高校三年生。高校生としての最後の年。部活も友人も全てに【最後】が付く。どこか悲しくて寂しい気持ちに自然となってしまう。それと同時に【最後】に全てを賭ける時期でもある。
俺と陸が所属する野球部もこの夏に賭けていた。3年生になり、陸は野球部のキャプテンをそして俺は副キャプテンを任されている。キャプテンの陸は俄然甲子園出場に燃えている。それもそうだろう。泣いても笑っても今年の夏の大会が俺たちにとっては最後のチャンスなのだから。陸も俺もそして部員全員がより一層練習に力が入る。朝は早くからランニング練習にバッティング練習、キャッチボール。実践的なことももちろん、これまでの対戦相手の癖などを分析したり、とにかく勝つためにやれること全てに全力を注ぐ。
暑い中での練習はキツイなんてものじゃなかったが、陸が居るから頑張ることが出来る。明るくてポジティブな陸は辛い練習の中で俺だけでなく部員全員の光であり支えのような存在だ。
送球ミスをした部員には「大丈夫!大丈夫!ナイスチャレンジ!もう1回!」と明るく声をかけ、練習が終われば部員全員に「お疲れ!」と声を掛け、良かったところを褒め伝えていた。誰にでも優しくてどんな小さなことでも逃さず褒める陸が一段と嬉しそうにする瞬間がある。
俺のバッティングの調子がいい時だ。陸の投げた球を俺が快音を響かせて打つ度に弧を描いて飛んでいく球を大きく目を見開いて見つめると必ず俺に向かって親指を立てて必ず言う。
「やっぱり海のバッティングはカッコイイな!」
その笑顔が何よりも原動力になっている。
夏の練習は正直かなりキツイが俺はこの時期の練習が一番好きだ。
突き抜けるような青空と降り注ぐ太陽の光。弾ける汗と蝉の声。そして陸の笑顔が一番似合うから。眩しい太陽のような陸は夏が本当によく似合う。
それから、練習終わりが好きだ。蜩が鳴く夕暮れに陸と二人で帰る時間が。夏になると必ずコンビニに寄ってアイスを買って帰るのが恒例になっている。買うアイスはいつも同じでふたりで分け合えるものを買う。まだ強さの残る陽射しを浴びながらアイスを片手に練習の事や勉強のこと家族のこと、他愛もない話をしながら2人並んで帰れるのが何よりも楽しくて幸せで仕方がない。時には校則を破って自転車に二人乗りをして帰ったりもした。
高校最後の夏休みを目前に周りが浮き足立つ中、陸は一人、浮かない顔をしていた。その理由は分かっている。
「テスト……嫌だ……」
机に突っ伏した陸が吐き出すようにつぶやく。誰にでも優しくて明るい非の打ち所がないような陸の唯一の非。それが、勉強なのだ。陸は小学生の時から勉強が苦手だった。長期休暇の宿題はギリギリまでやらない。最後の1週間間際になって俺に泣きついてくるのがお決まりのパターン。どの教科がとかではなく全部が苦手らしい。ギリギリまでやらない陸が全面的に悪いが、陸に頼られるのが嬉しくてつい面倒を見てしまう、甘やかしてしまう俺も俺だ。勉強会と口実を付けて陸と夜を明かせるチャンスを逃したくはないから仕方がない。
「テスト嫌だけど、手を抜くわけにはいかないんだよな〜」
額を机に押し付けながら陸が呟く。
俺たちのいる野球部はテストで赤点を取った生徒は練習に参加出来ないという、勉強が苦手な人間には厳しいルールがある。陸がこれまで参加できていたのは俺が勉強を教えてきたおかげで何とか赤点を回避してきているからだ。
「じゃあ、やるか?勉強会」
ガバッと陸が顔をあげる。これまでのどんより顔とは打ってかわって、満面の笑みを見せると俺の両手をギュッ!と握る。
「お願いします!神様仏様海様〜!」
瞳を潤ませながら言う陸にドギマギしながらも冷静を装う。
「了解しました〜ただしスパルタだから覚悟しとけ?」
「とか言って、いつも優しく教えてくれるじゃん!」
……そうだよ。俺がお前に厳しく出来るわけないじゃん。お前だから優しくしてんだよ。お前じゃなかったら勉強会だって開いてやってないよ。
なんて言えるはずもなくて。
「そうと決まれば早速今日からやろうぜ!俺もやる気になってきたし!」
「は?今日から?急すぎだろ……準備とか……」
言いかけて思い出した。何回も陸の家に泊まりに行っているせいで俺専用のお泊まりセットがいつの間にか買われていて準備なんてする必要が無いことに。
