魔力の少ない魔法使い二年生編

 一ノ瀬が左へ、八雲が右へ駆ける。
 ラダマンテュスは二人の中間に立ったまま、先に間合いへ入った一ノ瀬へ長剣を振り下ろした。
 短刀で受ければ押し切られる。一ノ瀬は刃を合わせず、踏み込んだ足を軸に身体を回した。長剣が髪先を掠めて石畳へ落ちる。
 その背後から、八雲が〈如意棒〉を突き出した。
「伸びろ!」
 真紅の棒が一気に間合いを越え、亀裂の入った右肩へ迫る。
 ラダマンテュスは振り下ろした長剣から片手を離し、腕甲で〈如意棒〉を受けた。硬い音が参道へ響く。狙いを外された棒は肩の横を滑り、兜の脇を通り抜けた。
「同じ箇所を狙うか」
「壊れかけてんだから、当たり前だろ!」
 八雲は〈如意棒〉を縮めながら踏み込む。
 ラダマンテュスは長剣を引き抜くと、背後にいた一ノ瀬へ振り返ることなく横薙ぎに払った。
「一ノ瀬、下がれ!」
「分かってる!」
 一ノ瀬は上体を反らし、胸元を通過する刃を避ける。そのまま後方へ跳んだところへ、今度は鎧の巨体が迫った。
 ラダマンテュスの肩が、一ノ瀬の腹部へぶつかる。
「くっ……!」
 一ノ瀬の身体が弾かれ、石畳を二度転がった。
 八雲が追いつき、〈如意棒〉を下から振り上げる。狙いはやはり右肩だったが、長剣が横から差し込まれ、棒の軌道を止めた。
「狙いは読めている」
「一発当たりゃ十分なんだよ」
「当たらなければ意味はない」
 押し返された〈如意棒〉が八雲の胸元へ戻る。
 続けて迫った長剣を受けた瞬間、痺れの残る両腕から力が抜けた。
「がっ……!」
 武器ごと身体を押され、八雲は片膝をつく。
 ラダマンテュスは止まらない。長剣を持ち上げ、今度こそ八雲の頭上へ振り下ろそうとした。
 横から短刀が飛んでくる。
 ラダマンテュスは長剣を傾け、その腹で短刀を弾いた。
 宙を回る短刀へ向かって、一ノ瀬は既に駆け出していた。落ちてきた柄を右手で掴み、その勢いのままラダマンテュスの懐へ入る。
「まだよ!」
 鎧の脇へ刃を走らせる。
 金属の継ぎ目に、浅い傷が一本増えた。
 しかし、それだけだった。
 ラダマンテュスの左手が一ノ瀬の手首を掴む。身体ごと持ち上げられ、そのまま石畳へ投げつけられた。
「一ノ瀬!」
 八雲は痛む腕へ力を込め、〈如意棒〉を横薙ぎに振るう。
 ラダマンテュスはすぐに八雲へ向き直り、長剣で〈如意棒〉を受け止めた。八雲は押し合わず、すぐに棒を引く。離れかけた長剣を追うように、もう一度同じ軌道から振り抜いた。
 二度目も防がれる。
 続けて上段、右脇、足元。
 狙いを変えても、すべて長剣か鎧に阻まれた。
「ちっ……!」
「数を増やしても変わらぬ」
 長剣が〈如意棒〉を押し退け、八雲の胸元を斜めに掠める。先ほど裂けた制服がさらに開き、傷口から新しい血が滲んだ。
 八雲は数歩下がり、荒く息を吐く。
 一ノ瀬も隣まで戻ってきたが、投げつけられた衝撃が残っているのか、左腕で腹部を押さえていた。
「本当に、何でも止めるわね」
「だから言っただろ。見せた動きは全部読んできやがる」
「私が増えても、変わらないじゃない」
「いや」
 八雲はラダマンテュスの剣先から目を離さないまま、口元を吊り上げた。
「さっきよりは長くもってる」
「基準が低すぎるでしょ」
 一ノ瀬は呆れたように返したものの、短刀を構え直す。
 ラダマンテュスがゆっくりと歩き出した。
「お前たちの動きは不規則に見える」
「褒めてんのか?」
「違う。互いに決め事を持たず、その場で互いの動きに合わせているだけだ」
 一歩進むたびに、長剣の切っ先が僅かに揺れる。八雲と一ノ瀬、どちらが先に動いても対応できる位置を探っている。
「だが、順序は変わらぬ」
 ラダマンテュスの言葉に、八雲の眉が動いた。
「女が先に仕掛け、お前が死角を狙う。私が防げば、女が懐へ入り、お前が再び打ち込む」
「よく喋るようになったじゃねえか」
「すでに見切った」
 ラダマンテュスが石畳を蹴る。
 向かった先は、一ノ瀬だった。
 長剣の突きを短刀で外そうとする。刃が触れる直前、剣先が僅かに下がり、短刀の下を抜けた。
「っ……!」
 一ノ瀬は身体を捻ったが、長剣が脇腹を掠めた。制服が裂け、遅れて赤い線が浮かぶ。
