大広間を出るまでに、何度も紘弥の足を止めてしまった。
床石を踏み越えるたびに脇腹の傷が引きつり、自分の足で歩こうと力を入れるほど、肩を貸している紘弥まで引っ張ってしまう。
「もう少しこっちに預けろよ」
「……悪い」
素直に寄りかかると、紘弥は俺の腕を肩へ掛け直した。
先を行く帝は、エルフリーデさんを抱えている。そのすぐ後ろを、橘と玲奈に支えられたサラが歩いていた。足元の瓦礫を越えるたびに膝が揺れていたが、それでも立ち止まろうとはしない。
俺も遅れないように足を出したところで、意識の奥から声がした。
『いい経験になっただろ』
ずいぶん機嫌のいい声だった。
(……こっちは死ぬかと思ったんだぞ)
『ハデスに、お前を殺す気はなかった』
足が止まりかけた。
紘弥に腕を引かれ、どうにか次の床石を跨ぐ。前を歩くサラの後ろ姿を見ながら、今の言葉を頭の中で繰り返した。
(殺す気が、なかった?)
『最初からな。お前だけじゃねえ。あそこにいた連中を殺すつもりもなかった』
(何で分かるんだよ)
『実際にやり合ったからだ。あいつの力と、あの場で出てた被害が釣り合ってねえ』
交代する前、アースは橘たちの戦いへ目を向けていた。何かに気づいたのかと尋ねても、答えなかった。あの時には、もう分かっていたのか。
(……知ってて俺に代わったのか)
『ああ。オレが戦うのを内側から見てるだけより、自分でやった方が身につくだろ』
(時間切れだったんじゃないのかよ)
『ああでも言わねえと、お前は代われって言い続けるだろ』
少しくらい延ばせないかと頼んでも、無理だと言い切ったくせに。あの時のやり取りを思い出し、声が漏れた。
「……ふざけんなよ」
「俺、何かしたか?」
隣で紘弥が眉を寄せる。
「違う。アースだ」
「そっちかよ。急に言うなって」
「悪い」
紘弥にまで謝る羽目になった。
『いい経験になったってのは本当だぞ。途中からは、剣の刃ばかり見なくなったじゃねえか』
柄で打ち、拳や足も使った。相手の肩や腰を見て動くことも、あの場で必死に覚えた。確かに、内側から見ているだけでは分からなかったことだ。
(……それと、騙されたことは別だからな)
『文句なら後で聞いてやる。今は歩け』
(絶対に聞かせるからな)
返事の代わりに、小さく笑う気配がした。
通路を抜けると、夜の空気が頬へ触れた。
庭園の白砂は掘り返され、あちこちに水溜まりができている。俺たちの足音に気づき、少し離れた場所にいた三人が顔を上げた。
「おい、どうなった!」
雨宮の声だった。
京子と涼子に両側から支えられている。こちらへ来ようとした雨宮を二人が止めたところで、その視線が俺たちの間にいるサラを捉えた。
「……クロイツ?」
サラも三人に気づき、足を速めようとする。けれど、身体が前へ傾いただけだった。橘と玲奈に支え直されると、今度は二人と歩調を合わせ、雨宮たちの前まで進んだ。
「みんな……」
何かを言おうとして、それ以上は声にならない。
雨宮たちの制服にも、戦った跡が残っていた。特に雨宮は、京子と涼子が手を離せば立っていられそうにない。
「迎えに行く手間が省けたな」
雨宮が口元を緩める。
「俊、その足でまだ行くつもりだったの?」
「もう行かなくていいだろ。戻ってきたんだから」
京子に答えてから、雨宮はサラへ目を戻した。
「な?」
「……うん」
サラが頷く。伏せかけた顔を上げ、三人を順に見た。
「助けに来てくれて、ありがとう」
「礼は帰ってからでいいですわ」
涼子はそう言うと、帝に抱えられたエルフリーデさんへ目を向けた。
