僕だけに笑ってよ

 
 ナギは近所では人気のある、優しいお兄ちゃんだった。

 みんなの海月くん。いつも優しい凪さん。
 ナギの周りには老若男女問わず人が集まった。

 でも俺は、ナギにとっての一番になりたかった。他の子なんて見てほしくなかった。

 家が隣だからという理由で、しょっちゅう部屋に押しかける俺を、ナギはいつも迎え入れてくれた。ナギは勉強も運動も、なんでも教えてくれた。かっこよくて、頼りになって、たまに音が捩じれたみたいな声でほんの少し訛る。そのおっとりしたギャップも大好きだった。二人で過ごせる時間が幸せだった。

 俺が恐る恐る「他の友達もよく来るの?」と聞いたら「ひなたくん以外は来ない」と言ったから、俺は得意になった。
 だから「ひなたくん、じゃなくて、ヒナって呼んで」とお願いした。ナギは照れくさそうに「ヒナ」と呼んでくれた。

 その反面、ナギが周囲の目を気にして、俺と必要以上に距離を詰めないようにしていることにも気づいていた。理由は単純。俺が、未成年だからだ。でもその距離感が、余計に俺をその気にさせた。


 俺は車に揺られながら、この距離を埋める方法を考えていた。押してもダメなら引くべきか。いや、引いてる間に、他の人に取られたら元も子もない。俺は、押し続ける一択に決め込み、運転しているナギを見上げてニマーっと笑った。保護者付きとはいえ、久々の外出。押せるだけ押しまくってやる。

 ナギは「何笑ってるのさ」と言って一瞬こっちを見た。あぁ、なんて優しい表情。ずっとずっと、俺だけに向けてくれたらいいのに。俺は「べつにー」と言って、窓の外を眺めた。車は林を抜けて、公道を走っていく。雨はまだ止みそうもなかった。



「ナギ、見て! スイカがこんなにデカイ!」
「本当だ。ヒナの顔が隠れるね」
「撮って撮って」
 俺は言いながらスマホを渡し、スイカで顔を隠して写真を撮ってもらった。

 ナギは「せっかくだから買って帰ろう」と俺からスイカを受け取ると、ゆっくりとカートに乗せた。町のスーパーはとんでもなく広かった。都会じゃあり得ない広さに、俺のテンションは爆上がりした。まるでテーマパークだ。すると、突然ナギが俺の手を引いた。

「ヒナ、はしゃぎすぎ。他の人にぶつかったりしたら迷惑だよ」
 ナギは俺を引き寄せるように隣に誘導して言った。俺は勢い余ってナギに抱きつきそうになったけど、すぐに離れた。

「引っ張っちゃってごめん、大丈夫?」
「……うん。へーき。ごめん、楽しくて浮かれすぎちゃった。行こ」

 俺は赤くなりかけた顔を隠しつつ返事をして、なるべくゆっくり店内を移動した。そしてカレーの材料や父さんたちのツマミ、アルコールをカートに放り込んでいった。


 買い出しも終わり、車の中でさっき撮ったスイカの写真をSNSにアップすると、すぐにリアクションがあった。ナギに「見て見て」と画面を見せると、ナギは「やっぱり人気だね」と関心を持ってくれたみたいだった。俺はコメントを読み上げる。

『スイカ顔になったのかわいい』
「スイカ顔って」ナギは少し呆れたように言った。

『楽しそうー! このスーパーどこ?』
「まさか、場所書いたりしないよね?」ナギは訝し気に言った。俺は頷いた。

『……ヒナくん、関東住まいじゃなかった? これ地方のスーパーだよね、まさか引っ越さないよね?』

 俺がそう読み上げると、ナギは驚いた顔を俺に向けた。赤信号だったから良かったけど、青だったら事故ってたかもしれない。
「待って待って、ナギ前見てよ」

 コメントには俺も少しびっくりしたけど、ナギは目を見開き、切迫した表情で俺を見つめて言った。
「なにそれ、引っ越したの? って、どういうこと? しかもその人、なんでヒナって名前呼びなんだ?」

 俺はナギの態度に驚いて、少したじろいでしまった。信号が青に変わり、車は慎重に走り出した。
「あ、ほら。普段の写真が東京のが多いから……。さっきのスーパーってここにしか無い店っぽかったし、それで引っ越したのかと思ったのかな?」

