二学期がはじまった。
学校でも竜二は、頻繁に太一のいるクラスに顔を出し、ちょくちょく太一を呼びつける。目的は様々で、一緒に弁当を食べるとか、休みの間の雑談とか、とにかくすき間時間を見つけては、太一とのつながりを絶やさないようにしているようだ。たまに、筆記用具を忘れたから貸してくれと頼まれることもある。家で宿題などしそうもない竜二が、どうして自宅に筆箱を忘れてくるのかは謎だ。
「一ノ瀬っていつの間に川崎と仲良くなったの……?」
かつて暴れていた伝説から、校内では畏怖の対象である竜二と突然距離が近づいたことで、友人をはじめとしてクラスメイトに、戦々恐々とした目で見られ、おそるおそる尋ねられる太一だった。ひと夏の間に悪い連中とつるむようになったと誤解されているのかもしれない。たしかに夏休みの後半、竜二とは毎日のようにつるんでいたが、竜二の不良仲間にはお目にかかったことがないので、それは濡れ衣だ。
「あの……祭りの社番を変わって、お礼を言われたのがきっかけで」
社番の真のミッションと、それに太一が失敗したことについては、だれにも告げていない。それでも過去の社番から話を聞いていて、ミッションについて知っている人もなかにはいることだろう。ただ成果はどうだったんだとからかわれることはないので、いまのところ、詳しく知っている人はいないのだろうみて、太一は安心している。
僕とヤンキー竜二がまぐわいをしないと、村に災いが訪れます。そう言ったらみんな、どんな顔をするんだろう。我が身の可愛さにみんなパニックを起こして、なんとかまぐわいを果たしてもらおうと、竜二と二人で朝まで社に閉じ込められたりして。
そんな因習の村、いやだなあ。おのれの想像で陰鬱とした気分になった太一だった。
日中はまだいくらか蒸し暑い日もぽつ、ぽつと続くものの、徐々に秋らしくなっていき、朝晩はだいぶ涼しく、過ごしやすくなってきた。
太一と竜二との仲は、つかず離れずといったところだ。
竜二はまぐわいを強要することはなく、かといって忘れさせることはなく、定期的に話題に出しつつ、太一の返答を気長に待っている。
このままずるずる引き延ばすよりは、さっさと終わらせてしまったほうが後々のためなのかもしれない。
そうは思うが、タイムリミットまではまだあと半年以上も時間があると思うと、ぎりぎりまで粘ってみたくなる太一だった。そもそも、社番に課せられる義務を知らされずにいたことをいまだに根に持っているので、すなおには応じがたい。
「たいっちゃんよう。このごろ涼しい、いい季節になってきたな」
土曜日の夜、暇だからと訪ねてきた竜二にアイスバーを与え、縁側で一緒に猫をなでつつ賞味していたところで、ふと時節の感想を求められた。
「そうですね。そろそろ、縁側でアイスっていう季節でもなくなってきたかもしれないです」
「こういう肌寒い季節は人恋しいよな? な? 俺のこと布団に入れたら、あったけえと思うよ」
「い、いいです。ういろうがいるので」
定期的な給餌と安心して暮らせる環境のおかげで、すっかり毛艶がよく、でぶでぶに太った猫のういろうの背中を、太一はもみもみしながら竜二の誘いを切り抜ける。
あぶない、あぶない。
竜二はこういうふとした瞬間に、まぐわいへのお誘いを仕掛けてくるので困る。
あたりには夜のとばりが降りて、真っ暗だ。縁側の明かりをつけていなければ、周囲は人の顔も判別しがたい、藍色の暗闇だろう。
そろそろアイスも食べ終わるし、竜二にもお引き取りいただくころだ。そう思っていたところで、近くでヴーンと低くうなる音が聞こえてきた。
「ん、明海だ」
竜二のスマートフォンの、バイブレーションが鳴動していたらしい。ジーンズのポケットからスマートフォンを取り出し、竜二は耳に当てた。
「もしもし?」
電話の声が漏れ聞こえてくる。明海は、かなり大きな声で話をしているらしかった。というより、なにか怒鳴っているようにも聞こえる。
「え……どったの? 真海が?」
真海くんに、なにかあったのか。竜二はその後もあいづちを打ちつつひととおり話を聞き、とにかくそっちに向かうから落ち着けと諭してから電話を切っていた。
「真海くん、どうしたの?」
「わかんねえ。熱出してるみたいだけど、なんかいつもと違うって」
「明海さんのおうちの人は?」
「おばちゃんは夜勤。おじちゃんは単身赴任してて、すぐには帰ってこれねえみたい」