「そちらの方は……」
「あたしのお母さん。さっき一度だけ、目を覚ましたの」
サラも母親を見る。
「あたしの名前、呼んでくれた」
それだけ告げると、サラは少しだけ表情を緩めた。
「行くぞ。八雲たちも回収する」
烏廻さんの声に、雨宮たちが列へ加わる。京子と涼子に支えられた雨宮の横を通った時、目が合った。
「お前も、ひでえな」
「お互い様だろ」
雨宮は笑いかけたものの、すぐに痛そうな顔へ戻った。俺も同じようになりそうだったので、黙って前を向く。
参道へ出ると、石灯籠のそばにいた一ノ瀬が最初にこちらへ気づいた。その隣では、八雲が台座へ背を預けている。
「終わったのか?」
「ああ。帰るぞ」
烏廻さんの答えを聞き、一ノ瀬が八雲へ肩を貸す。けれど、その目はすぐに俺たちの間を探し始めた。
サラを見つけると、一ノ瀬の足が止まった。
「……ただいま」
先に声をかけたのはサラだった。
一ノ瀬はしばらく何も言わず、八雲を支えていない方の手を伸ばした。サラも橘の腕から片手を離し、その手を取る。
「心配したんだから」
「……うん」
「帰ったら、ちゃんと話してよ」
「うん。全部話す」
一ノ瀬は頷き、八雲が動き出すまでサラの手を離さなかった。
五十嵐が八雲の反対側へ回る。
「こっち、持つよ」
「悪い」
二人に支えられて歩き出した八雲が、俺へ顔を向けた。
「連れてきたな」
「ああ」
「ならいい」
短いやり取りを終えると、八雲は足元へ目を戻した。
全員が動き出すのを、烏廻さんが確かめている。大広間で一緒に戦った者も、外で配下を食い止めていた者も、これで同じ場所に集まった。
ただ、自分の足だけで歩けている者の方が少ない。雨宮の靴が石畳を擦り、八雲も両側へ体重を預けている。帝に抱えられたエルフリーデさんは、まだ目を覚まさない。
アースは、ハデスに殺す気はなかったと言った。
それでも、俺たちが傷ついたことまで消えるわけじゃない。配下と戦った烏廻さんたちも同じだ。ハデス本人の口から聞かなければ、納得できなかった。
紘弥と歩調を合わせ、サラの隣へ近づく。
「ハデス。聞こえてるんだろ」
サラが振り返った。
俺の顔を見たサラが返事をするより先に、その唇から別の声が返る。
「何じゃ」
身体の動きは変わっていない。橘と玲奈につかまり、歩いているのはサラのままだ。
近くにいた一ノ瀬が目を見開く。
「今の……」
「ハデス。まだ、あたしの中にいるの」
サラ自身の声に戻る。一ノ瀬は眉を寄せたが、歩みを止めることはしなかった。
「アースから聞いた」
俺はサラの口元へ向かって続ける。
「お前、最初から俺たちを殺す気がなかったって」
「ほう。あやつには気づかれておったか」
「否定しないんだな」
「隠し立てするほどのことでもあるまい」
ハデスは、何でもないことのように答えた。
「何だよ、それ……」
紘弥の声が低くなる。
「こっちは、本当に死ぬかと思って戦ってたんだぞ」
「お主らがどう思うておったかなど、余の知ったことではない」
紘弥の肩に力が入り、預けていた俺の腕が持ち上がった。言い返そうとしたのだろう。けれど俺を支えていることを思い出したのか、舌打ちだけで言葉を飲み込んだ。
「……あっちも、そういうことか」
烏廻さんが足を緩めた。
「タナトスですか?」
「ああ。戦っている時から引っかかってた。あれで全部出したとは思えなかったんでな」
烏廻さんは低く下がった左腕を一度動かし、痛みに顔をしかめた。
「殺すなとは命じておった。じゃが、お主がタナトスを退けるとは思わなんだ」
