本格的な秋の到来とともに竜二とは、疎遠とまではいかないものの、夏のころと比べるとあきらかに、接触する時間が減っていた。
理由は、太一が忙しくなったためだ。高校三年生に進学する来年は受験の準備年とあって、母親とともに塾探しをしている。
村には当然、大学受験専門の学習塾なんてものはないので、電車で一時間半かけて、館川駅まで出るしかない。比較的駅近の塾にいくつか体験入学をして、どこに継続的に通おうか、たしかめている最中だ。だいたいどこも、冬期講習から受験の準備期間に入り、その講習を乗り越えて四月からの講座を本格的に継続する人たちを対象に、九ヶ月間の授業計画が組まれている。
ヨバワリ様にまぐわいを捧げて以来、竜二とはそういうことをする機会もなかった。
あのまぐわいは、あの夜に置いてきたのだと太一は思っている。だから二人の間でもう一度、キスをしたり体をつなげたりする機会が発生するとは到底思えなかった。義務は果たしたので、必要がなくなったのだ。
竜二とのかかわりが少なくなったのは、なんとなく寂しい。あの馬鹿でかい声が家のなかに響いていないと、なんだか物足りない気がする。九月いっぱいくらいは頻繁に家に遊びにきたのに、最後にうちにきたのはいつだっけ。もうすでに、何日まえのことなのか思い出せないくらいになっていた。
「太一、申し込みしちゃっていいの? あの東央ゼミナールってとこでいいんよね?」
休みの土曜日、昼を食べたあとに居間でういろうをなでつつまどろんでいたところで、母親に問われた。
「うん、いいよ。よろしく」
いくつか体験入学をしたなかから、そこまで大所帯ではない塾に通うことを決めた。講師たちの教え方も、分かりやすかったところだ。
太一の場合、根が引きこもりなので、全国に百店舗規模で展開している大手の塾は、教室の規模が大きく、そのぶん生徒の数も多いので気後れしてしまう。個別指導ほど緊密ではないが、受講生全員が顔見知りになるくらいの、こぢんまりとしたところが合っているのだ。
「これから遅くなることもあるよね。館川のほうに、だれか泊めてくれる人がいたらよかったんだけどねえ」
母親がため息をつく。毎日の通学に加えて、定期的な塾通い。館川までは行きと帰りの合計で三時間はかかる道のりだ。
「大丈夫だよ。オンライン授業もあるところにしたし。駅までは迎えに来てくれるんでしょ?」
「そうねえ。あとは体力勝負だね。往復だけでも大変だと思うけど、受験までがんばろ」
「うん」
冬毛に近づいてきたういろうの胴体から足にかけてをもみもみしつつ、太一は母の激励に返事をした。
居間の机に置いてあった太一のスマホから、しゅぽんっとメッセージアプリの受信音がした。
見ると、竜二からだった。ちょっと面白いものを発見したから、来てほしいと書かれている。
「母さん、ちょっと出かけてくる」
「どこ行くん?」
「竜二くんと会ってくる」
「あらそう。夜は家で食べるの?」
「うん。そんなに遅くならないと思う」
スニーカーを履いて向かった先は、清白神社だった。
「よ」
長袖Tシャツを着た竜二が境内に立っていた。
「ひさしぶり」
竜二と会っていたのは遠い過去のことのように思えていたのに、再会すると逆に、これまで離れていたことのほうが信じがたく、まるで昨日までも顔を合わせていたかのように感じられた。
「面白いものってなに?」
「ちっと歩くけどいい? 十五分くらい」
竜二は神社のなかを突っ切って、山道へと入っていく。細いアスファルトの道が続いていた。
「こんな抜け道あったんだ」
「うん。たぶん、あぜ道のどっかともつながってると思う」
竜二はどんどんと歩いて先へと向かう。
「最近、忙しい?」
「うん、塾選びでほとんど毎週末、館川にいた」
「塾かあ。たいっちゃん大学行くん」
「できれば行っておきたいかな」
「どこ狙い?」
「駒山大学」
「聞いたことあるわ。どこにあんの?」
「館川から電車で二駅のところ」
「おお、じゃあそんなに遠くねえんだ」
神社の奥にひっそりと隠れていた林のなかを進む。人がだれもおらず、車も通らない。木々に囲まれた、静謐な通り道だった。
「ここ、あんまり人が通らないんだね」
「完全に裏道だしな。車道が通ってるってことは、だれかしら通ることはあるんだろうけど」
「竜二くんは大学どうするの?」
「俺、そもそも卒業できるかもあやしいらしくてよ」
「えっ、そうなの? 高校で留年とかあるんだ」
完全に更生したものかあやしいこの怪物を、まだこの世に解き放ってはならないと、教師陣は何かしらの理由をつけて、竜二を高校に留める気なのかもしれない。隣を歩く竜二は、留年のことなどなにも気にしていなさそうだった。なるようになれ、というスタンスらしい。
「これよ、これ」
しばらく歩いた先にあった巨大な石を、竜二はあごをしゃくって指し示す。
「なにこれ?」
太一の身長の二倍はあろうかという大きな岩だ。まわりにはしめ縄が張り巡らされて、祀られている。
「な、こんなところにこんなのあるの、知らなかっただろ?」
「知らない、知らない。清白神社と関係あるのかな?」
「たぶんな」
「竜二くんはどうやって見つけたの?」
「道に迷ってたら偶然」
「迷った!?」
「神社に参拝に寄って、たまにはべつの道から帰ってみるかって、適当に歩いてたら迷った。あ、でもいまは平気よ? 帰り道もわかるし」
「危ないなあ……。やめてよ、近所で遭難するの」
「ま、平気だべ。いっつも携帯は持ってるから」
偶然発見した巨大な石を、竜二は見せたかったらしい。
「ここ、見てみ」
竜二が指し示すほうにまわってみる。石は黒い色をして、表面があちこち白く削れている。表面にひっかき傷をつけて、なにかしらの模様が描かれている。
竜二の示した箇所は、太一の膝の高さくらい。よく見えるように太一は腰を折り、岩に顔を近づけた。
「ヨバワリ様……!?」
描かれていたのはヨバワリ様だった。ずんぐりむっくりしたふくろうのような体型に、土偶のような眠たそうな顔。あの絵巻物で見た姿そのものだった。
「大昔の人が描いたんじゃねえかな」
「本当……!? すごいね、何百年前からここにあるんだろう……」
「わかんねえ。でも神主さんなら、なんか知ってるかもしれないな」
「なにが描かれてるのかな」
興味を惹かれて、太一は石の周囲をぐるりとまわる。あちこちにヨバワリ様が登場し、なにかしらのストーリーにはなっているようだが、岩を周回するように描かれた絵はどこから読んでどこで終わるのが正解なのかわからず、また場面ごとのつながりがどうなっているのかも不明で、読み解くのは難しそうだった。
「じゃあ、なにが描かれてるのか当てるゲームしねえ? これから浅野さんのところに答えを確認しにいって、近かったほうが勝ち」
「勝ったらなんかもらえるの?」
「負けたほうが勝ったほうの言うことをなんでも聞くのは?」
「それ、やりたくないことのNG出せる?」
「どうしても無理ならな。でも、俺が勝ったらたいっちゃんにしてほしいことは、もう決まってるけど」
「なに?」
「また、たいっちゃんとまぐわいがしたい」
「はあ……っ!?」
不意打ちすぎて、不覚にも顔が赤くなってしまった。
「なんで……!?」
「したいから」
竜二はそう臆面もなく告げる。
だってあれは、あのとき一夜だけの出来事だったはずで……。ヨバワリ様との約束を果たしたから、もうしなくてもいいはずで……
ヨバワリ様は関係なく、純粋に竜二がしたいと思っている。だからわざわざ、そんなお願いごとをするのだ。そう気づいて太一はますます、顔を赤らめた。
どうして、竜二くんは僕とまぐわいをしたがるんだろう。僕のことが好きだからなのか。 なんで僕なんか、好きになるんだろう。
「なんで……」
「好きだからに決まってる。たいっちゃんのこと、好きだと思うって言ったろ。だから、またしたい」
竜二は照れくさそうに、けれど太一の目をしっかりと見て笑いながら告げる。
気持ちの整理がまるでつかなくて、まぐわいするしないどころの話ではない。
でも、このまま負けて、なしくずしにまたまぐわいをしてしまうのはよくない気がする。太一のなかにある、二次元を最上のものとして突き進む矜持とか、これまで人間に恋をしてこなかった生き様とか、そういった大事なものと竜二、どちらを取るのかが天秤にかけられているような問題だからだ。
この勝負は負けられない。太一は真剣な顔をして、エジプトの壁画みたいな石の絵の解読をはじめた。
「どこから読むのかすらわからないね……」
「しかもよー。上にもまだ続いてんだ」
「本当だ……。これ、案外上のほうから読むのかもしれない」
二人して円柱を囲みながら、しばらく解読を続けていると、山道の下のほうから、ヴォンとエンジン音が聞こえてきた。この村ではおよそ聞かない、スポーツカーのような豪快なエンジン音だ。
エンジン音とともに車が一台、岩のほうへと上がってくるのが見えた。車種は普通の国産セダンだったが、なんらかの改造をほどこしているらしかった。
「たいっちゃん」
竜二が太一の手を引き、岩の陰に身を寄せる。
「どうしたの」
「なんか……やばいやつらな気がする」
転がしていた車があきらかに堅気ではない雰囲気だったからなのか、不良の直感が告げたらしい竜二は声をひそめる。
エンジンが停止すると、なかから二人の人が降りてきた。一人は運転手、もう一人は助手席にいた男だ。
岩の陰から隠れて、男達をさりげなく観察する。
竜二の勘は大当たりだ、と太一は思った。男達は普通のシャツとスラックスを着ているだけなのに、それがなぜか違和感を放っている。薄暗いところから人間たちのいる表舞台に出てくるために、普通に見えるように擬態をしているかのようなのだ。
「ここなんかどうよ」
「へえ。まずだれも来ないし、土地もだだっ広い。捨てるのによさそうだな」
――す、捨てる――!?
