魔力の少ない魔法使い二年生編

 黒い光が、放たれた。
 視界の端で、橘が目を見開くのが見えた。
 避けられない。
 防げない。
 そう思った瞬間だった。
 橘とハデスの間に、何かが割り込んだ。
 ――白と、黒。
 二振りの剣が、交差するように振り抜かれる。
 黒い光が、真っ二つに割れた。
 左右へ逸れ、大広間の壁を穿つ。
 轟音。
 だが、橘には掠りもしなかった。
「……ほう」
 ハデスが、感心したように言った。
「あれを防ぐか」
 砂埃の中に、一つの人影が立っている。
 両手に、純白と漆黒の剣。
 その背中には、見覚えがあった。
「……烏迴さん」
 俺は、意識の奥でそう呟いた。
「いいタイミングだな、クソガキ」
 アースが言った。
「悪いな、遅くなった。思ったより数が多くてな」
「烏迴先生……!」
 橘が、その場に座り込んだ。
 腰が抜けたらしい。
「立てるか」
「……はい、たぶん」
「なら、下がってろ」
 烏迴さんは前を向いたまま言った。
 その服は、あちこちが破れている。
 顔にも、腕にも傷があった。
 だが、立ち姿には一切の乱れがない。
「先生、他のみんなは……」
「後から来る」
 烏迴さんは短く答えた。
「全員生きてる。それだけは保証する」
「……よかった」
 橘が、深く息を吐いた。
 そして。
「……おい」
 烏迴さんの視線が、こちらへ向いた。
 正確には、俺の身体へ。
「なんでお前が表に出てやがる」
 その声には、明確な警戒があった。
「桐宮はどうした」
「中にいる」
 アースは短く答えた。
「無事だ」
「……本当か」
 アースは肩をすくめた。
「言っておくが、乗っ取ったわけじゃない。あいつの了承は取ってある」
「……」
「あ、あの……私もさっき助けてもらったので、信用していいと思います」
 橘が、烏迴さんにそう説明した。
「……そうか」
 烏迴さんは、それ以上追及しなかった。
「後で説明しろよ」
「気が向いたらな」
「気が向かなくても喋らせる」
 烏迴さんは吐き捨てた。
 二人のやり取りは、それで終わった。
 烏迴さんは、視線をハデスへ戻す。
「……で、あれがそうか」
「ああ」
「なるほどな」
 烏迴さんは、僅かに目を細めた。
「厄介だ」
「分かるか」
「見りゃ分かる」
 烏迴さんは剣を構え直した。
「あれは、格が違う」
「その通りだ」
 アースは頷いた。
「だから、手伝え」
「……あ?」
「聞こえなかったか。手伝えと言った」
 アースは、面倒くさそうに繰り返した。
「一人でも勝てる。だが、時間がかかる」
「……」
「時間をかけると面倒だ」
 アースは、自分の掌を眺めた。
「長引けば長引くほど、あいつは器に慣れていきこっちが不利になる」
「なるほどな」
 烏迴さんは肩をすくめた。
「で、俺は何をすりゃいい」
「斬れ」
「雑だな」
「それ以外に何がある」
 アースは前を向いた。
「あいつは今、自分の身体に慣れようとしてる。時間を与えるな」
「……了解だ」
 烏迴さんは剣を握り直した。
 その顔には、いつもの気怠げな表情はなかった。
「言っておくが、俺は前衛しかできんぞ」
「十分だ」
 アースは頷いた。
「……ああ、あとさっき斬れと言ったが斬りすぎるなよ」
「分かってる、あれはクロイツの身体だ」
 その時、ハデスが小さく笑った。
「話は終わったか」
「ああ」
 アースは向き直った。
「待たせて悪かったな。二人で行く」
「ほう」
 ハデスの目が、僅かに輝いた。
「二人がかりか」
「不満か」
「まさか」
 ハデスは首を横に振った。
「余は、そういうのを望んでおった」
 その視線が、烏迴さんへ移る。
「そちらの男、なかなか強そうだのう」
「……分かるのか」
「当然じゃ」
 ハデスは頷いた。
「先ほどの一撃、防いだのを見た。人の身であれを斬るとは、大したものよ」
「……ちっ」
 烏迴さんが、低く唸った。
「褒められても嬉しくねえよ」
「そうか? 余は本気で言うておるのじゃがな」
 その時だった。