 八雲は既にラダマンテュスの背後へ回っていた。
「曲がれ!」
 振り抜いた〈如意棒〉が途中でしなり、右肩へ弧を描く。
 ラダマンテュスは見ずに長剣を返した。曲がった棒の先端へ刃が当たり、八雲の手元まで衝撃が伝わってくる。
 その間に一ノ瀬が再び踏み込んだ。
 だが、短刀が届くより先に、鎧の脚が一ノ瀬の足を払う。
 体勢を崩したところへ左腕が伸び、その肩を掴んだ。
「順序が分かれば、次に狙う場所も分かる」
 ラダマンテュスが一ノ瀬を八雲の方へ投げる。
「おい!」
 八雲は〈如意棒〉を手放し、飛んできた一ノ瀬を両腕で受け止めた。勢いを殺しきれず、背中から石畳へ倒れ込む。その上へ、一ノ瀬の身体が重なった。
「いった……」
「重てえ……」
「誰が重いのよ!」
 一ノ瀬の肘が八雲の脇腹へ入った。
「ぐっ……助けてやった相手に何しやがる!」
「受け止め方が悪いのよ!」
「戦いの最中に余裕だな」
 立ち上がった二人の前へ、ラダマンテュスが迫る。
 八雲は落とした〈如意棒〉へ手を伸ばしたが、長剣の切っ先が先にその進路を塞いだ。
 一ノ瀬が短刀を振るう。ラダマンテュスは身体を半歩ずらすだけでかわし、剣の柄を一ノ瀬の胸元へ叩き込んだ。
「っ……!」
 一ノ瀬が後ろへよろめく。
 八雲はその隙に〈如意棒〉を拾い、立ち上がりざまに振り抜いた。
 また同じ順序だった。
 ラダマンテュスの長剣が、待ち構えていたように〈如意棒〉を受け止める。
「変わらぬな」
「そうだな」
 八雲は押し返そうとせず、むしろ力を抜いた。
 支えを失った長剣が僅かに前へ流れる。その横を抜けて距離を取ると、一ノ瀬へ目を向けた。
「次もお前から行け」
「聞いてた? それを読まれてるのよ」
「だからだよ」
「はあ?」
「いいから、同じようにやれ」
 一ノ瀬は露骨に眉を寄せた。
「説明しなさいよ」
「そんな暇ねえだろ」
「あとで絶対に殴るからね」
「さっきもう肘入れただろうが」
 文句を言いながらも、一ノ瀬は前へ出た。
 短刀を下段に構え、ラダマンテュスの右側へ回り込む。八雲も少し遅れて反対側へ走った。
 一ノ瀬が右肩を狙い、短刀を突き出す。
 ラダマンテュスは長剣の腹で弾くと、背後から迫った〈如意棒〉を左の腕甲で受けた。
「見切ったと言ったはずだ」
「なら、次も止めてみろよ」
 八雲は笑った。
 その後も順序を変えなかった。
 一ノ瀬が先に間合いへ入り、八雲が死角から右肩を狙う。ラダマンテュスは一ノ瀬を長剣で退け、〈如意棒〉を左腕で防ぐ。
 二度、三度と繰り返すうちに、ラダマンテュスの動きから迷いが消えていく。
 一ノ瀬が足を踏み出した時点で長剣が動き、八雲が回り込むより先に左腕が右肩を庇う。攻撃を受ける位置まで、ほとんど同じになっていた。
「焔」
 四度目の前、一ノ瀬が小さく呼ぶ。
「本当にこれでいいのね」
「知らねえ」
「あんたね……!」
「あいつが俺らの次を読んでんなら、それより先に変わりゃいい」
「簡単に言わないでよ」
「できるだろ、お前なら」
 一ノ瀬は何も答えなかった。
 短刀を握り直し、ラダマンテュスへ向かう。
 これまでと同じく右側から踏み込み、亀裂の入った肩へ刃を伸ばした。
 ラダマンテュスの長剣が、短刀を弾く軌道へ入る。
 八雲も反対側へ回った。左の腕甲が上がり、伸びてくるはずの〈如意棒〉を待ち構える。
 ここまでは、先ほどまでと何一つ変わらない。
 長剣と短刀が触れる寸前、一ノ瀬は右手を引いた。受けると見せかけて刃を外し、長剣の内側へ踏み込もうとする。
 ラダマンテュスの反応が、僅かに遅れた。
 一ノ瀬の手の中で、短刀が光に包まれた。
 短い刃が消え、代わりに大きく湾曲した弓が現れる。
「そこで弓かよ!」
「私に言わないで!」
 長剣は既に目前まで迫っている。矢を番え、距離を取る余裕などない。
 一ノ瀬は咄嗟に握りを軸として弓を回し、その上端を長剣の腹へぶつけた。正面から受けず、湾曲した部分へ刃を滑らせることで軌道を外す。
 長剣が一ノ瀬の肩口を通過する。
 そのまま弓を横へ倒し、弦を引いた。
 光の矢が形を成す。
「この距離なら――!」
 放たれた矢が、ラダマンテュスの兜へ向かう。
 ラダマンテュスは左腕を上げ、矢を腕甲で受け止めた。
