魔力の少ない魔法使い二年生編

 青白い雷弾が、石橋の上を駆け抜けた。
 カロンは正面から迫る二発を櫂の柄で弾き、わずかに遅れて飛んできた三発目を首を傾けてかわす。その足元へ、白い冷気が音もなく忍び寄っていた。
「【アイス・レイ】!」
 玲奈が〈ニヴルヘイム〉を振り抜く。
 冷気の光線が欄干すれすれを走り、カロンの右脚を狙った。カロンは凍りつく直前の石畳を蹴り、橋の中央から池の縁へ跳ぶ。
「そっち行ったぞ、西園寺!」
「見えてるわ!」
 着地点には、既に玲奈が回り込んでいる。
 細身の氷剣が下から跳ね上がった。カロンは長い櫂を短く持ち替え、柄の中央で刃を受ける。玲奈はすぐに手首を返し、二撃目を外套の隙間へ突き出した。
 櫂の先端が足元へ落ちる。
「――っ!」
 石畳を叩いた衝撃で玲奈の身体が僅かに浮いた。
 刺突が逸れる。
 カロンはそのまま櫂を跳ね上げ、玲奈の胴を狙った。
「させるかよ!」
 紘弥の銃声が続けて鳴る。
 横合いから迫った雷弾を避けるため、カロンは攻撃を止めて後ろへ下がった。玲奈もすぐに距離を取り、紘弥の隣へ戻る。
「大丈夫か?」
「ええ。そっちは?」
「頬以外はな」
 紘弥は頬を指先で軽く叩いた。
 カロンの櫂が掠めた場所は、まだ白く変色したままだ。傷口の周囲には触れている感覚がなく、指を当てても冷たさしか伝わってこない。
「広がってはいないのね?」
「今んところは」
「だったら、二度目は絶対に避けなさい」
「分かってるって」
「分かっている人は、そんなに簡単に当たらないわ」
「簡単じゃねえよ。あいつ、見た目よりずっと速えぞ」
 言い返しながら、紘弥はカロンへ双銃を向け直す。
 戦い始めてから、二人は何度も攻撃を重ねていた。雷で正面を崩し、冷気を死角から当てる。玲奈が接近すれば紘弥が射撃で援護し、カロンが紘弥を狙えば玲奈が懐へ入る。
 連携そのものは通じている。
 それでも、倒せない。
 雷弾を受けても、氷に覆われても、カロンは少し動きを止めるだけだった。焦げた外套の片側には今も白い霜が残っているが、櫂を振るう速度も威力もほとんど変わっていない。
「しぶてえにもほどがあるだろ」
「お前たちもだ」
 カロンが櫂を構えた。
「何度退けても、また向かってくる」
「そりゃそうだ。まだ勝ってねえからな」
「勝つまで続けるつもり?」
 玲奈の問いに、紘弥は当然のように頷いた。
「ほかにあんのか?」
「ないわね」
 二人が並ぶ姿を見て、フードの奥の光がわずかに揺れた。
「理解し難い」
「そうかよ。なら、ゆっくり考えてろ!」
 紘弥が地面を蹴る。
 全身に纏った雷が強く弾け、池の縁を駆け抜けた。カロンの正面へ出ると同時に、左右の引き金を交互に絞る。
 カロンは櫂を回転させ、飛来する雷弾を次々と払い落とした。柄へ弾けた青白い光が、黒い外套を断続的に照らす。
 防御に意識が向いたところへ玲奈が踏み込んだ。
 背後ではない。
 紘弥とは反対の側面から、〈ニヴルヘイム〉を真っ直ぐ突き出す。
「甘い」
 カロンの手元で櫂が止まった。
 長い柄が横へ滑り、玲奈の細剣を外側へ弾く。続けて反対側の先端が紘弥へ向かった。
「うおっ!」
 紘弥は上体を反らしてかわす。
 鼻先を櫂が通り過ぎた。
 そのまま回転した先端が、今度は玲奈へ迫る。
 玲奈は〈ニヴルヘイム〉で受けず、後ろへ跳んだ。まともに受ければ、細身の剣ごと体勢を崩される。何より、あの櫂を身体に触れさせるわけにはいかない。
 カロンが一歩前へ出る。
 二人の間に入り込まれた。
「西園寺、下がれ!」
「あなたもよ!」
 紘弥が右へ、玲奈が左へ距離を取ろうとする。カロンは紘弥を追わず、玲奈へ櫂を突き出した。
 長さのある武器が、離れようとする身体へ迫る。
 玲奈は横へ跳び、先端をかわした。着地するより先に、引き戻された櫂が今度は足元を薙ぐ。
「くっ……!」
 地面へ剣を突き立て、それを支えに身体を持ち上げる。両脚の下を櫂が通過した。
 だが、空中では次の動きが限られる。
 カロンは櫂を持ち替え、玲奈が降りてくる場所へ先端を向けた。
「させるか!」
 紘弥が連射する。
