翌朝。
教室に入ると、すでに涼子たち三人が来ていた。
俺に気づいた京子が、小さく首を横に振る。
「駄目だったわ」
「そうか」
「父様に聞いてみたけど、クロイツって家名自体を知らなかったの」
「わたくしも同じですわ」
涼子が腕を組んだまま続けた。
「念のため、家の者にも当たらせましたけれど、誰も知らないと」
「……悪いな、手間をかけさせて」
「別に。大した手間ではありませんわ」
涼子はつんと顔を背けた。
「そもそも、期待するなと申し上げたでしょう」
「そうだけどな」
俺は苦笑した。
これで、西園寺、九条、水無。
三つの家に当たって、出てきたものはほとんどない。
九条も水無も、そもそも知らない。
唯一、玲奈の祖父だけが――知っていて、口をつぐんだ。
その差が、かえって不気味だった。
「桐宮」
雨宮が声を落とした。
「言いたかないけどよ。西園寺のご隠居が黙るような話なら、うちが知らねえのは当然だと思うぜ」
「ああ」
「格が違うって意味じゃなくてな」
雨宮は困ったように頭を掻いた。
「そういう話ってのは、知ってる奴が限られてるほど、外に出ねえもんだろ」
「……確かにな」
知っている人間が少なく、その全員が語らない。
だから、噂の形でしか残っていない。
結局、そこに戻ってくる。
昼休み。
俺は学食に全員を集めた。
「じゃあ、これで全滅ってことか」
絋弥が背もたれに体を預けた。
「うちも水無も知らねえ。学園にも記録がねえ。学園長も知らねえ」
「唯一、私のお祖父様が知ってるみたいだけど」
玲奈が渋い顔をする。
「あの人は絶対に喋らないわ。もう一度聞いたら、今度は電話にも出てくれなくなりそう」
「帝から聞けた儀式って話が、唯一の収穫ね」
玲奈は指を折った。
「でも、それだけじゃ何も分からないわ」
「そうだな」
俺は頷いた。
儀式。
言葉としては強烈だが、それが何なのかが分からなければ意味がない。
「一つ、確認させてください」
ルイが口を開いた。
「私たちは今、何のために調べているのでしょうか」
「……どういう意味だ?」
「クロイツ家の過去を知ることが目的ではないはずです」
ルイは静かに続けた。
「私たちの目的は、サラさんに会うこと。違いますか」
テーブルが静まり返った。
「……そうだ」
俺は答えた。
「あいつに会って、直接話を聞く。それが目的だ」
「でしたら、順番が逆かもしれません」
「逆?」
「過去を調べても、サラさんには近づけません」
ルイは静かに続けた。
「調べるべきは、七百年前ではなく――今、サラさんがどこにいるのか、ではありませんか」
その言葉に、俺は目を見開いた。
――そうだ。
俺たちはこの三日間、ずっと『クロイツ家とは何か』を追いかけていた。
だが、本当に必要なのはそこじゃない。
あいつが今どこにいるのか。
それさえ分かれば、この足で会いに行ける。
「……場所か」
「ええ」
「けど、どうやって調べるんだよ」
絋弥が眉を寄せる。
「俺たち、サラの家がどこにあるかも知らねえぞ」
「学園長は把握してるわ」
玲奈が言った。
「入学の時に届け出てるはずだもの」
「けど、教えてくれると思うか?」
「……無理でしょうね」
玲奈は苦い顔をした。
「あの人が一番警戒してるのは、私たちがそこへ行くことだもの」
その通りだった。
母さんが場所を教えるはずがない。
事務室に頼み込んだところで、生徒の個人情報を他の生徒に渡すわけがない。
「一応、私たちの方でも心当たりは探してみたんだけど」
橘が言った。
「サラちゃん、どこから通ってたんだろうって」
「何か分かったのか?」
「ううん。ただ、去年の夏休みの前に一度だけ言ってたの」
橘は記憶を辿るように視線を落とす。
「山の方だから、来ても何もないよって」
「山?」
「うん。それだけ」
「……俺も同じこと言われた気がするな」
絋弥が頭を掻く。
「遊びに行こうかって言ったら、そんな感じで断られた」
「山、ね」
玲奈がため息をつく。
「この国に山がいくつあると思ってるのよ」
その通りだ。
手がかりとしては、あまりに薄い。
だが、まったくの無駄でもない。
少なくとも、あいつの家は街中にはない。
人里離れた場所にある。それだけは分かった。