 背後の入口から、複数の足音が響いてきた。
「隼人!」
「桐宮!」
 振り返らなくても分かった。
 絋弥と、玲奈と、雨宮と、八雲。
 全員、大きな傷は見えない。
「無事か、お前ら――」
 絋弥が言いかけて、止まった。
 その視線が、俺の髪に釘付けになる。
「……は?」
「……隼人、その髪」
 玲奈も、目を見開いていた。
「あー、これはだな」
 アースが面倒くさそうに口を開いた。
「説明は後だ。今は前を見ろ」
「いや待て、お前誰だよ!」
「アースだ」
「アースって、あの――」
「そうだ。話は後にしろと言っている」
「本人の了承済みだ」
 烏迴さんが横から言った。
「疑うなら後で殴れ。今は時間がない」
「いや、でも――」
「九条」
 玲奈が、絋弥の肩を掴んだ。
「あれ、見て」
 玲奈が指したのは、祭壇の前だった。
 正確には、そこに立つ人影。
「……サラ?」
 絋弥の声が、掠れた。
「あれ、サラだよな。なんで――」
「あれはお前らが知っているサラ・クロイツじゃない」
 アースが短く言った。
「中身が違う」
「……は?」
「冥王ハデス」
 アースは、そう告げた。
「七百年前にあいつらが呼ぼうとして失敗したものが、今夜ちゃんと出てきた」
 その一言で、全員の顔から血の気が引いた。
「じゃあ……サラは」
 玲奈の声が、震えていた。
「中にいるはずだ」
 アースは答えた。
「意識はないと言っていた」
「そんな……」
 俺は、意識の奥から呼びかけた。
 届くはずがないと知りながら。
 ――玲奈。絋弥。
 だが、その声を拾ったのは別の存在だった。
「おい、お前ら」
 アースが、俺の代わりに口を開いた。
「中の馬鹿が、伝えろとよ」
「……なんだよ」
「まだ諦めてない、だとさ」
 その言葉に、絋弥が拳を握りしめた。
「……当たり前だろ」
「そうだな」
 玲奈も頷いた。
「私たちだって、諦めてない」
「なら、下がってろ」
 アースは前を向いた。
「ここから先は、お前らの領分じゃない」
「けどよ!」
「九条」
 烏迴さんが遮った。
「言う通りにしろ。あれは、お前らが手を出せる相手じゃない」
「……っ」
「悔しいのは分かる。だが、無駄死にするな」
「……くそっ」
 絋弥は拳で床を叩いた。
「西園寺、お前もそれでいいのかよ」
「よくないわよ」
 玲奈は即答した。
「でも、今の私たちじゃ足手まといになる」
 その声には、抑えきれない悔しさがあった。
「……それくらい、分かるでしょ」
「……ああ」
 絋弥は俯いた。
 その時。
「ほう」
 ハデスが、初めて興味を示したように口を開いた。
「ずいぶんと増えたのう」
 その声は、心底楽しそうだった。
「一人、二人、三人……七人か」
 ハデスは、指を折って数えた。
「よいよい。これは、なかなか面白くなってきたではないか」
「ふざけるな」
 アースが低く言った。
「こいつらは戦力じゃない。手を出すな」
「そうもいくまい」
 ハデスは首を横に振った。
「余の目の前に立っておるのじゃぞ。放っておけと言う方が無理じゃ」
「……」
「それに、じゃ」
 ハデスは、両手を大きく広げた。
「二対一というのも、そろそろ飽きる頃じゃろう」
 その言葉と共に、大広間の空気が――軋んだ。
 いや、軋んだなんてものじゃない。
 ――裂けた。
 さっき魔獣が出てきた時とは、比べ物にならない規模で。
 大広間の四方に、巨大な黒い門が現れた。
 高さは、天井に届くほど。
 その表面には、あの壁と同じ文字が刻まれている。
「なんだ、あれ……」
 絋弥が呻いた。
「まずいな」
 アースの声が、初めて明確な緊張を帯びた。
「あれは、魔獣の穴とは違う」
「じゃあ、何なんだよ」
「……門だ」
 アースは、低く答えた。
「向こう側と、直接繋がってる」
「向こう側?」
「冥界だ」
 その言葉に、全員が息を呑んだ。
「さて」
 ハデスは、心底愉快そうに笑った。
「余の眷属どもを、少しばかり呼ばせてもらおうかの」​​​​​​​​​​​​​​​​