「他の配下にも、同じ命令を?」
「うむ。魔獣にもな」
俺は思わず聞き返した。
「魔獣にも?」
「人間を殺すな、と命じた。そう難しい話ではあるまい」
「そんなこと、一言も……」
「お主らに聞かせる必要があったか?」
その返答に、言葉が詰まる。
俺たちが聞いていなかっただけ。ハデスにとっては、それで済む話らしい。
少し後ろで、黒崎が〈フライクーゲル〉を持ち直した。五十嵐は八雲を支えたまま、サラの口元を見ている。命令があったと知っても、誰の表情も緩まなかった。
「だったら、何のためにこんなことをしたんだ」
ハデスの声はすぐには返らなかった。
「俺たちを殺すつもりもないのに、何でサラの身体を使って、配下や魔獣まで呼び出した」
サラの足が僅かに鈍る。橘と玲奈が歩幅を合わせたため、列全体もゆっくりになった。
やがて、サラの口元へハデスの笑みが浮かぶ。
「お主に答える義理はない」
「ハデス」
呼びかけても、ハデスは答えなかった。サラの口元から笑みだけが消えていく。
サラが自分の唇へ触れようとする。だが、橘の腕から手を離せず、僅かに指を動かしたところで諦めた。
「今のは……」
「分かってる。お前が言ったんじゃない」
俺が答えると、サラは小さく頷いた。
目的は聞けなかった。それでも、ハデスが殺害を禁じていたことは本人の口から確認できた。
だからといって、この戦いが安全だったことにはならない。
一歩進んだ途端、脇腹に痛みが走る。息を詰めた俺を、紘弥がすぐに引き寄せた。前では雨宮が足を止め、京子と涼子に支え直されている。石畳の外には倒れた木が横たわり、その向こうでは崩れた塀が道の一部を塞いでいた。
命令一つで、怪我も崩落もなかったことにはならない。誰かが死んでいても、おかしくない戦いだった。
「歩ける奴も、無理はするな。遅れる時は必ず言え」
烏廻さんの声が、長く伸びた列の先まで届く。
止まっていた者たちが、もう一度足を動かし始めた。
「瑞希、少しゆっくりでもいい?」
「うん。合わせるよ」
玲奈も頷き、サラを支える二人の歩幅が小さくなる。帝も少し先で足を緩め、サラが追いつくのを待った。
サラは母親の顔を確かめると、今度は足元を見て一歩ずつ進んでいく。
「歩けそうか?」
紘弥が尋ねる。
「ああ。行こう」
今度は意地を張らず、その肩へ体重を預けた。
前から八雲の低い文句と、それを叱る一ノ瀬の声が聞こえてくる。雨宮たちも少し遅れて続き、最後尾の黒崎は、何度も背後を振り返りながら歩いていた。
誰かの足が止まれば、先を行く者も立ち止まる。一人では進めない者を、別の誰かが支えている。
俺たちは何度も歩調を合わせ直しながら、暗い参道を下っていった。
床石を踏み越えるたびに脇腹の傷が引きつり、自分の足で歩こうと力を入れるほど、肩を貸している紘弥まで引っ張ってしまう。
「もう少しこっちに預けろよ」
「……悪い」
素直に寄りかかると、紘弥は俺の腕を肩へ掛け直した。
先を行く帝は、エルフリーデさんを抱えている。そのすぐ後ろを、橘と玲奈に支えられたサラが歩いていた。足元の瓦礫を越えるたびに膝が揺れていたが、それでも立ち止まろうとはしない。
俺も遅れないように足を出したところで、意識の奥から声がした。
『いい経験になっただろ』
ずいぶん機嫌のいい声だった。
(……こっちは死ぬかと思ったんだぞ)
『ハデスに、お前を殺す気はなかった』
足が止まりかけた。
紘弥に腕を引かれ、どうにか次の床石を跨ぐ。前を歩くサラの後ろ姿を見ながら、今の言葉を頭の中で繰り返した。
(殺す気が、なかった?)
