カロンの櫂が、誰もいなくなった橋の中央を薙いだ。
空を切った先端が石造りの欄干へ触れ、表面を大きく削る。紘弥たちは三方へ分かれたまま、一斉にカロンへ向き直った。
「散った程度で、何が変わる」
カロンが最初に選んだのはルイだった。
櫂を短く持ち替え、石橋を真っ直ぐ駆ける。ルイは正面から〈グングニル〉を突き出した。
互いの武器がぶつかる直前、カロンは櫂を僅かに傾けた。赤黒い穂先を外側へ滑らせ、そのまま柄をルイの胴へ叩き込もうとする。
ルイは槍を引き戻さず、石突を地面へ突き立てた。柄を支えに身体を持ち上げ、横から迫った櫂を跳び越える。
「西園寺!」
「分かってるわ!」
ルイが作った隙へ、玲奈が踏み込んだ。
〈ニヴルヘイム〉による刺突がカロンの左肩を狙う。先ほど〈グングニル〉に裂かれた外套の下には、まだ傷が残っていた。
しかし、氷の切っ先が届くより早く、櫂の反対側が玲奈へ迫る。
玲奈は足を止め、剣の腹を斜めに合わせた。正面から受けずに力を流したものの、重い衝撃に腕が跳ね上がる。
「そこだ!」
紘弥が左右の引き金を絞った。
青白い雷弾が、異なる角度からカロンへ飛ぶ。
カロンは櫂を回転させ、正面の二発を弾いた。三発目が右の脇腹を掠め、黒い外套の表面で火花が散る。
それでも、動きは止まらない。
カロンは玲奈を追わず、着地したルイへ向き直った。
「やはり、お前だ」
「何がでしょうか」
「お前が二人を動かしている」
「それは買い被りです」
ルイは〈グングニル〉を構え直す。
「私が動かしているわけではありません。互いに合わせているだけですよ」
「ならば、お前が消えた後も同じか確かめる」
カロンが踏み込んだ。
先ほどまでよりも速い。
櫂の先端が、ルイの胸元へ一直線に伸びる。〈グングニル〉の柄を合わせて逸らしたところへ、カロンの身体が深く入り込んできた。
長柄武器を振るうには近すぎる距離だった。
カロンは櫂を握る位置をずらし、石突をルイの肩へ突き出す。
「っ……!」
ルイは首を傾けた。
石突が頬の横を通り過ぎる。かわしたはずだったが、外套の肩口を薄く掠めた。
触れられた部分から感覚が抜け落ちる。
左腕が僅かに下がった。
「ルイ!」
紘弥の雷弾がカロンの背後へ迫る。
カロンは振り向かない。ルイとの間へ櫂を差し入れたまま身体だけをずらし、二発をかわす。最後の一発は櫂の柄で弾き、その勢いを利用してルイを押し退けた。
ルイの足が石橋の上を滑る。
そこへ玲奈が割って入った。
「【アイス・ニードル】!」
玲奈の周囲に生まれた無数の氷針が、扇状に広がりながらカロンへ殺到する。
カロンは櫂を回し、正面から迫る氷針を次々と砕いた。白い破片が視界を埋める中、玲奈は自らも間合いへ踏み込む。
〈ニヴルヘイム〉の切っ先がカロンの胸元へ伸びた。
カロンは櫂の柄で軌道を逸らし、そのまま横薙ぎに振り抜く。玲奈は後ろへ跳んでかわしたが、着地した先へ追撃が来た。
玲奈が〈ニヴルヘイム〉を振り上げる。氷剣と櫂がぶつかり、甲高い音を響かせた。
「くっ……!」
細身の剣ごと押し込まれ、玲奈の膝が曲がった。
「西園寺から離れろ!」
紘弥が雷を纏って駆ける。
至近距離から右の銃口を向けるが、カロンは玲奈を押さえていた櫂を素早く引き戻した。銃口の前へ柄が滑り込み、放たれた雷弾が弾ける。
さらに櫂が回転し、反対側の先端が紘弥の頬へ迫った。