「じゃあ、どうすんだよ」
絋弥が唸る。
「調べる先はもうねえし、場所も分からねえ。八方塞がりじゃねえか」
「……いや」
俺は顔を上げた。
「まだ二つ残ってる」
「二つ?」
「一つは学園長だ」
「無理でしょ」
玲奈が即答した。
「教えるわけないって、今言ったばかりじゃない」
「ああ。だから、その前にもう一人当たる」
俺は言った。
「烏迴さんだ」
テーブルが静まり返った。
「……辰巳さんか」
絋弥が呟く。
「担任なら、生徒の住所くらい把握してるはずだ」
「けど、あの人も口を割らないと思うわよ……普段はだらしないけどこういう時は真面目だもの」
「かもな」
俺は認めた。
「けど、学園長よりは近い。少なくとも、俺たちの担任だ」
「……そうね」
玲奈が小さく頷いた。
初日、絋弥に詰め寄られた時のことを思い出す。
――平気なわけがあるか。
あの声には、確かに何かがこもっていた。
放課後。
俺は職員室へ向かった。
橘も一緒だ。
扉を開けると、窓際の席で烏迴さんが書類に目を落としていた。
俺たちに気づくと、面倒くさそうに顔を上げる。
「……なんだ、桐宮に橘か」
「烏迴さん、少しいいですか」
「用件による」
「サラのことです」
その一言で、烏迴さんの手が止まった。
「……まだ諦めてなかったのか」
「諦める理由がないので」
「はぁ……」
烏迴さんは深いため息を吐いて、椅子の背にもたれた。
「言っておくが、俺から言えることは何もないぞ」
「クロイツ家の事情を聞きに来たわけじゃありません」
「じゃあ何だ」
「住所を教えてください」
烏迴さんの眉が、僅かに動いた。
「……住所?」
「はい」
俺は真っ直ぐに烏迴さんを見た。
「烏迴さんは俺たちの担任です。生徒の住所くらい、把握してますよね」
「……当然だな」
「なら、教えてください」
「断る」
即答だった。
「なんでですか」
「なんでもクソもあるか」
烏迴さんは呆れたように言った。
「教えたところで、お前らどうする気だ。どうせ押しかけるつもりだろう」
「……」
「否定しないのが答えだな」
「先生」
橘が一歩前に出た。
「私たちは、サラちゃんに会いたいだけです」
「会ってどうする」
「話がしたいんです」
橘の声には、静かな熱があった。
「あの子が本当に自分の意思で辞めたのなら、それを本人の口から聞きたい。それだけです」
「……」
烏迴さんは、しばらく橘を見つめていた。
その視線には、初日と同じ――何かを堪えるような色があった。
「……気持ちは分かる」
やがて、烏迴さんは言った。
「だがな、生徒の個人情報を勝手に教えるわけにはいかん。それは教師として、絶対にやっちゃいけないことだ」
「……」
「筋の話だ。俺が意地悪してるわけじゃない」
「分かってます」
俺は頷いた。
実際、その通りだった。
これで教えてくれるなら、この人は教師として失格だ。
「じゃあ、質問を変えます」
「なんだ」
「烏迴さんは、あいつの家がどこにあるか知ってるんですか」
「……」
烏迴さんは答えなかった。
ただ、ほんの一瞬。
その視線が、机の引き出しへと落ちた。
俺は見逃さなかった。
「烏迴さん」
「知ってるかどうかも言えん」
烏迴さんは視線を戻すと、再び書類に目を落とした。
「話はそれだけか」
「……はい」
「なら戻れ。俺は忙しい」
「失礼しました」
俺と橘は職員室を出た。
扉が閉まる音を背中で聞きながら、俺は拳を握る。
「……知ってたね」
橘が小さく言った。
「ああ」
あの視線は、そういう意味だ。
だが、あの人は絶対に教えない。
教師としての一線を、あの人は自分から超えることはしない。
「じゃあ、次は」
「母さんだ」
俺は歩き出した。
「同じように断られるかもしれない。けど、聞かなきゃゼロだ」
長い廊下を歩きながら、俺は言葉を選んでいた。
どう言えば、教えてもらえるのか。
――いや。
教えてもらえるとは、思っていない。
あの人は学園長で、烏迴さんよりもさらに立場が重い。
それでも、行かないという選択肢はなかった。
あと何日、あいつを待たせるつもりだ。
重厚な木製の扉が、廊下の突き当たりに見えてくる。
俺は一度だけ深呼吸をして、扉をノックした。
