魔力の少ない魔法使い二年生編

 放課後の学食は、夕食時にはまだ早く、人もまばらだった。
 窓際のテーブルには、玲奈と紘弥、そしてルイが座っている。
 俺と橘が近づくと、三人が同時に顔を上げた。
「どうだった?」
 真っ先に口を開いたのは玲奈だった。
「……あまり良くない」
 俺は椅子を引いて腰を下ろす。
 そして、学園長室でのやり取りを順に話した。
 サラ本人の名前で退学届が届いたこと。
 手紙に「探さないでほしい」と書かれていたこと。
 それが昨夜届いたにもかかわらず、昨日の夕方までは普通に連絡が取れていたこと。
 そして――母さんも、真相までは知らないということ。
「……桜さんが、知らない?」
 玲奈が眉を寄せた。
「ああ。少なくとも、俺にはそう見えた」
「隠してるんじゃなくて?」
「その可能性もある。けど」
 俺は言葉を選ぶ。
「少なくとも昨日の母さんは、何かを隠してるっていうより、知らないこと自体に苛立ってるように見えた」
「……なるほど」
 ルイが顎に手を当てる。
「学園長ですら、詳しい事情までは把握できていないということですか」
「そういうことだ」
「なら、余計に厄介ですね」
 ルイは静かに言った。
「探さないでほしい、か」
 紘弥が忌々しそうに呟く。
「そんなん、書かされたに決まってんだろ」
「その可能性は否定できません」
 ルイが頷いた。
「ただ、筆跡が本人のものである以上、学園として強引に動くことはできない。学園長のお立場も分かります」
「分かってたまるかよ」
 紘弥は吐き捨てるように言った。
 その苛立ちは、俺にも痛いほど分かった。
「そっちはどうだったんだ?」
 俺が尋ねると、紘弥は大きくため息を吐いた。
「さっぱりだ」
「さっぱり?」
「一年の時のクラスの奴らにも聞いて回ったけどよ、みんな驚いてるだけだった。誰も何も知らねえ」
「先生方にも当たってみましたが」
 ルイが続ける。
「クロイツさんが退学を申し出たこと自体、今日初めて知ったという方がほとんどでした」
「担任と学園長以外、誰も知らされてなかったってことか」
「そのようですね」
 俺は椅子の背にもたれた。
 当然といえば当然だ。
 生徒一人の退学が、いちいち全教員へ共有されるわけでもない。
「……なあ、サラが前に『実家が落ち着かない』って言ってたの、覚えてるか? イーラの襲撃で学園の休校が決まった時」
「……確かにそんなこと言ってたな」
 紘弥が頷く。
「母さんも、家の事情としか聞かされてないって言ってた」
 俺は続ける。
「つまり、全部そこに行き着くんだ」
「……クロイツ家か」
 その名前が出た瞬間、全員の表情が変わった。
「……あの時のこと、ね」
 玲奈が静かに言う。
 言われなくても分かった。
 全員が、同じ場面を思い浮かべている。
 入学して間もない頃の、図書室。
 うるさいと絡んできた帝が、サラを見てこう言った。
『君たちは知らないのか? この女の忌まわしい生まれを。クロイツ家といえば、かつて――』
 その先は、俺が遮った。
 あの時のサラの顔は、今でも覚えている。
 いつも笑っていたあいつが、青ざめ、肩を震わせていた。
「あの後、誰も何も言わなかったよな」
 紘弥がぽつりと呟いた。
「聞いちゃいけねえ気がしてよ。あいつも、次の日にはいつも通りだったし」
「私もそう」
 橘が続ける。
「触れちゃいけないって、それだけは分かったから」
「……ああ」
 俺たちは全員、あの時点で気づいていた。
 サラの家には、他人が口に出すのを憚るような何かがある。
 気づいていて、触れなかった。
 あいつが触れてほしくなさそうだったから。
 それを思いやりだと思っていた。
「けどよ」
 紘弥が眉を寄せる。
「あん時、帝の奴は何を言おうとしてたんだ? 俺、正直今でも意味が分かってねえ」
「……多分、さっき学園長室で話してたことだよね」
 橘が俺の方を見る。
「クロイツ家は、『呪われた一族』とか『死の一族』とか呼ばれてるんだって」
「はぁ?」
 紘弥が素っ頓狂な声を上げた。
「なんだそりゃ」
「私も、その呼び名なら聞いたことがあります」
 ルイが静かに言った。
「どこで、というのは言えませんが……古い家の話には、それなりに触れる機会がありましたので」
「私も知ってたわ」
 玲奈が続ける。
「西園寺の書斎に、古い家系についてまとめた本があるのよ。子供の頃、勝手に読んでたの。その中に、一行だけそう書いてあったわ」
「一行?」
「ええ。クロイツ家――呪われた一族、死の一族。そう呼ばれる、って。それだけ」
 玲奈は苦い顔をする。
「由来も、何をした家なのかも書いてなかった。だから、ずっと忘れてた。……サラと出会って、あの図書室の一件があるまではね」
「……お前ら、あん時から知ってたのかよ」
 紘弥の声には、責める色はなかった。
 ただ、戸惑いだけが滲んでいる。
「言えるわけないでしょ」
 玲奈が答える。
「あんな顔をしたサラの前で、その話をどうやって出すのよ」
「……そうだな」
 紘弥は黙り込んだ。
「俺も、聞いたことはあった」
 俺は正直に言った。
「どこで聞いたのかも覚えてないくらい、曖昧な形でな。だから、あの時まで結びつかなかったんだ」
「……そっか」
 橘が小さく呟いた。
「一番近くにいたのに、私は何も知らないままだったんだね」
 その声には、責める色も、卑下する響きもなかった。
 ただ、静かな悔しさだけがあった。
