魔力の少ない魔法使い二年生編

 先に動いたのはハデスだった。
 一歩踏み出しただけで、正面から押しつけられる圧力が増す。アースに身体を任せていた時には分からなかった。あいつは、この重さの中で平然と殴り合っていたのか。
 ハデスの姿が視界から消える。
「っ!」
 反射的に〈レーヴァテイン〉を胸元へ引いた。直後、剣の腹へ掌が叩き込まれる。
 腕が跳ね上がり、身体ごと後ろへ押し出された。右足で踏ん張ろうとしたが、ひび割れた床に靴底を取られる。どうにか倒れずに済んだものの、左肩の傷が開き、制服へ新しい血が滲んだ。
「今のを受けるか」
「こっちは、ずっと見てたからな」
 強がって剣を構え直す。攻撃が見えたわけではない。アースが戦っていた時のハデスの踏み込みを覚えていたから、どうにか間に合っただけだ。
 内側から見ていた時は、アースの動きがひどく単純に思えた。攻撃を最小限の動きでかわし、空いた場所へ拳を返す。余計なことをしていないからこそ、自分にも真似できる気がしていた。
 実際に身体を動かしてみれば、その考えが甘かったと分かる。ハデスの圧力を正面から受けながら、相手の肩や足の動きを見て次の攻撃を読む。理解できても、身体が同じ速さでは動いてくれない。
「見るのと、自ら受けるのとでは違うであろう?」
「……嫌になるくらい実感してるよ」
 両腕に痺れが残っている。一度受けただけでこれだ。まともに何発も食らえば、剣を握れなくなる。
 待っていても状況は悪くなるだけだった。
 俺は床を蹴り、ハデスとの距離を詰める。右下から斬り上げた刃を、ハデスは半歩下がってかわした。追って横薙ぎへ繋げると、今度は小さく身を沈める。
 剣がピンク色の髪の上を通り過ぎた。
 がら空きになった脇腹へ、掌が迫る。
 俺は左腕を挟み込み、直撃だけは避けた。骨まで響く衝撃に肘から先の感覚が薄れる。それでも足を止めず、剣の柄をハデスの肩へ打ち込もうとした。
「遅いのう」
 手首を掴まれた。
 細い指からは想像もできない力で腕を外側へ捻られる。剣を離すまいと力を込めた瞬間、足を払われ、背中から床へ落ちた。
「がっ……!」
 肺の空気が押し出される。
 ハデスの足が胸元へ下りてきた。転がってかわすと、すぐ横で床石が砕ける。破片を浴びながら立ち上がろうとした俺の額へ、今度は指先が向けられた。
 黒い魔力が集まっている。
 剣を横に構えた直後、凝縮された衝撃が放たれた。
「くっ……!」
 受け止め切れず、身体が床を滑る。剣先を床へ突き立てて勢いを殺したが、止まった時には十メートル近く離されていた。
 肩で息をしながら顔を上げる。
 ハデスは追ってこない。
 試すような目で、こちらを眺めている。
「アースとやらに比べれば、随分と軽い」
「悪かったな」
「じゃが、つまらぬとは言うておらん」
 ハデスが自分の胸元へ手を当てた。
「お主は先ほどから、余ではなく、この娘の身体ばかりを見ておる」
 返事が遅れた。
 図星だった。
 刃を振るうたび、どうしてもサラの顔が目に入る。首や胸元へ届きそうになれば、無意識に軌道をずらしてしまう。炎も普段より抑えていた。
「だから何だ」
「その剣で余を止めたい。されど、器は傷つけたくない。難儀なことじゃ」
「分かってるなら、さっさとサラから出ていけ」
「それができれば苦労はせぬ」
「どういう意味だよ」
「言葉のままじゃ」
 ハデスはそれ以上説明せず、再び間合いへ入ってきた。
 袈裟に振り下ろした〈レーヴァテイン〉を、身体を開いてかわされる。切り返そうとした刃へ、ハデスが自分から手を伸ばした。
 掴まれる。
 まずいと思った時には、剣ごと腕を引かれていた。
 炎を纏った刃が、サラの首元へ近づいていく。
「何してんだ!」
 咄嗟に炎を弱め、全力で剣を引き戻した。
 その動きを待っていたように、ハデスの掌が胸へ当たる。
 黒い魔力が炸裂した。
「がっ……!」
 身体が浮き、背中から柱へ叩きつけられた。痛みで視界が白く染まり、握っていた剣が床を擦る。
「自ら刃を鈍らせたか」
 ハデスの声が近づいてくる。
「その迷いを抱えたままでは、余には届かぬぞ」
「……分かってる」
「分かっておらぬから、そうして倒れておるのではないか?」
 腹が立つが、言い返せなかった。
 立ち上がろうと腕へ力を込める。左肩から背中へ痛みが走り、膝が震えた。