教室に入ると、すでに涼子たち三人が来ていた。
俺に気づいた京子が、小さく首を横に振る。
「駄目だったわ」
「そうか」
「父様に聞いてみたけど、クロイツって家名自体を知らなかったの」
「わたくしも同じですわ」
涼子が腕を組んだまま続けた。
「念のため、家の者にも当たらせましたけれど、誰も知らないと」
「……悪いな、手間をかけさせて」
「別に。大した手間ではありませんわ」
涼子はつんと顔を背けた。
「そもそも、期待するなと申し上げたでしょう」
「そうだけどな」
俺は苦笑した。
これで、西園寺、九条、水無。
三つの家に当たって、出てきたものはほとんどない。
九条も水無も、そもそも知らない。
唯一、玲奈の祖父だけが――知っていて、口をつぐんだ。
その差が、かえって不気味だった。
「桐宮」
雨宮が声を落とした。
「言いたかないけどよ。西園寺のご隠居が黙るような話なら、うちが知らねえのは当然だと思うぜ」
「ああ」
「格が違うって意味じゃなくてな」
雨宮は困ったように頭を掻いた。
「そういう話ってのは、知ってる奴が限られてるほど、外に出ねえもんだろ」
「……確かにな」
知っている人間が少なく、その全員が語らない。
だから、噂の形でしか残っていない。
結局、そこに戻ってくる。
昼休み。
俺は学食に全員を集めた。
「じゃあ、これで全滅ってことか」
絋弥が背もたれに体を預けた。
「うちも水無も知らねえ。学園にも記録がねえ。学園長も知らねえ」
「唯一、私のお祖父様が知ってるみたいだけど」
玲奈が渋い顔をする。
「あの人は絶対に喋らないわ。もう一度聞いたら、今度は電話にも出てくれなくなりそう」
「帝から聞けた儀式って話が、唯一の収穫ね」
玲奈は指を折った。
「でも、それだけじゃ何も分からないわ」
「そうだな」
俺は頷いた。
儀式。
言葉としては強烈だが、それが何なのかが分からなければ意味がない。
「一つ、確認させてください」
ルイが口を開いた。
「私たちは今、何のために調べているのでしょうか」
「……どういう意味だ?」
「クロイツ家の過去を知ることが目的ではないはずです」
ルイは静かに続けた。
「私たちの目的は、サラさんに会うこと。違いますか」
テーブルが静まり返った。
「……そうだ」
俺は答えた。
「あいつに会って、直接話を聞く。それが目的だ」
「でしたら、順番が逆かもしれません」
「逆?」
「過去を調べても、サラさんには近づけません」
ルイは静かに続けた。
「調べるべきは、七百年前ではなく――今、サラさんがどこにいるのか、ではありませんか」
その言葉に、俺は目を見開いた。
――そうだ。
俺たちはこの三日間、ずっと『クロイツ家とは何か』を追いかけていた。
だが、本当に必要なのはそこじゃない。
あいつが今どこにいるのか。
それさえ分かれば、この足で会いに行ける。
「……場所か」
「ええ」
「けど、どうやって調べるんだよ」
絋弥が眉を寄せる。
「俺たち、サラの家がどこにあるかも知らねえぞ」
「学園長は把握してるわ」
玲奈が言った。
「入学の時に届け出てるはずだもの」
「けど、教えてくれると思うか?」
「……無理でしょうね」
玲奈は苦い顔をした。
「あの人が一番警戒してるのは、私たちがそこへ行くことだもの」
その通りだった。
母さんが場所を教えるはずがない。
事務室に頼み込んだところで、生徒の個人情報を他の生徒に渡すわけがない。
「一応、私たちの方でも心当たりは探してみたんだけど」
橘が言った。
「サラちゃん、どこから通ってたんだろうって」
「何か分かったのか?」
「ううん。ただ、去年の夏休みの前に一度だけ言ってたの」
橘は記憶を辿るように視線を落とす。
「山の方だから、来ても何もないよって」
「山?」
「うん。それだけ」
「……俺も同じこと言われた気がするな」
絋弥が頭を掻く。
「遊びに行こうかって言ったら、そんな感じで断られた」
「山、ね」
玲奈がため息をつく。
「この国に山がいくつあると思ってるのよ」
その通りだ。
手がかりとしては、あまりに薄い。
だが、まったくの無駄でもない。
少なくとも、あいつの家は街中にはない。
人里離れた場所にある。それだけは分かった。