明海は実家で子育てをしている。今夜に限り、家族がだれもいない。
立ち上がりつつ竜二がひと口で食べきったアイスの棒を、太一はすかさずあずかりティッシュにくるむ。
「うちの自転車使ってください。あと懐中電灯も貸すので」
「悪いな」
竜二の顔がいつになく緊張している。
太一は自転車置き場で自転車のストッパーをはずし、竜二にハンドルを握らせた。
「竜二くん、大丈夫?」
「お、おう……」
電灯に照らされた竜二の顔色が、紙のように真っ白だ。表情もない。
真海くんのことが心配なんだ。電話口で、太一にも聞こえるほど明海が取り乱しているのが伝わってきた。明海があれほど動揺するなど、どれほどの事態なのだろうと悪い予感で頭がいっぱいになっているはずだ。
「僕もついていく」
このまま一人で行かせるのが心配になり、そう申し出ると、竜二はほっとした顔をした。
二人で自転車を漕いで、明海の家に向かった。
「竜二!」
ドアが開いていたので、そのまま入った。竜二の姿を確認すると、明海は泣き出しそうな顔をして、名前を呼ぶ。その間も、真海のそばを片時も離れようとはしない。
「真海、どうした?」
真海は熱があるようで、居間の隣にある畳の部屋に敷いた布団に転がされている。暗がりのなかで見たぶんには、苦しんでいるようには見えない。
「すごく熱が高いの。さっき測ったら四十度くらいあった。こんなに熱が出たこと、赤ちゃんのときにもなかったのに……」
頭にはしっかりと氷嚢を当てて冷やしている。明海はずっと子どもに寄り添って、身じろぎするたびに位置を調整していたのだろう。
「おばさんに連絡したか?」
「したけど、メッセージ見てないかもしれない」
「明海さんのおばさん、何時まで夜勤なんですか?」
「これから朝まで。隣町の病院にいるの。うちの親、看護師してて」
看護師さんだと病室めぐりで忙しく、なかなか携帯電話を確認する時間が取れないかもしれない。早いところメッセージを確認してくれるように祈るばかりだ。
「どうしよう。病院、連れてったほうがいいかな……」
「いや……いまんとこ寝てるみたいだし。大丈夫じゃねえか」
「でも、竜二がいなかったときに熱でうなされて、ずっと泣いてたの」
病気で泣く子どもにずっと一人で付き添って、明海はさぞ心細かっただろう。憔悴しきっている。
病院に連れていこうにも、バスは八時台で終わりだ。いまの時間は運転できる人に頼んで、隣町まで連れていってもらうしかない。
様子見をするか、念のため病院に連れていくか。迷われていたところで、それまで眠っていた真海が目を開いた。
しばらく目を開けてうっすらと天井を見つめていた真海だったが、突然、全身が痙攣しはじめた。
「ま、真海……っ!」
明海が血相を変えて、這いつくばるようにして子どもに寄り添う。
「なに……どうしよう、痙攣してる……!?」
竜二も、なすすべもなく我が子を見つめている。
真海は白目になり、手足をがくがくと震わせていた。
太一はポケットからスマートフォンを取り出した。真海のことが心配とはいえ、異変に直面して実の親である二人よりは心理的ダメージが少ない。自分にしかできない役割があると思った。
「竜二くん、少しよけて。動画撮って、あとでお医者さんに見せる」
太一はカメラを子どもに向けた。
「真海……」
息子の異変に、明海はしゃくり上げている。
子どもがこんなふうになるのを見るのは、心が引き裂かれるほどつらいだろう。つらいのはわかるけれど、明海に引っ張られたらだめだ。太一は冷静な目で、発作が収まるまでカメラをまわし続けた。
「こうなるのははじめて?」
太一の問いかけに、明海はしっかりとうなずく。どんなに些細なことでも情報を拾い、連携しあう。混沌を場が満たしていても、なんとか解決に向かわせるべく、この場にいる全員の心はひとつだった。
「熱性けいれんって出てきた。六歳くらいまでの子が、急に熱が出たときになるらしい。心配だけど、たまにあることみたいだから、泣かなくていいからな」
竜二がスマートフォンで検索した画面を明海に見せる。
「そうなんだ……。あ、てんかんになる場合もあるって書いてある。だったら、早めに受診したほうがいいよね」
不安をぬぐいきれないものの、子どもには起こりえる症状だと知った明海は、先ほどよりはだいぶ落ち着きを取り戻していた。
「さっきの動画、お医者さんに見せましょう。真海くんが落ち着いてるから、いま連れていったほうがいいかもしれないです」
