黒い光が、放たれた。
視界の端で、橘が目を見開くのが見えた。
避けられない。
防げない。
そう思った瞬間だった。
橘とハデスの間に、何かが割り込んだ。
――白と、黒。
二振りの剣が、交差するように振り抜かれる。
黒い光が、真っ二つに割れた。
左右へ逸れ、大広間の壁を穿つ。
轟音。
だが、橘には掠りもしなかった。
「……ほう」
ハデスが、感心したように言った。
「あれを防ぐか」
砂埃の中に、一つの人影が立っている。
両手に、純白と漆黒の剣。
その背中には、見覚えがあった。
「……烏迴さん」
俺は、意識の奥でそう呟いた。
「いいタイミングだな、クソガキ」
アースが言った。
「悪いな、遅くなった。思ったより数が多くてな」
「烏迴先生……!」
橘が、その場に座り込んだ。
腰が抜けたらしい。
「立てるか」
「……はい、たぶん」
「なら、下がってろ」
烏迴さんは前を向いたまま言った。
その服は、あちこちが破れている。
顔にも、腕にも傷があった。
だが、立ち姿には一切の乱れがない。
「先生、他のみんなは……」
「後から来る」
烏迴さんは短く答えた。
「全員生きてる。それだけは保証する」
「……よかった」
橘が、深く息を吐いた。
そして。
「……おい」
烏迴さんの視線が、こちらへ向いた。
正確には、俺の身体へ。
「なんでお前が表に出てやがる」
その声には、明確な警戒があった。
「桐宮はどうした」
「中にいる」
アースは短く答えた。
「無事だ」
「……本当か」
アースは肩をすくめた。
「言っておくが、乗っ取ったわけじゃない。あいつの了承は取ってある」
「……」
「あ、あの……私もさっき助けてもらったので、信用していいと思います」
橘が、烏迴さんにそう説明した。
「……そうか」
烏迴さんは、それ以上追及しなかった。
「後で説明しろよ」
「気が向いたらな」
「気が向かなくても喋らせる」
烏迴さんは吐き捨てた。
二人のやり取りは、それで終わった。
烏迴さんは、視線をハデスへ戻す。
「……で、あれがそうか」
「ああ」
「なるほどな」
烏迴さんは、僅かに目を細めた。
「厄介だ」
「分かるか」
「見りゃ分かる」
烏迴さんは剣を構え直した。
「あれは、格が違う」
「その通りだ」
アースは頷いた。
「だから、手伝え」
「……あ?」
「聞こえなかったか。手伝えと言った」
アースは、面倒くさそうに繰り返した。
「一人でも勝てる。だが、時間がかかる」
「……」
「時間をかけると面倒だ」
アースは、自分の掌を眺めた。
「長引けば長引くほど、あいつは器に慣れていきこっちが不利になる」
「なるほどな」
烏迴さんは肩をすくめた。
「で、俺は何をすりゃいい」
「斬れ」
「雑だな」
「それ以外に何がある」
アースは前を向いた。
「あいつは今、自分の身体に慣れようとしてる。時間を与えるな」
「……了解だ」
烏迴さんは剣を握り直した。
その顔には、いつもの気怠げな表情はなかった。
「言っておくが、俺は前衛しかできんぞ」
「十分だ」
アースは頷いた。
「……ああ、あとさっき斬れと言ったが斬りすぎるなよ」
「分かってる、あれはクロイツの身体だ」
その時、ハデスが小さく笑った。
「話は終わったか」
「ああ」
アースは向き直った。
「待たせて悪かったな。二人で行く」
「ほう」
ハデスの目が、僅かに輝いた。
「二人がかりか」
「不満か」
「まさか」
ハデスは首を横に振った。
「余は、そういうのを望んでおった」
その視線が、烏迴さんへ移る。
「そちらの男、なかなか強そうだのう」
「……分かるのか」
「当然じゃ」
ハデスは頷いた。
「先ほどの一撃、防いだのを見た。人の身であれを斬るとは、大したものよ」
「……ちっ」
烏迴さんが、低く唸った。
「褒められても嬉しくねえよ」
「そうか? 余は本気で言うておるのじゃがな」
その時だった。