「じゃあ、どうすんだよ」
絋弥が唸る。
「調べる先はもうねえし、場所も分からねえ。八方塞がりじゃねえか」
「……いや」
俺は顔を上げた。
「まだ二つ残ってる」
「二つ?」
「一つは学園長だ」
「無理でしょ」
玲奈が即答した。
「教えるわけないって、今言ったばかりじゃない」
「ああ。だから、その前にもう一人当たる」
俺は言った。
「烏迴さんだ」
テーブルが静まり返った。
「……辰巳さんか」
絋弥が呟く。
「担任なら、生徒の住所くらい把握してるはずだ」
「けど、あの人も口を割らないと思うわよ……普段はだらしないけどこういう時は真面目だもの」
「かもな」
俺は認めた。
「けど、学園長よりは近い。少なくとも、俺たちの担任だ」
「……そうね」
玲奈が小さく頷いた。
初日、絋弥に詰め寄られた時のことを思い出す。
――平気なわけがあるか。
あの声には、確かに何かがこもっていた。
放課後。
俺は職員室へ向かった。
橘も一緒だ。
扉を開けると、窓際の席で烏迴さんが書類に目を落としていた。
俺たちに気づくと、面倒くさそうに顔を上げる。
「……なんだ、桐宮に橘か」
「烏迴さん、少しいいですか」
「用件による」
「サラのことです」
その一言で、烏迴さんの手が止まった。
「……まだ諦めてなかったのか」
「諦める理由がないので」
「はぁ……」
烏迴さんは深いため息を吐いて、椅子の背にもたれた。
「言っておくが、俺から言えることは何もないぞ」
「クロイツ家の事情を聞きに来たわけじゃありません」
「じゃあ何だ」
「住所を教えてください」
烏迴さんの眉が、僅かに動いた。
「……住所?」
「はい」
俺は真っ直ぐに烏迴さんを見た。
「烏迴さんは俺たちの担任です。生徒の住所くらい、把握してますよね」
「……当然だな」
「なら、教えてください」
「断る」
即答だった。
「なんでですか」
「なんでもクソもあるか」
烏迴さんは呆れたように言った。
「教えたところで、お前らどうする気だ。どうせ押しかけるつもりだろう」
「……」
「否定しないのが答えだな」
「先生」
橘が一歩前に出た。
「私たちは、サラちゃんに会いたいだけです」
「会ってどうする」
「話がしたいんです」
橘の声には、静かな熱があった。
「あの子が本当に自分の意思で辞めたのなら、それを本人の口から聞きたい。それだけです」
「……」
烏迴さんは、しばらく橘を見つめていた。
その視線には、初日と同じ――何かを堪えるような色があった。
「……気持ちは分かる」
やがて、烏迴さんは言った。
「だがな、生徒の個人情報を勝手に教えるわけにはいかん。それは教師として、絶対にやっちゃいけないことだ」
「……」
「筋の話だ。俺が意地悪してるわけじゃない」
「分かってます」
俺は頷いた。
実際、その通りだった。
これで教えてくれるなら、この人は教師として失格だ。
「じゃあ、質問を変えます」
「なんだ」
「烏迴さんは、あいつの家がどこにあるか知ってるんですか」
「……」
烏迴さんは答えなかった。
ただ、ほんの一瞬。
その視線が、机の引き出しへと落ちた。
俺は見逃さなかった。
「烏迴さん」
「知ってるかどうかも言えん」
烏迴さんは視線を戻すと、再び書類に目を落とした。
「話はそれだけか」
「……はい」
「なら戻れ。俺は忙しい」
「失礼しました」
俺と橘は職員室を出た。
扉が閉まる音を背中で聞きながら、俺は拳を握る。
「……知ってたね」
橘が小さく言った。
「ああ」
あの視線は、そういう意味だ。
だが、あの人は絶対に教えない。
教師としての一線を、あの人は自分から超えることはしない。
「じゃあ、次は」
「母さんだ」
俺は歩き出した。
「同じように断られるかもしれない。けど、聞かなきゃゼロだ」
長い廊下を歩きながら、俺は言葉を選んでいた。
どう言えば、教えてもらえるのか。
――いや。
教えてもらえるとは、思っていない。
あの人は学園長で、烏迴さんよりもさらに立場が重い。
それでも、行かないという選択肢はなかった。
あと何日、あいつを待たせるつもりだ。
重厚な木製の扉が、廊下の突き当たりに見えてくる。
俺は一度だけ深呼吸をして、扉をノックした。