白く変色している場所と同じ側だ。
「九条!」
玲奈の声に、紘弥は無理やり上体を反らす。
櫂は鼻先を掠めて通過した。避けた紘弥の体勢が崩れ、その胸元へ石突が返ってくる。
赤黒い槍が横から差し込まれた。
〈グングニル〉の柄が櫂を受け止め、紘弥へ届く寸前で止める。
「大丈夫ですか、紘弥君」
「助かった。けど、お前こそ左腕どうした」
「少し掠られました。まだ動かせます」
ルイはそう答えたものの、左手は柄に添えているだけだった。握る力がほとんど入っていない。
カロンが櫂を押し込む。
片腕では支えきれず、〈グングニル〉の柄がルイの胸元へ近づいていく。
紘弥は横から銃口を向けたが、カロンが視線だけを動かした。撃てば、押し合っているルイにも当たりかねない。
「西園寺さん、紘弥君」
力を込めながら、ルイが二人を呼ぶ。
「少しだけ、時間をいただけますか」
「何かあんのか?」
「ええ。切り札が」
玲奈が一度だけルイの左腕を見る。
「どのくらい必要?」
「長くはかかりません」
「曖昧ね」
玲奈は〈ニヴルヘイム〉を握り直した。
「でも、やるしかなさそう」
「任せろ。時間くらい稼いでやる」
紘弥が左右の銃をカロンへ向ける。
「ありがとうございます」
ルイは〈グングニル〉を大きく引いた。
押し合う力が消え、カロンの櫂が前へ流れる。その隙に身を翻し、石橋から池の縁へ降りた。
追おうとしたカロンの前へ、紘弥と玲奈が並ぶ。
「今度は二人か」
「さっきまでと同じだと思うなよ」
「こちらも、同じ戦い方をするつもりはないわ」
二人の背後で、ルイが静かに目を閉じる。
「汝、我が声に応えよ。闇より生まれ、来たりし大いなる罪よ――」
低い詠唱とともに、足元から黒い魔力が立ち上った。
カロンのフードの奥で、二つの光が揺れる。
「させると思うか」
櫂が石橋を叩いた。
カロンが正面から突っ込んでくる。
紘弥は両方の銃口を向け、間を空けずに引き金を絞った。雷弾が橋の幅いっぱいに広がり、カロンの進路を塞ぐ。
櫂が高速で回転する。
青白い光が次々と弾かれ、池へ落ちて水飛沫を上げた。
カロンは足を止めない。
「西園寺!」
「ええ!」
玲奈が〈ニヴルヘイム〉を石橋へ突き立てる。
白い氷がカロンの足元へ向かって一気に広がった。カロンは橋の欄干を蹴り、凍りつく地面から逃れる。
空中では進む方向を変えられない。
紘弥は着地点へ狙いを定めた。
「もらった!」
左右から雷弾を撃ち込む。
カロンは身体を捻り、一発をかわした。もう一発を櫂で弾くが、その間に玲奈が着地点へ回り込んでいた。
氷剣が外套の裂け目へ伸びる。
カロンは空中で櫂を引き戻し、柄の中央を使って切っ先を防いだ。そのまま玲奈を押し退け、凍っていない欄干の上へ片足で着地する。
「欺き尽くす、大罪が一つ、虚飾の罪――」
黒い魔力がさらに濃くなる。
カロンが欄干を蹴った。
玲奈ではなく、その背後で詠唱を続けるルイへ向かう。
「行かせるかよ!」
紘弥が全身へ雷を巡らせ、真正面から割り込んだ。
櫂が横薙ぎに迫る。
二挺の〈麒麟〉を交差させて受けた瞬間、両腕が軋んだ。まともに押し合えば耐えられない。
「九条、下がって!」
玲奈が櫂の先端へ〈ニヴルヘイム〉を突き立てる。
触れた箇所から氷が広がり、柄の動きを僅かに鈍らせた。
紘弥はその隙に身体を沈める。頭上を櫂が通過し、付着していた氷が砕け散った。
