魔力の少ない魔法使い二年生編

 翌朝。
 教室に入ると、玲奈がすでに席についていた。
 俺に気づくと、小さく首を横に振る。
「駄目だったわ」
「お祖父さんか」
「ええ」
 玲奈は疲れたようにため息をついた。
「昨夜、電話したんだけどね。クロイツ家について何か知らないかって聞いてみたの」
「……それで?」
「知らないって」
「お祖父さんも?」
「ええ。名前を聞いたことはあるみたいだけど、それ以上のことは何も知らないって言ってたわ」
「書斎にあった本のことは?」
「覚えてはいたわ。でも、あの本に書いてあったこと以上は知らないって」
 玲奈は腕を組み、納得がいかないように眉を寄せる。
「お祖父様なら何か知ってると思ったんだけど……本当に知らないみたい」
「そうか……」
 西園寺家の当主だった人間ですら、詳しいことを知らない。
 母さんもそうだった。
 クロイツ家という名前や、不吉な呼び名を知っている人間はいる。
 けれど、その理由まで知っている人が見つからない。
 思っていた以上に、情報そのものが残っていないのかもしれない。
「おーす」
 そこへ、紘弥が眠そうな顔で入ってきた。
「どうだった?」
 俺が尋ねると、紘弥は大きく伸びをしながら椅子に腰を下ろした。
「親父は普通に知らねえってさ。お袋も、昔から忌み嫌われてた家だってことは知ってたけど、その理由までは知らねえって」
 紘弥がふるふると首を振る。
「そっちもか」
「ああ。なんつーか、名前だけは妙に知られてんのにな」
「なのに中身を知ってる人がいない……」
 玲奈が呟く。
「余計に気味が悪いわね」
「だったら、別のところから当たるしかない……後で帝に聞きにいくか」
「帝なら午前中は休みらしいぜ」
 背後から声がした。
 振り返ると、雨宮が教室に入ってきたところだった。
 その少し前を、涼子と京子が並んで歩いている。
「雨宮……なんで知ってるんだ」
 二人に接点なんてあったか?
「さっき昇降口で帝のクラスの奴らが話してたのを聞いたんだよ。家の事情かなんかで、午後から来るらしいぜ」
「そうなのか。ありがとう、雨宮」
「気にすんな。それより、その感じだとあんまり進展はなかったみてえだな」
「ああ」
「……何か力になれることがあれば言ってくれよ」
「なら、クロイツ家について何か知ってたりしないか?」
「クロイツ家?」
 雨宮は少し考えてから、申し訳なさそうに首を振った。
「……いや、知らねえな。すまん」
「いや、いいんだ。駄目元で聞いただけだから」
「クロイツ家、ですって?」
 話を聞いていたらしい涼子が、こちらへ歩み寄ってきた。
「クロイツさんの家が、何か関係ありますの?」
「……まだ分からない。ただ、今のところ手がかりはそこしかないんだ」
 俺は簡単に事情を説明した。
 退学の理由が家の事情としか伝えられていないこと。
 そして、その家について調べても、名前と不吉な呼び名以上の情報がほとんど出てこないこと。
「なるほど」
 涼子は顎に指を当てた。
「でしたら、うちの家にも聞いてみますわ」
「……いいのか?」
「別に、大したことではありませんもの」
 涼子はつんと顔を背ける。
「ただ、あまり期待はなさらないで。西園寺家や九条家でも詳しいことが分からないのでしょう? でしたら、水無家に情報が残っている可能性も高くはないでしょうし」
「……そうだな」
 どこまで遡ればクロイツ家についての記録が残っているのかすら分からない。
 それでも、聞ける相手がいるなら聞いておくべきだ。
「それでも、聞くだけならタダですわ」
「私からも聞いてみるわ」
 京子も続けた。
「父様なら、案外あっさり何か知ってるかもしれないし」
「……助かる」
「勘違いなさらないで」
 涼子が即座に言い返す。
「同じクラスの生徒がいなくなったのですもの。気になるのは当然でしょう」
 そう言って、涼子は足早に自分の席へ向かっていった。
 京子が肩をすくめ、その後を追う。
「……悪いな、うちのお嬢様方が」
 雨宮が小声で言った。
「あの二人、素直じゃねえだけだから」
「知ってる」
 俺が答えると、雨宮は小さく笑って自分の席へ戻っていった。
 五限目が終わった頃。
 俺は帝の教室を覗いた。
 窓際の席に、見覚えのある姿があった。
 紫の髪。隙のない制服の着こなし。
 帝竜二が、頬杖をついて外を眺めている。
 ――いた。
「帝」
 声をかけると、帝はゆっくりとこちらを向いた。
「……桐宮か」
 その表情に、驚きはなかった。
「珍しいな。君が自分から僕に用があるとは」
「聞きたいことがある」
「クロイツのことだろう」
