魔力の少ない魔法使い二年生編

 崩れた壁を抜けた先は、屋敷の正面に広がる石畳の参道だった。
 両脇には古びた石灯籠が並び、そのいくつかは既に倒れている。さらに奥には、朽ちかけた鳥居のようなものが夜闇の中に立っていた。
 参道の先。
 鎧の男が、こちらへ背を向けて立っている。
 ラダマンテュス。
 先ほどまで真っ直ぐ歩き続けていた男は、八雲が追いついたことに気づいたのか、ようやく足を止めた。
 ゆっくりと振り返る。
 鎧が擦れる小さな音はしたものの、その動きには妙なほど無駄がなかった。
「……やっと止まったな」
 八雲は口の端を吊り上げる。
「追いかけっこは性に合わねえんだよ。助かったぜ」
「立ち去れ」
 返ってきた声は低く、感情の起伏がほとんど感じられなかった。
「お前を裁く命は受けていない」
「裁く?」
 八雲が片眉を上げる。
「なんだそりゃ。俺は喧嘩しに来ただけなんだが」
「……理解できん」
「そりゃこっちの台詞だ」
 八雲は右手を軽く振った。
「暴れろ、〈如意棒〉」
 その手に、赤と金の長棒が顕現する。
 八雲は〈如意棒〉を肩へ担ぐと、鋭い三白眼を細めた。
「なあ、あんた強いんだろ」
「……」
「見りゃ分かる。さっきから歩いてるだけなのに、隙らしい隙が一つもねえ」
 一歩、前へ出る。
「だったら話は早え。やろうぜ」
 ラダマンテュスは答えなかった。
 しばらく八雲を見据えたあと、腰に提げていた長剣へ手をかける。
「……愚かな」
 鞘走りの音が、静かな参道に響いた。
 それを合図に、八雲の足が石畳を蹴る。
「伸びろ!」
 空気を裂く音とともに、〈如意棒〉が一気に伸長した。
 十メートル近くあった距離が一瞬で消える。
 狙いは兜の正面。
 だが、届かない。
 ラダマンテュスの長剣が横から差し込まれ、伸びてきた〈如意棒〉の先端を正確に弾いた。
 硬質な音が夜気を震わせる。
「……へえ」
 八雲の笑みが深くなる。
 弾かれた〈如意棒〉をすぐさま縮め、その勢いを利用して自分から距離を詰めた。
「今度はこっちだ!」
 身体ごと回転させ、上段から振り下ろす。
 遠心力まで乗った一撃を、ラダマンテュスは避けなかった。
 長剣を立て、真正面から受け止める。
 重い衝突音が響き、二人の足元で石畳に亀裂が走った。
 それでも、ラダマンテュスは一歩も下がらない。
「……硬えな、おい」
 八雲は力を込めたまま笑った。
「無駄だ」
 ラダマンテュスの声は変わらない。
 剣が押し返される。
 八雲は〈如意棒〉ごと後方へ弾かれ、石畳の上を数メートル滑った。
「お前には型がない」
「あ?」
 八雲の表情から、僅かに笑みが消える。
「定まった順序も、決められた軌道もない。直感で攻撃を組み立てている」
「……それがどうした」
「だから読めないと思っているのだろう」
 ラダマンテュスが剣先を下げる。
「だが、型がないことと癖がないことは同じではない」
 八雲は何も答えなかった。
「十七手見た」
 淡々とした声が続く。
「それで十分だ」
「……分析してやがったのか」
 八雲は〈如意棒〉を肩へ乗せ、鼻で笑う。
「クソつまんねえ戦い方するな、あんた」
「事実を見ているだけだ」
「だから、それがつまんねえって言ってんだよ」
 口ではそう返しながら、八雲は内心で舌打ちしていた。
 適当に言っているわけではない。
 さっきの防御を見れば分かる。
 あの男は、八雲の攻撃を力任せに捌いているわけではなかった。〈如意棒〉が動き出した後ではなく、その直前から対応している。
 自分でも気づいていない何かを見られている。
 なら――見たことのない動きをすればいい。
「じゃあ、これはどうだ」
 八雲は〈如意棒〉を大きく振りかぶった。
 ラダマンテュスの剣が僅かに動く。
 だが、八雲は振らなかった。
 代わりに棒の先端を真下へ叩きつける。
「太くなれ!」
 石畳へ突き立った〈如意棒〉が一気に膨張した。
 足元から石が押し上げられ、砕けた石片と土埃が二人の間に舞い上がる。
 視界が塞がれた。
「こっちだ!」
 八雲は煙の中から真上へ跳んだ。
 月を背に、両手で〈如意棒〉を握り締める。
「伸びろッ!」
 真紅の棒が、頭上から一直線に落ちる。
 ラダマンテュスは逃げない。
 両手で長剣を構え、その一撃を真正面から受け止めた。
 石畳が沈み込み、鎧の男の膝が僅かに曲がる。
「どうした! 今度は読めなかったか!」
 八雲が空中から吠える。
 返事はない。
 次の瞬間、ラダマンテュスが剣を横へ払った。
「っ……!」
 〈如意棒〉を通じて強い衝撃が腕へ返ってくる。
 八雲は武器ごと横へ弾き飛ばされ、地面へ着地するなり二歩、三歩と後退した。
 止まりきれず、背中が石灯籠へぶつかる。
「ぐっ……」
 肺から空気が押し出された。
 それでも、八雲の顔から笑みは消えない。
「いいねえ」
 背中を離し、肩を回す。
「久しぶりだ、こういうの」
「なぜ笑う」
 初めて、ラダマンテュスの声に僅かな疑問が混じった。
「お前が劣勢であることは分かるだろう」
「分かってるよ」
 八雲は口の中に広がった血の味を確かめ、そのまま地面へ吐き捨てた。