かわされたカロンは、そのままルイへ踏み込もうとする。
紘弥が後ろから外套を掴んだ。
「まだ行かせねえよ!」
「離せ」
「嫌だね!」
カロンの肘が紘弥の脇腹へ入る。
「ぐっ……!」
息を詰まらせても、手は離さない。
カロンがもう一度肘を引く。その前に玲奈が脇腹へ刺突を放った。
櫂の柄が下がり、氷剣を弾く。
ほんの数秒。
それでも、ルイには十分だった。
「――飾れ、ルシファー」
黒い魔力が膨れ上がり、ルイの全身を包み込む。
「〈悪魔融合〉」
次いで魔力が内側へ収束し、黒い光が弾けた。
現れたルイの額には二本の角が伸び、髪は月明かりを映す白金色へ変わっている。背中には三対六枚の純白の翼。左右の瞳は金色と赤色に分かれ、白い肌には赤い模様が浮かんでいた。
「なんだよ、その姿……」
紘弥が思わず声を漏らす。
「説明は後ほど」
ルイが翼を広げた。
一度羽ばたくと、池の縁から橋の中央まで一息に距離を詰める。
カロンが振り向いた時には、赤黒い穂先が目前まで迫っていた。
櫂を横にして受ける。
激突した二つの長柄武器が硬い音を鳴らし、カロンの足が石橋の上を滑った。
先ほどまでとは逆だった。
今度はルイが正面から押し込んでいる。
「力まで増したか」
「ええ。確かめてみますか」
ルイは〈グングニル〉を引き、間を置かず二撃目を繰り出した。
上段からの一撃を櫂が受ける。次は下から。さらに手首を返し、石突でカロンの胸元を狙う。
カロンも櫂を短く持ち替え、すべてを防いだ。
だが、受けるたびに身体が後ろへ下がっていく。
ルイの左腕も、先ほどまでのようには下がっていない。完全に感覚が戻ったわけではないはずだが、悪魔融合によって高まった力で無理やり補っているらしい。
「俺らも行くぞ、西園寺!」
「言われなくても!」
紘弥と玲奈が同時に動く。
カロンはルイの槍を受けながら、二人の位置へ視線を走らせた。
三人を同時には捉えきれない。
ルイが〈グングニル〉を大きく振り抜く。カロンは櫂で弾いたが、腕ごと外側へ押し開かれた。
空いた胴へ玲奈が踏み込む。
〈ニヴルヘイム〉の切っ先が外套を裂き、その下へ浅く突き刺さった。
「……っ」
カロンが櫂を返す。
玲奈は剣を引き抜き、後ろへ跳んだ。
追わせないように紘弥が雷弾を撃ち込む。カロンは櫂を身体の前へ戻し、二発を弾いた。
その間に、ルイは〈グングニル〉を後ろへ引いていた。
「――sequere(セクエレ)」
投げ放たれた赤黒い槍が、石橋の上を一直線に走る。
カロンは櫂の先端で穂先を逸らした。
〈グングニル〉は欄干の外へ抜け、池へ落ちる寸前で向きを変える。背後から戻ってきた槍を、カロンは振り返りざまに弾いた。
また軌道が変わる。
右から。上から。水面すれすれから。
カロンは櫂を持ち替えながら、迫る穂先を防ぎ続けた。
「何度やっても同じだ」
「では、いつまで防げるか試しましょう」
ルイ自身も翼を羽ばたかせ、カロンへ迫る。
正面からルイ。周囲から〈グングニル〉。さらに紘弥の雷弾が撃ち込まれ、カロンの逃げ道を削っていく。
カロンは櫂を回し、すべてを捌こうとした。
その間に、玲奈がカロンの側面へ回り込んでいた。
〈ニヴルヘイム〉を逆手に持ち替え、石橋へ突き立てる。
「――【氷結葬】!」
カロンの足元から、鋭い氷晶が一斉に噴き上がった。
両脚を呑み込み、胴を囲み、櫂を握る腕まで一息に凍りつかせる。カロンの動きが止まった。