 俺は言葉に詰まった。
「……知ってたのか」
「昨日から、君たちが妙な動き方をしていることくらいは耳に入る」
 帝は立ち上がり、鞄を肩にかけた。
「ここで話すことじゃない。来たまえ」
 連れて行かれたのは、校舎の裏手にある人気のない中庭だった。
 春先の風が、まだ少し冷たい。
「それで」
 帝はベンチに腰を下ろすと、俺を見上げた。
「彼女に何があった」
「……知らないのか」
「退学を申し出たという話は聞いた。それだけだ」
「そうか」
 俺は、これまでの経緯を簡潔に話した。
 突然の退学の申し出。
 消えたアカウント。
 そして、学園長でさえ真相を知らないこと。
 帝は黙って聞いていた。
 話し終えると、しばらく沈黙が続く。
「……なるほど」
 やがて、帝は低く呟いた。
「それで、僕のところへ来たわけか」
「一年の時、お前は言いかけただろ」
 俺は帝を真っ直ぐに見た。
「クロイツ家といえば、かつて――ってな」
「……ああ」
 帝の表情が、僅かに歪んだ。
「あの時のことは、今でも恥じている」
「そのことを責めに来たんじゃない」
 俺は首を横に振った。
 あの帝が、自分の非を認めてサラに頭を下げたことは、今でもよく覚えている。
 だからこそ、今こうして向き合っている。
「あの続きが知りたい。お前は、クロイツ家の何を知ってる?」
「……期待に添えるかは分からんぞ」
 帝は前置きしてから、ゆっくりと口を開いた。
「僕が知っているのも、大した話ではない」
「構わない」
「クロイツ家は、かつて――何らかの儀式に手を染めていたそうだ」
「儀式?」
「ああ」
 帝は頷く。
「僕が幼い頃、家の者が話しているのを小耳に挟んだだけだがね。クロイツというのは、昔、ずいぶんと怪しい儀式を行っていた家だと」
「どんな儀式だ」
「そこまでは知らん」
 帝は肩をすくめた。
「聞こうとしたら、子供が知る話ではないと叱られた。それきりだ」
「……」
「ただ、一つだけ覚えている」
 帝は視線を落とした。
「話していた大人たちの声が、妙に低かった。まるで、口に出すこと自体を憚っているようだったよ」
 俺は拳を握った。
 ――儀式。
 母さんも、玲奈の祖父も、紘弥の両親も知らなかった言葉が、ようやく一つ出てきた。
「その儀式のせいで、呪われた一族って呼ばれてるのか?」
「おそらくはな」
 帝は答える。
「だが、確証はない。僕が知る限り、クロイツ家について詳しく語る者はほとんどいない。だから、由来も分からない噂だけが今も残っている」
「……」
「一年の時、僕は君たちに向かってあんなことを口にした」
 帝は苦い顔をした。
「だが今にして思えば、僕自身、何も分かっていなかった。ただ、聞きかじった不吉な話で人を貶めようとしただけだ」
「……そうか」
「軽蔑してくれて構わんよ」
「してない」
 俺は正直に答えた。
「今のお前は、ちゃんと答えてくれてる。それで十分だ」
「……ふん」
 帝は顔を背けた。
 その耳が、僅かに赤くなっているように見えたのは気のせいだろうか。
「一つ、忠告しておこう」
 帝は立ち上がり、こちらを振り返った。
「僕の父も祖父も、クロイツ家について詳しく語ろうとはしなかった。それだけの何かがある家だ」
「ああ」
「君が首を突っ込もうとしているのは、そういう場所だということを忘れるな」
「分かってる」
「……分かっていないな、その顔は」
 帝は呆れたようにため息をついた。
「まあ、いい。君はそういう男だ」
 そう言って、帝は歩き出す。
 俺は、その背中を見送った。
 ――怪しい儀式。
 まだ、断片に過ぎない。
 だが、確かに一歩前へ進んだ。
 俺はすぐに、玲奈たちへ連絡を入れた。
 その夜。
 寮の自室に戻った俺は、ベッドに腰を下ろして天井を見上げていた。
 母さん。玲奈の祖父。紘弥の両親。
 クロイツ家の名前や噂は知っていても、その実態までは知らなかった。
 そして帝自身も、幼い頃に聞いた断片しか持っていない。
 それでも、帝から得た「儀式」という言葉は大きい。
 クロイツ家は、かつて何かをやっていた。
 少なくとも、そういう話が帝の家には伝わっていた。
 ――だとすれば。
 その儀式が、今も続いているとしたら。
 サラが突然学園を離れようとしている理由も、そこにあるんじゃないか。
「……考えすぎか」
 俺は頭を振った。
 帝自身、儀式の詳細までは知らない。
 それとサラの退学を結びつける根拠だって、今のところ何もない。
 想像だけを膨らませても仕方がない。
 だが、胸のざわつきは消えなかった。
 窓の外では、夜風が枝を揺らしている。