魔力の少ない魔法使い二年生編

目が覚めたのは、昼を大きく回った頃だった。
 カーテンの隙間から差し込む光が、いつの間にか橙色に変わっている。
 枕元のスマホを見ると、四時近い。
「……半日以上、寝てたのか」
 俺は起き上がった。
 体は重い。
 だが、頭は昨日よりも冴えていた。
 冴えている分だけ、余計に苦しかった。
 ――もう来ないで。
 あの言葉が、真っ先に浮かんでくる。
 俺はベッドに座ったまま、しばらく動けなかった。
 窓の外では、鳥が鳴いている。
 そろそろ授業も終わる頃だろうか。
 玲奈も絋弥も、今日一日あの空席を見ていたはずだ。
 二つになった空席を。
 スマホには、通知がいくつか溜まっていた。
 玲奈から。絋弥から。
 どうだったのか、無事なのか、と。
 だが、どう返せばいいのか分からなかった。
 会えた。
 会って、断られた。
 それだけの事実を、どう書けばいいのか。
「……くそ」
 俺はスマホを枕元に放り、両手で顔を覆った。
 どうすればいい。
 考えろ。
 だが、考えれば考えるほど、行き止まりにしか辿り着かない。
 あいつは自分の意思だと言った。
 学園も、母さんも、手を出せない。
 俺には権限もなければ、根拠もない。
 あるのは、あの日見た違和感だけだ。
 ――白い着物。
 ――誇りでございます。
 ――支度がございますので。
 どれも、決定的じゃない。
『……なんだ、諦めんのか』
 脳内に、直接声が響いた。
「……アース」
『他に誰がいる』
「うるさい。今は放っておいてくれ」
『ほう』
 アースは、面白くもなさそうに鼻を鳴らした。
『あのピンク髪に拒絶されて、終いか』
「……っ」
 俺は跳ね起きた。
「終いなわけあるか!」
『じゃあ、なんで寝転がってる』
「……」
 言い返せなかった。
 その通りだったからだ。
『言っておくが、俺はお前のそういう面倒くさいところを見込んで契約したんだぞ』
 アースは、心底うんざりしたような声で言った。
『何度殴られても立ち上がる。誰に止められても突っ込む。あの馬鹿げた諦めの悪さだ』
「……」
『それが、一日で萎れちまうとはな』
「……萎れてない」
『どうだかな』
「萎れてないっつってんだろ!」
 俺は暗闇に向かって叫んでいた。
「どうすりゃいいのか分からないだけだ!」
『ほう』
「あいつは帰らないって言った。自分で決めたって。だったら俺に何ができるんだよ!」
 叫んでから、俺は自分の言葉に気づいた。
 ――ああ、そうか。
 俺は、諦める理由を探していたんだ。
 本人がそう言ったんだから仕方ない、と。
 そう思うことで、楽になろうとしていた。
「……くそ」
 俺は両手で顔を覆った。
「最低だな、俺」
『そうだな』
「フォローしろよ」
『事実だろう』
 アースは容赦がなかった。
 だが、そのおかげで頭が少しだけ冷えた。
 俺はベッドに座り直し、天井を見上げた。
 あの里で見たものを、一つずつ思い返す。
 白い着物。こけた頬。
 「支度」という言葉。
 誇りだと言った男。
 ――我らが長く待ち望んだお方です。
「……なあ、アース」
『なんだ』
「一つ聞いていいか」
『言ってみろ』
「クロイツ家とか、『呪われた一族』とか呼ばれてた奴らのこと……何か知らねえか?」
 どうせ無理だろう、という半ば諦め混じりのぼやきだった。
 こいつに聞いても仕方がない。
 そう思いながら、それでも口にしていた。
 ところが――。
『……クロイツ。ああ、知っているぞ』
 脳内に響いたその声は、あっさりとしたものだった。
「は……? マジで!?」
 俺は思わずベッドから立ち上がった。
『確か七百年だか八百年だか前に、そんな連中がいたはずだ』
「七百年!? そんなに前なのか……というか、お前何歳なんだよ」
『あ? 今は関係ねえんじゃないか?』
「それはそうだな……」
 思わず納得しかけてから、俺はふと疑問に思った。
「……待て。じゃあ、なんで今まで何も言わなかったんだ?」
『何がだ?』
「クロイツ家のことだよ。お前が知ってたなら、今まで黙ってる必要なかっただろ」
『……ああ、そのことか』
 アースは少し間を置いてから答えた。
『単純に、お前から聞かれなかったからだ』
「……それだけ?」
『それだけだ。俺はお前と違ってお人よしじゃないんでな』
 くそ。こいつ。
『それに、俺が知っているのは七百年だか八百年だか前のクロイツだ。今の連中が何をしているかなんて、俺には分からねえ。だからわざわざ昔話をする必要もないと思ってた』
「……なるほどな」
 確かに、アースからすれば昔の話をわざわざ持ち出す理由なんてなかったのだろう。
 だが、こっちは五日かけて何一つ掴めていない。
 その五日を、こいつは黙って見ていたわけだ。