しかし、拘束できたのは一瞬だった。
カロンが腕に力を込める。氷晶の内側から鈍い音が響き、表面へ亀裂が走った。
玲奈は石橋へ剣を突き立てたまま叫ぶ。
「九条!」
「分かってる!」
紘弥が二つの銃口を重ねる。
青白い雷が集まり、周囲の空気を震わせた。
「【雷砲】!」
巨大な雷光が石橋を駆け抜ける。
カロンは氷晶を砕きながら、凍りついた櫂を正面へ持ち上げた。
雷光と櫂がぶつかり、激しい光が弾ける。残っていた氷が一瞬で砕け、カロンの両足が石畳を滑った。
それでも、櫂は離さない。
「まだだ!」
雷光の向こうから、カロンの声が響く。
押し返されながらも一歩踏み出す。
その背後に、赤黒い槍が迫っていた。
カロンは気づいている。
しかし、正面の【雷砲】を受けながら振り返ることはできない。
〈グングニル〉の柄を、空中から降りてきたルイが掴んだ。
「これで終わりです」
追尾の勢いを残したまま、槍の石突をカロンの背中へ叩き込む。
前後から衝撃を受け、カロンの身体が大きく揺らいだ。
櫂を握っていた手が開く。
雷光がカロンの身体を呑み込み、そのまま橋の中央まで押し戻した。
「――っ」
光が消える。
カロンは片膝をつき、石畳へ片手をついていた。黒い外套の大半が焼け焦げ、玲奈とルイがつけた傷から血が流れている。
それでも立ち上がろうとする。
手放した櫂へ腕を伸ばしたところで、指先が石畳へ落ちた。
身体を支えきれず、そのまま前へ倒れる。
「……渡せなかったか」
それきり、カロンは動かなくなった。
紘弥は銃口を向けたまま、荒い呼吸を繰り返す。
「やった……のか?」
「待って」
玲奈が慎重に近づき、〈ニヴルヘイム〉を向けたままカロンの呼吸を確かめる。
「息はあるわ。気を失っているだけ」
「そうか」
ルイが翼を畳み、静かに息を吐いた。
額の角と背中の翼が光の粒となって消え、白金色だった髪も元の色へ戻っていく。肌に浮かんでいた赤い模様が消える頃には、左右の瞳も本来の色へ戻っていた。
「今のが、お前の切り札か」
「ええ。驚かせてしまいましたね」
「驚くに決まってんだろ。翼が六枚も生えてきたんだぞ」
「九条。話はあとよ」
玲奈は倒れたカロンの手首と足首を氷で覆い、石橋へ固定する。さらに離れたところへ落ちていた櫂も凍らせ、簡単には手に取れないようにした。
「これで目を覚ましても、すぐには動けないはず」
「助かります、西園寺さん」
ルイが左腕へ目を落とす。
指を何度か動かしたものの、感覚は戻っていないらしい。
「お前も食らってたよな。平気なのか?」
「左腕だけです。戦うことはできました」
「そういうことを聞いてんじゃねえよ」
紘弥が呆れたように言うと、ルイは僅かに目を見開いた。
その横で、玲奈が紘弥の頬へ視線を向ける。
「九条も他人の心配をしている場合ではないでしょう」
「俺は頬だけだって」
「二人とも、治療は戻ってからです」
ルイが穏やかな口調で割って入る。
「今は、屋敷へ向かいましょう」
遠くから、何かが崩れるような音が響いた。
三人が同時に屋敷の方角を見る。
まだ戦いは終わっていない。
「行くぞ」
紘弥が先に歩き出す。
玲奈は一度だけ拘束したカロンを振り返り、それから後を追った。ルイも〈グングニル〉を握り直し、感覚のない左腕を庇いながら二人に続く。
池に架かる石橋には、凍りついた櫂と、動かなくなったカロンだけが残された。
