魔力の少ない魔法使い二年生編

「おい隼人! 昨日どうなったんだ!」
 教室に入った途端、紘弥が飛びついてきた。
「いてえって!」
 肩を掴まれ、そのまま前後に揺さぶられる。
「昨日の夜、連絡するって言っただろうが!」
「悪い。寮に戻ったら寝落ちしてた」
 ここ数日まともに眠れていなかった反動なのか、ベッドに横になったところまでは覚えているが、その後は朝まで完全に意識が飛んでいた。
「で、どうだったのよ」
 玲奈も席を立ち、こちらへやってくる。
 その後ろにはルイもいた。
「住所は教えてもらえなかった」
「……そう」
 玲奈の表情が曇る。
「まあ、そこは予想通りではありますね」
 ルイが小さく息を吐いた。
「けど、話はそこで終わらなかった」
「え?」
 俺は昨日のやり取りを順に話した。
 橘が退学すると言い出したこと。
 それにつられて、俺まで同じことを口にしたこと。
 そこへ烏廻さんが現れ、クロイツ家への家庭訪問を持ち出したこと。
 そして――学園長が、条件付きで俺たちの同行を認めたこと。
「……は?」
 紘弥が固まった。
「退学? お前ら、退学するって言ったのか?」
「言った」
「バカかお前!」
 いきなり頭を叩かれた。
「痛っ! 何すんだよ!」
「バカ言ってんじゃねえよ! お前らまでいなくなってどうすんだ!」
 紘弥の声が教室中に響き渡る。
 周囲の生徒たちが一斉にこちらを振り向いた。
「……悪い」
「謝れば済む話か!」
「九条、ちょっと落ち着きなさいよ」
 玲奈が紘弥の腕を掴む。
「けどな!」
「気持ちは分かるけど、結果的にそのおかげで話が動いたんでしょ」
「……ちっ」
 紘弥は舌打ちし、乱暴に椅子へ腰を下ろした。
「橘も橘だ。普段あんな大人しいくせに、いきなり退学ってどういう思考してんだよ」
「……ごめん」
 いつの間にか隣まで来ていた橘が、素直に頭を下げる。
「別に謝れとは言ってねえよ」
 紘弥は気まずそうに顔を背けた。
「ただ……そういうのは、先に相談しろって話だ」
「うん」
 橘が小さく頷く。
「で?」
 玲奈が話を戻した。
「家庭訪問って、いつなの?」
「まだ決まってない。日程は追って伝えるって言われた」
「そう」
「けど、そんなに先にはならないと思う。烏廻さんも学園長も、このまま放っておく感じじゃなかった」
「……なるほど」
 ルイが顎に手を当てる。
「クロイツさんの退学届も、まだ正式には受理されていないのでしょう?」
「ああ。昨日、烏廻さんがそう言ってた」
「でしたら、学園側としても一度は家庭の事情を確認しておきたいのでしょうね」
「たぶんな」
 母さんが何を考えているのかまでは分からない。
 ただ、家庭訪問そのものを認めた以上、何もせずに終わらせるつもりではないのだろう。
「で、俺たちは?」
 紘弥が身を乗り出した。
「行けるんだよな?」
「……いや」
 俺は首を横に振る。
「行くのは、俺と橘だけだ」
 紘弥の表情が固まった。
「……は?」
「学園長が出した条件だ。同行するのは俺と橘だけ。それと、向こうでは烏廻さんの指示に絶対従うこと」
「んなもん――」
「紘弥」
 俺は先に言葉を重ねる。
「これは一応、家庭訪問なんだ。教師が保護者に会いに行くところに、生徒がぞろぞろついていけると思うか?」
「けどよ!」
「それに、大人数で押しかけたら向こうだって警戒するだろ」
「……」
「俺だって、全員で行けるならその方がいい」
 紘弥は拳を握りしめたまま、しばらく黙り込んでいた。
 やがて、乱暴に頭を掻く。
「……分かったよ」
「紘弥」
「分かったって言ってんだろ」
 紘弥はそっぽを向く。
「けど、一つだけ約束しろ」
「なんだ?」
「何かあったら、すぐ連絡しろ」
 紘弥はこちらを睨むように見た。
 怒っているようにも見えるが、その目にあるのが心配なのは分かっている。
「……ああ」
 俺は頷いた。
「約束する」
「私からも一つ」
 玲奈が続ける。
「サラに会えたら、伝えてほしいことがあるの」
「なんだ?」
「みんな待ってるって」
 玲奈は真っ直ぐに俺を見た。
「それだけでいいわ」
「……分かった」
「私は、特に伝言はありません」
 ルイが穏やかに言う。
「ただ、無事に戻ってきてください。それが一番です」
「ああ」
「……ずいぶん賑やかですわね」
 背後から声がした。
 振り返ると、涼子と京子、それに雨宮が立っていた。
「何かありましたの?」
「ああ、実は――」
 俺は簡単に事情を説明した。
 クロイツ家への家庭訪問が決まったこと。
 同行するのは俺と橘の二人だけだということ。
「なるほど」
 涼子は腕を組んだまま、しばらく黙っていた。
「……お気をつけなさいな」
「え?」
「聞こえませんでしたの? 気をつけろと申し上げましたのよ」
 涼子はつんと顔を背ける。
「同じクラスの生徒が二人も帰ってこないなんて、こちらの迷惑ですもの」
「……ああ」
 俺は苦笑する。
「気をつける」
「桐宮」
 雨宮が口を開いた。
「一応言っとくけどな。何かあったら、俺にも声かけろよ」
「雨宮?」
「うちのお嬢様方は行かせられねえけど、俺一人ならどうとでもなる」
 雨宮は肩をすくめる。
「まあ、そんな事態にならねえのが一番だけどな」
