魔力の少ない魔法使い二年生編

 白と黒の双剣が、銀色の大鎌と正面からぶつかった。
 甲高い音が杉林へ響く。拮抗したのは一瞬だった。烏廻が〈インドラ〉を滑らせて大鎌の刃を外へ流し、空いた胴へ〈ヴリトラ〉を走らせる。
 タナトスは翼を広げ、後方へ身を引いた。漆黒の切っ先が外套を掠める。
 着地を待たず、烏廻は間合いを詰めた。
 左から〈ヴリトラ〉、続いて右から〈インドラ〉。タナトスは大鎌の柄を回し、二本の剣を立て続けに受け止める。先ほどまでより明らかに速い連撃にも、今度は遅れなかった。
「もう慣れたかよ」
「一度見た」
「そりゃ優秀だ」
 言葉とは裏腹に、烏廻は攻める手を緩めない。
 大鎌の内側へ入り、二本の剣を異なる角度から振るう。タナトスは柄の中ほどを握って軌道を縮め、〈インドラ〉を刃で、〈ヴリトラ〉を石突で弾いた。
 間近で黒い翼が大きく開く。
 羽ばたきとともに吹きつけた風へ押され、烏廻の身体が僅かに浮いた。その隙を狙って大鎌が横薙ぎに迫る。
「っと」
 身を反らして刃をかわす。胸元を通過した切っ先が上着を薄く裂いた。
 続く返しの一撃を〈インドラ〉で受け、烏廻は自ら後ろへ跳んだ。
「さっきよりいい動きすんじゃねえか」
「お前もな」
 タナトスは大鎌を構えたまま、烏廻から目を離さない。
 【人封印・解】によって速さも力も上がっている。それでも、正面の男は崩れない。一度目は後手に回った連撃へも、既に対応し始めていた。
 簡単に押し切れる相手ではない。
 だからこそ、面白い――などと言っている場合でもなかった。
 屋敷へ向かった隼人たちがどうなっているか分からない以上、ここで時間を使うほど状況は悪くなる。
 烏廻が踏み込もうとした直後、右手から地面を蹴る重い音がした。
 三つの顎が、異なる方向から迫ってくる。
 正面から中央の首。左の首は退路を塞ぐように外側へ回り、右の首の口元には白い靄が集まっていた。
「もう治ったのかよ」
 ケルベロスの前脚には、先ほど刻んだはずの傷が残っていない。黒い靄が僅かに漂っているだけだった。
 烏廻は中央の顎を〈インドラ〉で外へ流し、そのまま身体を反転させる。左から噛みついてきた牙を〈ヴリトラ〉で受け、力の向きを下へ逸らした。
 残った右の首が冷気を吐く。
 両脚へ力を込め、巨体の脇へ飛び退いた。白い息が烏廻のいた場所を薙ぎ、湿った地面を瞬く間に凍らせていく。
 着地した先へ、大鎌が振り下ろされた。
 〈インドラ〉と〈ヴリトラ〉を交差させて受け止める。重い衝撃に腕が沈み、靴底が土へ食い込んだ。
「休ませる気はねえらしいな」
「当然だ」
 烏廻は双剣を左右へ開き、大鎌を弾いた。
 タナトスが一歩退いたところへ〈ヴリトラ〉を突き出す。狙いは胸。大鎌の柄が正面へ入り、切っ先を止めた。
 すぐさま〈インドラ〉を低く振るう。
 タナトスは翼を使って身体を持ち上げ、足元を狙った刃をかわした。上空から大鎌を振り下ろし、烏廻の頭上を狙う。
 半歩ずれて回避すると、銀色の刃が地面へ深く食い込んだ。
 反撃へ転じようとした烏廻の左腕から、不意に力が抜ける。
「ちっ……」
 鎌に掠られた傷は浅い。感覚も失われていない。それでも、握った〈ヴリトラ〉が一瞬だけ重く感じられた。
 その僅かな遅れを、タナトスは見逃さない。地面へ刺さった大鎌を引き抜きながら、石突を烏廻の脇腹へ打ち込んだ。
 烏廻は〈インドラ〉を差し入れて受けたが、勢いまでは殺しきれず、土の上を滑る。
「まだ効果は残っているようだな」
「確かめるために、わざわざ狙ってくれたのか?」
「弱った箇所を狙うのは当然だ」