「明海、一応連れてこ。病院にはおばさんもいるし、そっちのほうがおまえも安心だろ?」
「わかった」
太一は実家に連絡を入れて、車を出してもらえるように頼んだ。
十分くらいしてすぐに、軽自動車を運転した母親がやってきた。助手席に太一、後部座席に真海を抱えた明海と、竜二が座る。
「熱性けいれん? びっくりしたでしょう。小さい子はたまにあるのよね」
迎えにきた太一の母親が、明海に向かってにこやかに話しかける。同じ女性で、しかも子育て経験のある人から声をかけられて、明海は涙をにじませつつも、ほっとした顔をしてうなずいていた。
さいわい、隣町は深夜の救急を受けつけているところだった。車で三十分ほどかけて病院に到着するころには、明海の母親もメッセージに気づき、娘と連絡を取り合えるようになっていた。
診察を受けている間、太一と母、竜二は待合室の長椅子にかけて待っていた。
「あの子、えらいねえ。真海くんのこと一人で育ててるんだ」
「そうすね。一応、俺が父親なんですけど」
「ええ……!? きみ、太一と同級生なんよね!?」
「はあ。十五んときの子で」
ここで事実を知った太一の母は目をまわしていた。
夜でも病院には煌々と明かりが灯り、急患が運ばれてくる。
急患といっても命にかかわるような重篤な症状というほどではなく、自力で動けなくなってしまったので救急車を呼んだ人たちのようだった。
夜遅い時間でも、命をつなぐために門戸を開いている場所がある。その明かりは不調を抱え、不安な闇夜を駆け抜けて来た人には、どれほどの希望となることか。
「なんか、時間かかってるな。なんもないといいな……」
長椅子で竜二がうなだれる。額に組んだ両手を押し当てて、祈りを捧げているような姿勢に自然となった。
「なにもないよ。あるはずない」
竜二をはげまして、太一は力強く言い切った。
一時間と少しが経過すると、真海を抱きかかえた明海が、医療用ユニフォーム姿の母親に付き添われて戻ってきた。
「明海」
竜二は立ち上がり、母子の元に急ぐ。
「もう大丈夫だって。もしかしたらまた熱出したときに同じようになるかもしれないけど、あんまり繰り返すようだったら予防する薬を試したり、脳の病気がないか調べましょうってことになった。一回の痙攣が長引くときは、すぐに救急に連れてきてだって」
「そっか」
明海と同様、竜二もほっとした顔をしていた。
帰りはまた太一の母の運転で、村へと帰る。
人が多かったのと、夜のドライブがめずらしかったのか、帰り道の途中で目を覚ました真海はご機嫌で、にこにことみんなに笑いかけては、ぐずることなくまた自然と眠ってしまった。その様子に今度こそ全員、ほっとしたのだった。
夜勤で自宅に戻れない明海の母の代わりに、太一の母が明海の自宅で朝まで付き添うことになった。
「このまま一人で帰るのも心細いでしょ。明海ちゃん家に朝までいて、お母さん帰ってきたら帰るね」
「母さん、本当にいいの?」
「いいの。あんたたちは帰ってすぐ寝なさいよ。お風呂入るなら追い炊きして入っていいからね」
「おばさん、あんがとうございます。明海のこと、よろしく頼みます」
太一の母が、真海を抱いた明海とともに家に入るのを見届けてから、明海の家に置きっぱなしにしていた自転車を駆り、太一と竜二は一ノ瀬家へと帰還した。太一の家から自宅に戻るのにはかなり遅い時間なので、竜二は借りていた自転車を戻しがてらそのまま、太一の家に泊まることになったのだ。
深夜にかけての騒動が落ち着き、静かな自宅へと上がる。太一に、どっと疲れが押し寄せてきた。
とても風呂にゆっくり浸かる気にはなれず、シャワーですませる。
こんな深夜でも、ういろうにとっては稼働時間らしく、廊下の奥から爪音をかしかしとさせながら姿をあらわしては、のしのしと歩いて太一たちについてくる。
「僕の部屋に来るなんてめずらしいな。いつも夜は母さんとこで寝てるから」
じっちゃんとばっちゃんは、同じ一階の奥の部屋で寝ている。二人を起こさないように、声をひそめて話した。
「そうなん? 今日はおばさんいないからかな」
竜二はういろうの首のうしろをなでる。
「いや、竜二くんがいるからだと思う」
なぜかういろうは竜二を気に入っていて、家に来ると決まって、なでてもらいに姿をあらわす。いまも足元でぐるぐると八の字を描くみたいにしてまとわりついて、ふわふわの体を硬い足にこすりつけていた。
