朝のホームルームが始まる少し前。
「桐宮君」
席に鞄を置いたところで、京子に声をかけられた。
振り向くと、その隣には涼子と雨宮もいる。
京子の表情を見ただけで、結果はなんとなく分かった。
「……駄目だったか」
「ええ」
京子は申し訳なさそうに首を横に振る。
「父様に聞いてみたけど、クロイツって家名自体を知らなかったの」
「わたくしも同じですわ」
涼子が腕を組んだまま続けた。
「念のため、家の者にも当たらせましたけれど、詳しいことを知っている者はいませんでした」
「……悪いな。手間かけさせて」
「別に。大した手間ではありませんわ」
涼子はつんと顔を背ける。
「そもそも、期待なさらないでと申し上げたでしょう」
「そうだけどな」
俺は苦笑した。
これで、西園寺、九条、水無。
三つの家に当たってみたが、まともな情報はほとんど出てこなかった。
九条家と水無家は、クロイツ家についてほぼ何も知らない。
玲奈の祖父も、名前と不吉な呼び名を知っている程度で、それ以上のことは知らなかった。
八大貴族の家にまで当たって、それでも実態が見えてこない。
そのこと自体が、妙に引っかかった。
「桐宮」
雨宮が声を落とした。
「なんつーか……ここまで誰も知らねえってのも変な話だよな」
「ああ」
「名前だけ知ってる奴はいるのに、なんでそう呼ばれてるのかは誰も知らねえんだろ?」
「そうなんだよ」
クロイツ家。
呪われた一族。
死の一族。
呼び名だけは残っている。
なのに、その由来を知る人間が見つからない。
帝から聞いた『儀式』という言葉だけが、今のところ唯一の具体的な手がかりだった。
昼休み。
俺は学食にみんなを集めた。
「じゃあ、これで全滅ってことか」
紘弥が背もたれに体を預けた。
「うちも水無も知らねえ。学園にも記録がねえ。学園長も詳しくは知らねえ」
「私のお祖父様も同じよ」
玲奈が渋い顔をする。
「名前と呼び名くらいしか知らなかったわ」
「帝から聞けた儀式って話が、唯一の収穫ね」
玲奈は指を折った。
「でも、それだけじゃ何も分からないわ」
「そうだな」
俺は頷いた。
儀式。
言葉としては強烈だが、それが何なのか分からなければ意味がない。
「一つ、確認させてください」
ルイが口を開いた。
「私たちは今、何のために調べているのでしょうか」
「……どういう意味だ?」
「クロイツ家の過去を知ること自体が、目的ではないはずです」
ルイは静かに続ける。
「私たちの目的は、クロイツさんに会うこと。違いますか」
テーブルが静まり返った。
「……そうだ」
俺は答える。
「あいつに会って、直接話を聞く。それが目的だ」
「でしたら、順番が逆かもしれません」
「逆?」
「過去を調べても、今のままではクロイツさんには近づけません」
ルイは静かに続ける。
「調べるべきは、クロイツ家の過去ではなく――今、クロイツさんがどこにいるのか、ではありませんか」
その言葉に、俺は目を見開いた。
――そうだ。
俺たちはこの数日間、ずっと『クロイツ家とは何か』を追いかけていた。
だが、本当に必要なのはそこじゃない。
あいつが今、どこにいるのか。
それさえ分かれば、この足で会いに行ける。
「……場所か」
「ええ」
「けど、どうやって調べるんだよ」
紘弥が眉を寄せる。
「俺たち、サラの家がどこにあるかも知らねえぞ」
「学園側は把握してるはずよ」
玲奈が言った。
「入学の時に実家の住所も届け出てるでしょうから」
「けど、教えてくれると思うか?」
「……無理でしょうね」
玲奈は苦い顔をした。
「生徒の住所を、他の生徒に勝手に教えるわけにはいかないもの」
その通りだった。
母さんに頼み込んだところで、簡単に教えてくれるとは思えない。
事務室に行ったところで同じだろう。
「一応、私たちの方でも心当たりは探してみたんだけど」
橘が言った。
「サラちゃん、どこから通ってたんだろうって」
「何か分かったのか?」
「ううん。ただ、去年の夏休みの前に一度だけ言ってたの」
橘は記憶を辿るように視線を落とす。
「山の方だから、来ても何もないよって」
「山?」
「うん。それだけ」
「……俺も同じこと言われた気がするな」
紘弥が頭を掻く。
「遊びに行こうかって言ったら、そんな感じで断られた」
「山の方、ね」
玲奈がため息をつく。
「この国に山がいくつあると思ってるのよ」
その通りだ。