「冗談も通じねえし、容赦もねえな」
 軽口を返しながら、烏廻は左手を開閉した。
 剣を握れないほどではない。だが、タナトスを相手に僅かな遅れを放置するのは危険だった。
 加えて、ケルベロスが再び身を低くしている。
 どちらの動きも見えている。対処もできる。それでも片方へ攻撃を集中させれば、もう片方が必ず割り込んでくる。ケルベロスを斬っても傷は塞がり、タナトスはその間に烏廻の動きへ対応していく。
「面倒な組み合わせだってのは、間違ってなかったな」
「今さら認めるのか」
「褒めてねえよ」
 タナトスが地を蹴った。
 低い軌道で迫る大鎌を、烏廻は〈ヴリトラ〉で受け流す。すれ違いざまに〈インドラ〉を振るったが、タナトスは翼を畳んで身体を捻り、白い刃を外套一枚でかわした。
 そこへケルベロスが突っ込んでくる。
 中央の頭を避け、巨体の側面へ回る。追ってきた左の首へ〈インドラ〉の柄頭を叩き込み、右の首が冷気を吐く前に〈ヴリトラ〉で顎を斬り上げた。
 浅い傷から黒い靄が滲み出す。
 烏廻はそのまま前脚の関節へ二本の剣を走らせた。
 巨体が均衡を崩し、地面へ倒れ込む。三つの喉から低い咆哮が重なった。
 だが、すぐに傷口へ黒い靄が集まり始める。
「私が呼び戻す限り、何度でも立つ」
「分かってるよ」
 背後から聞こえた声に、烏廻は振り向きざま〈インドラ〉を上げた。
 大鎌と純白の刃が噛み合う。
 空いた〈ヴリトラ〉を振るうが、タナトスは柄を押しつけて烏廻の身体を僅かに沈ませ、その間に翼を広げて間合いの外へ逃れた。
 追えば、再生を始めたケルベロスに背を向けることになる。
 烏廻はその場に留まり、二体を視界へ収め直した。
 倒せないとは思わない。ただ、この繰り返しへ付き合っていれば時間がかかる。
 最初の枷を外した時点で終わらせるつもりだったが、タナトスは想定していたより早くこちらの動きへ順応した。ケルベロスの再生も止まらない。
 なら、さらに上げるしかない。
「……しょうがねえな」
 烏廻は二本の剣を下げ、身体の奥へ意識を向けた。
 自らに課している枷は、一つだけではない。
 もう一つ外せば、この膠着も長くは続かない。
 タナトスが大鎌を構え、起き上がったケルベロスが三つの顎を開いた。
「もう一つ――」
 烏廻が口を開いた時、杉林の奥で風が鳴った。
「【真空の刃】」
 鋭い風の斬撃が横合いから走り、踏み出そうとしていたケルベロスの肩へ命中した。
 巨体が大きく揺れる。それでも倒れず、四肢で地面を掴んで踏みとどまった。三つの首が一斉に向きを変え、風が飛んできた暗がりへ唸り声を上げる。
 烏廻も枷へ向けていた意識を解き、そちらを見た。
「烏廻先生が苦戦とは、珍しいですね」
 杉の陰から、一人の少年が歩いてくる。
 右手には一振りの刀。〈天ノ叢雲〉の刃には、まだ細い風が纏わりついていた。
「……帝?」
 予想もしなかった顔に、烏廻は眉を寄せる。
 帝は足を止めると、ケルベロスへ刀を向けた。三つの首を見上げても、その表情に怯えはない。
「……そういうことか。門から勝手に入った奴ってのは、お前だな」
「勝手にとは心外ですね。門は開いていましたよ」
「同じだ。何しに来た」
「僕にも、ここへ来る理由がありましてね」
 それ以上答えるつもりはないらしい。帝の視線はケルベロスから外れなかった。
 烏廻も今は追及しない。ここへ来た理由が何であれ、危険を承知で引き返すような顔ではなかった。
「三つの首……冥界の番犬ですか」
「知ってんのか?」
「伝承にある姿と同じです。それくらいなら分かりますよ」