 カロンは玲奈への攻撃を止め、櫂の柄で雷弾を防いだ。玲奈は着地と同時に後ろへ下がり、二人の距離がさらに開く。
 分断された。
 互いを援護できないほどではない。それでも、先ほどまでのように同じ相手へ間を空けず攻撃を重ねるのは難しい。
「まず一人」
 カロンが紘弥へ向き直った。
「上等だ。来いよ!」
 紘弥は双銃を構え、身体へ巡らせる雷を強めた。
 頬の感覚は戻っていない。もう一度櫂を受ければ、次はどこが動かなくなるかも分からない。それでも足を止めるつもりはなかった。
 カロンが池の縁を蹴る。
 紘弥も正面から踏み込んだ。
 櫂の間合いへ入る直前、左の銃で牽制する。カロンが柄で弾く。続く右の銃口を胴へ向けたところで、櫂の反対側が下から跳ね上がった。
「ちっ!」
 発射を諦め、横へ逃げる。
 カロンは追ってこない。
 逃げた先へ、既に櫂が振り下ろされていた。
「――!」
 紘弥は両腕を交差させ、二挺の〈麒麟〉で受ける。金属音が響き、足元の土が沈んだ。
 重い。
 押し潰されないよう腕へ力を込めるが、櫂が少しずつ顔へ近づいてくる。
「九条!」
 玲奈が駆ける。
 カロンは彼女の接近にも気づいていた。櫂を強く押し込んで紘弥の体勢を崩すと、すぐに柄を引き、玲奈へ横薙ぎに振るう。
 二人を離したまま、交互に攻撃を向けている。
 玲奈は足を止めざるを得なかった。身を低くして櫂をかわす。その頭上を太い柄が通り過ぎていった。
「面倒なことしやがって……!」
 紘弥が姿勢を戻す。
 すぐに玲奈と合流したいが、その間へカロンが立っている。動けば櫂で進路を塞がれ、射撃で退かそうとしても簡単に防がれる。
 ならば、強引にでも押し通るしかない。
「西園寺! もう一回、左右から――」
 紘弥が声を上げた時だった。
 赤黒い光が、池の水面を横切った。
「――」
 最初に反応したのはカロンだった。
 紘弥でも玲奈でもない方向へ身体を向け、飛来した巨大な槍を櫂で弾く。
 甲高い音が池の周囲へ響いた。
 槍は高く跳ね上がり、月明かりの下で回転しながらカロンの背後へ抜けていく。
「なんだ……?」
 紘弥がその軌跡を目で追う。
 見覚えのある、赤黒い魔槍。
 聞こえた声は、さらによく知っていた。
「――sequere(セクエレ)」
 通り過ぎた〈グングニル〉が、空中で鋭く向きを変えた。
 背後からカロンへ迫る。
 カロンは振り返りざまに櫂を振り、槍の穂先を外側へ弾いた。〈グングニル〉は池の上へ逸れたものの、落下する前に再び軌道を変える。
 二度、三度。
 赤黒い軌跡を残しながら、角度を変えてカロンを追い続けた。
 カロンは初めてその場から大きく退いた。石橋へ戻り、迫る穂先を櫂で打ち上げる。それでも頭上から向きを変えた〈グングニル〉へ、今度は櫂を力任せに振り下ろした。
 赤黒い槍が橋の手前側へ叩き落とされ、穂先が石造りの欄干へ深く突き刺さる。
「ずいぶん苦戦しているようですね」
 池へ続く小道から、ルイが歩いてくる。
 いつもと変わらない穏やかな口調だった。ただ、その視線はカロンから一度も外れていない。
「やっと来やがったか、ルイ!」
 紘弥の顔に笑みが戻る。
「ええ。お待たせしました」
 ルイは石橋の欄干へ刺さった〈グングニル〉を引き抜き、カロンへ穂先を向けた。そのまま構えを崩さず、紘弥の頬へ視線を移す。
「その傷は?」
「あいつの櫂に掠られた。白くなってるところは感覚がねえ」
「広がってはいないのですか?」
「今んところはな」
 玲奈がカロンを警戒しながら続ける。
「あの櫂を身体に受けないで。掠っただけでも、触れたところの感覚を奪われるわ」
「分かりました」
 ルイは余計な質問を重ねず、カロンへ視線を戻した。
「紘弥君と西園寺さんを相手に、ほとんど無傷ですか」
「外套は焦げてるし、凍ってもいる。無傷って言うなよ」
「失礼しました」
「九条。話している場合じゃないわよ」
 玲奈の声で、二人も構え直す。
 カロンは石橋の中央に立ち、増えた相手を順に見ていた。フードの奥の光が、最後にルイへ止まる。
「お前も渡るのか」
「いいえ」
 ルイは静かに答えた。
「私も、あなたを止めに来ただけです」
「同じか」
「ええ。彼らの仲間ですから」