太一の部屋に敷きっぱなしの、布団の上に二人でひっくり返った。ういろうも竜二の足元に丸くなる。太一のこともお疲れ、とねぎらうように、たまに尻尾でびたびたとすねに触れてくれるのが可愛かった。
「ああ……びびった。こんなにびびったのは、人生で二番目くらいだ」
「一番目は?」
「真海が生まれたとき。なかなか出てこなくて、前の晩から朝までかかった」
当時の竜二は、いまよりも長い時間を病院で過ごし、いつ生まれるのかとそわそわとしながら待っていたのだろう。
「たいっちゃん、あんがと」
小さな声で、けれども太一にははっきりと聞こえるように、竜二がお礼を言った。
「どうしたの、急にあらたまっちゃって」
めったにないしおらしい態度をからかうように突っ込んだが、太一の手に竜二の手が重なって、どれほど真剣に気持ちを込めているのかが伝わってきた。
「たいっちゃんがいなかったら、俺もうだめだった。真海があんなんなってるの見て、こわくて、なんもできんかったと思う。たいっちゃんが冷静に動画撮ってるの見て、俺も調べられること調べないとって、冷静になれた」
「……だって僕は、言い方はよくないかもしれないけど部外者だから。実の親だったらショックで、とても冷静じゃいられないよ」
「うん。だから、自分にできることをしてくれたんだよな。そのあともおばさん呼んでくれたり、病院まで付き添ってくれたり。本当にありがとな」
竜二の手がきゅっと太一の手を握る。
他人の体温なんて、うっとうしいだけかと思っていたのに。竜二の手に触れられるのは、心地いいと感じていた。
竜二と話すのに、いつの間にか敬語ではなくなっていた。
「うん……。なにごともなくて本当によかったよ。ちょっとでも役に立てたんならよかった」
「ちょっとどころか、大活躍だべ。明海からもお礼のメッセージ、入ってただろ?」
「うん」
医師に見せるのに真海の動画を送るため、急遽、連絡用SNSのIDを交換したのだった。このお礼は後日あらためて、という前置きとともに、今日はありがとうと連絡が入っていた。
「これを機に明海さん、竜二くんと一緒に暮らしたいと思うようになるんじゃない?」
「なんでよ」
「やっぱり、竜二くんが家にいたほうがなにかと心強いって実感したんじゃないかな」
「それはどうだかな」
天井をながめながら、竜二は否定寄りの返事をした。
「さすがに今日はあせってたけど、最後のほうは落ち着いてたから。こんなことくらいじゃ、気持ちは変えねえと思うよ」
「そうかな」
「そんなもんよ。たいっちゃんはあいつの頑固さを知らないからそう思うのかもしれねえなあ。あいつはさ、友だちをレディースから抜けさせるのに、総長の家のまえで丸二日、正座で土下座してたくらいの女なんよ」
「いまどきレディースってあるんだ」
レディースとは、要するに女暴走族集団のことだとは、太一もなんとなく知っている。
「だから、これからも俺の立ち位置はこうなんだと思う。明海と真海が助けを必要としてるときだけ出ていって、大丈夫になったら戻ってくる」
「……竜二くんはそれでいいの?」
「うん。愛ってべつに、ひとつの形しかないわけじゃないからね」
竜二は横を向くと、太一に抱きつき、腰に手をまわしてきた。
唇が近づいてきて、太一の唇に触れる。一度軽く触れて、二度、三度とやわらかく触れた。
「ちょっと……」
キスの合間に抗議をするも、その声は聞き入れられることなく、竜二が中断することはなかった。
唇の合わさる角度が、深くなってきた。唇のなかにぬるついたものが入ってくる。あ、舌入れられてるなと気づいて、太一は竜二の両肩に腕を突っ張り、制止をした。
「どうしたの、突然」
「なんか、したくなった」
暗がりで竜二は悪びれずに笑っている。
「これ以上してたら興奮しちゃいそうだから、ちょうどよかったな。おやすみ」
そう言うと、ごろりと反対側を向いて寝る体勢に入ってしまった。
な、なんなんだ。
興奮しそうなどと、最後に不穏なひと言を漏らしたのも非常に気になる。気になりつつも、ほじくり返すとさらに気まずい雰囲気が醸成されてしまいそうだったので、太一も寝る体勢に入ることにした。
突然のキスに、心臓があわあわと飛び跳ねていたのに。目を閉じるとあっさりと睡魔に引っ張られて、眠りに吸い込まれていった。
あ、俺のはじめてのキスだったんだなあ。太一がようやくそのことに気がついたのは、次の日の朝になってのことだった。