思わず、竜二と顔を見合わせた。
まずいことを聞いてしまったかもしれない。 こんな山間で捨てるといえば、もう死体しかないだろう。男達は車の周辺を歩きまわっている。大地を踏みしめて土の硬さを確認しているかのようだ。
「じゃあ、明日ここでいいか?」
「ああ。トラックを借りておく」
「夜になってからのほうがいいか」
「そうだな」
もう決定的だ。人の死体を荷台に積んで運んできて、埋めて隠してしまおうっていう算段に違いない。
現場の下見を終えた男達は、また派手なエンジン音をさせながら車で走り去った。
「竜二くん……」
まだ心臓がどくどくしている。
「やばいこと聞いちまったな。ナンバー確認する余裕もなかった」
「いや、い、いいよ……! 見つからないほうがよかったから……!」
死体埋めの相談をしているところを聞かれたなどと発覚していたら、太一も竜二も、そろってこの場で殺されていたかもしれない。
「明日、もっぺんここに来るって言ってたよな」
「うん……」
竜二はしゃがんだまま、しばらく地面に目を落としていたあとで言った。
「俺、またあいつらが来ないか見張るわ」
「えっ」
「だっていやだろうが。俺たちの村に、勝手に死体埋められるの」
「それはいやだけど……。でも、危ないよ。見つかったらなにされるかわからない」
「平気。明日はちゃんと、うまく隠れてナンバー見とくわ。そんで警察に知らせる」
「だったらいま連絡したほうが」
「いや、どこのだれかもわからんし。そういう話をしてたっつーだけだと、警察は動いてくれんだろうしなあ」
「そっか……」
残念ながら明日は、竜二につきあえそうもない。塾の予定を入れてしまった。それに、夜にあいつらがやってくる現場に自分も居合わせる緊張感に耐えられそうにもない。
「悪いんだけど僕、明日は用事あるから」
「おう。俺一人で見張っとくわ」
竜二の返事は軽い。はなから、太一が来ることなど期待していないような口ぶりだった。
「危ないこと、しないでね」
「平気。岩の陰にいれば見つかりゃせんもん」
やけに楽観的な竜二だ。
「本当に、絶対に見つかったらだめだよ」
「わかった」
不安にかられて念押しをする。竜二はしっかりとうなずいた。
「賭けの答え合わせは、状況が落ち着いてからでいいよな」
「うん……」
竜二とともに来た道を、今度は下って戻りつつ、太一の心は不安で蝕まれていた。
一応、言質は取りつけたものの、竜二がいつものごとく短絡的な行動に走らないかと心配になる。
竜二の短絡さは、物事の解決に一番の近道があるならば、その方法が正しいのかどうかを吟味することなく、すばやく行動に移してしまうところだ。だから、村の呪いを防ぐために、太一と自分でまぐわいをすればいいなんて発想が出てくる。
それからもうひとつ。太一の胸に新たな不安が浮かんでいた。
――ヨバワリ様。まさかこれも、村の災いじゃないですよね?
塾で世界史の巻き返し補講を受けながら、太一の心は落ち着かなかった。
もうすぐ五時になる。現在のコマは五時半までで終わり、休憩を挟んだのちにもうひと講座が予定されている。
あの男たちはいつ、村にやって来るのだろう。夜の定義は人によりまちまちだ。完全に日の入りをした瞬間だという人もいれば、十二時近く、あるいは深夜の時間帯を指すのだと考える人もいる。
太一が補講に入るまえに竜二からメッセージが入っており、いまから張り込みをはじめるとあった。いまごろ竜二は岩の陰に隠れて、一人で男たちの襲来を待っているところだろう。
――やっぱり、心配だ。
太一はノートと筆箱を鞄にしまうと、そっと席を立って教室を出ていった。太一を通すために椅子を引いた隣の生徒には、何事かと視線を送られたものの、それ以外には講師も生徒も、太一の途中退出を気にするでもなく、授業は続いていく。
高校二年生にもなると、自己責任に委ねられる範疇が多くなる。それからなにか事情があるだろうことに、みんな配慮もしてくれる。
教室から脱出した太一は、駅に向かって歩いた。
ここから電車で一時間。村に戻るにはさらにバスで三十分はかかる。
最寄り駅までの迎えを母親に頼んだものの、メッセージに既読がつかない。あらかじめ待ち合わせ時間を決めてあったので、それまでは太一から連絡が来ることはないだろうと思い、携帯を見ていないようだ。
太一はあせる。ここから最速で電車に乗れたとしても、最終バスに間に合うかどうかだ。駅に到着するころまでには、母さんが返信をくれるといいけれど――。
早足に歩いていたところで、ビルの軒先の空いたスペースに何台か置かれた、電動キックボードが目に入った。
……そうだ……! これを借りれば、駅から直行で清白神社に向かえる。
太一はスマートフォンを取り出すと、その場で、急いでレンタル用のウェブサイトを検索した。アプリ経由で、十六歳以上なら借りられるとある。事前にマイナンバーカードを登録し、いくつかの交通ルールに関するオンラインテストを受けて、すぐに出庫することができた。
ここはまだ人通りが多い。エンジンをかけたキックボードを、太一は手で押しながら駅へと向かう。
電動キックボードの電車内への持ち込みが、禁止されているのか厳密には知らない。ただ、安全面からエンジンがかかるものを乗せるのはよくなさそうだと、常識的には理解できる。
太一は駅のコンコースを進み、そのまま改札をくぐった。
どうか、いまだけは駅員に見つかりませんように。そう思っていたところですかさず、背後から呼び止められた。
「きみ、待ちなさい」
太一は聞こえないふりをして、ホームへのエスカレーターへと向かう。
「きみ!」
背後で駅員が声を荒げたのを聞き取り、太一はキックボードをがこがこ言わせながら、急いでエスカレーターを降りる。ごめんなさい、ごめんなさい。でも、いまだけは行かせてください、と心のなかで謝罪を繰り返す。
ホームには、明くる野村方面の電車が停車していた。太一が電車に飛び込むと、ちょうど背後で扉が閉まった。
扉のまえで、愕然とした顔をしていた駅員と目が合ってしまった。
再びごめんなさいと心で謝る。
車両の端にキックボードを寄せて、万が一にも動かないよう、エンジンが切られていることをしっかり確認してから、太一はスマートフォンを取り出す。まず竜二にいまから向かうと連絡を入れて、それから母親にも、迎えはひとまず不要になった旨の連絡を入れた。
いつも村と館川を往復するときには、電子書籍で漫画を読んでいるから、一時間の距離もあっという間なのに。
今日はなにかで暇つぶしをする気にはとてもなれず、太一はボードのハンドルを支えながらずっと立ったままだった。竜二の顔を見るまでは不安でなにも手につかない。
明くる野村に着いてから、さっそくキックボードの電源を入れる。最初はゆるめにスタートして、慣れてくると徐々にスピードを上げた。
駅周辺は駅舎の明かりや外灯が照らしているが、少し離れるととたんに、ランドマークはなくなり、外灯の数も少なくなり、あたりは暗闇に飲まれる。本格的に明かりの乏しくなる村の中心まで走ってきたところで、太一はボードのライトを点灯した。