手がかりとしては、あまりにも薄い。
少なくとも、街の中心部にある家ではなさそうだ。
分かるのは、その程度だった。
「じゃあ、どうすんだよ」
紘弥が唸る。
「調べる先はもうねえし、場所も分からねえ。八方塞がりじゃねえか」
「……いや」
俺は顔を上げた。
「まだ二人いる」
「二人?」
「一人は学園長だ」
「無理でしょ」
玲奈が即答した。
「住所なんて教えてくれるわけないじゃない」
「ああ。だから、その前にもう一人当たる」
俺は言った。
「烏廻さんだ」
テーブルが静まり返った。
「……辰巳さんか」
紘弥が呟く。
「担任なら、生徒の住所を確認できるはずだ」
「けど、あの人も教えてくれないと思うわよ」
玲奈が腕を組む。
「普段はあんなだけど、こういうところは妙に真面目だもの」
「かもな」
俺は認めた。
「でも、聞くだけ聞いてみる」
「……そうね」
玲奈が小さく頷いた。
サラが退学すると聞かされた日のことを思い出す。
あの時の烏廻さんは、いつもの気怠そうな様子とは明らかに違っていた。
何かを知っている。
少なくとも、俺にはそう見えた。
放課後。
俺は職員室へ向かった。
橘も一緒だ。
扉を開けると、窓際の席で烏廻さんが書類に目を落としていた。
俺たちに気づくと、面倒くさそうに顔を上げる。
「……なんだ、桐宮に橘か」
「烏廻さん、少しいいですか」
「用件による」
「サラのことです」
その一言で、烏廻さんの手が止まった。
「……まだ諦めてなかったのか」
「諦める理由がないので」
「はぁ……」
烏廻さんは深いため息を吐き、椅子の背にもたれた。
「言っておくが、俺から言えることは何もないぞ」
「クロイツ家の事情を聞きに来たわけじゃありません」
「じゃあ何だ」
「住所を教えてください」
烏廻さんの眉が、僅かに動いた。
「……住所?」
「はい」
俺は真っ直ぐに烏廻さんを見る。
「担任なら、生徒の住所を確認できますよね」
「まあな」
「なら、教えてください」
「断る」
即答だった。
「なんでですか」
「なんでもクソもあるか」
烏廻さんは呆れたように言う。
「生徒の住所を別の生徒に教えられるわけねえだろ。しかも教えたら、お前らそのまま押しかけるつもりだろうが」
「……」
「否定しないのが答えだな」
「先生」
橘が一歩前に出た。
「私たちは、サラちゃんに会いたいだけです」
「会ってどうする」
「話がしたいんです」
橘の声には、静かな熱があった。
「あの子が本当に自分の意思で辞めたいと思っているなら、それを本人の口から聞きたい。それだけです」
「……」
烏廻さんは、しばらく橘を見つめていた。
その視線には、何かを堪えるような色があった。
「……気持ちは分かる」
やがて、烏廻さんが口を開く。
「だがな、生徒の個人情報を勝手に教えるわけにはいかん。それは教師として、絶対にやっちゃいけないことだ」
「……」
「筋の話だ。俺が意地悪してるわけじゃない」
「分かってます」
俺は頷いた。
実際、その通りだった。
これで簡単に教えてくれるなら、その方が問題だ。
「じゃあ、一つだけ聞かせてください」
「なんだ」
「サラが届け出てる住所は、今も分かるんですよね」
「……」
烏廻さんは答えなかった。
ただ、ほんの一瞬。
視線が手元の書類から外れた。
そして、すぐに俺たちへ戻る。
「それも答える必要はないな」
「……そうですか」
「話はそれだけか」
「はい」
「なら戻れ。俺は忙しい」
「失礼しました」
俺と橘は職員室を出た。
扉が閉まる音を背中で聞きながら、俺は歩き出す。
「……やっぱり駄目だったね」
橘が小さく言った。
「ああ」
烏廻さんなら、少なくとも住所を確認する手段はある。
けれど、それを俺たちに教えるつもりはない。
教師として越えてはいけない線を、あの人は自分から越えるつもりはないんだろう。
「じゃあ、次は」
「母さんだ」
俺は廊下の先を見る。
「同じように断られるかもしれない。けど、聞かなきゃゼロだ」
長い廊下を歩きながら、俺は言葉を選んでいた。
どう言えば、教えてもらえるのか。
――いや。
教えてもらえるとは、思っていない。
あの人は学園長だ。
烏廻さんよりも、さらに立場が重い。
それでも、行かないという選択肢はなかった。
このまま何もしないで待っているなんて、俺にはできない。
重厚な木製の扉が、廊下の突き当たりに見えてくる。
俺は一度だけ深呼吸をして、扉をノックした。