学校でも竜二は、頻繁に太一のいるクラスに顔を出し、ちょくちょく太一を呼びつける。目的は様々で、一緒に弁当を食べるとか、休みの間の雑談とか、とにかくすき間時間を見つけては、太一とのつながりを絶やさないようにしているようだ。たまに、筆記用具を忘れたから貸してくれと頼まれることもある。家で宿題などしそうもない竜二が、どうして自宅に筆箱を忘れてくるのかは謎だ。
「一ノ瀬っていつの間に川崎と仲良くなったの……?」
かつて暴れていた伝説から、校内では畏怖の対象である竜二と突然距離が近づいたことで、友人をはじめとしてクラスメイトに、戦々恐々とした目で見られ、おそるおそる尋ねられる太一だった。ひと夏の間に悪い連中とつるむようになったと誤解されているのかもしれない。たしかに夏休みの後半、竜二とは毎日のようにつるんでいたが、竜二の不良仲間にはお目にかかったことがないので、それは濡れ衣だ。
「あの……祭りの社番を変わって、お礼を言われたのがきっかけで」
社番の真のミッションと、それに太一が失敗したことについては、だれにも告げていない。それでも過去の社番から話を聞いていて、ミッションについて知っている人もなかにはいることだろう。ただ成果はどうだったんだとからかわれることはないので、いまのところ、詳しく知っている人はいないのだろうみて、太一は安心している。
僕とヤンキー竜二がまぐわいをしないと、村に災いが訪れます。そう言ったらみんな、どんな顔をするんだろう。我が身の可愛さにみんなパニックを起こして、なんとかまぐわいを果たしてもらおうと、竜二と二人で朝まで社に閉じ込められたりして。
そんな因習の村、いやだなあ。おのれの想像で陰鬱とした気分になった太一だった。
日中はまだいくらか蒸し暑い日もぽつ、ぽつと続くものの、徐々に秋らしくなっていき、朝晩はだいぶ涼しく、過ごしやすくなってきた。
太一と竜二との仲は、つかず離れずといったところだ。
竜二はまぐわいを強要することはなく、かといって忘れさせることはなく、定期的に話題に出しつつ、太一の返答を気長に待っている。
このままずるずる引き延ばすよりは、さっさと終わらせてしまったほうが後々のためなのかもしれない。
そうは思うが、タイムリミットまではまだあと半年以上も時間があると思うと、ぎりぎりまで粘ってみたくなる太一だった。そもそも、社番に課せられる義務を知らされずにいたことをいまだに根に持っているので、すなおには応じがたい。
「たいっちゃんよう。このごろ涼しい、いい季節になってきたな」
土曜日の夜、暇だからと訪ねてきた竜二にアイスバーを与え、縁側で一緒に猫をなでつつ賞味していたところで、ふと時節の感想を求められた。
「そうですね。そろそろ、縁側でアイスっていう季節でもなくなってきたかもしれないです」
「こういう肌寒い季節は人恋しいよな? な? 俺のこと布団に入れたら、あったけえと思うよ」
「い、いいです。ういろうがいるので」
定期的な給餌と安心して暮らせる環境のおかげで、すっかり毛艶がよく、でぶでぶに太った猫のういろうの背中を、太一はもみもみしながら竜二の誘いを切り抜ける。
あぶない、あぶない。
竜二はこういうふとした瞬間に、まぐわいへのお誘いを仕掛けてくるので困る。
あたりには夜のとばりが降りて、真っ暗だ。縁側の明かりをつけていなければ、周囲は人の顔も判別しがたい、藍色の暗闇だろう。
そろそろアイスも食べ終わるし、竜二にもお引き取りいただくころだ。そう思っていたところで、近くでヴーンと低くうなる音が聞こえてきた。
「ん、明海だ」
竜二のスマートフォンの、バイブレーションが鳴動していたらしい。ジーンズのポケットからスマートフォンを取り出し、竜二は耳に当てた。
「もしもし?」
電話の声が漏れ聞こえてくる。明海は、かなり大きな声で話をしているらしかった。というより、なにか怒鳴っているようにも聞こえる。
「え……どったの? 真海が?」
真海くんに、なにかあったのか。竜二はその後もあいづちを打ちつつひととおり話を聞き、とにかくそっちに向かうから落ち着けと諭してから電話を切っていた。
「真海くん、どうしたの?」
「わかんねえ。熱出してるみたいだけど、なんかいつもと違うって」
「明海さんのおうちの人は?」
「おばちゃんは夜勤。おじちゃんは単身赴任してて、すぐには帰ってこれねえみたい」