背後の入口から、複数の足音が響いてきた。
「隼人!」
「桐宮!」
振り返らなくても分かった。
絋弥と、玲奈と、雨宮と、八雲。
全員、大きな傷は見えない。
「無事か、お前ら――」
絋弥が言いかけて、止まった。
その視線が、俺の髪に釘付けになる。
「……は?」
「……隼人、その髪」
玲奈も、目を見開いていた。
「あー、これはだな」
アースが面倒くさそうに口を開いた。
「説明は後だ。今は前を見ろ」
「いや待て、お前誰だよ!」
「アースだ」
「アースって、あの――」
「そうだ。話は後にしろと言っている」
「本人の了承済みだ」
烏迴さんが横から言った。
「疑うなら後で殴れ。今は時間がない」
「いや、でも――」
「九条」
玲奈が、絋弥の肩を掴んだ。
「あれ、見て」
玲奈が指したのは、祭壇の前だった。
正確には、そこに立つ人影。
「……サラ?」
絋弥の声が、掠れた。
「あれ、サラだよな。なんで――」
「あれはお前らが知っているサラ・クロイツじゃない」
アースが短く言った。
「中身が違う」
「……は?」
「冥王ハデス」
アースは、そう告げた。
「七百年前にあいつらが呼ぼうとして失敗したものが、今夜ちゃんと出てきた」
その一言で、全員の顔から血の気が引いた。
「じゃあ……サラは」
玲奈の声が、震えていた。
「中にいるはずだ」
アースは答えた。
「意識はないと言っていた」
「そんな……」
俺は、意識の奥から呼びかけた。
届くはずがないと知りながら。
――玲奈。絋弥。
だが、その声を拾ったのは別の存在だった。
「おい、お前ら」
アースが、俺の代わりに口を開いた。
「中の馬鹿が、伝えろとよ」
「……なんだよ」
「まだ諦めてない、だとさ」
その言葉に、絋弥が拳を握りしめた。
「……当たり前だろ」
「そうだな」
玲奈も頷いた。
「私たちだって、諦めてない」
「なら、下がってろ」
アースは前を向いた。
「ここから先は、お前らの領分じゃない」
「けどよ!」
「九条」
烏迴さんが遮った。
「言う通りにしろ。あれは、お前らが手を出せる相手じゃない」
「……っ」
「悔しいのは分かる。だが、無駄死にするな」
「……くそっ」
絋弥は拳で床を叩いた。
「西園寺、お前もそれでいいのかよ」
「よくないわよ」
玲奈は即答した。
「でも、今の私たちじゃ足手まといになる」
その声には、抑えきれない悔しさがあった。
「……それくらい、分かるでしょ」
「……ああ」
絋弥は俯いた。
その時。
「ほう」
ハデスが、初めて興味を示したように口を開いた。
「ずいぶんと増えたのう」
その声は、心底楽しそうだった。
「一人、二人、三人……七人か」
ハデスは、指を折って数えた。
「よいよい。これは、なかなか面白くなってきたではないか」
「ふざけるな」
アースが低く言った。
「こいつらは戦力じゃない。手を出すな」
「そうもいくまい」
ハデスは首を横に振った。
「余の目の前に立っておるのじゃぞ。放っておけと言う方が無理じゃ」
「……」
「それに、じゃ」
ハデスは、両手を大きく広げた。
「二対一というのも、そろそろ飽きる頃じゃろう」
その言葉と共に、大広間の空気が――軋んだ。
いや、軋んだなんてものじゃない。
――裂けた。
さっき魔獣が出てきた時とは、比べ物にならない規模で。
大広間の四方に、巨大な黒い門が現れた。
高さは、天井に届くほど。
その表面には、あの壁と同じ文字が刻まれている。
「なんだ、あれ……」
絋弥が呻いた。
「まずいな」
アースの声が、初めて明確な緊張を帯びた。
「あれは、魔獣の穴とは違う」
「じゃあ、何なんだよ」
「……門だ」
アースは、低く答えた。
「向こう側と、直接繋がってる」
「向こう側?」
「冥界だ」
その言葉に、全員が息を呑んだ。
「さて」
ハデスは、心底愉快そうに笑った。
「余の眷属どもを、少しばかり呼ばせてもらおうかの」
