藤谷くんの高嶺の花

『早瀬が変わりたいって思うなら、俺が変えてやる』

 高校2年の夏。
 俺の前にあいつが現れてから……。
 俺の世界は一変した。


「早瀬、週末合コンな」
「……うん」
「後で詳細送るから」
 言われた日に言われた場所に行く。
 ただ黙って座っていればいい。
 余計な事はしない。笑顔もいらない。
 ただの飾りとして、いればいい。
 昔からそうだった。

ーーー変わりたい。
 
 変われるものなら、変わりたかった。




⭐︎


 ほんの少しの可能性に賭けてみたかった。
 体育の授業。
 サッカーは苦手だ。
 自分が活躍できることはないだろうとコート内を適当にふらついていたのだが…。
 このまま授業終了のチャイムを待っていた俺のもとへあろうことがパスが飛んできた。
ーーー嘘だろ。
 マジかよ。
 ゴールまで数メートル。
 ガラ空きだ。

 試合は終盤に差し掛かっていたけれど、未だ両チーム得点につながるゴールはない。

 行けるかもしれない。

 何でこの時そう思ったのか。
 直感を信じることにした。

 俺は夢中でボールを蹴った。
 ひたすらゴールを目指す。
 
 はぁ…っ。はあ…。
 少し走るだけで息が上がる。
 普段走ることがないから、少し走っただけで脇腹が痛む。ボールの蹴り方もよくわからない。足先も痛い。
 ゴールまであと少しのところで相手チームが立ちはだかる。
 
 何とか回避しようとしたその時。
 ほんの一瞬、バランスが崩れた。
ーーーやばい。転ぶ。
 地面との距離がぐんと迫る。

「早瀬!」
 呼ばれたと同時に、見覚えのある顔が視界に入った。

ーーードン!

 土埃が舞う。

 グラウンドに倒れ込んだはずなのに…。
「痛……くない…」
 人の感触。
 倒れ込む際、誰かを巻き添いにした感覚があった。
 
ーーーピーッ。

「大丈夫かー。早瀬、藤谷!」
 体育教師が俺達の元へ駆けつけてくる。 
「2人とも怪我ないか?」
 俺の下敷きになった藤谷は「ハイ」と短く返事を返す。
「早瀬は大丈夫そうか?あー。藤谷、お前は保健室行ってこい」
 え?
 バッと振り返ると赤い液体が見えた。
 藤谷の左肘から血が流れている。
「ケガ、したのか…」
 俺のせいで?
「大丈夫。それより早瀬は?なんともない?」
 ふんわりと笑顔を向けられた。 
「立てそう?」
 目の前に差し出された手。
 俺はその手を取らなかった。
「いい。自分で立てる」
「…ごめん。余計なことして」
 藤谷がバツが悪そうな顔を見せた。
…違うだろ。
 今優先されるのは藤谷の手当だ。
「保健室!」
「え?ちょ、早瀬?」
「行くぞ」
 藤谷の腕を引く。
 今度はしっかりと藤谷の手を取った。
 