明海は実家で子育てをしている。今夜に限り、家族がだれもいない。
立ち上がりつつ竜二がひと口で食べきったアイスの棒を、太一はすかさずあずかりティッシュにくるむ。
「うちの自転車使ってください。あと懐中電灯も貸すので」
「悪いな」
竜二の顔がいつになく緊張している。
太一は自転車置き場で自転車のストッパーをはずし、竜二にハンドルを握らせた。
「竜二くん、大丈夫?」
「お、おう……」
電灯に照らされた竜二の顔色が、紙のように真っ白だ。表情もない。
真海くんのことが心配なんだ。電話口で、太一にも聞こえるほど明海が取り乱しているのが伝わってきた。明海があれほど動揺するなど、どれほどの事態なのだろうと悪い予感で頭がいっぱいになっているはずだ。
「僕もついていく」
このまま一人で行かせるのが心配になり、そう申し出ると、竜二はほっとした顔をした。
二人で自転車を漕いで、明海の家に向かった。
「竜二!」
ドアが開いていたので、そのまま入った。竜二の姿を確認すると、明海は泣き出しそうな顔をして、名前を呼ぶ。その間も、真海のそばを片時も離れようとはしない。
「真海、どうした?」
真海は熱があるようで、居間の隣にある畳の部屋に敷いた布団に転がされている。暗がりのなかで見たぶんには、苦しんでいるようには見えない。
「すごく熱が高いの。さっき測ったら四十度くらいあった。こんなに熱が出たこと、赤ちゃんのときにもなかったのに……」
頭にはしっかりと氷嚢を当てて冷やしている。明海はずっと子どもに寄り添って、身じろぎするたびに位置を調整していたのだろう。
「おばさんに連絡したか?」
「したけど、メッセージ見てないかもしれない」
「明海さんのおばさん、何時まで夜勤なんですか?」
「これから朝まで。隣町の病院にいるの。うちの親、看護師してて」
看護師さんだと病室めぐりで忙しく、なかなか携帯電話を確認する時間が取れないかもしれない。早いところメッセージを確認してくれるように祈るばかりだ。
「どうしよう。病院、連れてったほうがいいかな……」
「いや……いまんとこ寝てるみたいだし。大丈夫じゃねえか」
「でも、竜二がいなかったときに熱でうなされて、ずっと泣いてたの」
病気で泣く子どもにずっと一人で付き添って、明海はさぞ心細かっただろう。憔悴しきっている。
病院に連れていこうにも、バスは八時台で終わりだ。いまの時間は運転できる人に頼んで、隣町まで連れていってもらうしかない。
様子見をするか、念のため病院に連れていくか。迷われていたところで、それまで眠っていた真海が目を開いた。
しばらく目を開けてうっすらと天井を見つめていた真海だったが、突然、全身が痙攣しはじめた。
「ま、真海……っ!」
明海が血相を変えて、這いつくばるようにして子どもに寄り添う。
「なに……どうしよう、痙攣してる……!?」
竜二も、なすすべもなく我が子を見つめている。
真海は白目になり、手足をがくがくと震わせていた。
太一はポケットからスマートフォンを取り出した。真海のことが心配とはいえ、異変に直面して実の親である二人よりは心理的ダメージが少ない。自分にしかできない役割があると思った。
「竜二くん、少しよけて。動画撮って、あとでお医者さんに見せる」
太一はカメラを子どもに向けた。
「真海……」
息子の異変に、明海はしゃくり上げている。
子どもがこんなふうになるのを見るのは、心が引き裂かれるほどつらいだろう。つらいのはわかるけれど、明海に引っ張られたらだめだ。太一は冷静な目で、発作が収まるまでカメラをまわし続けた。
「こうなるのははじめて?」
太一の問いかけに、明海はしっかりとうなずく。どんなに些細なことでも情報を拾い、連携しあう。混沌を場が満たしていても、なんとか解決に向かわせるべく、この場にいる全員の心はひとつだった。
「熱性けいれんって出てきた。六歳くらいまでの子が、急に熱が出たときになるらしい。心配だけど、たまにあることみたいだから、泣かなくていいからな」
竜二がスマートフォンで検索した画面を明海に見せる。
「そうなんだ……。あ、てんかんになる場合もあるって書いてある。だったら、早めに受診したほうがいいよね」
不安をぬぐいきれないものの、子どもには起こりえる症状だと知った明海は、先ほどよりはだいぶ落ち着きを取り戻していた。
「さっきの動画、お医者さんに見せましょう。真海くんが落ち着いてるから、いま連れていったほうがいいかもしれないです」
