魔力の少ない魔法使い二年生編

「よぉ、桐宮」
 八雲だった。
 制服の上着を肩に引っ掛け、相変わらずガラの悪い立ち姿でこちらへ歩いてくる。
「悪いな、遅れた」
 雨宮が言った。
「いや、間に合ってる」
「話は道々聞いた」
 八雲が口を開いた。
「要は、あのピンク髪を取り返しに行くんだろ?」
「……ああ」
「相手は、里ひとつ分」
「そうだ」
「上等じゃねえか」
 八雲はニヤリと笑った。
「久々に暴れられそうだな」
「……お前、事情分かってんのか」
「分かってるっつーの」
 八雲は面倒くさそうに頭を掻いた。
「クラスメイトが攫われた。取り返しに行く。それだけだろ」
「攫われたわけじゃ――」
「同じだろ、そんなもん」
 その言い切りに、俺は何も返せなかった。
 同じだ。
 確かに、同じかもしれない。
 あいつは自分の意思だと言った。
 だが、その意思がどうやって作られたのか。
 誰が、いつから、あいつにそう思い込ませたのか。
 それを考えれば――攫われたのと、何が違う。
「烏迴先生」
 雨宮が頭を下げた。
「参加させてください」
「……お前らか」
 烏迴さんは、二人を順に見た。
「言っておくが、遊びじゃないぞ」
「承知してます」
「八雲」
「あ?」
「お前は特にだ」
 烏迴さんは低く言った。
「向こうで暴れたい気持ちが少しでもあるなら、今すぐ帰れ」
 八雲の表情から、笑みが消えた。
「……あのな、先生」
「なんだ」
「俺は強え奴と戦うのが好きだ。それは否定しねえ」
 八雲は、真っ直ぐに烏迴さんを見返した。
「けど、それとこれは別だ。俺だって、そのくらいの区別はつく」
「……」
「今日は取り返しに行くんだろ。なら、それが最優先だ」
 しばらくの沈黙の後、烏迴さんが小さく息を吐いた。
「……いいだろう」
 その言葉に、八雲は再び笑った。
「話が分かるじゃねえか」
「勘違いするな」
 烏迴さんは即座に言った。
「お前を信用したわけじゃない。ただ、断る時間が惜しいだけだ」
「へっ、それでも構わねえよ」
 八雲は肩をすくめた。
「あの、八雲君」
 橘が遠慮がちに声をかけた。
「あん?」
「その……ありがとう」
「礼を言われる筋合いはねえよ」
 八雲はそっぽを向いた。
「俺が勝手に来ただけだ」
「それでも」
 橘は深く頭を下げた。
「……ちっ」
 八雲は舌打ちをして、それ以上何も言わなかった。
 その耳が、微かに赤くなっているように見えたのは気のせいだろうか。
「一ノ瀬には言ってきたのか」
 雨宮が尋ねた。
「言うわけねえだろ」
「後で怒られるぞ」
「うるせえ」
 八雲は面倒くさそうに答えた。
「あいつに言ったら、絶対ついてくるって言い出す」
「……ああ、確かにな」
「あいつは、こういうのに向いてねえ」
 その言い方に、俺は少しだけ意外な気がした。
 こいつなりに、あの女子生徒のことを考えているらしい。
「よし」
 烏迴さんが全員を見回した。
「これで全員か?」
「はい」
 俺は答えた。
「エスクードは?」
「連絡が取れません」
「……そうか」
 烏迴さんの表情が、僅かに曇った。
「あいつがいないのは、痛いな」
 その一言に、場の空気が少し重くなった。
 ルイの実力は、この場の誰よりも上だ。
 一年の時から、それは変わっていない。
 あいつが一人いるかいないかで、状況は大きく変わる。
「……あの」
 その時、玲奈が口を開いた。
「楓さんは?」
 その名前に、俺は動きを止めた。
 桐宮楓。
 俺の姉で、この学園の生徒会長。
「あの人なら、絶対に来てくれるはずよ」
 玲奈が言った。
「隼人の姉さんなんだから」
「……ああ、そうだな」
 なぜ思いつかなかったんだろう。
 あの人がいれば、状況は――。
「無理だ」
 烏迴さんが、あっさりと言った。
「え?」
「桐宮楓は、今この学園にはいない」
「……は?」
「二日前から関西だ」
 烏迴さんは面倒くさそうに答えた。
「向こうの学園に、生徒会長として用事で行っている」
「関西……?」
「聞いていないのか」
「初耳です」
 俺は答えた。
 だが、思い返せば確かに、ここ最近あの人の姿を見ていない。
 生徒会が忙しいのだろうと、勝手に思っていた。
「なんで関西なんかに」
「さあな」
 烏迴さんは肩をすくめた。
「学園同士の付き合いだろう。何か企画があるとか聞いた気もするが、俺は生徒会の担当じゃない」
「……」
「いずれにせよ、今夜には間に合わん」
