困ってる時に助けてくれたりするくらいで……おれたちは友達と言って良いのかさえ不確かなように思い始めた。
柊夜くんを惚れさせるのに、この機会を利用しようかな。そんなことを考えつくのは、真汐くんの行動にいくらか感化されたからだろう。新歓を新入生の側から提案してくるなんてすごい。そしてそれは、ひとえに水緒くんへの好意を原動にした行いなのだから大したものだ。
真汐くんが去り、またおれは一人に戻ったのでスマホを眺める。SNSで繰り広げられるレスバ。授業が始まるまでの昼休みの時間を潰すために見ているだけで面白くはない。画面内の情報に興味がないから、おれの注意はスマホをスワイプする親指の絆創膏へと逸れていった。おれの歪みの象徴。
歪んだ人間に執着されている柊夜くんは被害者だ。可哀想で可愛い。これで柊夜くんがおれにメロメロになったらさぞ愉快だろうという気分になった。柊夜くんの美しさは、おれのような人間を彼の特別にしないことによって完成しているが、自分と彼がこれからも一緒にいるためにはその美しさを損なってしまうより他にないという感覚がしつこく襲ってきていた。
おれを好きにならない柊夜くんの神性を愛している。しかしおれは、そのような穏やかな愛だけで生きていけなかった。柊夜くんを惚れさせることは彼の神性を破壊することであり、その覚悟を持って挑まなければならない。
魔法研究パソコン部でのお出掛けを私欲に利用することに対して、おれはそれだけの意味を見出していた。
洗面所の鏡の前で櫛を梳かす。肩につく長さの髪。小学生の頃はもっと伸ばしていた。髪の毛は魔法の材料になるから。あと、親の趣味でもあったと思う。背に届くほどに伸ばされたおれの髪を、親は毎日違う髪型にセットしていた。サイドテール、三つ編み、ハーフアップ、ツインテール、とか他にも色々。まるで着せ替え人形だ。おれは髪型はどうでもよかったけど「柊夜くんと一緒にいる女の子」に勘違いする人がいるのが愉快だった。彼女? みたいな下世話な視線。後から「なーんだ」って反応されるのはイラっとした。女子じゃないってだけで安堵すんなよ、おれだって柊夜くんの……なれるかもしれないのに。あの頃の自分は幼くて、自分が成りたいものをはっきりと分からないでいた。まあ、よく分かってないのは今も同じか。
柊夜くんの好みの外見になって骨抜きにすれば溺愛してくれるかな。ふざけるな、柊夜くんはそんな俗物じゃないだろ。櫛を鏡に投げつけた。急激に頭が冷えて、はね返って床に落ちた櫛を拾う。でも、可愛い感じに振舞ったらちょっとは甘やかしたくなるんじゃないか? 少なくとも、こうやって物を投げたりするような人間ではだめだ。血迷っているのではと思いつつ何もしないのは嫌だった。今日から積極的に、柊夜くんをおれに惚れさせてみよう。
マジカルバター以外で、柊夜くんがどういう人を好きになるのか、ならないのかを知らない。神様だし誰か一人を愛したりしないかもという気もする。それは単なるおれの望みだろうか。頭を悩ませたが結局何も思いつかないまま家を出る時間になった。
昼休みのことだった。おれは教室の自分の席で一人で弁当を食べていた。柊夜くんは友人たちとどこかに行っている。お昼はいつもこうだ。
「陽先輩、ちょっといいですか」
きんぴらを咀嚼していると、どこからともなく真汐くんが現れた。びっくりして喉が詰まりそうになる。
「な、な、な、なんでしょう」
格好悪い。おれは早速人見知りを発動させていた。
「先輩にお話があって。ご飯食べ終わるまで待ちますよ」
真汐くんは爽やかな笑顔を見せる。話ってなんだろう。ただじっと目の前に立って待たれるのは居心地が悪く、おれは焦りながら弁当を食べ進めた。
「……で、その話って」
「ちょっとしたお願いです。水緒くんのことなんですけど」
真汐くんの話を要約すると、水緒くんと一緒に出掛けたいが誘っても断られてしまうため、部活を持ち出してどうにか上手く誘いたいということだった。
「僕じゃなくて先輩が相手なら断りにくいでしょうし。新入生歓迎会とかなんとか言えば来てくれると思うんですよね」
にこにこしているが策士だ。
「陽先輩にとっても悪いことじゃないですよね。柊夜先輩とお出掛けするんですから。あ、二人きりのほうがよかったりしますか?」
微笑みながら真汐くんはとんでもない発言をしてくる。おれはきょろきょろと周囲の様子を窺った。この子は何なんだ。
「……や、お、おれも柊夜くんとは大して仲良くないし遊ぶきっかけがないので、ありがたいっす」
「じゃあ決まりですね。部長に伝えておいてください」
よろしくお願いします、と笑顔で念を押して真汐くんは教室を出ていった。
勢いに呑まれてしまった。おれの柊夜くんへの眼差しを、彼はどのように解釈しているのだろうか。真汐くんは何故か水緒くんのことを好いているみたいだけど。
そういえばおれ、柊夜くんと学校の外で遊んだ経験がないな。振り返ってみても十歳の誕生日に家に招かれただけ。好きなタイプを知らなくてもこの付き合いの浅さなら仕方ない。登下校と、部活と、学校で困ってる時に助けてくれたりするくらいで……おれたちは友達と言って良いのかさえ不確かなように思い始めた。
柊夜くんを惚れさせるのに、この機会を利用しようかな。そんなことを考えつくのは、真汐くんの行動にいくらか感化されたからだろう。新歓を新入生の側から提案してくるなんてすごい。そしてそれは、ひとえに水緒くんへの好意を原動にした行いなのだから大したものだ。
真汐くんが去り、またおれは一人に戻ったのでスマホを眺める。SNSで繰り広げられるレスバ。授業が始まるまでの昼休みの時間を潰すために見ているだけで面白くはない。画面内の情報に興味がないから、おれの注意はスマホをスワイプする親指の絆創膏へと逸れていった。おれの歪みの象徴。
歪んだ人間に執着されている柊夜くんは被害者だ。可哀想で可愛い。これで柊夜くんがおれにメロメロになったらさぞ愉快だろうという気分になった。柊夜くんの美しさは、おれのような人間を彼の特別にしないことによって完成しているが、自分と彼がこれからも一緒にいるためにはその美しさを損なってしまうより他にないという感覚がしつこく襲ってきていた。
おれを好きにならない柊夜くんの神性を愛している。しかしおれは、そのような穏やかな愛だけで生きていけなかった。柊夜くんを惚れさせることは彼の神性を破壊することであり、その覚悟を持って挑まなければならない。
魔法研究パソコン部でのお出掛けを私欲に利用することに対して、おれはそれだけの意味を見出していた。