バスは停車駅を経由するために迂回したり、乗客の乗り降りで時間を取られる。ボードで進むとだいぶ時間短縮になった。
清白神社を横目に見ながら、裏道の車道へと入る。
ここを上がっていけば、隠れている竜二と合流できる。
ところがあと少しというところで、雲行きがあやしくなってきた。
「あれっ」
ハンドルをフルスロットルでまわしてみても、ボードはのろのろとしか推進しない。勢いを失い、とうとう停止してしまった。
「バッテリー切れかあ……」
残量を示すランプが減っていたことに気がつかなかった。まえの利用者が返却してから間もなかったのか、充電がうまくいっていなかったらしい。
仕方がない。
ここからは歩きで山道を進む。太一はボードを木立のほうに寄せて立てかけておいた。
あたりは暗がりだ。
星明かりがあるので、林と道路の区別もつかないというほどではないものの、足元はよく見えない。なにか変なものを踏んだらいやだなあ。太一はスマートフォンの懐中電灯機能をオンにして、地面を照らしながら進んだ。
ヨバワリ様の岩が見えてきた。まだ男たちは姿をあらわしていないようだ。
「竜二くん」
大きなパーカーのフードをかぶり、岩場に隠れていた竜二に声をかける。
「たいっちゃん……!?」
音楽を聴きながら張り込みをしていたようで、竜二は耳からイヤホンをはずす。
「連絡もらってからここまで来るの、ずいぶん速くねえ?」
竜二は目を丸くしておどろいている。
「うん。電動キックボードで来た」
太一は岩の奥側に体を滑り込ませる。
「そんなん持ってたんか」
「いや、借りた」
「借りた? 明くる野に借りられるとこあったっけ」
「うん……。あの、館川駅で借りて、そのまま電車に乗ってきた」
「ええ?」
竜二が驚愕の声を発する。
「電動ってあのでっかいやつだろ? 電車ん乗せてきたの?」
「う、うん……。あの、母さんと連絡つかなくて、迎えが頼めそうになかったから。通りがかったところにちょうど、レンタルしてるところがあって……」
そこまで聞くと竜二は肩を震わせて笑いはじめた。
「な、なんで笑うのさ……!」
とうとう竜二が声を上げて笑いはじめた。
「いや、すまんて。たいっちゃんがそこまでして、急いで来てくれたのが嬉しくて」
太一が常になく大胆な行動におよんだのがおかしかったようで、竜二の肩はまだ震えている。
「だってしょうがないだろ……! もうバスも間に合わなさそうだったし……!」
都内にありながらも、いまだに令和水準の文明化がされていない田舎がうらめしい。
「わかってる。あんがと」
笑いを収めると、竜二は太一の肩を抱き寄せ、礼をささやいた。
宵闇に虫の鳴き声だけが響く。
太一は息を詰めて、ひたすら待っていた。
グロロ、と離れたところからエンジン音が聞こえてきた。
小一時間ほど待期していたところで、車は一台も通りがからなかった。きっと、あの男たちだと思った。
「竜二くん」
竜二もうなずく。二人はいっそう息をひそめて、岩の陰に小さくなって身を隠した。
車両は岩の近くで停車した。なかから人が降りてくる。
「大きいのはあとでやるから、一人でも運べるやつからいけ」
「うす」
声からして、昨日の男たちで間違いなさそうだ。
どうしよう。これから、ここに人を埋めるんだ。
こわくなった太一は、かたわらの竜二の手に手を重ね、ぎゅっと握った。竜二は太一を落ち着かせるように、手のひらを返して手を握り返してくる。
荷台がある車のようで、人が上り下りする音がする。
「よっ」
どがん、どがん、となにかが地面に投げ落とされる音がした。
人ではない。もっとなにか硬いものが投げ落とされる音だった。
気になった太一はすばやく岩から顔を出し、一瞬だけ車のほうを見る。
男たちは荷台にたくさんの荷物を積んでいた。一瞬のことだったが、冷蔵庫が横たわっているのが見えた。
――人じゃなかった……。
死体でないのはさいわいしていたかもしれない。いや、さいわいとも言い切れない。これは、いわゆる不法投棄なのだと気づいた。
男たちは廃品を、正規の手続きで粗大ごみ回収には出さず、明くる野村に投げ捨てることにしたのだろう。そのほうが手間が省けて、無料ですむ。
「そっちのはじっこ持ったかー?」
「ういす」
男たちは声を掛け合って、大物の積み荷を下ろしはじめたみたいだった。
荷台の荷物は、すっかり空になったようだった。
「三十分もかからずに終わったな。これで五万だっけ? いい商売だな」
「ああ。都内にこんなど田舎があって助かるわ」
男たちは、だれかから廃品回収と処分を委託されたのだ。委託した人が、違法な投棄をすることを承知で任せたのかはわからない。
朝になれば、不法投棄されたごみの山を、だれかが発見することになる。いや、めったに人が通りがからない道だ。だれにも発見されないまま、しばらく置いておかれるかもしれない。
報酬に味をしめているらしいこいつらは、また同じことを繰り返すだろう。積み上がったごみの山に、さらにごみが足されていく。村が気づいて本格的に不法投棄対策に乗り出さない限りは、違法行為は続いていく。
「おい」
竜二が立ち上がり、岩の陰から姿を見せた。
「りゅ、竜二くん……!」
ああ、もう。せっかく見つからないようにしていたのに……!
また竜二が短絡的な行動に出た。
竜二は横顔に青筋を立てんばかりにして怒りをあらわにしている。これまで隠れた時間を台無しにしてでも、男たちを呼び止めずにはいられなかったのだ。それほどの怒りに支配されている。
「あ?」
車に乗り込もうとしていた男たちが振り返った。
「なんだ、人がいたのか」
「岩の陰に隠れてたのか?」
二人は顔を見合わせる。こんな夜更けに、人っ子一人通らない道に、偶然居合わせるはずはない。見張られていた。そう気づいたことだろう。
「荷物積みなおして、いますぐ村から出てけよ。そんでもう、二度と入ってくるな」
作業のために点灯していた、車の前照灯に竜二の顔が照らされる。竜二は眼光鋭く、男たちを見据えている。
「なんだ、クソガキか。おまえいまいくつだよ」
竜二の挑発で瞬時に頭を沸騰させた男たちは、太一たちのほうに向かってじりじりと歩を詰めてくる。
「俺の年は関係ねえだろ」
竜二は一歩も引かずに、臨戦態勢でその場に立っている。
太一ははらはらどころではなく、恐怖で全身の血がさあーっと足に向かって流れていくのを感じていた。
竜二はすっかり、かつての不良モードに戻っている。一歩も引かず、離れたところからでも相手の心臓を食い破りそうな目をして、相手にガンを飛ばしている。
丸くなったかに見えた竜二はその実、全然落ち着いていなかった。かつて時計仕掛けのオレンジ殺法で、校内のガラスを破壊してまわっていた、箍のはずれた不良の本性が、表に出てきている。
「舐めてんじゃねえぞ」
竜二の勘は正しく、やっぱりやばい相手だったようだ。男は言葉で威嚇すると、ポケットから折りたたみ式のナイフを取り出した。
な、なんでポケットからすぐ折りたたみナイフが出てくるんだ……!