空を切った先端が石造りの欄干へ触れ、表面を大きく削る。紘弥たちは三方へ分かれたまま、一斉にカロンへ向き直った。
「散った程度で、何が変わる」
カロンが最初に選んだのはルイだった。
櫂を短く持ち替え、石橋を真っ直ぐ駆ける。ルイは正面から〈グングニル〉を突き出した。
互いの武器がぶつかる直前、カロンは櫂を僅かに傾けた。赤黒い穂先を外側へ滑らせ、そのまま柄をルイの胴へ叩き込もうとする。
ルイは槍を引き戻さず、石突を地面へ突き立てた。柄を支えに身体を持ち上げ、横から迫った櫂を跳び越える。
「西園寺!」
「分かってるわ!」
ルイが作った隙へ、玲奈が踏み込んだ。
〈ニヴルヘイム〉による刺突がカロンの左肩を狙う。先ほど〈グングニル〉に裂かれた外套の下には、まだ傷が残っていた。
しかし、氷の切っ先が届くより早く、櫂の反対側が玲奈へ迫る。
玲奈は足を止め、剣の腹を斜めに合わせた。正面から受けずに力を流したものの、重い衝撃に腕が跳ね上がる。
「そこだ!」
紘弥が左右の引き金を絞った。
青白い雷弾が、異なる角度からカロンへ飛ぶ。
カロンは櫂を回転させ、正面の二発を弾いた。三発目が右の脇腹を掠め、黒い外套の表面で火花が散る。
それでも、動きは止まらない。
カロンは玲奈を追わず、着地したルイへ向き直った。
「やはり、お前だ」
「何がでしょうか」
「お前が二人を動かしている」
「それは買い被りです」
ルイは〈グングニル〉を構え直す。
「私が動かしているわけではありません。互いに合わせているだけですよ」
「ならば、お前が消えた後も同じか確かめる」
カロンが踏み込んだ。
先ほどまでよりも速い。
櫂の先端が、ルイの胸元へ一直線に伸びる。〈グングニル〉の柄を合わせて逸らしたところへ、カロンの身体が深く入り込んできた。
長柄武器を振るうには近すぎる距離だった。
カロンは櫂を握る位置をずらし、石突をルイの肩へ突き出す。
「っ……!」
ルイは首を傾けた。
石突が頬の横を通り過ぎる。かわしたはずだったが、外套の肩口を薄く掠めた。
触れられた部分から感覚が抜け落ちる。
左腕が僅かに下がった。
「ルイ!」
紘弥の雷弾がカロンの背後へ迫る。
カロンは振り向かない。ルイとの間へ櫂を差し入れたまま身体だけをずらし、二発をかわす。最後の一発は櫂の柄で弾き、その勢いを利用してルイを押し退けた。
ルイの足が石橋の上を滑る。
そこへ玲奈が割って入った。
「【アイス・ニードル】!」
玲奈の周囲に生まれた無数の氷針が、扇状に広がりながらカロンへ殺到する。
カロンは櫂を回し、正面から迫る氷針を次々と砕いた。白い破片が視界を埋める中、玲奈は自らも間合いへ踏み込む。
〈ニヴルヘイム〉の切っ先がカロンの胸元へ伸びた。
カロンは櫂の柄で軌道を逸らし、そのまま横薙ぎに振り抜く。玲奈は後ろへ跳んでかわしたが、着地した先へ追撃が来た。
玲奈が〈ニヴルヘイム〉を振り上げる。氷剣と櫂がぶつかり、甲高い音を響かせた。
「くっ……!」
細身の剣ごと押し込まれ、玲奈の膝が曲がった。
「西園寺から離れろ!」
紘弥が雷を纏って駆ける。
至近距離から右の銃口を向けるが、カロンは玲奈を押さえていた櫂を素早く引き戻した。銃口の前へ柄が滑り込み、放たれた雷弾が弾ける。
さらに櫂が回転し、反対側の先端が紘弥の頬へ迫った。
白く変色している場所と同じ側だ。