『最初からな。お前だけじゃねえ。あそこにいた連中を殺すつもりもなかった』
(何で分かるんだよ)
『実際にやり合ったからだ。あいつの力と、あの場で出てた被害が釣り合ってねえ』
交代する前、アースは橘たちの戦いへ目を向けていた。何かに気づいたのかと尋ねても、答えなかった。あの時には、もう分かっていたのか。
(……知ってて俺に代わったのか)
『ああ。オレが戦うのを内側から見てるだけより、自分でやった方が身につくだろ』
(時間切れだったんじゃないのかよ)
『ああでも言わねえと、お前は代われって言い続けるだろ』
少しくらい延ばせないかと頼んでも、無理だと言い切ったくせに。あの時のやり取りを思い出し、声が漏れた。
「……ふざけんなよ」
「俺、何かしたか?」
隣で紘弥が眉を寄せる。
「違う。アースだ」
「そっちかよ。急に言うなって」
「悪い」
紘弥にまで謝る羽目になった。
『いい経験になったってのは本当だぞ。途中からは、剣の刃ばかり見なくなったじゃねえか』
柄で打ち、拳や足も使った。相手の肩や腰を見て動くことも、あの場で必死に覚えた。確かに、内側から見ているだけでは分からなかったことだ。
(……それと、騙されたことは別だからな)
『文句なら後で聞いてやる。今は歩け』
(絶対に聞かせるからな)
返事の代わりに、小さく笑う気配がした。
通路を抜けると、夜の空気が頬へ触れた。
庭園の白砂は掘り返され、あちこちに水溜まりができている。俺たちの足音に気づき、少し離れた場所にいた三人が顔を上げた。
「おい、どうなった!」
雨宮の声だった。
京子と涼子に両側から支えられている。こちらへ来ようとした雨宮を二人が止めたところで、その視線が俺たちの間にいるサラを捉えた。
「……クロイツ?」
サラも三人に気づき、足を速めようとする。けれど、身体が前へ傾いただけだった。橘と玲奈に支え直されると、今度は二人と歩調を合わせ、雨宮たちの前まで進んだ。
「みんな……」
何かを言おうとして、それ以上は声にならない。
雨宮たちの制服にも、戦った跡が残っていた。特に雨宮は、京子と涼子が手を離せば立っていられそうにない。
「迎えに行く手間が省けたな」
雨宮が口元を緩める。
「俊、その足でまだ行くつもりだったの?」
「もう行かなくていいだろ。戻ってきたんだから」
京子に答えてから、雨宮はサラへ目を戻した。
「な?」
「……うん」
サラが頷く。伏せかけた顔を上げ、三人を順に見た。
「助けに来てくれて、ありがとう」
「礼は帰ってからでいいですわ」
涼子はそう言うと、帝に抱えられたエルフリーデさんへ目を向けた。
「そちらの方は……」
「あたしのお母さん。さっき一度だけ、目を覚ましたの」
サラも母親を見る。
「あたしの名前、呼んでくれた」
それだけ告げると、サラは少しだけ表情を緩めた。
「行くぞ。八雲たちも回収する」
烏廻さんの声に、雨宮たちが列へ加わる。京子と涼子に支えられた雨宮の横を通った時、目が合った。
「お前も、ひでえな」
「お互い様だろ」
雨宮は笑いかけたものの、すぐに痛そうな顔へ戻った。俺も同じようになりそうだったので、黙って前を向く。
参道へ出ると、石灯籠のそばにいた一ノ瀬が最初にこちらへ気づいた。その隣では、八雲が台座へ背を預けている。
「終わったのか?」
「ああ。帰るぞ」
烏廻さんの答えを聞き、一ノ瀬が八雲へ肩を貸す。けれど、その目はすぐに俺たちの間を探し始めた。
サラを見つけると、一ノ瀬の足が止まった。
「……ただいま」
先に声をかけたのはサラだった。
一ノ瀬はしばらく何も言わず、八雲を支えていない方の手を伸ばした。サラも橘の腕から片手を離し、その手を取る。
「心配したんだから」
「……うん」
「帰ったら、ちゃんと話してよ」
「うん。全部話す」
一ノ瀬は頷き、八雲が動き出すまでサラの手を離さなかった。
五十嵐が八雲の反対側へ回る。
「こっち、持つよ」
「悪い」
二人に支えられて歩き出した八雲が、俺へ顔を向けた。
「連れてきたな」
「ああ」
「ならいい」
短いやり取りを終えると、八雲は足元へ目を戻した。
全員が動き出すのを、烏廻さんが確かめている。大広間で一緒に戦った者も、外で配下を食い止めていた者も、これで同じ場所に集まった。
ただ、自分の足だけで歩けている者の方が少ない。雨宮の靴が石畳を擦り、八雲も両側へ体重を預けている。帝に抱えられたエルフリーデさんは、まだ目を覚まさない。