いや、逆に折りたたみ式だからこそ、ポケットに入るのだ、と馬鹿みたいな因果関係が頭をよぎりつつ、この世にまさか、武器を持ち歩いている人間がいると思わず、太一は恐怖で髪の毛が逆立つ思いだった。
「そこに土下座して、詫びろや。その隣の坊主もだ」
脅しで取り出しただけで、本格的に振りまわすつもりはないのだろう。ナイフをちらつかせながら、男は謝罪を要求する。
そういう男の態度が、竜二の逆鱗に触れたようだ。
「てめえの言うガキ相手に、ナイフ向けていきがってんじゃねえぞ」
武器の脅しにも屈さずに、竜二はさらに相手の怒りを燃え上がらせるようなことを言う。
「こんの……!」
一瞬の出来事だった。
かっとなったらしい男が飛び込んできた。
「おい、やめろ……!」
「竜二くん……!」
傍観者となっていたもう一人の男と、太一の声が重なる。
雷が地面に落ちるまでの、刹那の瞬間だった。
ナイフをかまえた男の肩が、竜二の肩にぶつかる。ナイフが、竜二の腹を刺していた。
「竜二……っ!」
太一は金切り声を上げた。
竜二は膝をつき、地面に向かって体を折る。
「や、べえ……」
ナイフを持った男は我に返り、自分のしでかした事の深刻さに気がついたようだ。愕然としてあとずさる。
「なにやってんだよ……!}
「だって、こいつが煽ってくるから……!」
男たちはどやどやと足早にトラックへと戻ると、エンジンをかけて走り去ってしまった。
「竜二くん!」
腹を両腕で抱えるようにして、背中を丸めて地面に伏せる竜二の元に駆け寄る。
「うそでしょ……! しっかり、しっかりしてよ……!}
竜二くんが刺された。
どうしよう。小さなナイフとはいえ、厚手のパーカーを貫いて、しっかりと腹に刺さっていたのをこの目で見た。早く救急車を呼ばないと。
隣町からの救急車は、どのくらいの速さで到着してくれるんだろう。こういうときに、僻地であることの不便さが絶望を突きつけてくる。
「竜二くん……」
こんなことになるくらいなら。
またもう一度くらい、まぐわいをしておけばよかった。竜二が太一とまぐわいをしたいという気持ちに応えて、心を満たしてあげればよかった。
馬鹿なことを考えるな。太一は自分を叱咤する。これが今生の別れになるわけじゃないのに。竜二はいまから、病院に行くのだ。
スマートフォンを取り出しかけた太一の手を、竜二が制した。
「たいっちゃん……」
竜二はにっと笑う。まるで苦しそうな顔をしておらず、痛みを感じていないのかと不思議な思いだった。
「俺、平気。刺されたけど、刺されてない」
竜二は腰のところで折りたたんでいた体を起こした。パーカーの下から、厚手の雑誌を取り出す。雑誌の真ん中に、平らな穴が空いていた。
「こいつでナイフを防げた。体には刺さってない」
「えーっ!」
太一は驚愕で大声を上げた。おどろいたのちに、無事だったんだと安堵がこみ上げてくる。
「苦しんでるように見せておかないと、本当に刺したのか疑われそうだったからさ。うまくだませてた?」
「あわてて逃げていったから、信じてたと思うよ……! そうか、だから今日、大きめのパーカー着てたのか……!」
いつも体にフィットする服を着ている竜二にしては、めずらしい格好だと思ったのだ。単純に、朝晩はすごく冷え込むようになったからだけだろうと思い、まさかなかに雑誌を仕込むためだとは思わなかった。
「どうして……? もしかして刺されるかもって思ってたの……?」
「うん。俺は思ってなかったけど、ヨバワリさんが教えてくれた」
「ヨバワリ様が?」
どうしてここでヨバワリ様が出てくるんだろう。太一は拍子抜けした。
「昨日の夜、ヨバワリ様が夢に出てきたんだ。体の大きさが……こんくらいで」
竜二は手で、自分の頭から脇腹くらいまでの大きさを示す。
「全身がもっふもふでよ。小さい耳が付いてて、目がまん丸で大きくて、やっぱりでけえふくろうみたいだった」
巻物や岩に描かれた姿そのものだったらしい。
竜二の頭にヨバワリ様のイメージがすり込まれていて、その姿を夢のなかでねつ造しただけではないか。太一はそう思いつつも、話の続きを聞いた。
「明日、入れてはならないならず者が村に来る。だからたいっちゃんと二人で、この村を守ってくれって言ってた。場合によっては俺が刺されることになりそうだから、腹をガードしていけって教えてくれたんだ」
「ヨバワリ様の助言だったの……!?」
かたわらにある岩を見やる。そこに描かれたヨバワリ様は、なんとも微妙な顔をしてほほえんでおられるばかりだ。
「ヨバワリさん。俺たちちゃんと、村を守ったよ」
かたわらの岩をさすりながら、竜二は虚空に向かってそう報告する。
ヨバワリ様自身が、村にやって来る災いのことを教えてくれた――。
ということは、今回の件はヨバワリ様が招いた災いではないことが確定したということだ。
「よかっ……たー……」
安心して力が抜けた太一は土下座のように、正座をした姿勢のまま地面に崩れる。
「よくねえわ。早いとこ電話しねえとだ」
はた、と気づいたらしい竜二は、警察に電話をかけた。男たちの服装や乗っていたトラックの特徴を伝え、さらに口論のすえに刺されたこともしっかり報告していた。
「警察の人、なんて言ってた?」
「とりあえず、こっち来るって。馬券ショーがなんとかって言ってた」
「現場検証じゃないの、それ」
「おお、それだ」
どうしたら現場検証と馬券ショーを聞き間違えるんだ。竜二はやっぱり馬鹿だと思う。
「あとは交番の人に連絡して、ここらへんパトロールしてもらうって。あいつら、つかまえられるといいな」
現場検証ということは、立ち会いを求められて、事件の状況を詳しく説明しないといけなくなる。もうしばらくはここから離れられなさそうだ。
太一は膝を伸ばして座りなおす。
「ああほんと……あせったよ。ていうか、夢見たこととかお腹ガードのこととか、なんで言ってくれなかったの」
「いや、だって。俺も半信半疑でさ。たいっちゃんに言っても絶対、信じてもらえないと思って」
ヨバワリ様の予言の通りになった。夢で相まみえたのはヨバワリ様で間違いなかったと竜二は確信を抱き、太一に顛末を明かしたということらしい。
「どうしてそういうところだけ慎重なんだよ……」
太一は三角座りをした膝の間に顔をうずめる。
「竜二くんがキレて飛び出していかなければ、こんなことにはならなかったのに……」
「悪い。ついカッとなっちゃってよお。でも、ナイフ向けられたあたりから、ヨバワリさんの言ってたとおりだって思って段々冷静になって。最後は、ちゃんと刺されたふりできてただろ?」
「できてただろ、じゃないよ!」
太一は顔を上げて、声を荒げた。
「もう……っ! 竜二くんが刺されたとき、頭が真っ白になって、どうしようって……」
早く救急車を呼ばなければと思うのに、次になにをしたらいいのか、思考が完全に停止していた。パニックを起こして、なにも考えられなくなってしまっていた。
「本当に心配したんだよ……! だから、絶対に見つからないようにしてって言ったのに……!}
太一の目に涙がせり上がってきた。結果オーライだったなと気楽ににこにこしている竜二に猛烈に腹が立っていた。
「竜二くんが、死んじゃうかもしれないと思って僕は……!」
目からぼろぼろと涙があふれた。竜二を失う想像だけで、泣けてきてしまった。
「た、たいっちゃん……」
太一に本気で叱られて、そして本気で泣かれた竜二は、へらへらとしていた態度を引っ込めて、うろたえはじめた。
「ご、ごめん……。そんな心配させると思ってなくてよ……」
「するよ! あたりまえだろ!」
「す、すんません……」
涙をいっぱいに溜めた怒りの目でにらまれて、竜二はたじたじだ。
竜二を失うかもしれない恐怖と悲しみで涙が出るのも。
太一が心配した気持ちを逆なでするように、お気楽な調子の竜二に怒りが湧くのも。
すべては竜二に、思い入れがあるせいだ。
もはや竜二は、同じ高校に通う、住む世界の違うヤンキーではなくなっていた。
馬鹿で、時々考えなしだけれど、人を思いやる気持ちを持っている。普通の人とは恋愛できないという太一の特殊さごと、太一を好きだと思う優しさを発揮する。太一からの気持ちは期待しないのに、太一のことを好きでいてくれる、愛すべき人へと変わっていた。
「これに懲りたらもう、二度と危ないことしないで」
「はい」
「竜二くんて、中学のときに東京音頭を歌いながら学校の窓ガラス壊してまわってたって本当?」
「本当。歌いながらっていうか、歌に合わせて盆踊りの動きをしながら腕振って割ってったんだけど」
「……」
事実のほうが噂よりもずっと奇怪な場合ってあるんだ。
「なんでそんなことしたの」
「んー、ストレス?」
竜二のストレスにつきあわされたほうとしてはたまったものではない。その鬱憤はどこかべつのところで発散すべきだろう。
「はー……」
話しているうちに落ち着きを取り戻した太一がため息を吐いた。
遠く、山の下のほうからサイレンが聞こえてきた。
警察がここに駆けつけてくるのだろう。サイレンで道を開けてもらえるように知らせる必要があるくらい、通行の妨げになるような車など、こんな夜遅い時間には走っていなさそうだが、一応、規則としてそうしないといけないのかもしれない。
「俺だって、竜二くんが好きだと思うよ。だからもう、本当に危ないことしないでよ」
「おう……って、え……!?」
ぷいっと太一はそっぽを向く。
「なに? たいっちゃん、いまのもう一回言って」
「いやだ。もう言わない」
太一の口からこぼれた好きという言葉をもう一度拾おうと、竜二が身を寄せてくる。太一はそっぽを向いたまま、無視を決め込んだ。
竜二のことは、好きじゃない。でも竜二のことを、好きだと思う。
心を全部差しだすような、好きという感情とは違う。でも、互いのことを気にかけて、ときおり、その延長でまぐわいをするくらいなら、してもいいかなと思えるほどには竜二のことが好きだと思った。
二次元以外の人間に、恋愛感情を抱けるとは思わなかった。