「九条!」
玲奈の声に、紘弥は無理やり上体を反らす。
櫂は鼻先を掠めて通過した。避けた紘弥の体勢が崩れ、その胸元へ石突が返ってくる。
赤黒い槍が横から差し込まれた。
〈グングニル〉の柄が櫂を受け止め、紘弥へ届く寸前で止める。
「大丈夫ですか、紘弥君」
「助かった。けど、お前こそ左腕どうした」
「少し掠られました。まだ動かせます」
ルイはそう答えたものの、左手は柄に添えているだけだった。握る力がほとんど入っていない。
カロンが櫂を押し込む。
片腕では支えきれず、〈グングニル〉の柄がルイの胸元へ近づいていく。
紘弥は横から銃口を向けたが、カロンが視線だけを動かした。撃てば、押し合っているルイにも当たりかねない。
「西園寺さん、紘弥君」
力を込めながら、ルイが二人を呼ぶ。
「少しだけ、時間をいただけますか」
「何かあんのか?」
「ええ。切り札が」
玲奈が一度だけルイの左腕を見る。
「どのくらい必要?」
「長くはかかりません」
「曖昧ね」
玲奈は〈ニヴルヘイム〉を握り直した。
「でも、やるしかなさそう」
「任せろ。時間くらい稼いでやる」
紘弥が左右の銃をカロンへ向ける。
「ありがとうございます」
ルイは〈グングニル〉を大きく引いた。
押し合う力が消え、カロンの櫂が前へ流れる。その隙に身を翻し、石橋から池の縁へ降りた。
追おうとしたカロンの前へ、紘弥と玲奈が並ぶ。
「今度は二人か」
「さっきまでと同じだと思うなよ」
「こちらも、同じ戦い方をするつもりはないわ」
二人の背後で、ルイが静かに目を閉じる。
「汝、我が声に応えよ。闇より生まれ、来たりし大いなる罪よ――」
低い詠唱とともに、足元から黒い魔力が立ち上った。
カロンのフードの奥で、二つの光が揺れる。
「させると思うか」
櫂が石橋を叩いた。
カロンが正面から突っ込んでくる。
紘弥は両方の銃口を向け、間を空けずに引き金を絞った。雷弾が橋の幅いっぱいに広がり、カロンの進路を塞ぐ。
櫂が高速で回転する。
青白い光が次々と弾かれ、池へ落ちて水飛沫を上げた。
カロンは足を止めない。
「西園寺!」
「ええ!」
玲奈が〈ニヴルヘイム〉を石橋へ突き立てる。
白い氷がカロンの足元へ向かって一気に広がった。カロンは橋の欄干を蹴り、凍りつく地面から逃れる。
空中では進む方向を変えられない。
紘弥は着地点へ狙いを定めた。
「もらった!」
左右から雷弾を撃ち込む。
カロンは身体を捻り、一発をかわした。もう一発を櫂で弾くが、その間に玲奈が着地点へ回り込んでいた。
氷剣が外套の裂け目へ伸びる。
カロンは空中で櫂を引き戻し、柄の中央を使って切っ先を防いだ。そのまま玲奈を押し退け、凍っていない欄干の上へ片足で着地する。
「欺き尽くす、大罪が一つ、虚飾の罪――」
黒い魔力がさらに濃くなる。
カロンが欄干を蹴った。
玲奈ではなく、その背後で詠唱を続けるルイへ向かう。
「行かせるかよ!」
紘弥が全身へ雷を巡らせ、真正面から割り込んだ。
櫂が横薙ぎに迫る。
二挺の〈麒麟〉を交差させて受けた瞬間、両腕が軋んだ。まともに押し合えば耐えられない。
「九条、下がって!」
玲奈が櫂の先端へ〈ニヴルヘイム〉を突き立てる。
触れた箇所から氷が広がり、柄の動きを僅かに鈍らせた。
紘弥はその隙に身体を沈める。頭上を櫂が通過し、付着していた氷が砕け散った。
かわされたカロンは、そのままルイへ踏み込もうとする。