「なら話は早え。真ん中は正面から来る。左は噛みつき、右は冷気だ」
「分かりました」
 短く答えた帝へ、ケルベロスの中央の頭が襲いかかる。
 帝は横へ跳んで牙をかわした。だが、着地点へ左の首が回り込み、逃げ道を塞ぐ。
 振り下ろされた牙を〈天ノ叢雲〉で受ける。硬い音が響き、帝の両脚が湿った土を削った。真正面から押し返そうとはせず、刀を傾けて牙を横へ流す。
 右の首が口を開いた。
 帝は地面を蹴り、後方へ大きく跳ぶ。直後、白い息が二者の間を薙ぎ、土と草を白く染めた。
 着地した帝へ、中央の頭が間を置かず迫る。
「なるほど。確かに面倒ですね」
 帝が〈天ノ叢雲〉を振り抜いた。
「【鎌鼬】」
 複数の風の刃が中央の頭へ走る。ケルベロスは前脚で地面を踏みしめ、巨体を捻った。風の刃が頬と肩を浅く裂いたものの、突進の勢いは止まらない。
 帝は身を低くして頭部の下を潜り抜け、すれ違いざまに横腹へ刀を振るう。
 切っ先が黒い体毛を裂く。深くは入らない。
 背後から左右の首が追ってくる気配を察し、帝は一撃で退いた。
 三つの首が向きを変え、六つの瞳が新たな敵を捉える。
 その間に、タナトスが翼を広げた。
「あれの相手をするつもりか」
 大鎌を手に、帝へ向かおうとする。
 進路へ〈インドラ〉が差し込まれた。
「お前の相手は、まだ俺だろ」
 タナトスは大鎌で純白の刃を弾く。続けて迫った〈ヴリトラ〉も柄で受け、数歩後ろへ下がった。
 烏廻も追撃せず、タナトスとケルベロスの間へ立つ。
「あの大鎌の男は先生に任せます」
 帝は三つの首を見据えたまま告げた。
「こちらは僕が引き受けましょう」
「やれんのか」
「問題ありません」
 迷いのない返答だった。
 帝一人でケルベロスを倒せるかは分からない。しかし、今必要なのは倒すことではない。あの三つの首をタナトスから引き離し、こちらへ割り込ませなければ十分だった。
「……なら、任せる」
「ええ」
 帝は〈天ノ叢雲〉を下段に構え、ケルベロスの左側へ走った。
 中央の首が追い、その横から左の首が回り込む。帝は二つの頭が重ならないよう巨体の外側を取り、正面から力を受けずに攻撃をかわしていく。右の首が冷気を吐くたび、白く凍る地面が二者を杉林の奥へ導いた。
 タナトスがそちらへ視線を向ける。
「余所見すんなよ」
 烏廻が踏み込んだ。
 〈インドラ〉を振り下ろし、大鎌の柄へ叩きつける。タナトスが受け止めると同時に、〈ヴリトラ〉を脇腹へ走らせた。
 黒い翼が強く羽ばたく。
 タナトスは風に乗って斜め後ろへ退き、漆黒の刃をかわした。そのまま空中で大鎌を振るい、烏廻の左肩を狙う。
 烏廻は〈ヴリトラ〉で刃を受け流し、地面へ降りたタナトスへ〈インドラ〉を突き出した。
 銀色の柄が白い切っ先を止める。
 互いに武器を弾き、同時に間合いを取り直した。
「一人増えたところで、何も変わらん」
「そうかもな」
 烏廻は二本の剣を構える。
 少なくとも、タナトスが簡単に倒せる相手ではないことは分かっている。帝の加勢があっても、それ自体は変わらない。
 変わったのは、互いに余計な相手を警戒する必要がなくなったことだ。
「けど、これでやっと集中できる」
 烏廻が笑うと、タナトスも大鎌を構え直した。
 離れた場所では、ケルベロスの咆哮とともに鋭い風切り音が響いている。
 二つの戦いは、杉林を分かつように離れていく。
 烏廻はもう帝の方を見なかった。
 目の前のタナトスもまた、六つの瞳を持つ番犬ではなく、烏廻だけを見ている。
 白と黒の双剣。
 銀色の大鎌。
 地を蹴った二人の間で、三つの刃が再び交錯した。