「明海、一応連れてこ。病院にはおばさんもいるし、そっちのほうがおまえも安心だろ?」
「わかった」
太一は実家に連絡を入れて、車を出してもらえるように頼んだ。
十分くらいしてすぐに、軽自動車を運転した母親がやってきた。助手席に太一、後部座席に真海を抱えた明海と、竜二が座る。
「熱性けいれん? びっくりしたでしょう。小さい子はたまにあるのよね」
迎えにきた太一の母親が、明海に向かってにこやかに話しかける。同じ女性で、しかも子育て経験のある人から声をかけられて、明海は涙をにじませつつも、ほっとした顔をしてうなずいていた。
さいわい、隣町は深夜の救急を受けつけているところだった。車で三十分ほどかけて病院に到着するころには、明海の母親もメッセージに気づき、娘と連絡を取り合えるようになっていた。
診察を受けている間、太一と母、竜二は待合室の長椅子にかけて待っていた。
「あの子、えらいねえ。真海くんのこと一人で育ててるんだ」
「そうすね。一応、俺が父親なんですけど」
「ええ……!? きみ、太一と同級生なんよね!?」
「はあ。十五んときの子で」
ここで事実を知った太一の母は目をまわしていた。
夜でも病院には煌々と明かりが灯り、急患が運ばれてくる。
急患といっても命にかかわるような重篤な症状というほどではなく、自力で動けなくなってしまったので救急車を呼んだ人たちのようだった。
夜遅い時間でも、命をつなぐために門戸を開いている場所がある。その明かりは不調を抱え、不安な闇夜を駆け抜けて来た人には、どれほどの希望となることか。
「なんか、時間かかってるな。なんもないといいな……」
長椅子で竜二がうなだれる。額に組んだ両手を押し当てて、祈りを捧げているような姿勢に自然となった。
「なにもないよ。あるはずない」
竜二をはげまして、太一は力強く言い切った。
一時間と少しが経過すると、真海を抱きかかえた明海が、医療用ユニフォーム姿の母親に付き添われて戻ってきた。
「明海」
竜二は立ち上がり、母子の元に急ぐ。
「もう大丈夫だって。もしかしたらまた熱出したときに同じようになるかもしれないけど、あんまり繰り返すようだったら予防する薬を試したり、脳の病気がないか調べましょうってことになった。一回の痙攣が長引くときは、すぐに救急に連れてきてだって」
「そっか」
明海と同様、竜二もほっとした顔をしていた。
帰りはまた太一の母の運転で、村へと帰る。
人が多かったのと、夜のドライブがめずらしかったのか、帰り道の途中で目を覚ました真海はご機嫌で、にこにことみんなに笑いかけては、ぐずることなくまた自然と眠ってしまった。その様子に今度こそ全員、ほっとしたのだった。
夜勤で自宅に戻れない明海の母の代わりに、太一の母が明海の自宅で朝まで付き添うことになった。
「このまま一人で帰るのも心細いでしょ。明海ちゃん家に朝までいて、お母さん帰ってきたら帰るね」
「母さん、本当にいいの?」
「いいの。あんたたちは帰ってすぐ寝なさいよ。お風呂入るなら追い炊きして入っていいからね」
「おばさん、あんがとうございます。明海のこと、よろしく頼みます」
太一の母が、真海を抱いた明海とともに家に入るのを見届けてから、明海の家に置きっぱなしにしていた自転車を駆り、太一と竜二は一ノ瀬家へと帰還した。太一の家から自宅に戻るのにはかなり遅い時間なので、竜二は借りていた自転車を戻しがてらそのまま、太一の家に泊まることになったのだ。
深夜にかけての騒動が落ち着き、静かな自宅へと上がる。太一に、どっと疲れが押し寄せてきた。
とても風呂にゆっくり浸かる気にはなれず、シャワーですませる。
こんな深夜でも、ういろうにとっては稼働時間らしく、廊下の奥から爪音をかしかしとさせながら姿をあらわしては、のしのしと歩いて太一たちについてくる。
「僕の部屋に来るなんてめずらしいな。いつも夜は母さんとこで寝てるから」
じっちゃんとばっちゃんは、同じ一階の奥の部屋で寝ている。二人を起こさないように、声をひそめて話した。
「そうなん? 今日はおばさんいないからかな」
竜二はういろうの首のうしろをなでる。
「いや、竜二くんがいるからだと思う」
なぜかういろうは竜二を気に入っていて、家に来ると決まって、なでてもらいに姿をあらわす。いまも足元でぐるぐると八の字を描くみたいにしてまとわりついて、ふわふわの体を硬い足にこすりつけていた。