視界の端で、橘が目を見開くのが見えた。
避けられない。
防げない。
そう思った瞬間だった。
橘とハデスの間に、何かが割り込んだ。
――白と、黒。
二振りの剣が、交差するように振り抜かれる。
黒い光が、真っ二つに割れた。
左右へ逸れ、大広間の壁を穿つ。
轟音。
だが、橘には掠りもしなかった。
「……ほう」
ハデスが、感心したように言った。
「あれを防ぐか」
砂埃の中に、一つの人影が立っている。
両手に、純白と漆黒の剣。
その背中には、見覚えがあった。
「……烏迴さん」
俺は、意識の奥でそう呟いた。
「いいタイミングだな、クソガキ」
アースが言った。
「悪いな、遅くなった。思ったより数が多くてな」
「烏迴先生……!」
橘が、その場に座り込んだ。
腰が抜けたらしい。
「立てるか」
「……はい、たぶん」
「なら、下がってろ」
烏迴さんは前を向いたまま言った。
その服は、あちこちが破れている。
顔にも、腕にも傷があった。
だが、立ち姿には一切の乱れがない。
「先生、他のみんなは……」
「後から来る」
烏迴さんは短く答えた。
「全員生きてる。それだけは保証する」
「……よかった」
橘が、深く息を吐いた。
そして。
「……おい」
烏迴さんの視線が、こちらへ向いた。
正確には、俺の身体へ。
「なんでお前が表に出てやがる」
その声には、明確な警戒があった。
「桐宮はどうした」
「中にいる」
アースは短く答えた。
「無事だ」
「……本当か」
アースは肩をすくめた。
「言っておくが、乗っ取ったわけじゃない。あいつの了承は取ってある」
「……」
「あ、あの……私もさっき助けてもらったので、信用していいと思います」
橘が、烏迴さんにそう説明した。
「……そうか」
烏迴さんは、それ以上追及しなかった。
「後で説明しろよ」
「気が向いたらな」
「気が向かなくても喋らせる」
烏迴さんは吐き捨てた。
二人のやり取りは、それで終わった。
烏迴さんは、視線をハデスへ戻す。
「……で、あれがそうか」
「ああ」
「なるほどな」
烏迴さんは、僅かに目を細めた。
「厄介だ」
「分かるか」
「見りゃ分かる」
烏迴さんは剣を構え直した。
「あれは、格が違う」
「その通りだ」
アースは頷いた。
「だから、手伝え」
「……あ?」
「聞こえなかったか。手伝えと言った」
アースは、面倒くさそうに繰り返した。
「一人でも勝てる。だが、時間がかかる」
「……」
「時間をかけると面倒だ」
アースは、自分の掌を眺めた。
「長引けば長引くほど、あいつは器に慣れていきこっちが不利になる」
「なるほどな」
烏迴さんは肩をすくめた。
「で、俺は何をすりゃいい」
「斬れ」
「雑だな」
「それ以外に何がある」
アースは前を向いた。
「あいつは今、自分の身体に慣れようとしてる。時間を与えるな」
「……了解だ」
烏迴さんは剣を握り直した。
その顔には、いつもの気怠げな表情はなかった。
「言っておくが、俺は前衛しかできんぞ」
「十分だ」
アースは頷いた。
「……ああ、あとさっき斬れと言ったが斬りすぎるなよ」
「分かってる、あれはクロイツの身体だ」
その時、ハデスが小さく笑った。
「話は終わったか」
「ああ」
アースは向き直った。
「待たせて悪かったな。二人で行く」
「ほう」
ハデスの目が、僅かに輝いた。
「二人がかりか」
「不満か」
「まさか」
ハデスは首を横に振った。
「余は、そういうのを望んでおった」
その視線が、烏迴さんへ移る。
「そちらの男、なかなか強そうだのう」
「……分かるのか」
「当然じゃ」
ハデスは頷いた。
「先ほどの一撃、防いだのを見た。人の身であれを斬るとは、大したものよ」
「……ちっ」
烏迴さんが、低く唸った。
「褒められても嬉しくねえよ」
「そうか? 余は本気で言うておるのじゃがな」
その時だった。