紘弥が後ろから外套を掴んだ。
「まだ行かせねえよ!」
「離せ」
「嫌だね!」
カロンの肘が紘弥の脇腹へ入る。
「ぐっ……!」
息を詰まらせても、手は離さない。
カロンがもう一度肘を引く。その前に玲奈が脇腹へ刺突を放った。
櫂の柄が下がり、氷剣を弾く。
ほんの数秒。
それでも、ルイには十分だった。
「――飾れ、ルシファー」
黒い魔力が膨れ上がり、ルイの全身を包み込む。
「〈悪魔融合〉」
次いで魔力が内側へ収束し、黒い光が弾けた。
現れたルイの額には二本の角が伸び、髪は月明かりを映す白金色へ変わっている。背中には三対六枚の純白の翼。左右の瞳は金色と赤色に分かれ、白い肌には赤い模様が浮かんでいた。
「なんだよ、その姿……」
紘弥が思わず声を漏らす。
「説明は後ほど」
ルイが翼を広げた。
一度羽ばたくと、池の縁から橋の中央まで一息に距離を詰める。
カロンが振り向いた時には、赤黒い穂先が目前まで迫っていた。
櫂を横にして受ける。
激突した二つの長柄武器が硬い音を鳴らし、カロンの足が石橋の上を滑った。
先ほどまでとは逆だった。
今度はルイが正面から押し込んでいる。
「力まで増したか」
「ええ。確かめてみますか」
ルイは〈グングニル〉を引き、間を置かず二撃目を繰り出した。
上段からの一撃を櫂が受ける。次は下から。さらに手首を返し、石突でカロンの胸元を狙う。
カロンも櫂を短く持ち替え、すべてを防いだ。
だが、受けるたびに身体が後ろへ下がっていく。
ルイの左腕も、先ほどまでのようには下がっていない。完全に感覚が戻ったわけではないはずだが、悪魔融合によって高まった力で無理やり補っているらしい。
「俺らも行くぞ、西園寺!」
「言われなくても!」
紘弥と玲奈が同時に動く。
カロンはルイの槍を受けながら、二人の位置へ視線を走らせた。
三人を同時には捉えきれない。
ルイが〈グングニル〉を大きく振り抜く。カロンは櫂で弾いたが、腕ごと外側へ押し開かれた。
空いた胴へ玲奈が踏み込む。
〈ニヴルヘイム〉の切っ先が外套を裂き、その下へ浅く突き刺さった。
「……っ」
カロンが櫂を返す。
玲奈は剣を引き抜き、後ろへ跳んだ。
追わせないように紘弥が雷弾を撃ち込む。カロンは櫂を身体の前へ戻し、二発を弾いた。
その間に、ルイは〈グングニル〉を後ろへ引いていた。
「――sequere(セクエレ)」
投げ放たれた赤黒い槍が、石橋の上を一直線に走る。
カロンは櫂の先端で穂先を逸らした。
〈グングニル〉は欄干の外へ抜け、池へ落ちる寸前で向きを変える。背後から戻ってきた槍を、カロンは振り返りざまに弾いた。
また軌道が変わる。
右から。上から。水面すれすれから。
カロンは櫂を持ち替えながら、迫る穂先を防ぎ続けた。
「何度やっても同じだ」
「では、いつまで防げるか試しましょう」
ルイ自身も翼を羽ばたかせ、カロンへ迫る。
正面からルイ。周囲から〈グングニル〉。さらに紘弥の雷弾が撃ち込まれ、カロンの逃げ道を削っていく。
カロンは櫂を回し、すべてを捌こうとした。
その間に、玲奈がカロンの側面へ回り込んでいた。
〈ニヴルヘイム〉を逆手に持ち替え、石橋へ突き立てる。
「――【氷結葬】!」
カロンの足元から、鋭い氷晶が一斉に噴き上がった。
両脚を呑み込み、胴を囲み、櫂を握る腕まで一息に凍りつかせる。カロンの動きが止まった。