「桐宮君」
席に鞄を置いたところで、京子に声をかけられた。
振り向くと、その隣には涼子と雨宮もいる。
京子の表情を見ただけで、結果はなんとなく分かった。
「……駄目だったか」
「ええ」
京子は申し訳なさそうに首を横に振る。
「父様に聞いてみたけど、クロイツって家名自体を知らなかったの」
「わたくしも同じですわ」
涼子が腕を組んだまま続けた。
「念のため、家の者にも当たらせましたけれど、詳しいことを知っている者はいませんでした」
「……悪いな。手間かけさせて」
「別に。大した手間ではありませんわ」
涼子はつんと顔を背ける。
「そもそも、期待なさらないでと申し上げたでしょう」
「そうだけどな」
俺は苦笑した。
これで、西園寺、九条、水無。
三つの家に当たってみたが、まともな情報はほとんど出てこなかった。
九条家と水無家は、クロイツ家についてほぼ何も知らない。
玲奈の祖父も、名前と不吉な呼び名を知っている程度で、それ以上のことは知らなかった。
八大貴族の家にまで当たって、それでも実態が見えてこない。
そのこと自体が、妙に引っかかった。
「桐宮」
雨宮が声を落とした。
「なんつーか……ここまで誰も知らねえってのも変な話だよな」
「ああ」
「名前だけ知ってる奴はいるのに、なんでそう呼ばれてるのかは誰も知らねえんだろ?」
「そうなんだよ」
クロイツ家。
呪われた一族。
死の一族。
呼び名だけは残っている。
なのに、その由来を知る人間が見つからない。
帝から聞いた『儀式』という言葉だけが、今のところ唯一の具体的な手がかりだった。
昼休み。
俺は学食にみんなを集めた。
「じゃあ、これで全滅ってことか」
紘弥が背もたれに体を預けた。
「うちも水無も知らねえ。学園にも記録がねえ。学園長も詳しくは知らねえ」
「私のお祖父様も同じよ」
玲奈が渋い顔をする。
「名前と呼び名くらいしか知らなかったわ」
「帝から聞けた儀式って話が、唯一の収穫ね」
玲奈は指を折った。
「でも、それだけじゃ何も分からないわ」
「そうだな」
俺は頷いた。
儀式。
言葉としては強烈だが、それが何なのか分からなければ意味がない。
「一つ、確認させてください」
ルイが口を開いた。
「私たちは今、何のために調べているのでしょうか」
「……どういう意味だ?」
「クロイツ家の過去を知ること自体が、目的ではないはずです」
ルイは静かに続ける。
「私たちの目的は、クロイツさんに会うこと。違いますか」
テーブルが静まり返った。
「……そうだ」
俺は答える。
「あいつに会って、直接話を聞く。それが目的だ」
「でしたら、順番が逆かもしれません」
「逆?」
「過去を調べても、今のままではクロイツさんには近づけません」
ルイは静かに続ける。
「調べるべきは、クロイツ家の過去ではなく――今、クロイツさんがどこにいるのか、ではありませんか」
その言葉に、俺は目を見開いた。
――そうだ。
俺たちはこの数日間、ずっと『クロイツ家とは何か』を追いかけていた。
だが、本当に必要なのはそこじゃない。
あいつが今、どこにいるのか。
それさえ分かれば、この足で会いに行ける。
「……場所か」
「ええ」
「けど、どうやって調べるんだよ」
紘弥が眉を寄せる。
「俺たち、サラの家がどこにあるかも知らねえぞ」
「学園側は把握してるはずよ」
玲奈が言った。
「入学の時に実家の住所も届け出てるでしょうから」
「けど、教えてくれると思うか?」
「……無理でしょうね」
玲奈は苦い顔をした。
「生徒の住所を、他の生徒に勝手に教えるわけにはいかないもの」
その通りだった。
母さんに頼み込んだところで、簡単に教えてくれるとは思えない。
事務室に行ったところで同じだろう。
「一応、私たちの方でも心当たりは探してみたんだけど」
橘が言った。
「サラちゃん、どこから通ってたんだろうって」
「何か分かったのか?」
「ううん。ただ、去年の夏休みの前に一度だけ言ってたの」
橘は記憶を辿るように視線を落とす。
「山の方だから、来ても何もないよって」
「山?」
「うん。それだけ」
「……俺も同じこと言われた気がするな」
紘弥が頭を掻く。
「遊びに行こうかって言ったら、そんな感じで断られた」
「山の方、ね」
玲奈がため息をつく。
「この国に山がいくつあると思ってるのよ」
その通りだ。
手がかりとしては、あまりにも薄い。