「サラちゃんと一番よく話してたのに、家の話なんて一度も聞いたことがない」
「一度も?」
「うん」
 橘は指を組んだまま、じっと机を見つめる。
「学校のことも、好きな食べ物も、くだらない話ならいくらでもしたのに……家族の話だけは、いつもはぐらかされてた」
「はぐらかされてたって、どんな風に?」
「『うちは面白くないから』とか、『そんなことより』とか」
「……」
「一度だけ、ご両親はどんな人なのって聞いたことがあるの」
「なんて答えたんだ」
「……笑って、『お父さんはいないし、お母さんとは会わない方がいいよ』って」
 テーブルが静まり返った。
「冗談だと思ってた」
 橘の声が、微かに震える。
「サラちゃん、いつも冗談みたいな言い方をするから。だから私も笑って流して、それ以上聞かなかった」
「……」
「気づいてあげられなかった」
「橘のせいじゃない」
 俺は静かに言った。
「あいつが、言わないようにしてたんだ」
 病室での『実家、落ち着かないんだよね』も、たぶん同じだ。
 あいつはずっと、冗談の形で本当のことを言っていた。
 そして俺たちは、それを全部笑って受け流していた。
「……帝なら知ってるかもしれねえよな」
 紘弥が言った。
「まあ、その可能性もゼロじゃないか」
 俺たちと同じで、呪われた一族と呼ばれていることしか知らないかもしれない。
 それでも、少しでも可能性があるなら聞かないわけにはいかない。
「けど、素直に話すかしら」
 玲奈が渋い顔をする。
「あいつ、去年からずっと隼人に対抗意識持ってるじゃない」
「さすがに話してくれるとは思うけどな。あいつ、サラの件は反省してたし」
 あの後の帝のサラへの謝罪は、今でも忘れられないくらい衝撃的だった。
「今は、手がかりが一つでも欲しい」
「……そうね」
「ただ、それだけでは足りないでしょうね……今日、学園の資料室でも調べてみたのですが」
「何かあったか?」
「いえ。クロイツという名前は、索引にすら載っていませんでした」
「載ってない?」
「ええ。それなりの家系であれば、どこかに記述があってもおかしくないのですが……」
 ルイは一度言葉を切る。
「それに、学園長ですら詳しいことを知らない家です。私たちだけで調べられる範囲には、限界があるかもしれません」
 その言葉に、テーブルが静まり返った。
 もっともな話だった。
 学園長ですら詳しい実態を知らない家について、生徒の俺たちだけでどこまで辿れるのか。
「……いや、逆だ」
 俺は顔を上げた。
「逆?」
「学園長ってのは、学園の中の人間だ。学園の外に、もっと古い記録を持ってる連中がいる」
 俺は玲奈を見た。
「西園寺家はどうだ? さっき言ってた本、まだあるんだろ」
「……そうね」
 玲奈が納得したように頷いた。
「お祖父様に確認してみるわ。何か知っているかもしれないし」
「うし、じゃあ俺も親父に聞いてみるわ」
 紘弥も勢いよく立ち上がる。
「九条家にも、昔の記録くらい残ってるかもしれねえしな」
「私は、資料室をもう少し当たってみます」
 ルイが言う。
「索引にないだけで、どこかに紛れている可能性はありますから」
「私も手伝うよ」
 橘が続いた。
「二人の方が早いでしょ」
「助かります」
「俺は帝に当たる」
 俺は言った。
 方針は決まった。
 だが、席を立とうとした時、ルイがふと口を開いた。
「一つ、気になることがあるのですが」
「なんだ?」
「呪われた一族、死の一族。そう呼ばれる家が、なぜ今も存続しているのでしょうか」
「……どういう意味だ?」
「本当に忌まわしい家であれば、とうの昔に取り潰されていてもおかしくありません。それが今も残り、しかも娘を魔術師学園に通わせている」
「……」
「つまり、少なくとも表向きには、存続を許されている家ということです」
 ルイの言葉が、じわりと胸に沈んでいく。
「……確かに、そんな呼び名が付いていた家が今も残ってるのは不思議だよな」
 誰も、その疑問に答えられなかった。
 答えの出ない問いだけが、テーブルの上に残る。
「とはいえ、まずは調べてみましょう」
 ルイの言葉を最後に、その場は解散となった。
 俺は一人、そのまま帝のクラスへと向かった。
「……まあ、帰ってるよな」
 だが、教室にはもう誰も残っていなかった。
 黒板は綺麗に消され、椅子はすべて机の上に上げられている。
「……遅かったか」
 窓の外は、すでに夕暮れに染まっていた。
 オレンジ色の光が、誰もいない教室を斜めに切り取っている。
 あの日、帝が言いかけた言葉。
 俺はあれを遮ったことを後悔していない。
 あの時のサラを守るには、それしかなかった。
 ――だが。
 もし、あの続きをきちんと聞いていたら。
 あいつが何を抱えていたのか、少しでも知ることができていたら。
 今日、こんな風に何も分からないまま立ち尽くすことはなかったんじゃないか。
「……くそ」
 俺は窓枠に手をついた。
 冷たい感触が、じわりと掌に染みる。
 ――探さないでほしい。
 あの言葉が、頭から離れない。
 もし、あれが本心だったなら。
 サラが本当に、俺たちに関わってほしくないと思っていたなら。
 ……いや。
 俺は首を振った。
 だとしても、だ。
 言うだけ言って、勝手にいなくなるなんて許すつもりはない。
 文句があるなら、面と向かって言えばいい。
 その時は、いくらでも聞いてやる。
 だから――。
「……早く見つけてやるからな」
 誰にともなく、俺は呟いた。
 明日、また帝を探そう。