太一の部屋に敷きっぱなしの、布団の上に二人でひっくり返った。ういろうも竜二の足元に丸くなる。太一のこともお疲れ、とねぎらうように、たまに尻尾でびたびたとすねに触れてくれるのが可愛かった。
「ああ……びびった。こんなにびびったのは、人生で二番目くらいだ」
「一番目は?」
「真海が生まれたとき。なかなか出てこなくて、前の晩から朝までかかった」
当時の竜二は、いまよりも長い時間を病院で過ごし、いつ生まれるのかとそわそわとしながら待っていたのだろう。
「たいっちゃん、あんがと」
小さな声で、けれども太一にははっきりと聞こえるように、竜二がお礼を言った。
「どうしたの、急にあらたまっちゃって」
めったにないしおらしい態度をからかうように突っ込んだが、太一の手に竜二の手が重なって、どれほど真剣に気持ちを込めているのかが伝わってきた。
「たいっちゃんがいなかったら、俺もうだめだった。真海があんなんなってるの見て、こわくて、なんもできんかったと思う。たいっちゃんが冷静に動画撮ってるの見て、俺も調べられること調べないとって、冷静になれた」
「……だって僕は、言い方はよくないかもしれないけど部外者だから。実の親だったらショックで、とても冷静じゃいられないよ」
「うん。だから、自分にできることをしてくれたんだよな。そのあともおばさん呼んでくれたり、病院まで付き添ってくれたり。本当にありがとな」
竜二の手がきゅっと太一の手を握る。
他人の体温なんて、うっとうしいだけかと思っていたのに。竜二の手に触れられるのは、心地いいと感じていた。
竜二と話すのに、いつの間にか敬語ではなくなっていた。
「うん……。なにごともなくて本当によかったよ。ちょっとでも役に立てたんならよかった」
「ちょっとどころか、大活躍だべ。明海からもお礼のメッセージ、入ってただろ?」
「うん」
医師に見せるのに真海の動画を送るため、急遽、連絡用SNSのIDを交換したのだった。このお礼は後日あらためて、という前置きとともに、今日はありがとうと連絡が入っていた。
「これを機に明海さん、竜二くんと一緒に暮らしたいと思うようになるんじゃない?」
「なんでよ」
「やっぱり、竜二くんが家にいたほうがなにかと心強いって実感したんじゃないかな」
「それはどうだかな」
天井をながめながら、竜二は否定寄りの返事をした。
「さすがに今日はあせってたけど、最後のほうは落ち着いてたから。こんなことくらいじゃ、気持ちは変えねえと思うよ」
「そうかな」
「そんなもんよ。たいっちゃんはあいつの頑固さを知らないからそう思うのかもしれねえなあ。あいつはさ、友だちをレディースから抜けさせるのに、総長の家のまえで丸二日、正座で土下座してたくらいの女なんよ」
「いまどきレディースってあるんだ」
レディースとは、要するに女暴走族集団のことだとは、太一もなんとなく知っている。
「だから、これからも俺の立ち位置はこうなんだと思う。明海と真海が助けを必要としてるときだけ出ていって、大丈夫になったら戻ってくる」
「……竜二くんはそれでいいの?」
「うん。愛ってべつに、ひとつの形しかないわけじゃないからね」
竜二は横を向くと、太一に抱きつき、腰に手をまわしてきた。
唇が近づいてきて、太一の唇に触れる。一度軽く触れて、二度、三度とやわらかく触れた。
「ちょっと……」
キスの合間に抗議をするも、その声は聞き入れられることなく、竜二が中断することはなかった。
唇の合わさる角度が、深くなってきた。唇のなかにぬるついたものが入ってくる。あ、舌入れられてるなと気づいて、太一は竜二の両肩に腕を突っ張り、制止をした。
「どうしたの、突然」
「なんか、したくなった」
暗がりで竜二は悪びれずに笑っている。
「これ以上してたら興奮しちゃいそうだから、ちょうどよかったな。おやすみ」
そう言うと、ごろりと反対側を向いて寝る体勢に入ってしまった。
な、なんなんだ。
興奮しそうなどと、最後に不穏なひと言を漏らしたのも非常に気になる。気になりつつも、ほじくり返すとさらに気まずい雰囲気が醸成されてしまいそうだったので、太一も寝る体勢に入ることにした。
突然のキスに、心臓があわあわと飛び跳ねていたのに。目を閉じるとあっさりと睡魔に引っ張られて、眠りに吸い込まれていった。
あ、俺のはじめてのキスだったんだなあ。太一がようやくそのことに気がついたのは、次の日の朝になってのことだった。