正確には、恋愛感情ではないのかもしれない。太一の一番は、あくまで二次元の美少女たちだ。そこは譲れないし、この先も変わることはない。
でも、竜二はそんな太一の特殊さごと、太一を受け入れてくれている。そのままの太一でいいのだと認めてくれている。それが嬉しくて、そういう相手と、少し深くつながってみたいと思うのだ。
間近でサイレンの音が聞こえてきたので、太一は立ち上がった。
理由は、太一が忙しくなったためだ。高校三年生に進学する来年は受験の準備年とあって、母親とともに塾探しをしている。
村には当然、大学受験専門の学習塾なんてものはないので、電車で一時間半かけて、館川駅まで出るしかない。比較的駅近の塾にいくつか体験入学をして、どこに継続的に通おうか、たしかめている最中だ。だいたいどこも、冬期講習から受験の準備期間に入り、その講習を乗り越えて四月からの講座を本格的に継続する人たちを対象に、九ヶ月間の授業計画が組まれている。
ヨバワリ様にまぐわいを捧げて以来、竜二とはそういうことをする機会もなかった。
あのまぐわいは、あの夜に置いてきたのだと太一は思っている。だから二人の間でもう一度、キスをしたり体をつなげたりする機会が発生するとは到底思えなかった。義務は果たしたので、必要がなくなったのだ。
竜二とのかかわりが少なくなったのは、なんとなく寂しい。あの馬鹿でかい声が家のなかに響いていないと、なんだか物足りない気がする。九月いっぱいくらいは頻繁に家に遊びにきたのに、最後にうちにきたのはいつだっけ。もうすでに、何日まえのことなのか思い出せないくらいになっていた。
「太一、申し込みしちゃっていいの? あの東央ゼミナールってとこでいいんよね?」
休みの土曜日、昼を食べたあとに居間でういろうをなでつつまどろんでいたところで、母親に問われた。
「うん、いいよ。よろしく」
いくつか体験入学をしたなかから、そこまで大所帯ではない塾に通うことを決めた。講師たちの教え方も、分かりやすかったところだ。
太一の場合、根が引きこもりなので、全国に百店舗規模で展開している大手の塾は、教室の規模が大きく、そのぶん生徒の数も多いので気後れしてしまう。個別指導ほど緊密ではないが、受講生全員が顔見知りになるくらいの、こぢんまりとしたところが合っているのだ。
「これから遅くなることもあるよね。館川のほうに、だれか泊めてくれる人がいたらよかったんだけどねえ」
母親がため息をつく。毎日の通学に加えて、定期的な塾通い。館川までは行きと帰りの合計で三時間はかかる道のりだ。
「大丈夫だよ。オンライン授業もあるところにしたし。駅までは迎えに来てくれるんでしょ?」
「そうねえ。あとは体力勝負だね。往復だけでも大変だと思うけど、受験までがんばろ」
「うん」
冬毛に近づいてきたういろうの胴体から足にかけてをもみもみしつつ、太一は母の激励に返事をした。
居間の机に置いてあった太一のスマホから、しゅぽんっとメッセージアプリの受信音がした。
見ると、竜二からだった。ちょっと面白いものを発見したから、来てほしいと書かれている。
「母さん、ちょっと出かけてくる」
「どこ行くん?」
「竜二くんと会ってくる」
「あらそう。夜は家で食べるの?」
「うん。そんなに遅くならないと思う」
スニーカーを履いて向かった先は、清白神社だった。
「よ」
長袖Tシャツを着た竜二が境内に立っていた。
「ひさしぶり」
竜二と会っていたのは遠い過去のことのように思えていたのに、再会すると逆に、これまで離れていたことのほうが信じがたく、まるで昨日までも顔を合わせていたかのように感じられた。
「面白いものってなに?」
「ちっと歩くけどいい? 十五分くらい」
竜二は神社のなかを突っ切って、山道へと入っていく。細いアスファルトの道が続いていた。
「こんな抜け道あったんだ」
「うん。たぶん、あぜ道のどっかともつながってると思う」
竜二はどんどんと歩いて先へと向かう。
「最近、忙しい?」
「うん、塾選びでほとんど毎週末、館川にいた」
「塾かあ。たいっちゃん大学行くん」
「できれば行っておきたいかな」
「どこ狙い?」
「駒山大学」
「聞いたことあるわ。どこにあんの?」
「館川から電車で二駅のところ」
「おお、じゃあそんなに遠くねえんだ」
神社の奥にひっそりと隠れていた林のなかを進む。人がだれもおらず、車も通らない。木々に囲まれた、静謐な通り道だった。
「ここ、あんまり人が通らないんだね」
「完全に裏道だしな。車道が通ってるってことは、だれかしら通ることはあるんだろうけど」
「竜二くんは大学どうするの?」
「俺、そもそも卒業できるかもあやしいらしくてよ」
「えっ、そうなの? 高校で留年とかあるんだ」
完全に更生したものかあやしいこの怪物を、まだこの世に解き放ってはならないと、教師陣は何かしらの理由をつけて、竜二を高校に留める気なのかもしれない。隣を歩く竜二は、留年のことなどなにも気にしていなさそうだった。なるようになれ、というスタンスらしい。
「これよ、これ」
しばらく歩いた先にあった巨大な石を、竜二はあごをしゃくって指し示す。
「なにこれ?」
太一の身長の二倍はあろうかという大きな岩だ。まわりにはしめ縄が張り巡らされて、祀られている。
「な、こんなところにこんなのあるの、知らなかっただろ?」
「知らない、知らない。清白神社と関係あるのかな?」
「たぶんな」
「竜二くんはどうやって見つけたの?」
「道に迷ってたら偶然」
「迷った!?」
「神社に参拝に寄って、たまにはべつの道から帰ってみるかって、適当に歩いてたら迷った。あ、でもいまは平気よ? 帰り道もわかるし」
「危ないなあ……。やめてよ、近所で遭難するの」
「ま、平気だべ。いっつも携帯は持ってるから」
偶然発見した巨大な石を、竜二は見せたかったらしい。
「ここ、見てみ」
竜二が指し示すほうにまわってみる。石は黒い色をして、表面があちこち白く削れている。表面にひっかき傷をつけて、なにかしらの模様が描かれている。
竜二の示した箇所は、太一の膝の高さくらい。よく見えるように太一は腰を折り、岩に顔を近づけた。
「ヨバワリ様……!?」
描かれていたのはヨバワリ様だった。ずんぐりむっくりしたふくろうのような体型に、土偶のような眠たそうな顔。あの絵巻物で見た姿そのものだった。
「大昔の人が描いたんじゃねえかな」
「本当……!? すごいね、何百年前からここにあるんだろう……」
「わかんねえ。でも神主さんなら、なんか知ってるかもしれないな」
「なにが描かれてるのかな」
興味を惹かれて、太一は石の周囲をぐるりとまわる。あちこちにヨバワリ様が登場し、なにかしらのストーリーにはなっているようだが、岩を周回するように描かれた絵はどこから読んでどこで終わるのが正解なのかわからず、また場面ごとのつながりがどうなっているのかも不明で、読み解くのは難しそうだった。
「じゃあ、なにが描かれてるのか当てるゲームしねえ? これから浅野さんのところに答えを確認しにいって、近かったほうが勝ち」
「勝ったらなんかもらえるの?」
「負けたほうが勝ったほうの言うことをなんでも聞くのは?」
「それ、やりたくないことのNG出せる?」
「どうしても無理ならな。でも、俺が勝ったらたいっちゃんにしてほしいことは、もう決まってるけど」
「なに?」
「また、たいっちゃんとまぐわいがしたい」
「はあ……っ!?」
不意打ちすぎて、不覚にも顔が赤くなってしまった。
「なんで……!?」
「したいから」
竜二はそう臆面もなく告げる。
だってあれは、あのとき一夜だけの出来事だったはずで……。ヨバワリ様との約束を果たしたから、もうしなくてもいいはずで……
ヨバワリ様は関係なく、純粋に竜二がしたいと思っている。だからわざわざ、そんなお願いごとをするのだ。そう気づいて太一はますます、顔を赤らめた。
どうして、竜二くんは僕とまぐわいをしたがるんだろう。僕のことが好きだからなのか。 なんで僕なんか、好きになるんだろう。
「なんで……」
「好きだからに決まってる。たいっちゃんのこと、好きだと思うって言ったろ。だから、またしたい」
竜二は照れくさそうに、けれど太一の目をしっかりと見て笑いながら告げる。
気持ちの整理がまるでつかなくて、まぐわいするしないどころの話ではない。
でも、このまま負けて、なしくずしにまたまぐわいをしてしまうのはよくない気がする。太一のなかにある、二次元を最上のものとして突き進む矜持とか、これまで人間に恋をしてこなかった生き様とか、そういった大事なものと竜二、どちらを取るのかが天秤にかけられているような問題だからだ。
この勝負は負けられない。太一は真剣な顔をして、エジプトの壁画みたいな石の絵の解読をはじめた。
「どこから読むのかすらわからないね……」
「しかもよー。上にもまだ続いてんだ」
「本当だ……。これ、案外上のほうから読むのかもしれない」
二人して円柱を囲みながら、しばらく解読を続けていると、山道の下のほうから、ヴォンとエンジン音が聞こえてきた。この村ではおよそ聞かない、スポーツカーのような豪快なエンジン音だ。
エンジン音とともに車が一台、岩のほうへと上がってくるのが見えた。車種は普通の国産セダンだったが、なんらかの改造をほどこしているらしかった。
「たいっちゃん」
竜二が太一の手を引き、岩の陰に身を寄せる。
「どうしたの」
「なんか……やばいやつらな気がする」
転がしていた車があきらかに堅気ではない雰囲気だったからなのか、不良の直感が告げたらしい竜二は声をひそめる。
エンジンが停止すると、なかから二人の人が降りてきた。一人は運転手、もう一人は助手席にいた男だ。
岩の陰から隠れて、男達をさりげなく観察する。
竜二の勘は大当たりだ、と太一は思った。男達は普通のシャツとスラックスを着ているだけなのに、それがなぜか違和感を放っている。薄暗いところから人間たちのいる表舞台に出てくるために、普通に見えるように擬態をしているかのようなのだ。
「ここなんかどうよ」
「へえ。まずだれも来ないし、土地もだだっ広い。捨てるのによさそうだな」
――す、捨てる――!?