アースは、ハデスに殺す気はなかったと言った。
それでも、俺たちが傷ついたことまで消えるわけじゃない。配下と戦った烏廻さんたちも同じだ。ハデス本人の口から聞かなければ、納得できなかった。
紘弥と歩調を合わせ、サラの隣へ近づく。
「ハデス。聞こえてるんだろ」
サラが振り返った。
俺の顔を見たサラが返事をするより先に、その唇から別の声が返る。
「何じゃ」
身体の動きは変わっていない。橘と玲奈につかまり、歩いているのはサラのままだ。
近くにいた一ノ瀬が目を見開く。
「今の……」
「ハデス。まだ、あたしの中にいるの」
サラ自身の声に戻る。一ノ瀬は眉を寄せたが、歩みを止めることはしなかった。
「アースから聞いた」
俺はサラの口元へ向かって続ける。
「お前、最初から俺たちを殺す気がなかったって」
「ほう。あやつには気づかれておったか」
「否定しないんだな」
「隠し立てするほどのことでもあるまい」
ハデスは、何でもないことのように答えた。
「何だよ、それ……」
紘弥の声が低くなる。
「こっちは、本当に死ぬかと思って戦ってたんだぞ」
「お主らがどう思うておったかなど、余の知ったことではない」
紘弥の肩に力が入り、預けていた俺の腕が持ち上がった。言い返そうとしたのだろう。けれど俺を支えていることを思い出したのか、舌打ちだけで言葉を飲み込んだ。
「……あっちも、そういうことか」
烏廻さんが足を緩めた。
「タナトスですか?」
「ああ。戦っている時から引っかかってた。あれで全部出したとは思えなかったんでな」
烏廻さんは低く下がった左腕を一度動かし、痛みに顔をしかめた。
「殺すなとは命じておった。じゃが、お主がタナトスを退けるとは思わなんだ」
「他の配下にも、同じ命令を?」
「うむ。魔獣にもな」
俺は思わず聞き返した。
「魔獣にも?」
「人間を殺すな、と命じた。そう難しい話ではあるまい」
「そんなこと、一言も……」
「お主らに聞かせる必要があったか?」
その返答に、言葉が詰まる。
俺たちが聞いていなかっただけ。ハデスにとっては、それで済む話らしい。
少し後ろで、黒崎が〈フライクーゲル〉を持ち直した。五十嵐は八雲を支えたまま、サラの口元を見ている。命令があったと知っても、誰の表情も緩まなかった。
「だったら、何のためにこんなことをしたんだ」
ハデスの声はすぐには返らなかった。
「俺たちを殺すつもりもないのに、何でサラの身体を使って、配下や魔獣まで呼び出した」
サラの足が僅かに鈍る。橘と玲奈が歩幅を合わせたため、列全体もゆっくりになった。
やがて、サラの口元へハデスの笑みが浮かぶ。
「お主に答える義理はない」
「ハデス」
呼びかけても、ハデスは答えなかった。サラの口元から笑みだけが消えていく。
サラが自分の唇へ触れようとする。だが、橘の腕から手を離せず、僅かに指を動かしたところで諦めた。
「今のは……」
「分かってる。お前が言ったんじゃない」
俺が答えると、サラは小さく頷いた。
目的は聞けなかった。それでも、ハデスが殺害を禁じていたことは本人の口から確認できた。
だからといって、この戦いが安全だったことにはならない。
一歩進んだ途端、脇腹に痛みが走る。息を詰めた俺を、紘弥がすぐに引き寄せた。前では雨宮が足を止め、京子と涼子に支え直されている。石畳の外には倒れた木が横たわり、その向こうでは崩れた塀が道の一部を塞いでいた。
命令一つで、怪我も崩落もなかったことにはならない。誰かが死んでいても、おかしくない戦いだった。
「歩ける奴も、無理はするな。遅れる時は必ず言え」
烏廻さんの声が、長く伸びた列の先まで届く。
止まっていた者たちが、もう一度足を動かし始めた。
「瑞希、少しゆっくりでもいい?」
「うん。合わせるよ」
玲奈も頷き、サラを支える二人の歩幅が小さくなる。帝も少し先で足を緩め、サラが追いつくのを待った。
サラは母親の顔を確かめると、今度は足元を見て一歩ずつ進んでいく。
「歩けそうか?」
紘弥が尋ねる。
「ああ。行こう」
今度は意地を張らず、その肩へ体重を預けた。
前から八雲の低い文句と、それを叱る一ノ瀬の声が聞こえてくる。雨宮たちも少し遅れて続き、最後尾の黒崎は、何度も背後を振り返りながら歩いていた。
誰かの足が止まれば、先を行く者も立ち止まる。一人では進めない者を、別の誰かが支えている。
俺たちは何度も歩調を合わせ直しながら、暗い参道を下っていった。