少なくとも、街の中心部にある家ではなさそうだ。
分かるのは、その程度だった。
「じゃあ、どうすんだよ」
紘弥が唸る。
「調べる先はもうねえし、場所も分からねえ。八方塞がりじゃねえか」
「……いや」
俺は顔を上げた。
「まだ二人いる」
「二人?」
「一人は学園長だ」
「無理でしょ」
玲奈が即答した。
「住所なんて教えてくれるわけないじゃない」
「ああ。だから、その前にもう一人当たる」
俺は言った。
「烏廻さんだ」
テーブルが静まり返った。
「……辰巳さんか」
紘弥が呟く。
「担任なら、生徒の住所を確認できるはずだ」
「けど、あの人も教えてくれないと思うわよ」
玲奈が腕を組む。
「普段はあんなだけど、こういうところは妙に真面目だもの」
「かもな」
俺は認めた。
「でも、聞くだけ聞いてみる」
「……そうね」
玲奈が小さく頷いた。
サラが退学すると聞かされた日のことを思い出す。
あの時の烏廻さんは、いつもの気怠そうな様子とは明らかに違っていた。
何かを知っている。
少なくとも、俺にはそう見えた。
放課後。
俺は職員室へ向かった。
橘も一緒だ。
扉を開けると、窓際の席で烏廻さんが書類に目を落としていた。
俺たちに気づくと、面倒くさそうに顔を上げる。
「……なんだ、桐宮に橘か」
「烏廻さん、少しいいですか」
「用件による」
「サラのことです」
その一言で、烏廻さんの手が止まった。
「……まだ諦めてなかったのか」
「諦める理由がないので」
「はぁ……」
烏廻さんは深いため息を吐き、椅子の背にもたれた。
「言っておくが、俺から言えることは何もないぞ」
「クロイツ家の事情を聞きに来たわけじゃありません」
「じゃあ何だ」
「住所を教えてください」
烏廻さんの眉が、僅かに動いた。
「……住所?」
「はい」
俺は真っ直ぐに烏廻さんを見る。
「担任なら、生徒の住所を確認できますよね」
「まあな」
「なら、教えてください」
「断る」
即答だった。
「なんでですか」
「なんでもクソもあるか」
烏廻さんは呆れたように言う。
「生徒の住所を別の生徒に教えられるわけねえだろ。しかも教えたら、お前らそのまま押しかけるつもりだろうが」
「……」
「否定しないのが答えだな」
「先生」
橘が一歩前に出た。
「私たちは、サラちゃんに会いたいだけです」
「会ってどうする」
「話がしたいんです」
橘の声には、静かな熱があった。
「あの子が本当に自分の意思で辞めたいと思っているなら、それを本人の口から聞きたい。それだけです」
「……」
烏廻さんは、しばらく橘を見つめていた。
その視線には、何かを堪えるような色があった。
「……気持ちは分かる」
やがて、烏廻さんが口を開く。
「だがな、生徒の個人情報を勝手に教えるわけにはいかん。それは教師として、絶対にやっちゃいけないことだ」
「……」
「筋の話だ。俺が意地悪してるわけじゃない」
「分かってます」
俺は頷いた。
実際、その通りだった。
これで簡単に教えてくれるなら、その方が問題だ。
「じゃあ、一つだけ聞かせてください」
「なんだ」
「サラが届け出てる住所は、今も分かるんですよね」
「……」
烏廻さんは答えなかった。
ただ、ほんの一瞬。
視線が手元の書類から外れた。
そして、すぐに俺たちへ戻る。
「それも答える必要はないな」
「……そうですか」
「話はそれだけか」
「はい」
「なら戻れ。俺は忙しい」
「失礼しました」
俺と橘は職員室を出た。
扉が閉まる音を背中で聞きながら、俺は歩き出す。
「……やっぱり駄目だったね」
橘が小さく言った。
「ああ」
烏廻さんなら、少なくとも住所を確認する手段はある。
けれど、それを俺たちに教えるつもりはない。
教師として越えてはいけない線を、あの人は自分から越えるつもりはないんだろう。
「じゃあ、次は」
「母さんだ」
俺は廊下の先を見る。
「同じように断られるかもしれない。けど、聞かなきゃゼロだ」
長い廊下を歩きながら、俺は言葉を選んでいた。
どう言えば、教えてもらえるのか。
――いや。
教えてもらえるとは、思っていない。
あの人は学園長だ。
烏廻さんよりも、さらに立場が重い。
それでも、行かないという選択肢はなかった。
このまま何もしないで待っているなんて、俺にはできない。
重厚な木製の扉が、廊下の突き当たりに見えてくる。
俺は一度だけ深呼吸をして、扉をノックした。