思わず、竜二と顔を見合わせた。
まずいことを聞いてしまったかもしれない。 こんな山間で捨てるといえば、もう死体しかないだろう。男達は車の周辺を歩きまわっている。大地を踏みしめて土の硬さを確認しているかのようだ。
「じゃあ、明日ここでいいか?」
「ああ。トラックを借りておく」
「夜になってからのほうがいいか」
「そうだな」
もう決定的だ。人の死体を荷台に積んで運んできて、埋めて隠してしまおうっていう算段に違いない。
現場の下見を終えた男達は、また派手なエンジン音をさせながら車で走り去った。
「竜二くん……」
まだ心臓がどくどくしている。
「やばいこと聞いちまったな。ナンバー確認する余裕もなかった」
「いや、い、いいよ……! 見つからないほうがよかったから……!」
死体埋めの相談をしているところを聞かれたなどと発覚していたら、太一も竜二も、そろってこの場で殺されていたかもしれない。
「明日、もっぺんここに来るって言ってたよな」
「うん……」
竜二はしゃがんだまま、しばらく地面に目を落としていたあとで言った。
「俺、またあいつらが来ないか見張るわ」
「えっ」
「だっていやだろうが。俺たちの村に、勝手に死体埋められるの」
「それはいやだけど……。でも、危ないよ。見つかったらなにされるかわからない」
「平気。明日はちゃんと、うまく隠れてナンバー見とくわ。そんで警察に知らせる」
「だったらいま連絡したほうが」
「いや、どこのだれかもわからんし。そういう話をしてたっつーだけだと、警察は動いてくれんだろうしなあ」
「そっか……」
残念ながら明日は、竜二につきあえそうもない。塾の予定を入れてしまった。それに、夜にあいつらがやってくる現場に自分も居合わせる緊張感に耐えられそうにもない。
「悪いんだけど僕、明日は用事あるから」
「おう。俺一人で見張っとくわ」
竜二の返事は軽い。はなから、太一が来ることなど期待していないような口ぶりだった。
「危ないこと、しないでね」
「平気。岩の陰にいれば見つかりゃせんもん」
やけに楽観的な竜二だ。
「本当に、絶対に見つかったらだめだよ」
「わかった」
不安にかられて念押しをする。竜二はしっかりとうなずいた。
「賭けの答え合わせは、状況が落ち着いてからでいいよな」
「うん……」
竜二とともに来た道を、今度は下って戻りつつ、太一の心は不安で蝕まれていた。
一応、言質は取りつけたものの、竜二がいつものごとく短絡的な行動に走らないかと心配になる。
竜二の短絡さは、物事の解決に一番の近道があるならば、その方法が正しいのかどうかを吟味することなく、すばやく行動に移してしまうところだ。だから、村の呪いを防ぐために、太一と自分でまぐわいをすればいいなんて発想が出てくる。
それからもうひとつ。太一の胸に新たな不安が浮かんでいた。
――ヨバワリ様。まさかこれも、村の災いじゃないですよね?
塾で世界史の巻き返し補講を受けながら、太一の心は落ち着かなかった。
もうすぐ五時になる。現在のコマは五時半までで終わり、休憩を挟んだのちにもうひと講座が予定されている。
あの男たちはいつ、村にやって来るのだろう。夜の定義は人によりまちまちだ。完全に日の入りをした瞬間だという人もいれば、十二時近く、あるいは深夜の時間帯を指すのだと考える人もいる。
太一が補講に入るまえに竜二からメッセージが入っており、いまから張り込みをはじめるとあった。いまごろ竜二は岩の陰に隠れて、一人で男たちの襲来を待っているところだろう。
――やっぱり、心配だ。
太一はノートと筆箱を鞄にしまうと、そっと席を立って教室を出ていった。太一を通すために椅子を引いた隣の生徒には、何事かと視線を送られたものの、それ以外には講師も生徒も、太一の途中退出を気にするでもなく、授業は続いていく。
高校二年生にもなると、自己責任に委ねられる範疇が多くなる。それからなにか事情があるだろうことに、みんな配慮もしてくれる。
教室から脱出した太一は、駅に向かって歩いた。
ここから電車で一時間。村に戻るにはさらにバスで三十分はかかる。
最寄り駅までの迎えを母親に頼んだものの、メッセージに既読がつかない。あらかじめ待ち合わせ時間を決めてあったので、それまでは太一から連絡が来ることはないだろうと思い、携帯を見ていないようだ。
太一はあせる。ここから最速で電車に乗れたとしても、最終バスに間に合うかどうかだ。駅に到着するころまでには、母さんが返信をくれるといいけれど――。
早足に歩いていたところで、ビルの軒先の空いたスペースに何台か置かれた、電動キックボードが目に入った。
……そうだ……! これを借りれば、駅から直行で清白神社に向かえる。
太一はスマートフォンを取り出すと、その場で、急いでレンタル用のウェブサイトを検索した。アプリ経由で、十六歳以上なら借りられるとある。事前にマイナンバーカードを登録し、いくつかの交通ルールに関するオンラインテストを受けて、すぐに出庫することができた。
ここはまだ人通りが多い。エンジンをかけたキックボードを、太一は手で押しながら駅へと向かう。
電動キックボードの電車内への持ち込みが、禁止されているのか厳密には知らない。ただ、安全面からエンジンがかかるものを乗せるのはよくなさそうだと、常識的には理解できる。
太一は駅のコンコースを進み、そのまま改札をくぐった。
どうか、いまだけは駅員に見つかりませんように。そう思っていたところですかさず、背後から呼び止められた。
「きみ、待ちなさい」
太一は聞こえないふりをして、ホームへのエスカレーターへと向かう。
「きみ!」
背後で駅員が声を荒げたのを聞き取り、太一はキックボードをがこがこ言わせながら、急いでエスカレーターを降りる。ごめんなさい、ごめんなさい。でも、いまだけは行かせてください、と心のなかで謝罪を繰り返す。
ホームには、明くる野村方面の電車が停車していた。太一が電車に飛び込むと、ちょうど背後で扉が閉まった。
扉のまえで、愕然とした顔をしていた駅員と目が合ってしまった。
再びごめんなさいと心で謝る。
車両の端にキックボードを寄せて、万が一にも動かないよう、エンジンが切られていることをしっかり確認してから、太一はスマートフォンを取り出す。まず竜二にいまから向かうと連絡を入れて、それから母親にも、迎えはひとまず不要になった旨の連絡を入れた。
いつも村と館川を往復するときには、電子書籍で漫画を読んでいるから、一時間の距離もあっという間なのに。
今日はなにかで暇つぶしをする気にはとてもなれず、太一はボードのハンドルを支えながらずっと立ったままだった。竜二の顔を見るまでは不安でなにも手につかない。
明くる野村に着いてから、さっそくキックボードの電源を入れる。最初はゆるめにスタートして、慣れてくると徐々にスピードを上げた。
駅周辺は駅舎の明かりや外灯が照らしているが、少し離れるととたんに、ランドマークはなくなり、外灯の数も少なくなり、あたりは暗闇に飲まれる。本格的に明かりの乏しくなる村の中心まで走ってきたところで、太一はボードのライトを点灯した。