 カロンは何も言わず、櫂を両手で握った。
「来るぞ!」
 紘弥の声と同時に、カロンが橋を蹴る。
 狙いは新たに現れたルイだった。
 長い櫂が正面から突き出される。
 ルイは〈グングニル〉の柄を斜めに合わせ、穂先を横へ逸らした。そのまま槍を滑らせ、カロンの手元へ切っ先を伸ばす。
 カロンは櫂を引き、石突で槍を打ち払う。
 二つの長柄武器が、互いの間合いを奪い合うように続けてぶつかった。
「へえ……」
 紘弥が目を細める。
 ルイは槍を大きく振り回さず、柄を握る位置を細かく変えながら、カロンの櫂を受け流している。追尾する穂先だけが〈グングニル〉の強みではないらしい。
「見てないで行くわよ」
「分かってる!」
 玲奈が右から、紘弥が左から走る。
 カロンはルイの槍を櫂で押し返し、先に近づいた玲奈へ先端を振った。
 玲奈は踏み込みを止めず、上体だけを傾けてかわす。頬の横を櫂が通過した直後、〈ニヴルヘイム〉をカロンの脇腹へ突き出した。
 外套を浅く裂く。
 追撃へ移る前に、カロンの肩が玲奈へ向いた。
「こっちも忘れんなよ!」
 反対側から雷弾が飛ぶ。
 カロンは玲奈から距離を取りながら、櫂で二発を弾いた。三発目が外套の肩口を掠め、青白い火花を散らす。
 そこへルイが踏み込んだ。
 〈グングニル〉の穂先が胸元へ迫る。
 カロンは櫂を立て、柄で受け止めた。
「三人になっても、同じだ」
「本当にそうでしょうか」
 ルイが槍を押しつけたまま答える。
 足元では、既に玲奈の冷気が広がっていた。
 石橋の表面が白く染まり、カロンの後ろ足を薄い氷が覆う。
「――」
 カロンはすぐに足を引こうとした。
 僅かに遅れる。
 その一瞬を、紘弥は逃さなかった。
「もらった!」
 雷を纏った身体が橋の欄干を蹴る。
 カロンの右側へ回り込み、至近距離から二つの銃口を向けた。
 櫂は正面で〈グングニル〉を受けている。後ろ足は玲奈の氷に取られ、すぐには身体の向きを変えられない。
 それでもカロンは、空いた左手で紘弥の右腕を掴もうとした。
 伸ばされた指先が迫る。
 紘弥は腕を引き、発射を諦めた。
「掴ませるかよ!」
 代わりに左の銃口を向ける。
 雷弾がカロンの左肩へ直撃した。
 黒い外套が焦げ、身体が右へ傾く。正面から押し合っていた〈グングニル〉の穂先が櫂の柄を滑り、その脇を抜けた。
 赤黒い刃が外套の下まで切り裂く。
「……っ」
 初めて、カロンの口から短い苦鳴が漏れた。
 ルイは槍を振り抜くと、すぐに後ろへ下がる。紘弥も反対側へ跳び、掴もうとした手から逃れた。
 玲奈が冷気を解く。
 三人は再び距離を取った。ルイが橋の正面に立ち、紘弥と玲奈がその左右へ分かれる。
「入ったな!」
 紘弥が笑う。
「油断しないで。まだ立ってるわ」
 玲奈の言葉どおり、カロンは倒れていなかった。
 左肩から脇へかけて外套が裂け、その下には〈グングニル〉の刃が通った傷が残っている。だが、櫂を握る手は緩んでいない。
「三人……」
 カロンは傷へ目を落とし、確かめるように呟いた。
「一人を見れば、二人が動く。二人を見れば、残る一人が動く」
「そういうことです」
 ルイが〈グングニル〉の穂先を向ける。
「俺らを離して終わりだと思ったか?」
 紘弥も双銃を構え直した。
「残念だったな。今度は三人だ」
「人数で得意にならないの」
「いいだろ、別に」
「まだ勝っていないでしょう」
「これから勝つんだよ」
 二人の会話を聞き、ルイが小さく笑った。
「何だよ」
「いえ。変わらないと思いまして」
「お前まで西園寺みたいなこと言うなよ」
「私は何も言ってないでしょう」
 カロンは三人を見渡したあと、櫂をゆっくりと構え直した。
「ならば、三人まとめて渡す」
「だから、渡るつもりはねえって言ってんだろ!」
 紘弥の身体から雷が弾ける。玲奈の足元を冷気が走り、ルイは赤黒い槍を低く構えた。
 カロンが櫂を振り上げ、橋の中央から踏み込んでくる。
 三人は迎え撃つのではなく、それぞれ違う方向へ散った。櫂の先が誰へ向いても、残る二人がカロンの死角へ回れるように。
 先ほどまで二人を分けていた長い櫂が、今度は三人を同時に捉えきれず、夜気を大きく薙いだ。