 背後では、魔獣の唸り声に矢と銃声が重なっている。橘たちも戦い続けている。俺だけが、ここで倒れているわけにはいかない。
(アース)
 心の中で呼びかける。
(どうすればいい)
 返事はなかった。
 意識の奥にいる気配は消えていない。それでも、答えるつもりはないらしい。
(見てるだけかよ)
『オレが答えを教えたら、お前が代わった意味がねえだろ』
 ようやく返ってきた声は、いつも通り素っ気なかった。
(時間切れなんじゃなかったのかよ)
『内側から話すくらいはできる』
(だったら、助言くらいしろ)
『もうした』
(いつだよ)
『自分で考えろって言ってんだ』
 それきり、また黙り込む。
 役に立たない。そう悪態をつきかけて、やめた。
 アースが何を考えているかは分からない。だが、あいつは俺に身体を返した。少なくとも、何もできないと思われているわけではないはずだ。
 俺は柱から背中を離し、〈レーヴァテイン〉を構え直した。
 サラを傷つけられない。それは変わらない。
 だったら、斬ることだけを考えるのをやめればいい。
「まだ立つか」
「お前を止めてないからな」
「その剣で、どうやって?」
「今から考える」
 ハデスが目を細める。
「遅いのではないか?」
「俺もそう思うよ」
 右手の剣を握り直し、今度はこちらから走った。
 同じように上段から振り下ろす。ハデスは先ほどと同じく、身体を半歩だけ横へずらした。
 刃が空を切る。
 すぐに手首を返して追おうとはしなかった。振り下ろした勢いのまま剣先を床へ滑らせ、身体をハデスの内側へ入れる。
「む?」
 刃ではなく、肩をぶつけた。
 ハデスの身体が僅かに揺れる。
 足を踏み込み、剣を持った右腕を畳む。柄頭を腹部へ叩き込もうとしたが、手のひらで受け止められた。
「考えた結果が、これか?」
「まだ途中だ」
 柄を押さえられたまま、右足をハデスの軸足へ掛ける。足を払うと見せて、途中で膝を曲げた。
 ハデスの意識が一瞬だけ下へ向く。
 その隙に、剣を握っていない左手で空いた脇腹へ拳を打ち込んだ。
 浅い。
 けれど、今度は確かな手応えがあった。
 ハデスが一歩下がる。
「……ほう」
 驚いている場合じゃない。
 刃を使わずに一歩動かせた。それだけで、さっきまで閉じていた道が僅かに開いた気がした。剣で斬れないなら、剣を持ったまま別の攻撃へ繋げればいい。相手が刃へ注意を向けるからこそ、拳や足が通る余地も生まれる。
 すぐに追う。
 刃を返し、剣の腹を肩へ叩きつける。だが、二撃目は腕で受け止められた。
 ハデスがそのまま腕を押し返す。体勢を崩した俺の胸元へ、反対の掌が迫った。
 まともには受けられない。
 俺は剣を手放し、身体を左へ逃がした。掌が制服を掠める。空いた右手でハデスの手首を掴み、前へ引いた。
 相手の勢いを利用して背後へ回ろうとしたが、ハデスは床を強く踏み、途中で動きを止めた。
「同じようにはいかぬぞ」
「分かってる!」
 掴んだ手を離し、床へ落ちた〈レーヴァテイン〉を左手で拾う。振り向きざまに横へ薙ぐと、ハデスは大きく後ろへ跳んだ。
 刃は届かない。
 それでよかった。
 ようやく距離を取り直し、乱れた呼吸を整える。
 ハデスは着地すると、自分の脇腹へ触れた。傷はない。ただ、俺の拳が当たった場所を確かめている。
「刃を持ちながら、斬らぬ道を選ぶか」
「サラを傷つけないためなら、何だってやる」
「余を倒せぬとしても?」
「最初から簡単に倒せるなんて思ってねえよ」
 勝てるかどうかだけを考えれば、絶望的な差がある。
 けれど、さっきの一撃は届いた。
 アースのように圧倒することはできない。炎をぶつけることも、剣で深く斬ることもできない。それでも、俺にできる戦い方が何もないわけじゃない。
「俺がここにいるのは、お前に勝ったって自慢するためじゃない」
 〈レーヴァテイン〉を正面に構える。
「サラを連れて帰るためだ」
 ハデスはしばらく黙っていた。
 やがて、サラの顔で静かに笑う。
「よかろう」
 両手を下ろし、肩の力を抜いた。
 アースと向き合っていた時と同じ、どこからでも動ける構えだった。
「ならば、見せてみよ。余を倒さず、器も傷つけず、どうやってこの娘を取り戻すのかを」
「今、それを考えてるところだよ」
「やはり遅いのう」
「うるさい」
 痛む足へ力を込める。
 ハデスも同時に床を蹴った。
 今度は目を逸らさない。
 迫る掌の軌道を見極め、俺は〈レーヴァテイン〉を振り上げた。