バスは停車駅を経由するために迂回したり、乗客の乗り降りで時間を取られる。ボードで進むとだいぶ時間短縮になった。
清白神社を横目に見ながら、裏道の車道へと入る。
ここを上がっていけば、隠れている竜二と合流できる。
ところがあと少しというところで、雲行きがあやしくなってきた。
「あれっ」
ハンドルをフルスロットルでまわしてみても、ボードはのろのろとしか推進しない。勢いを失い、とうとう停止してしまった。
「バッテリー切れかあ……」
残量を示すランプが減っていたことに気がつかなかった。まえの利用者が返却してから間もなかったのか、充電がうまくいっていなかったらしい。
仕方がない。
ここからは歩きで山道を進む。太一はボードを木立のほうに寄せて立てかけておいた。
あたりは暗がりだ。
星明かりがあるので、林と道路の区別もつかないというほどではないものの、足元はよく見えない。なにか変なものを踏んだらいやだなあ。太一はスマートフォンの懐中電灯機能をオンにして、地面を照らしながら進んだ。
ヨバワリ様の岩が見えてきた。まだ男たちは姿をあらわしていないようだ。
「竜二くん」
大きなパーカーのフードをかぶり、岩場に隠れていた竜二に声をかける。
「たいっちゃん……!?」
音楽を聴きながら張り込みをしていたようで、竜二は耳からイヤホンをはずす。
「連絡もらってからここまで来るの、ずいぶん速くねえ?」
竜二は目を丸くしておどろいている。
「うん。電動キックボードで来た」
太一は岩の奥側に体を滑り込ませる。
「そんなん持ってたんか」
「いや、借りた」
「借りた? 明くる野に借りられるとこあったっけ」
「うん……。あの、館川駅で借りて、そのまま電車に乗ってきた」
「ええ?」
竜二が驚愕の声を発する。
「電動ってあのでっかいやつだろ? 電車ん乗せてきたの?」
「う、うん……。あの、母さんと連絡つかなくて、迎えが頼めそうになかったから。通りがかったところにちょうど、レンタルしてるところがあって……」
そこまで聞くと竜二は肩を震わせて笑いはじめた。
「な、なんで笑うのさ……!」
とうとう竜二が声を上げて笑いはじめた。
「いや、すまんて。たいっちゃんがそこまでして、急いで来てくれたのが嬉しくて」
太一が常になく大胆な行動におよんだのがおかしかったようで、竜二の肩はまだ震えている。
「だってしょうがないだろ……! もうバスも間に合わなさそうだったし……!」
都内にありながらも、いまだに令和水準の文明化がされていない田舎がうらめしい。
「わかってる。あんがと」
笑いを収めると、竜二は太一の肩を抱き寄せ、礼をささやいた。
宵闇に虫の鳴き声だけが響く。
太一は息を詰めて、ひたすら待っていた。
グロロ、と離れたところからエンジン音が聞こえてきた。
小一時間ほど待期していたところで、車は一台も通りがからなかった。きっと、あの男たちだと思った。
「竜二くん」
竜二もうなずく。二人はいっそう息をひそめて、岩の陰に小さくなって身を隠した。
車両は岩の近くで停車した。なかから人が降りてくる。
「大きいのはあとでやるから、一人でも運べるやつからいけ」
「うす」
声からして、昨日の男たちで間違いなさそうだ。
どうしよう。これから、ここに人を埋めるんだ。
こわくなった太一は、かたわらの竜二の手に手を重ね、ぎゅっと握った。竜二は太一を落ち着かせるように、手のひらを返して手を握り返してくる。
荷台がある車のようで、人が上り下りする音がする。
「よっ」
どがん、どがん、となにかが地面に投げ落とされる音がした。
人ではない。もっとなにか硬いものが投げ落とされる音だった。
気になった太一はすばやく岩から顔を出し、一瞬だけ車のほうを見る。
男たちは荷台にたくさんの荷物を積んでいた。一瞬のことだったが、冷蔵庫が横たわっているのが見えた。
――人じゃなかった……。
死体でないのはさいわいしていたかもしれない。いや、さいわいとも言い切れない。これは、いわゆる不法投棄なのだと気づいた。
男たちは廃品を、正規の手続きで粗大ごみ回収には出さず、明くる野村に投げ捨てることにしたのだろう。そのほうが手間が省けて、無料ですむ。
「そっちのはじっこ持ったかー?」
「ういす」
男たちは声を掛け合って、大物の積み荷を下ろしはじめたみたいだった。
荷台の荷物は、すっかり空になったようだった。
「三十分もかからずに終わったな。これで五万だっけ? いい商売だな」
「ああ。都内にこんなど田舎があって助かるわ」
男たちは、だれかから廃品回収と処分を委託されたのだ。委託した人が、違法な投棄をすることを承知で任せたのかはわからない。
朝になれば、不法投棄されたごみの山を、だれかが発見することになる。いや、めったに人が通りがからない道だ。だれにも発見されないまま、しばらく置いておかれるかもしれない。
報酬に味をしめているらしいこいつらは、また同じことを繰り返すだろう。積み上がったごみの山に、さらにごみが足されていく。村が気づいて本格的に不法投棄対策に乗り出さない限りは、違法行為は続いていく。
「おい」
竜二が立ち上がり、岩の陰から姿を見せた。
「りゅ、竜二くん……!」
ああ、もう。せっかく見つからないようにしていたのに……!
また竜二が短絡的な行動に出た。
竜二は横顔に青筋を立てんばかりにして怒りをあらわにしている。これまで隠れた時間を台無しにしてでも、男たちを呼び止めずにはいられなかったのだ。それほどの怒りに支配されている。
「あ?」
車に乗り込もうとしていた男たちが振り返った。
「なんだ、人がいたのか」
「岩の陰に隠れてたのか?」
二人は顔を見合わせる。こんな夜更けに、人っ子一人通らない道に、偶然居合わせるはずはない。見張られていた。そう気づいたことだろう。
「荷物積みなおして、いますぐ村から出てけよ。そんでもう、二度と入ってくるな」
作業のために点灯していた、車の前照灯に竜二の顔が照らされる。竜二は眼光鋭く、男たちを見据えている。
「なんだ、クソガキか。おまえいまいくつだよ」
竜二の挑発で瞬時に頭を沸騰させた男たちは、太一たちのほうに向かってじりじりと歩を詰めてくる。
「俺の年は関係ねえだろ」
竜二は一歩も引かずに、臨戦態勢でその場に立っている。
太一ははらはらどころではなく、恐怖で全身の血がさあーっと足に向かって流れていくのを感じていた。
竜二はすっかり、かつての不良モードに戻っている。一歩も引かず、離れたところからでも相手の心臓を食い破りそうな目をして、相手にガンを飛ばしている。
丸くなったかに見えた竜二はその実、全然落ち着いていなかった。かつて時計仕掛けのオレンジ殺法で、校内のガラスを破壊してまわっていた、箍のはずれた不良の本性が、表に出てきている。
「舐めてんじゃねえぞ」
竜二の勘は正しく、やっぱりやばい相手だったようだ。男は言葉で威嚇すると、ポケットから折りたたみ式のナイフを取り出した。
な、なんでポケットからすぐ折りたたみナイフが出てくるんだ……!
