魔力の少ない魔法使い二年生編

 翌朝。
 教室に入るなり、絋弥が飛びついてきた。
「おい隼人! 昨日どうなったんだ!」
「いてえって」
 肩を掴まれ、揺すられる。
「昨日の夜、連絡くれるって言っただろうが!」
「悪い。寮に戻ったら寝落ちしてた」
 実際、あの後は何も覚えていない。
 この四日間、まともに眠れていなかった分の反動だろう。
「で、どうだったのよ」
 玲奈も席を立ってこちらへ来る。
 その後ろにはルイもいた。
「住所は、教えてもらえなかった」
「……そう」
 玲奈の表情が曇る。
「まあ、予想通りではありますね」
 ルイが小さく息を吐いた。
「だが、話はそこで終わらなかった」
「え?」
 俺は昨日のやり取りを順に話した。
 橘が退学すると言い出したこと。
 俺もつられて同じことを言ったこと。
 そこへ烏迴さんが現れ、家庭訪問の話を持ち出したこと。
 そして――学園長が、条件付きでそれを認めたこと。
「……は?」
 絋弥が固まった。
「退学? お前ら、退学するって言ったのか?」
「言った」
「バカかお前!」
 いきなり頭を叩かれた。
「痛っ! 何すんだよ!」
「バカ言ってんじゃねえよ! お前らまでいなくなってどうすんだ!」
 絋弥の声が、教室に響いた。
 周りの視線が集まる。
「……悪い」
「謝れば済む話か!」
「九条、落ち着きなさいよ」
 玲奈が絋弥の腕を掴む。
「けどな!」
「気持ちは分かるけど、結果的にそのおかげで話が動いたんでしょ」
「……ちっ」
 絋弥は舌打ちをして、乱暴に椅子へ座り直した。
「橘も橘だ。冷静そうな顔して、一番無茶苦茶じゃねえか」
「……ごめんなさい」
 いつの間にか隣に来ていた橘が、素直に頭を下げる。
「別に謝れとは言ってねえよ」
 絋弥は気まずそうに顔を背けた。
「ただ……そういうのは、先に相談しろって話だ」
「うん」
「で?」
 玲奈が話を戻す。
「家庭訪問って、いつなの」
「まだ決まってない。日程は追って伝えるって言われた」
「そう」
「けど、そう遠くはないと思う。烏迴さんも学園長も、急いでる感じだった」
「……なるほど」
 ルイが顎に手を当てた。
「学園長の立場からすれば、早く決着をつけたいでしょうね。あなたたちを止めておける時間にも限りがある」
「そういうことだろうな」
「で、俺たちは?」
 絋弥が身を乗り出した。
「行けるんだよな?」
「……いや」
 俺は首を横に振った。
「行くのは、俺と橘だけだ」
 絋弥の表情が固まる。
「……は?」
「学園長が出した条件だ。二人だけ、烏迴さんの指示に絶対従うこと」
「んなもん――」
「絋弥」
 俺は言葉を続けた。
「これは家庭訪問なんだ。教師が保護者に会いに行く場に、生徒がぞろぞろついていけると思うか」
「けどよ!」
「それに、大人数で押しかけたら向こうも警戒する」
「……」
「俺だって、全員で行けるならその方がいい」
 絋弥は拳を握りしめたまま、しばらく黙り込んでいた。
 やがて、乱暴に頭を掻く。
「……分かったよ」
「絋弥」
「分かったって言ってんだろ」
 絋弥はそっぽを向いた。
「けど、一つだけ約束しろ」
「なんだ?」
「何かあったら、すぐ連絡しろ」
 絋弥はこちらを睨むように見た。
「……ああ」
 俺は頷いた。
「約束する」
「私からも一つ」
 玲奈が続けた。
「サラに会えたら、伝えてほしいことがあるの」
「なんだ?」
「みんな待ってるって」
 玲奈は真っ直ぐに俺を見た。
「それだけでいいわ」
「……分かった」
「私は、特にありません」
 ルイが穏やかに言う。
「ただ、無事に戻ってきてください。それが一番です」
「ああ」
「……ずいぶん賑やかですわね」
 背後から声がした。
 振り返ると、涼子たち三人が立っていた。
「何かありましたの?」
「ああ、実は――」
 俺は簡単に事情を説明した。
 家庭訪問が決まったこと。行くのは俺と橘の二人だということ。
「なるほど」
 涼子は腕を組んだまま、しばらく黙っていた。
「……お気をつけなさいな」
「え?」
「聞こえませんでしたの? 気をつけろと申し上げましたのよ」
 涼子はつんと顔を背ける。
「同じクラスの生徒が二人も帰ってこないなんて、こちらの迷惑ですもの」
「……ああ」
 俺は苦笑した。
「気をつける」
「桐宮」
 雨宮が口を開いた。