 右肩を守っていた腕が、顔の前へ動く。
「焔!」
「分かってる!」
 八雲は〈如意棒〉を伸ばさなかった。
 短く握ったままラダマンテュスの懐へ踏み込み、亀裂へ向けて真下から振り上げる。
 ラダマンテュスが長剣を戻そうとする。しかし、一ノ瀬に軌道を逸らされた刃は外側へ流れており、間に合わない。
 〈如意棒〉が右肩を捉えた。
 鈍い衝撃音に続き、鎧の砕ける音が鳴る。
 亀裂を中心に金属が割れ、破片が石畳へ散った。ラダマンテュスの右腕が大きく下がり、長剣の切っ先が地面へぶつかる。
「まだだ!」
 八雲は〈如意棒〉を振り下ろす。
 ラダマンテュスの右手から長剣が落ちる。それでも左腕を伸ばし、振り下ろされた〈如意棒〉を受け止めた。鎧越しでも衝撃を殺しきれず、片膝が石畳へ落ちる。
 それでも倒れない。
 左手で〈如意棒〉を掴み、八雲ごと引き寄せた。
「なっ……!」
 兜が八雲の額へぶつかる。
 視界が白く弾け、足元が揺らいだ。
 ラダマンテュスは〈如意棒〉を奪い取ろうとする。八雲は両手を離さず踏ん張ったが、痺れた腕に力が戻らない。
「焔、引いて!」
 一ノ瀬の声と同時に、横から光の矢が飛んできた。
 狙いはラダマンテュスの左手だった。
 矢が腕甲へ当たり、〈如意棒〉を掴んでいた指が開く。八雲は腕の痺れを堪えながら棒を引き戻し、両手で握り直した。
「伸びろ!」
 〈如意棒〉が石畳すれすれを走る。
 その先端を、一ノ瀬が弓で横から叩く。
「曲がれ!」
 軌道を変えた棒がラダマンテュスの脚へ巻きつくように曲がり、鎧の足をまとめて払った。
 巨体が仰向けに倒れる。
 八雲は残っていた力を両腕へかき集め、〈如意棒〉を引き戻した。よろめきながらも前へ出て、元の長さへ戻した棒を両手で掴み直す。
 ラダマンテュスも左腕を地面へつき、起き上がろうとしていた。
「まだ……裁きは終わっていない」
「終わりだよ」
 これで腕が動かなくなっても構わない。八雲は〈如意棒〉を高く振り上げ、砕けた右肩へ叩き込んだ。
 鎧の背が石畳へ叩きつけられ、ラダマンテュスの身体から力が抜ける。
 持ち上がりかけていた左腕も、そのまま地面へ落ちた。
 八雲は棒を振り下ろした姿勢で動かず、肩で大きく息をする。
「……見たか」
「何をよ」
「ぶっ壊したぞ」
「はいはい。よくできました」
「もっと褒めろよ」
「調子に乗らないの」
 一ノ瀬は弓を下ろし、倒れたラダマンテュスへ近づいた。
 長剣を足で遠くへ押しやってから、兜の隙間へ手を近づけ、呼吸を確かめる。しばらく黙っていたが、やがて八雲を振り返った。
「息はある。意識を失ってるみたい」
「そうかよ」
 八雲は短く答え、〈如意棒〉を肩へ担ごうとした。
 腕が上がらない。
 棒の先が石畳へ当たり、そのまま身体まで傾いた。
「ちょっと!」
 一ノ瀬が駆け寄り、倒れかけた八雲の制服を後ろから掴む。
「首が締まる! 離せ!」
「離したら倒れるでしょ!」
「倒れねえよ」
「じゃあ、立ちなさいよ」
 言われた八雲は姿勢を戻そうとしたが、膝に力が入らない。しばらく不自然な体勢でもがいたあと、諦めたように息を吐いた。
「……少しだけ貸せ」
「最初から素直に言いなさい」
 一ノ瀬自身も脇腹の痛みに顔をしかめながら、八雲の腕を自分の肩へ回し、脇から身体を支えた。
「重い」
「さっきのお返しか?」
「事実よ」
「てめえ……」
 言い返す声にも、いつもの勢いは残っていなかった。
 屋敷の方角から、低い衝撃音が響いてくる。
 一ノ瀬も屋敷の方角へ顔を向けた。
「まだ終わってないみたいね」
「だったら、さっさと戻るぞ」
「その前に少し休む」
「そんな暇ねえだろ」
「今のあんたを連れていったら、戦うより先に倒れるでしょ」
「行ける」
「行けません」
 一ノ瀬は八雲を支えたまま、参道の端に残っている石灯籠へ向かう。
「五分だけ。傷を確認したら戻るわよ」
「一分でいい」
「交渉する立場だと思ってる?」
「……三分」
「五分」
「分かったよ。うるせえな」
 不満そうに吐き捨てながらも、八雲は抵抗しなかった。
 一ノ瀬は八雲を石灯籠の台座へ座らせると、裂けた制服の下の傷へ目を向けた。
 砕けた鎧の破片が散る参道には、もう剣戟の音は響いていなかった。