いや、逆に折りたたみ式だからこそ、ポケットに入るのだ、と馬鹿みたいな因果関係が頭をよぎりつつ、この世にまさか、武器を持ち歩いている人間がいると思わず、太一は恐怖で髪の毛が逆立つ思いだった。
「そこに土下座して、詫びろや。その隣の坊主もだ」
脅しで取り出しただけで、本格的に振りまわすつもりはないのだろう。ナイフをちらつかせながら、男は謝罪を要求する。
そういう男の態度が、竜二の逆鱗に触れたようだ。
「てめえの言うガキ相手に、ナイフ向けていきがってんじゃねえぞ」
武器の脅しにも屈さずに、竜二はさらに相手の怒りを燃え上がらせるようなことを言う。
「こんの……!」
一瞬の出来事だった。
かっとなったらしい男が飛び込んできた。
「おい、やめろ……!」
「竜二くん……!」
傍観者となっていたもう一人の男と、太一の声が重なる。
雷が地面に落ちるまでの、刹那の瞬間だった。
ナイフをかまえた男の肩が、竜二の肩にぶつかる。ナイフが、竜二の腹を刺していた。
「竜二……っ!」
太一は金切り声を上げた。
竜二は膝をつき、地面に向かって体を折る。
「や、べえ……」
ナイフを持った男は我に返り、自分のしでかした事の深刻さに気がついたようだ。愕然としてあとずさる。
「なにやってんだよ……!}
「だって、こいつが煽ってくるから……!」
男たちはどやどやと足早にトラックへと戻ると、エンジンをかけて走り去ってしまった。
「竜二くん!」
腹を両腕で抱えるようにして、背中を丸めて地面に伏せる竜二の元に駆け寄る。
「うそでしょ……! しっかり、しっかりしてよ……!}
竜二くんが刺された。
どうしよう。小さなナイフとはいえ、厚手のパーカーを貫いて、しっかりと腹に刺さっていたのをこの目で見た。早く救急車を呼ばないと。
隣町からの救急車は、どのくらいの速さで到着してくれるんだろう。こういうときに、僻地であることの不便さが絶望を突きつけてくる。
「竜二くん……」
こんなことになるくらいなら。
またもう一度くらい、まぐわいをしておけばよかった。竜二が太一とまぐわいをしたいという気持ちに応えて、心を満たしてあげればよかった。
馬鹿なことを考えるな。太一は自分を叱咤する。これが今生の別れになるわけじゃないのに。竜二はいまから、病院に行くのだ。
スマートフォンを取り出しかけた太一の手を、竜二が制した。
「たいっちゃん……」
竜二はにっと笑う。まるで苦しそうな顔をしておらず、痛みを感じていないのかと不思議な思いだった。
「俺、平気。刺されたけど、刺されてない」
竜二は腰のところで折りたたんでいた体を起こした。パーカーの下から、厚手の雑誌を取り出す。雑誌の真ん中に、平らな穴が空いていた。
「こいつでナイフを防げた。体には刺さってない」
「えーっ!」
太一は驚愕で大声を上げた。おどろいたのちに、無事だったんだと安堵がこみ上げてくる。
「苦しんでるように見せておかないと、本当に刺したのか疑われそうだったからさ。うまくだませてた?」
「あわてて逃げていったから、信じてたと思うよ……! そうか、だから今日、大きめのパーカー着てたのか……!」
いつも体にフィットする服を着ている竜二にしては、めずらしい格好だと思ったのだ。単純に、朝晩はすごく冷え込むようになったからだけだろうと思い、まさかなかに雑誌を仕込むためだとは思わなかった。
「どうして……? もしかして刺されるかもって思ってたの……?」
「うん。俺は思ってなかったけど、ヨバワリさんが教えてくれた」
「ヨバワリ様が?」
どうしてここでヨバワリ様が出てくるんだろう。太一は拍子抜けした。
「昨日の夜、ヨバワリ様が夢に出てきたんだ。体の大きさが……こんくらいで」
竜二は手で、自分の頭から脇腹くらいまでの大きさを示す。
「全身がもっふもふでよ。小さい耳が付いてて、目がまん丸で大きくて、やっぱりでけえふくろうみたいだった」
巻物や岩に描かれた姿そのものだったらしい。
竜二の頭にヨバワリ様のイメージがすり込まれていて、その姿を夢のなかでねつ造しただけではないか。太一はそう思いつつも、話の続きを聞いた。
「明日、入れてはならないならず者が村に来る。だからたいっちゃんと二人で、この村を守ってくれって言ってた。場合によっては俺が刺されることになりそうだから、腹をガードしていけって教えてくれたんだ」
「ヨバワリ様の助言だったの……!?」
かたわらにある岩を見やる。そこに描かれたヨバワリ様は、なんとも微妙な顔をしてほほえんでおられるばかりだ。
「ヨバワリさん。俺たちちゃんと、村を守ったよ」
かたわらの岩をさすりながら、竜二は虚空に向かってそう報告する。
ヨバワリ様自身が、村にやって来る災いのことを教えてくれた――。
ということは、今回の件はヨバワリ様が招いた災いではないことが確定したということだ。
「よかっ……たー……」
安心して力が抜けた太一は土下座のように、正座をした姿勢のまま地面に崩れる。
「よくねえわ。早いとこ電話しねえとだ」
はた、と気づいたらしい竜二は、警察に電話をかけた。男たちの服装や乗っていたトラックの特徴を伝え、さらに口論のすえに刺されたこともしっかり報告していた。
「警察の人、なんて言ってた?」
「とりあえず、こっち来るって。馬券ショーがなんとかって言ってた」
「現場検証じゃないの、それ」
「おお、それだ」
どうしたら現場検証と馬券ショーを聞き間違えるんだ。竜二はやっぱり馬鹿だと思う。
「あとは交番の人に連絡して、ここらへんパトロールしてもらうって。あいつら、つかまえられるといいな」
現場検証ということは、立ち会いを求められて、事件の状況を詳しく説明しないといけなくなる。もうしばらくはここから離れられなさそうだ。
太一は膝を伸ばして座りなおす。
「ああほんと……あせったよ。ていうか、夢見たこととかお腹ガードのこととか、なんで言ってくれなかったの」
「いや、だって。俺も半信半疑でさ。たいっちゃんに言っても絶対、信じてもらえないと思って」
ヨバワリ様の予言の通りになった。夢で相まみえたのはヨバワリ様で間違いなかったと竜二は確信を抱き、太一に顛末を明かしたということらしい。
「どうしてそういうところだけ慎重なんだよ……」
太一は三角座りをした膝の間に顔をうずめる。
「竜二くんがキレて飛び出していかなければ、こんなことにはならなかったのに……」
「悪い。ついカッとなっちゃってよお。でも、ナイフ向けられたあたりから、ヨバワリさんの言ってたとおりだって思って段々冷静になって。最後は、ちゃんと刺されたふりできてただろ?」
「できてただろ、じゃないよ!」
太一は顔を上げて、声を荒げた。
「もう……っ! 竜二くんが刺されたとき、頭が真っ白になって、どうしようって……」
早く救急車を呼ばなければと思うのに、次になにをしたらいいのか、思考が完全に停止していた。パニックを起こして、なにも考えられなくなってしまっていた。
「本当に心配したんだよ……! だから、絶対に見つからないようにしてって言ったのに……!}
太一の目に涙がせり上がってきた。結果オーライだったなと気楽ににこにこしている竜二に猛烈に腹が立っていた。
「竜二くんが、死んじゃうかもしれないと思って僕は……!」
目からぼろぼろと涙があふれた。竜二を失う想像だけで、泣けてきてしまった。
「た、たいっちゃん……」
太一に本気で叱られて、そして本気で泣かれた竜二は、へらへらとしていた態度を引っ込めて、うろたえはじめた。
「ご、ごめん……。そんな心配させると思ってなくてよ……」
「するよ! あたりまえだろ!」
「す、すんません……」
涙をいっぱいに溜めた怒りの目でにらまれて、竜二はたじたじだ。
竜二を失うかもしれない恐怖と悲しみで涙が出るのも。
太一が心配した気持ちを逆なでするように、お気楽な調子の竜二に怒りが湧くのも。
すべては竜二に、思い入れがあるせいだ。
もはや竜二は、同じ高校に通う、住む世界の違うヤンキーではなくなっていた。
馬鹿で、時々考えなしだけれど、人を思いやる気持ちを持っている。普通の人とは恋愛できないという太一の特殊さごと、太一を好きだと思う優しさを発揮する。太一からの気持ちは期待しないのに、太一のことを好きでいてくれる、愛すべき人へと変わっていた。
「これに懲りたらもう、二度と危ないことしないで」
「はい」
「竜二くんて、中学のときに東京音頭を歌いながら学校の窓ガラス壊してまわってたって本当?」
「本当。歌いながらっていうか、歌に合わせて盆踊りの動きをしながら腕振って割ってったんだけど」
「……」
事実のほうが噂よりもずっと奇怪な場合ってあるんだ。
「なんでそんなことしたの」
「んー、ストレス?」
竜二のストレスにつきあわされたほうとしてはたまったものではない。その鬱憤はどこかべつのところで発散すべきだろう。
「はー……」
話しているうちに落ち着きを取り戻した太一がため息を吐いた。
遠く、山の下のほうからサイレンが聞こえてきた。
警察がここに駆けつけてくるのだろう。サイレンで道を開けてもらえるように知らせる必要があるくらい、通行の妨げになるような車など、こんな夜遅い時間には走っていなさそうだが、一応、規則としてそうしないといけないのかもしれない。
「俺だって、竜二くんが好きだと思うよ。だからもう、本当に危ないことしないでよ」
「おう……って、え……!?」
ぷいっと太一はそっぽを向く。
「なに? たいっちゃん、いまのもう一回言って」
「いやだ。もう言わない」
太一の口からこぼれた好きという言葉をもう一度拾おうと、竜二が身を寄せてくる。太一はそっぽを向いたまま、無視を決め込んだ。
竜二のことは、好きじゃない。でも竜二のことを、好きだと思う。
心を全部差しだすような、好きという感情とは違う。でも、互いのことを気にかけて、ときおり、その延長でまぐわいをするくらいなら、してもいいかなと思えるほどには竜二のことが好きだと思った。
二次元以外の人間に、恋愛感情を抱けるとは思わなかった。
正確には、恋愛感情ではないのかもしれない。太一の一番は、あくまで二次元の美少女たちだ。そこは譲れないし、この先も変わることはない。
でも、竜二はそんな太一の特殊さごと、太一を受け入れてくれている。そのままの太一でいいのだと認めてくれている。それが嬉しくて、そういう相手と、少し深くつながってみたいと思うのだ。
間近でサイレンの音が聞こえてきたので、太一は立ち上がった。