「一応言っとくけどな。何かあったら、俺にも声かけろよ」
「雨宮?」
「うちのお嬢様方は行かせられねえけど、俺一人ならどうとでもなる」
 雨宮は肩をすくめた。
「まあ、そんな事態にならねえのが一番だけどな」
「……ありがとう」
「別に。同じクラスだからな」
 そう言って、雨宮は自分の席へ戻っていく。
 京子が、その背中を見ながら小さく笑った。
「俊ってあなたのこと結構気に入ってるのよ」
「そうなのか?」
「言わないけどね」
 京子は肩をすくめて、涼子の後を追っていった。
 ――去年の今頃、こんな光景は想像もできなかった。
 魔闘祭で刃を交えた相手が、こうして心配してくれている。
 人の関係というのは、案外簡単に変わるものらしい。
 だからこそ。
 サラとの関係が、こんな形で終わっていいはずがない。
 その日の昼休み。
 烏迴さんに呼び出された。
 職員室ではなく、指定されたのは中庭のベンチだった。
「日程が決まった」
 開口一番、烏迴さんはそう言った。
「明後日だ」
「明後日……」
 思ったより早い。
「向こうには、もう連絡を入れてある」
「連絡?」
「当たり前だろう。家庭訪問なんだから、アポは取る」
 烏迴さんは呆れたように言った。
「いきなり押しかけたら、それこそ門前払いだ」
「……相手は、何て?」
「特に何も」
 烏迴さんは短く答えた。
「日時を伝えたら、承知したと。それだけだ」
「……あっさりしてますね」
「ああ」
 烏迴さんは頷いた。
「あっさりしすぎている」
 その一言に、俺は顔を上げた。
「……どういう意味ですか」
「言葉の通りだ」
 烏迴さんは煙草を取り出しかけて、思い直したように仕舞った。
「普通、退学の話でこじれてる家に教師が行くと言えば、多少は渋る。日を改めろとか、電話で済ませろとかな」
「……」
「それが一切なかった。断る素振りすら見せなかった」
「歓迎されてる、ってことですか」
「さあな」
 烏迴さんは立ち上がった。
「ただ、覚えておけ。相手が拒まないってことは、見られて困るものがないか――」
 そこで一度、言葉を切る。
「見せても構わないと思っているか、どっちかだ」
「……」
「明後日の朝八時、正門前に集合だ。橘にも伝えておけ」
「はい」
「それと」
 烏迴さんは歩きかけて、振り返った。
「動きやすい格好で来い。制服はやめておけ」
「……山ですか」
「そうだ」
 烏迴さんは頷いた。
「かなり奥だぞ」
 その夜。
 寮の自室で、俺は荷物をまとめていた。
 といっても、大した荷物はない。
 水と、簡単な食料。
 あくまで家庭訪問なのだから。
 ――そのはずだ。
窓の外を見る。
 空には、糸のように細い月が浮かんでいた。
 もう少しで、消えてしまいそうなほどに。
 あの山のどこかに、サラがいる。
 この四日間、あいつは何をしていたんだろう。
 何を考えて、あの手紙を書いたんだろう。
 ――探さないでほしい。
 その言葉の意味を、俺はまだ理解できていない。
 だが、明後日には分かる。
 本人の口から聞ける。
 そう思うと、胸の奥が落ち着かなかった。
 スマホが震えた。
 橘からのメッセージだった。
『明後日、八時だね』
『うん、烏迴さんから聞いた』
 俺が返信すると、しばらくして次が届いた。
『眠れなくて』
 その一言に、俺は少しだけ笑った。
『俺もだ』
『よかった』
 既読がついて、また少し間が空く。
『ねえ、桐宮君』
『なんだ?』
『サラちゃん、私たちのこと怒るかな』
 俺は画面を見つめたまま、指を止めた。
 探さないでほしいと書いた相手が、探しに来た。
 怒られる可能性は、確かにある。
『かもな』
 俺はそう返した。
『でも、怒ってくれるならその方がいい』
『どうして?』
『何も言われないより、ずっとマシだ』
 しばらく間があってから、返信が来た。
『そうだね』
『おやすみ、桐宮君』
『おやすみ』
 スマホを置いて、俺はベッドに横になった。
 天井を見上げる。
 明後日。
 あと二日。
 目を閉じると、あの夜の光景が浮かんだ。
 公園で、線香花火を持って走り回っていたサラ。
 玲奈に怒られて、それでも笑っていたあいつ。
 ――あの時、何か言いかけていた気がする。
 あれは、何だったんだろう。
 考えているうちに、意識が沈んでいった。