しかし、拘束できたのは一瞬だった。
カロンが腕に力を込める。氷晶の内側から鈍い音が響き、表面へ亀裂が走った。
玲奈は石橋へ剣を突き立てたまま叫ぶ。
「九条!」
「分かってる!」
紘弥が二つの銃口を重ねる。
青白い雷が集まり、周囲の空気を震わせた。
「【雷砲】!」
巨大な雷光が石橋を駆け抜ける。
カロンは氷晶を砕きながら、凍りついた櫂を正面へ持ち上げた。
雷光と櫂がぶつかり、激しい光が弾ける。残っていた氷が一瞬で砕け、カロンの両足が石畳を滑った。
それでも、櫂は離さない。
「まだだ!」
雷光の向こうから、カロンの声が響く。
押し返されながらも一歩踏み出す。
その背後に、赤黒い槍が迫っていた。
カロンは気づいている。
しかし、正面の【雷砲】を受けながら振り返ることはできない。
〈グングニル〉の柄を、空中から降りてきたルイが掴んだ。
「これで終わりです」
追尾の勢いを残したまま、槍の石突をカロンの背中へ叩き込む。
前後から衝撃を受け、カロンの身体が大きく揺らいだ。
櫂を握っていた手が開く。
雷光がカロンの身体を呑み込み、そのまま橋の中央まで押し戻した。
「――っ」
光が消える。
カロンは片膝をつき、石畳へ片手をついていた。黒い外套の大半が焼け焦げ、玲奈とルイがつけた傷から血が流れている。
それでも立ち上がろうとする。
手放した櫂へ腕を伸ばしたところで、指先が石畳へ落ちた。
身体を支えきれず、そのまま前へ倒れる。
「……渡せなかったか」
それきり、カロンは動かなくなった。
紘弥は銃口を向けたまま、荒い呼吸を繰り返す。
「やった……のか?」
「待って」
玲奈が慎重に近づき、〈ニヴルヘイム〉を向けたままカロンの呼吸を確かめる。
「息はあるわ。気を失っているだけ」
「そうか」
ルイが翼を畳み、静かに息を吐いた。
額の角と背中の翼が光の粒となって消え、白金色だった髪も元の色へ戻っていく。肌に浮かんでいた赤い模様が消える頃には、左右の瞳も本来の色へ戻っていた。
「今のが、お前の切り札か」
「ええ。驚かせてしまいましたね」
「驚くに決まってんだろ。翼が六枚も生えてきたんだぞ」
「九条。話はあとよ」
玲奈は倒れたカロンの手首と足首を氷で覆い、石橋へ固定する。さらに離れたところへ落ちていた櫂も凍らせ、簡単には手に取れないようにした。
「これで目を覚ましても、すぐには動けないはず」
「助かります、西園寺さん」
ルイが左腕へ目を落とす。
指を何度か動かしたものの、感覚は戻っていないらしい。
「お前も食らってたよな。平気なのか?」
「左腕だけです。戦うことはできました」
「そういうことを聞いてんじゃねえよ」
紘弥が呆れたように言うと、ルイは僅かに目を見開いた。
その横で、玲奈が紘弥の頬へ視線を向ける。
「九条も他人の心配をしている場合ではないでしょう」
「俺は頬だけだって」
「二人とも、治療は戻ってからです」
ルイが穏やかな口調で割って入る。
「今は、屋敷へ向かいましょう」
遠くから、何かが崩れるような音が響いた。
三人が同時に屋敷の方角を見る。
まだ戦いは終わっていない。
「行くぞ」
紘弥が先に歩き出す。
玲奈は一度だけ拘束したカロンを振り返り、それから後を追った。ルイも〈グングニル〉を握り直し、感覚のない左腕を庇いながら二人に続く。
池に架かる石橋には、凍りついた櫂と、動かなくなったカロンだけが残された。