「……ありがとう」
「別に。同じクラスだからな」
 そう言って、雨宮は自分の席へ戻っていく。
 京子がその背中を見ながら、小さく笑った。
「俊って、あなたのこと結構気に入ってるのよ」
「そうなのか?」
「本人は言わないけどね」
 京子は肩をすくめ、涼子の後を追っていった。
 ――去年の今頃だったら、こんな光景は想像もできなかった。
 あの三人とは別のクラスで、敵としてぶつかることもあった。
 それが今は同じ教室にいて、サラのことを心配してくれている。
 この一年で、俺たちの関係は確かに変わった。
 だからこそ。
 サラとの関係だけを、こんな形で終わらせたくはなかった。
 その日の昼休み。
 俺は烏廻さんに呼び出された。
 職員室ではなく、指定されたのは中庭のベンチだった。
「日程が決まった」
 俺が近づくなり、烏廻さんはそう切り出した。
「明後日だ」
「明後日……」
 思っていたより早い。
「向こうには、もう連絡を入れてある」
「連絡?」
「当たり前だろ。家庭訪問なんだから、アポくらい取る」
 烏廻さんは呆れたように言う。
「いきなり押しかけたら、それこそ門前払いだ」
「……相手は、なんて?」
「特に何も」
 烏廻さんは短く答えた。
「日時を伝えたら、承知したと。それだけだ」
「……あっさりしてますね」
「ああ」
 烏廻さんが頷く。
「あっさりしすぎている」
 その一言に、俺は顔を上げた。
「……どういう意味ですか?」
「言葉の通りだ」
 烏廻さんは煙草を取り出しかけ、俺を見てから思い直したようにポケットへ戻した。
「普通、退学を申し出た直後に担任が家庭訪問したいと言えば、多少は理由を聞くだろ。電話じゃ駄目なのかとか、日を改められないかとかな」
「……」
「それが一切なかった。日時を伝えたら、そのまま了承された」
「歓迎されてる……ってことですか?」
「さあな」
 烏廻さんはベンチから立ち上がる。
「ただ、覚えておけ。こっちが行くことを向こうが拒まなかった。それ以上でも、それ以下でもない」
「……はい」
 俺の頭に、昨日まで調べてきたことが浮かぶ。
 呪われた一族。
 死の一族。
 怪しい儀式。
 分からないことばかりなのに、こちらが訪ねることだけは簡単に受け入れられた。
 それが妙に引っかかった。
「明後日の朝八時、正門前に集合だ。橘にも伝えておけ」
「はい」
「それと」
 烏廻さんは歩きかけてから振り返る。
「動きやすい格好で来い。制服はやめておけ」
「……山なんですか?」
「そうだ」
 烏廻さんは頷いた。
「かなり奥だぞ」
 それだけ言うと、烏廻さんは校舎へ戻っていった。
 俺はしばらく、その背中を見送る。
 山の奥。
 橘が思い出したサラの言葉と、ようやく繋がった。
 少なくとも、そこだけは本当だったらしい。
 その夜。
 寮の自室で、俺は明後日の準備をしていた。
 といっても、大した荷物はない。
 水と、簡単な食料。
 動きやすい服も用意しておく。
 あくまで家庭訪問だ。
 俺たちは烏廻さんについて行くだけ。
 ――そのはずなのに。
 どうしても、ただ誰かの家へ行くだけとは思えなかった。
 窓の外を見る。
 空には、糸のように細い月が浮かんでいる。
 もう少しで消えてしまいそうなほどに。
 あの山のどこかに、サラがいる。
 この数日間、あいつは何をしていたんだろう。
 何を考えて、あの手紙を書いたんだろう。
 ――探さないでほしい。
 その言葉の意味を、俺はまだ理解できていない。
 けれど、明後日にはサラの家まで行ける。
 本当に会えるかは、まだ分からない。
 それでも、今までよりは確実に近づいている。
 そう思うだけで、胸の奥が落ち着かなかった。
 スマホが震えた。
 橘からのメッセージだった。
『明後日、八時だね』
『ああ。正門前だって』
 俺が返信すると、すぐに既読がつく。
 少しして、次のメッセージが届いた。
『眠れなくて』
 その一言に、俺は少しだけ笑った。
『まだ二日前だぞ』
『分かってるよ』
『でも、眠れないの』
『俺も似たようなもんだ』
 少し間が空く。
『ねえ、桐宮君』
『なんだ?』
『サラちゃん、私たちのこと怒るかな』
 俺は画面を見つめたまま、指を止めた。
 ――探さないでほしい。
 そう書き残した相手を、俺たちは追いかけようとしている。
 怒られる可能性は、当然ある。
『かもな』
 俺はそう返した。
『でも、怒ってくれるならその方がいい』
『どうして?』
『何も言われないより、ずっとマシだ』
 しばらくして、返信が来た。
『そうだね』
『おやすみ、桐宮君』
『おやすみ』
 スマホを置き、俺はベッドに横になった。
 天井を見上げる。
 明後日。
 あと二日。
 目を閉じると、春休みにみんなで花火をした夜が浮かんだ。あの時のサラは、いつも通り笑っていた。少なくとも、俺にはそう見えていた。
 ――だけど。
 あの夜、何か言いかけて、結局笑って誤魔化したことがあった。
 あれは、何だったんだろう。今になって考えても、答えは出ない。
 俺はゆっくりと目を閉じる。
 明後日になれば、少しは分かるだろうか。
 そんなことを考えているうちに、いつの間にか意識は沈んでいった。