 その一言で、話は終わりだった。
 玲奈が、悔しそうに唇を噛む。
「……間が悪すぎるでしょ」
「本当にな」
 俺も同意した。
 連絡すれば、たぶん飛んでくるだろう。
 だが、関西からこの山まで、どれだけかかる。
 それに――あの人まで巻き込むわけにはいかない。
 生徒会長という立場は、学園長ほどではないにせよ、決して軽くない。
「六人か」
 烏迴さんが呟いた。
「多くはないが、少なすぎるということもない」
「……足りますか」
「足りるかどうかを議論する時間はない」
 烏迴さんは言い切った。
「これが今、俺たちが持っている全部だ」
 そして、空を見上げた。
 最後の赤も、既に消えかけている。
 星だけが、少しずつ増えていた。
「一つ、確認しておく」
 烏迴さんは全員を見回した。
「向こうに着いたら、まず音を立てるな」
「音?」
「昨日、あの里は異様に静かだった」
 烏迴さんは言った。
「石畳を歩く足音が、嫌になるほど響いた。あの場所では、こちらの動きは全部聞かれていると思え」
「……」
「正面から乗り込むわけじゃない。あくまで、見つからずに奥まで行く」
「見つかったら?」
 絋弥が尋ねる。
「その時は考える」
 烏迴さんは短く答えた。
「ただし、無闇に手を出すな。相手が誰であろうとだ」
「……」
「向こうにいるのは、クロイツの家族だ」
その一言に、全員が黙った。
「返事は」
「はい」
「分かりました」
 全員が頷いた。
 八雲だけが、僅かに舌打ちをして、それから小さく頷いた。
「よし」
 烏迴さんは、俺たちを校門の外へ促した。
 街灯の下に、六人が集まる。
「それじゃあ今から移動する。全員で輪になって、隣の奴の肩に手を置け。俺も混ざるからよ」
 俺たちは言われるがままに円陣を組んだ。
 俺は左隣の玲奈の肩に手を置き、右隣からは絋弥の手が俺の肩に乗る。
 烏迴さんもその輪の一部に加わり、全員が物理的に一つの「円」として繋がった。
 烏迴さんの纏う空気が、一変した。
 さっきまでの気怠さが、消えている。
「全員いいな?――転移」
 烏迴さんが短く呟いた瞬間、視界がぐにゃりと歪んだ。
 肩に置いた手から、暴力的なまでの魔力の奔流が伝わってくる。
 全身を貫くような衝撃と、胃が浮き上がる強烈な浮遊感。
 次の瞬間――足に伝わってきたのは、アスファルトではなく柔らかな土の感触だった。
「……っ」
 視界が戻る。
 顔に当たる風が、冷たい。
 街の空気とは、まるで違う。
 湿った土と、木の匂い。
 目の前に、あの石造りの門があった。
「……相変わらず、とんでもねえな」
 絋弥が呻くように言った。
「これだけの人数を、魔法陣もなしに」
 玲奈も、青い顔で口を押さえている。
「静かにしろ」
 烏迴さんが低く制した。
 全員が、口をつぐんだ。
 俺は、改めて門を見上げた。
 昨日と同じ石造りの門。
 だが、決定的に違うことが一つある。
「……開いてる」
 俺は呟いた。
 門は、大きく開かれていた。
 昨日、俺たちが帰る時、あれは確かに閉められたはずだ。
 誰も触れていないのに、重い音を立てて。
「先生」
 雨宮が声を落とした。
「これ、どういうことです」
「……さあな」
 烏迴さんは門を見据えたまま答えた。
 その向こうに広がる里は、真っ暗だった。
 家々に、明かりが一つもない。
 人の気配も、物音もない。
 昨日感じた、あの無数の視線すらなかった。
 まるで、誰もいなくなったかのように。
「……気持ち悪いわね」
 玲奈が呟く。
「ああ」
 俺も同意した。
 その時、烏迴さんが門の脇にしゃがみ込んだ。
「先生?」
「……妙だな」
 烏迴さんは、地面の一点を指でなぞっていた。
 俺も覗き込む。
 石畳と土の境目に、何かが残っていた。
 ――足跡だ。
 それも、俺たちのものではない。
 まだ新しい。
 門の外から、中へ向かっている。
「誰か、先に入ったんですか」
「そうなるな」
「里の人間じゃ?」
「靴だ」
 烏迴さんは短く言った。
「里の連中は、昨日全員草履だった」
 俺たち以外に、この門をくぐった人間がいる。
 それも、外から来た人間が。
「……敵ですかね」
 雨宮が低く尋ねた。
「分からん」
 烏迴さんは立ち上がった。
「だが、今は考えている時間がない」
 その通りだった。
「行くぞ」
 烏迴さんが、静かに門をくぐった。
 俺たちも、足音を殺してその後に続く。