「分かってるから面白えんだろうが」
「……理解できん」
「あんたには一生分かんねえだろうな」
 〈如意棒〉を握り直しながら、八雲はゆっくり距離を詰める。
「なあ、逆に聞くけどよ」
「なんだ」
「あんた、なんで戦ってんだ?」
 ラダマンテュスが僅かに首を傾げる。
「命だからだ」
「命?」
 八雲が眉を寄せた。
「さっき、俺を裁く命は受けてねえって言ったじゃねえか」
「……」
 鎧の男は答えない。
「ハデスに好きにしろって言われて、あんたは何してた?」
 八雲は、その沈黙を気にせず続ける。
「ただ真っ直ぐ歩いてただけだろ。邪魔な壁をぶっ壊しながらよ」
「それがどうした」
「どこに行くかも決めてなかっただろ」
「決める必要がない」
 ラダマンテュスは即答した。
「私は裁く者だ。裁くべき者が示されれば裁く。示されなければ、その時を待つ」
「じゃあ今は?」
「待っている」
 八雲は数秒、黙っていた。
 そして、盛大に顔をしかめる。
「……クソつまんねえな、あんた」
 地を蹴った。
「伸びろ!」
 〈如意棒〉が真っ直ぐ伸びる。
 ラダマンテュスは長剣で払い上げた。
「曲がれ!」
 弾かれたはずの棒が、大きく弧を描いて軌道を変える。
 背後から兜を狙った。
 しかし。
 ラダマンテュスは振り返らない。
 そのまま半歩だけ前へ出て身体を捻ると、鎧の背面で〈如意棒〉を受け止めた。
 金属同士がぶつかる音が響く。
「なっ……」
「一度見た」
 静かな声が返ってくる。
「軌道を変える攻撃も、既に知っている」
「……マジかよ」
 八雲が舌打ちする。
 一年生の魔闘祭でも使った手だ。
 一度通り過ぎた〈如意棒〉を曲げ、死角から叩き込む。初見なら十分に通用するはずの攻撃だった。
 だが、目の前の男はそれを当然のように防いでみせた。
 普通なら、そこで攻撃を止める。
 八雲は違った。
「だったら――」
 ニヤリと笑う。
「そっから先を見せてやるよ」
 背中で止められている〈如意棒〉を両手で握り締める。
「重くなれ!」
 ラダマンテュスの身体が僅かに沈んだ。
 急激に増した重さが鎧の背中へ掛かり、その片膝が石畳へ落ちる。
「……ほう」
「どうした! これは知らねえだろ!」
 八雲は腕へ力を込め、さらに押し込んだ。
 ラダマンテュスの膝の下で石畳がひび割れていく。
 動きが止まった。
(いける)
 八雲がさらに体重を乗せようとした時だった。
 ラダマンテュスの身体が、ゆっくりと持ち上がる。
「……は?」
 片膝が石畳から離れる。
 増した〈如意棒〉の重さを背負ったまま、鎧の男は何事もなかったかのように立ち上がろうとしていた。
 金属の軋む音が響く。
 足元の石が割れる。
 それでも、止まらない。
「重さは」
 ラダマンテュスが言った。
「私を止める理由にはならない」
 身体が大きく捻られた。
「うおっ――!?」
 八雲の両腕が引かれる。
 〈如意棒〉を手放さなかったせいで、その身体まで宙へ持っていかれた。
 次いで、背中から石畳へ叩きつけられる。
「がはっ……!」
 一度跳ね、そのまま数メートル転がった。
 肺が潰れたように息が詰まる。腕も背中も痛む。
 それでも、八雲は〈如意棒〉を離さなかった。
「……はは」
 仰向けになったまま、笑い声を漏らす。
「化け物かよ、あんた」
 ラダマンテュスがゆっくり近づいてくる。
「お前では私を止められない」
「……そうかよ」
「力も、技も、既に見た」
 長剣が持ち上がる。
「続ける意味はない」
「……なあ」
 八雲は肘をつき、上半身を起こした。
「一つ教えてやるよ」
 脚に力を入れる。
 背中が痛む。腕も痺れている。
 それでも立ち上がった。
「そうやって全部分かった気になってる奴が、一番つまんねえんだよ」
「何を言っている」
「あんたは見た。読んだ。だから次も同じだと思ってる」
 八雲は〈如意棒〉を肩へ担ぐ。
「でもな」
 口元が、また吊り上がった。
「俺だって戦ってる最中に変わるんだよ」
「……」
「さっき通じなかったなら、次は別のことをする。それも止められたら、またその次だ」
 ラダマンテュスが無言で八雲を見据える。
「命令が来るまで待ってるだけのあんたには、分かんねえだろうけどな」
「私は命に従う。それが私の役割だ」
「やっぱつまんねえな」
「お前の理解を得る必要はない」
「だろうな」
 八雲は楽しそうに笑った。
「だから、俺が勝手にやる」
 〈如意棒〉の先端をラダマンテュスへ向ける。
「俺は誰かに言われたから戦ってんじゃねえ。俺が戦いてえから、ここにいる」
 僅かな沈黙。
 ラダマンテュスが長剣を握り直した。
 先ほどまで自然に下げられていた剣先が、初めて明確に八雲へ向けられる。
「……理解できん」
「だろうな」
「だが、お前が先ほどまでと同じではないことは理解した」
 その言葉を聞き、八雲の笑みが深くなる。
「それで十分だ」
「ならば、次は私から行こう」
「ハッ」
 八雲は腰を落とした。
「やっとやる気になったかよ」
 ラダマンテュスが踏み込む。
 同時に、八雲も地を蹴った。
 真紅の〈如意棒〉と長剣が、参道の中央で激突した。