「っっ…」
 目をぎゅっとつむる。
 ううっ。いてぇ…。
 脳がバグを起こしている。これは俺の傷ではないのに
脳が『痛み』として処理をする。「……無理」
 目を細めてみたけれどやはり痛い。
 ひっ!うわっ!う〜っ。
 てか、何でこいつ平気なんだよ。てか、なんか笑ってね?
「…何笑ってんだよ」
「ごめんごめん」
「…痛くないのかよ」
「痛くないわけじゃないんだけど…。早瀬の痛そうな顔見てたらなんか紛れた…」
「は?」
「コロコロ表情変わって、可愛いなって」
「お前、頭打った?」
「打ってない。正気」
 理解が追いつかない。思考が怖すぎる。
「はいはい、お取り込みのところ悪いけど。終わったから2人とも教室に帰りなさい」
 養護教諭の田端先生がニコニコとこちらを見ている。
 気づいたら藤谷の腕は包帯でぐるぐるに巻かれていた。
「ははっ。大袈裟〜」
「…傷、痛む?」
「少し、ね。痛んだらさっきの早瀬の顔思い出すわ。俺、藤谷(ふじたに)よろしくな」
「え?」
「同じクラスなのに俺の事、認知してなそうだったから。で、自己紹介。藤谷でいいよ」
「あ、っと。俺は……」
早瀬 新(はやせ あらた)
 フルネームで呼ばれてドキリとした。
「知ってる。早瀬、ちょ〜う、目立つし。この前高嶺の花って言われてたぞ、一年の女子に」
「高嶺の花……」
「…早瀬ってさ、体育まともに受けてなかったよな。…なんか心境の変化でもあった?」
「……別に」
 もう少しで、何か変われるかなって思ったのに。
「惜しかったな。ゴール」
「……」
 仮にあのままシュートできたとして、キーパーに止めらるのがオチだったと思う。
「むしろ…。シュートできなくて良かった」
 ゴールできたら、何かが変わる気がした。
 自分が、少し好きになれる気がした。  
 でも、結果はこう。
 何も変わらない。
 頑張っても、結局は変えられなかった。
 変わりたいのに…。
「早瀬。……変わりたいって言った?」
「え?」
 俺、今声漏れてた⁉︎
「…変わりたいって思うってことはさ、もう早瀬の中で何かが変わり始めたってことなんじゃない?」
「わからないよ」
「早瀬が変わりたいって思うなら、俺が変えてやる」 
 何を言っているんだろう。
 おかしな奴。
 けれど、からかっているわけではなさそうだった。
「えっと…」
 タイミング良く、チャイムが鳴る。
「続きはまた、後で」
 藤谷はそう言って笑った。

 
 
⭐︎


 
 藤谷のあれは、なんだったんだろう。
 休み時間、少し離れた校舎の自動販売機まで足を運ぶのには理由があった。
 教室にいたくないから。

ーーー早瀬先輩だ。
ーーーきゃー。今日もかっこいい。

 教室から逃げても、俺の周りは騒がしい。
 昔から容姿で判断されることが多かった。愛想良くすれば誤解されるし、素を出せば批判される。
 何が正解か分からなくなって、流されることを選んだ。
 何も考えずに流される。面倒な事は無くなった。 
 なくなったけれど、同時に生活から色が消えた。
 
「よ、早瀬」
「藤谷…」
「はい、これ」
「え、あ。え?…これ」
 自動販売機前、待ち構えていたように藤谷がいた。
 投げられた缶ジュースを受け取る。「ココアだ…」
「早瀬いつもそれじゃん?」
「…そうだけど」
 それをどうして藤谷が知っているんだろう。
「あ、お金」
「いいよ。飲んで」
「よくない」
 どのみち買う予定だったし、なんだか借りを作るようで気が引けた。
 いささか不満そうだったが、藤谷は黙って受け取った。
「あの…さ」
「ん?」
「どーゆーつもり?」
「何が?」
「体育の時の、あの言葉」
「ああ。あれね」
「…もしかしてお前、俺の事好きなの?」
 なんて事、聞いてるんだろう。
 線を引いたつもりだった。
 何言ってるんだ?バカじゃない?そう言われると思っていたのに…。
「うん。好きだ」
 まっすぐな告白だった。
「え?」
「俺と付き合って」
 今、何て?
「早瀬、モテるのに誰とも付き合わないじゃん。今そーゆー相手いないなら、俺と付き合おうよ」
「いや…。なんで?」
「肩書きあった方が何かと都合がいいじゃん」
 肩書き…?
「早瀬を守りたい。だから恋人の肩書きが欲しい」
「…友達じゃ、ダメなのか?」
「ダメ。全然足りない。恋人一択。早瀬、変わりたいんだろ」
「でも俺、藤谷の事、なんとも思ってない」
「知ってる」
 藤谷は俺を変えてくれると言った。
 その言葉を、信じてみたいと思った。
 俺は変わりたかったから。
 利用、してもいいのだろうか。
「好きじゃなくても…。好きになれなくても。それでもいいなら…」
「決まり?」
「うん」
「じゃあ、よろしく」
 伸ばされた手をとる。
「え…?」
 これって……恋人繋ぎだよな。
 絡まる指先が熱い。
「嫌なら嫌って言って。ブレーキ、効かなくなるから」
 藤谷が繋いだ手を口元まで近づけると手の甲にそっとキスをした。