 山を五時間かけて登って、断られて、五時間かけて帰ってきたのも。
「……次からは、気づいたら言ってくれ」
『善処しよう』
 絶対にしないやつの返事だった。
「まあいい。それより――」
 俺はベッドに座り直した。
 喉が、妙に渇いている。
「七百年前のクロイツって、何をやってたんだ?」
 帝の言葉が頭をよぎる。
 ――ずいぶんと怪しい儀式をやっていた家だと。
 あれが本当なら、アースはその中身を知っているかもしれない。
『……冥王ハデスだ』
「は……?」
 聞き慣れない言葉に、俺は眉をひそめた。
『クロイツの一族は、現世に死の概念を、そして冥王たるハデスを永遠に召喚し、縛り付けようとする狂った儀式を行っていた。それが、奴らが「呪われた一族」「死の一族」と呼ばれた所以だ』
「ハデスを召喚……?」
『ああ。それもただの召喚じゃねえ。さっきも言ったが、永遠に召喚をしようとしていた』
「永遠にって……そんなことできるのか」
『できるかどうかじゃねえ。奴らはやろうとしたんだ』
 アースは淡々と続けた。
『だが、それほどの存在を現世に留めておくためには、強靭な「器」が必要になる』
「器……」
『そうだ。冥王の力を降ろすための器――すなわち「依代(よりしろ)」だ』
 嫌な予感がした。
 背中を、冷たいものが這い上がってくる。
『そしてその依代には、一族の中でも特異な魔力と血を持つ者が選ばれていた』
「……特異な、魔力と血」
『ああ』
 部屋の空気が、急に薄くなった気がした。
『だが、当時のそいつらは結局失敗した。用意した器がハデスの力に耐えきれず崩壊したのか、誰かに邪魔されたのかまでは知らねえがな。結果として儀式は頓挫し、一族は没落して表舞台から姿を消したはずだったんだが……』
 アースの淡々とした言葉が、冷たい水のように俺の全身を巡っていく。
 依代。
 一族の中から選ばれる、特異な血を持つ者。
 ――我らが長く待ち望んだお方です。
 あの男の言葉が、頭の中で反響した。
 誇りだと、あの男は言った。
 待ち望んだ、と。
「……待てよ」
 俺の声が、微かに震えた。
「まさか……今になって、その儀式をまたやろうとしてるのか? 七百年の時を経て、その『依代』に足る人間が生まれたから……サラを……っ!」
『あくまで可能性の話だが、状況を考えれば辻褄は合うな』
 アースは静かに答えた。
『退学の急さも、家に戻したことも、外部の人間を里に入れたがらねえのも、全部そう考えれば筋が通る』
「……」
『それに、お前が昨日見てきたものもだ』
 俺は、思わず息を呑んだ。
「見てたのか」
『お前の中にいるんだ。嫌でも見える』
 アースは面倒くさそうに言った。
『白い着物を着てただろう、あのピンク髪』
「……ああ」
『あれは、この国じゃ普通、二つの意味で着るもんだ』
「二つ?」
『嫁入りか』
 アースは、そこで一度言葉を切った。
『――死装束か、だ』
 背筋が、凍りついた。
「……っ!」
『あの様子だと、嫁入りではなさそうだったがな』
「ふざけんな!」
 俺は思わず立ち上がっていた。
「そんな、サラが……!」
『落ち着け』
「落ち着けるか!」
『落ち着けと言っている』
 アースの声が、僅かに鋭くなった。
『俺が言ったのは可能性の話だ。断定じゃねえ』
「でも――」
『だが、もし当たっていたなら』
 アースは続けた。
『あのピンク髪は今頃、儀式の準備のために里の奥深くにいるはずだ』
「……ッ」
 俺は拳を強く握りしめ、ギリッと奥歯を噛み鳴らした。
「なら、今すぐ行かないと――」
『慌てるな』
「慌てるに決まってるだろ!」
『いつ行われるかも知らずに突っ込む気か』
 その一言に、俺は動きを止めた。

「……知ってるのか」
『日取りのことか』
「ああ」
『あの手の儀式には、必ず決まった日がある』
 アースは静かに言った。
『天の運行、月の満ち欠け、暦。どれが条件かは家によるが、クロイツの場合は――』
「なんだよ」
『新月だ』
 その言葉に、俺は昨夜の空を思い出した。
 寮の窓から見上げた、あの暗い空。
 星はよく見えたのに、月が見当たらなかった。
「……待て」
 俺は震える手でスマホを掴んだ。
 暦のアプリを開く。
 今月の月齢が、一覧で表示された。
 指が、止まった。
 視界が、揺れた気がした。
「……今夜だ」
『何だと』
「今夜だ、新月」
 画面には、はっきりとそう表示されていた。
 昨日ではない。明日でもない。
 今夜。
 あと、数時間。
『……そうか』
 アースの声が、初めて低くなった。
『七百年前も、新月の夜だった』
「……っ!」
 時計を見る。
 午後四時を回ったところだった。
 日が暮れるまで、あと二時間もない。
 俺は、部屋を飛び出していた。