 コメントを書いたのは、初期から投稿を見てくれてるTUBASAって人だった。ナギは溜息を付いて、一度俺を心配そうな顔で見つめた。すぐに前を向いたけど。

「……前から思ってたけど、その人少し変じゃない?」
「まえから?」
 俺は聞いた。

「何でもない」
 ナギはそう言って、咳ばらいをして続けた。

「最近はすぐ場所の特定とかされちゃうんでしょ? ヒナが好きでやってるならいいけど、少し気を付けてほしいな」
「……、うん。気を付ける」

「それに……」
 ナギはそう言いかけて口を噤んだ。俺は首を傾げる。ナギは小声で言った。

「ヒナタのこと、ヒナって呼んでいいの、おれだけだから……」

「え、……!」
 ナギは驚く俺をちらりと見ると、どこか恥ずかしそうに頭を掻きむしってハンドルを握り直した。ナギの心の内を聞けた嬉しさと驚きの中、俺の心臓はいつのまにかバクバクと脈打っていた。



 別荘に戻り、車から荷物を室内に運び入れた。大人たちは一足早く風呂も済ませて、俺たちの作る夕食を待ちわびていた。
「準備するから、もうちょっと待って。とびっきり美味しいカレーを作るからね!」
 両親と海月さんたちにそう言って、ナギを探した。見当たらない。

 玄関を見に行くと、靴が無かった。まだ外にいるのか。
 そっとドアを開けると、雨が降りしきる中、傘を開いたナギが車の横に立っていた。

「ナギ……、入らないの? カレー作ろうよ」
 俺が声をかけると、ナギは驚いて振り返り、少し照れくさそうに頬を掻いて微笑んだ。

「今戻ろうと思ったとこ」
「何してたの?」
「空気が澄んでて気持ちいいから」
「ふーん」
「水の中にいるみたいで」
 ナギは少し、嬉しそうに言った。

「最近は泳いでないの?」
「一昨日やっと行けた。就活とか試験で忙しくて。あまり入れなかった」
 俺はナギの広い肩を見上げた。するとナギが言った。

「ヒナ、そんなとこいたら濡れるよ」
「じゃあそっち入る」

 俺はそう言って、傘の中に入った。自然と身体が触れあう。こっそり見上げたつもりが、ナギと目が合った。

〝ヒナって呼んでいいの、おれだけだから〟

 と言ったナギの声を思いだす。急に抱きつきたい衝動に駆られた俺は、いてもたってもいられず傘の外に飛び出した。
 押せるだけ押すつもりだったのに、引いてしまってるじゃないか。

「どうしたの? 濡れるよ」
「写真……」
 俺は返す言葉に迷って、咄嗟にそう言った。
「え?」と言いながらナギが傘を傾けてくる。俺は首を左右に振った。
「写真撮ってよ」

「ここで? 濡れるよ?」
「いいからさ、ほら。外灯と雨が光ってキラキラしてるだろ」
 俺がそう言ってポーズを撮ると、ナギは一度、片手でスマホを構えたが、すぐに降ろした。俺が不思議そうな顔を向けていると、真剣な顔でこちらに向かって来る。

 すると、ナギは俺に傘を差し出した。
「顔、少し隠そうよ」
「あ、傘で隠すの、いいね」
「雰囲気出ると思うし。それに、SNSの人にヒナの全部を見せたくないし」

 ナギは真剣な顔でそう言った。俺は頷いて受け取った。確かに投稿では顔の一部を隠している。それに普段は雨の日に写真なんて取らないから、新鮮でいいかな、と思った。

 俺は傘を傾けたり前に構えたりして、雨の中で何枚か写真を撮ってもらった。靴も服も濡れたけど、俺は楽しかった。誰にも邪魔されない状況で、ナギが俺だけを見てくれてるんだから。

 ナギは「いいのが撮れたよ」と言ってスマホを渡してくれた。玄関ポーチに移動して、二人でスマホを覗き込む。
 雰囲気があって、思っていた以上に神秘的だった。ナギは「それ、アップするの?」と聞いてきたから、俺は「うん」と頷いた。ナギは少し寂しそうな顔で「そっか」と笑った。
 
 室内に戻って、少し濡れた服を着替えると、俺とナギはさっそくカレーづくりに取り掛かった。念入りに玉ねぎを炒める俺の姿を見て、ナギが笑った。

 ほとんどの工程をナギが担当してくれたおかげで、カレーは無事に完成した。親たちは嬉しそうに、テーブルに並んだ皿を眺めた。普段は恥ずかしくて言えない親への感謝を「美味しくなれよ」ってカレーに混ぜ込むことが出来て、俺は嬉しかった。
 雨でBBQは出来なかったけど、結局ナギと二人でキッチンに立てたし、デザートにスイカも食べれたし、大満足だ。

 だけどもっと、二人きりで過ごしたいな……。