⭐︎

 
 藤谷が『恋人』こだわった理由がすぐに分かった。
「早瀬〜、日曜日のことだけどーー」
 佐伯が意気揚々とやってきた。
「女の子達に早瀬来るって言ってあるからさ。まあ、いつもみたいに1時間くらい?いてもらったらテキトーに理由つけて帰っていいからさ。よろしくな」
 俺って、こいつらの何なんだろう。
 魚の餌のように利用される。
 女の子と遊ぶための餌。
  Win-Lose(ウインルーズ)の関係。
 長いこと利用されてきたから慣れてしまっていた。 
『分かった』そう言おうとしたその時、肩に体重がかかる。
「悪いな、佐伯。週末早瀬は俺と用があるから諦めてくれ」
 俺の肩に腕を回す。
「藤谷…」
「な、早瀬」
 約束はした覚えはないけど、合わせることにして「うん」頷いた。
「はあ⁉︎聞いてないんだけど。なにそれ」
 断るなんで初めてで、佐伯が焦っているのが分かる。
「早瀬いないと女の子集まんねーんだけど。もう他の奴らにも声かけてるし、急に言われても困んだけど」
 いつもこっちの予定などお構いなしにセッティングするくせに。どうしてこんな態度が取れるんだろう。
「俺も、早瀬連れてかれんの困るんだけど」
 藤谷も引かない。
 ああ、そうか。
 『恋人一択』その意味を俺は理解した。
「あのさぁ、佐伯。早瀬、俺んだから。勝手な事したら許さないよ」
「はあ?お前、何言って…」
 藤谷が俺の手を取る。
「こいつ、今俺のだから」
「あ…。え…?」
 佐伯が悟った表情をしている。「分かったらもう早瀬に近づくな」
 佐伯の耳元で一言つぶやいた。

 ああ。だから『恋人』なんだ。

 藤谷が『恋人』にこだわった理由。
 俺のために?




「ありがとう…藤谷」
「ん〜?」
 駅までの帰り道、肩を並べて歩く。
「その…。実はさ。ずっと嫌だったから。…合コン」
「なら良かった」
「嫌だったけど、いつも断れなくて」
「ごめんな」
「え?」
「佐伯と、関係性悪くして」
「…いいんだ。それは」
 最初は佐伯とはこんな関係じゃなかった。
 入学当初は普通に友達だったのに。
 いつからか関係が崩れてしまった。
 もう二度と、友達には戻れないんだろうな。
 でも、これでよかった。
「ずっと嫌だったのに、言えなかった俺が悪いんだから」
 藤谷はポンポンと俺の頭に手をやると、
「早瀬は何も悪くない。俺が悪者になればいい。早瀬は黙って俺に甘えてくれたらいいから」
「フッ。なにそれ…。過保護かよ」
「…そうやって笑うんだな」
「え?」
「笑った顔、初めてみた。あまりその顔、他の奴に見せないで」
 そっか。
 俺、笑えてたんだ。
 無意識に笑っていた。
 そっか…。
「藤谷、ごめんな」
「何が?」
「だって俺、してもらってばかりで、何も返せないから」
「それは違うよ早瀬。俺はさ、早瀬の時間をもらってる。だから気にすることはない。無理やりでも恋人にしてくれてむしろ感謝しかないし」
「藤谷…」
「あ、電車きた」
 藤谷とは途中まで一緒。
 俺達は隣り合わせで座る。

『あの人かっこいい〜』
『どこの高校かなぁ』
『K高じゃない⁉︎あの制服』

 女子高生の声が聞こえる。
 昔から目立つ容姿で苦労した。俺は人と深く関わるのが苦手だ。
 面倒だから黙っている事にした。
 なるべく自分を出さないように押し込めた。
 そうしているうちに、『高嶺の花』と言われるようになった。
「聞かなくていい」
「え?」
 藤谷がそう言って、俺を抱き寄せた。
 片方の耳は藤谷の肩へ。もう片方の手で耳ごと覆ってくれる。
 そのやりとりに、女子達が騒いでいる様子が見えた。
 声はよく聞こえない。
 藤谷が守ってくれているから。
「藤谷、これ。恥ずかしいんだけど」
「寝たふり、してたらいい」
「…うん」
 ゆっくり目を閉じた。
 世界は俺と藤谷だけで、周りの声は何も聞こえない。