背後の入口から、複数の足音が響いてきた。
「隼人!」
「桐宮!」
振り返らなくても分かった。
絋弥と、玲奈と、雨宮と、八雲。
全員、大きな傷は見えない。
「無事か、お前ら――」
絋弥が言いかけて、止まった。
その視線が、俺の髪に釘付けになる。
「……は?」
「……隼人、その髪」
玲奈も、目を見開いていた。
「あー、これはだな」
アースが面倒くさそうに口を開いた。
「説明は後だ。今は前を見ろ」
「いや待て、お前誰だよ!」
「アースだ」
「アースって、あの――」
「そうだ。話は後にしろと言っている」
「本人の了承済みだ」
烏迴さんが横から言った。
「疑うなら後で殴れ。今は時間がない」
「いや、でも――」
「九条」
玲奈が、絋弥の肩を掴んだ。
「あれ、見て」
玲奈が指したのは、祭壇の前だった。
正確には、そこに立つ人影。
「……サラ?」
絋弥の声が、掠れた。
「あれ、サラだよな。なんで――」
「あれはお前らが知っているサラ・クロイツじゃない」
アースが短く言った。
「中身が違う」
「……は?」
「冥王ハデス」
アースは、そう告げた。
「七百年前にあいつらが呼ぼうとして失敗したものが、今夜ちゃんと出てきた」
その一言で、全員の顔から血の気が引いた。
「じゃあ……サラは」
玲奈の声が、震えていた。
「中にいるはずだ」
アースは答えた。
「意識はないと言っていた」
「そんな……」
俺は、意識の奥から呼びかけた。
届くはずがないと知りながら。
――玲奈。絋弥。
だが、その声を拾ったのは別の存在だった。
「おい、お前ら」
アースが、俺の代わりに口を開いた。
「中の馬鹿が、伝えろとよ」
「……なんだよ」
「まだ諦めてない、だとさ」
その言葉に、絋弥が拳を握りしめた。
「……当たり前だろ」
「そうだな」
玲奈も頷いた。
「私たちだって、諦めてない」
「なら、下がってろ」
アースは前を向いた。
「ここから先は、お前らの領分じゃない」
「けどよ!」
「九条」
烏迴さんが遮った。
「言う通りにしろ。あれは、お前らが手を出せる相手じゃない」
「……っ」
「悔しいのは分かる。だが、無駄死にするな」
「……くそっ」
絋弥は拳で床を叩いた。
「西園寺、お前もそれでいいのかよ」
「よくないわよ」
玲奈は即答した。
「でも、今の私たちじゃ足手まといになる」
その声には、抑えきれない悔しさがあった。
「……それくらい、分かるでしょ」
「……ああ」
絋弥は俯いた。
その時。
「ほう」
ハデスが、初めて興味を示したように口を開いた。
「ずいぶんと増えたのう」
その声は、心底楽しそうだった。
「一人、二人、三人……七人か」
ハデスは、指を折って数えた。
「よいよい。これは、なかなか面白くなってきたではないか」
「ふざけるな」
アースが低く言った。
「こいつらは戦力じゃない。手を出すな」
「そうもいくまい」
ハデスは首を横に振った。
「余の目の前に立っておるのじゃぞ。放っておけと言う方が無理じゃ」
「……」
「それに、じゃ」
ハデスは、両手を大きく広げた。
「二対一というのも、そろそろ飽きる頃じゃろう」
その言葉と共に、大広間の空気が――軋んだ。
いや、軋んだなんてものじゃない。
――裂けた。
さっき魔獣が出てきた時とは、比べ物にならない規模で。
大広間の四方に、巨大な黒い門が現れた。
高さは、天井に届くほど。
その表面には、あの壁と同じ文字が刻まれている。
「なんだ、あれ……」
絋弥が呻いた。
「まずいな」
アースの声が、初めて明確な緊張を帯びた。
「あれは、魔獣の穴とは違う」
「じゃあ、何なんだよ」
「……門だ」
アースは、低く答えた。
「向こう側と、直接繋がってる」
「向こう側?」
「冥界だ」
その言葉に、全員が息を呑んだ。
「さて」
ハデスは、心底愉快そうに笑った。
「余の眷属どもを、少しばかり呼ばせてもらおうかの」