「準備?しなくていいだろ、うちに一式全部揃ってるんだし!」
「そうだった」
「よーしじゃあ帰って勉強会するぞ〜!」
一応母親に、今日から陸の家泊まるとだけメッセージを送って、1人飛び出して行った陸の後を仕方なく追い掛ける。
「で、どの教科からやる気なんだ?」
半歩前を歩く陸に声を掛けると、陸の肩がぴくりと動く。
「陸?」
「あのー、海様…」
遠慮がちに振り向いた陸に俺は察する。
「ま、さ、か、今日は勉強しないとか言わないよな?」
陸をじっと見つめると陸はあからさまにふいっと目をそらす。
「だって〜、海が俺ん家来てくれんの久しぶりだし〜?まだテストまで時間あるし?」
そんな目を泳がせまくって言われてもなあ……。
「ダメだ。陸、お前分かってんのか?キャプテンであるお前が練習参加出来なくなるとか大問題だからな?」
ビシッと指差すと、陸は分かってるけどぉ…としゅんと俯く。
「海と久しぶりにお泊まり会出来るの俺、ほんとに嬉しいし、勉強だけじゃなくて海と遊びたいし」
陸が唇を尖らす。
…………分かる。俺だって久しぶりに陸の家に行けるの滅茶苦茶嬉しい。出来れば勉強だけじゃなくてゲームとかだってしたい。でも、陸に赤点を取らせるわけにはいかない。だがしかし、俺は陸の少し拗ねた顔に弱い。
「うーーーん……そうだな…じゃあ、1時間だけな」
結局、陸を甘やかしてしまうのだ。
「海〜!!ありがとう〜!!やった〜!早く帰ろ〜ぜ!」
陸が俺の手を取り、駆け出していく。陸の後ろ姿を見ながら、あと何回陸と一緒に帰れるだろうかと少しだけ寂しくなった。この景色を忘れないでいようと、俺の手を引く陸の後ろ姿を目に焼きつけるようにじっと見つめた。
「お母さーん!ただいまぁー!」
家の中に入って陸が大声で叫ぶと台所の方から陸の母親のおかえりという声が返ってきた。
「お邪魔します!」
陸の後に続いて俺が大きな声で挨拶をすると陸の母親は「いらっしゃい〜!まおちゃんから連絡来てたから準備バッチリよ〜!」と元気よく返事をした。ちなみに、まおちゃんというのは俺の母親のことである。俺の母親と陸の母親は仲がとても良い。休日にしょっちゅう二人で出かけるくらいだ。
「海!早く!俺の部屋行くぞ!」
待ちきれないというように、俺をぐいぐいと引っ張る。
「分かったって!引っ張んなって!」
どたどたと騒がしい俺たちを、陸の母親は「相変わらず仲良しね〜」と微笑ましそうに見つめる。笑った顔が陸にそっくりだ。陸の母親の「後でおやつ持っていくわね〜」という言葉を背中に受けながら、陸の部屋へ引っ張り入れられた。
久しぶりの陸の部屋。最後に来たのは1年の冬だっけ。全然変わってなくて安心する。
けれど、陸の無防備さというか純真さには恐ろしさを感じる。普通の友達ならまだしも、相手の俺はお前のことが恋愛的な意味で好きなんだぞ?お前を友達として見ていない男だぞ?それに俺たちは高校生、思春期真っ盛りなそういった話題に敏感で興味津々な年齢だ。同性であるとはいえ片想い相手の部屋に来て正気が保てるとは限らないだろ。まぁ、陸は俺が陸のことをそういう目で見てるって知らないから仕方ないのだろうけど。俺は部屋に来てから既に緊張でいっぱいだからな……。理性と正気を保てるか心配でならない。
クーラーをつけたばかりの部屋はまだ暑くて、じんわりと汗が滲んでいく。
「クーラーつけたばっかだからまだあちぃね」
陸はそんなことを言って笑いながら暑そうに制服の胸元をぱたぱたと扇ぐ。陸の身体を伝う汗がときどき光って見える。緩められた胸元を見ないように意識しないようにすればするほど、目線は陸の胸元ばかりに行ってしまう。見るな見るな、意識しすぎるな……陸の全裸だって見たことあるじゃないか。どれだけ一緒に風呂に入ってきたと…浮かびかけたよこしまな想像をかき消すように頭を振る。
「海は暑くねぇ?大丈夫か?」
俺の顔を覗き込んできた陸と目が合って、気が付いたら開いた胸元に視線が落ちていた。その視線に気が付いた陸が、きゅっと胸元を隠す素振りをして
「どこ見てんだよ…海のスケベ……」
と上目遣いがちに頬を赤く染める。スケベって…いや、今の俺はすけべか。というか、お前が気にしなさすぎなんだよ…いいのか?俺がここで襲っちまっても。陸を見つめ返す。
……陸の目って綺麗な色だよな。なんていうか紅茶みたいな澄んだ薄い茶色。吸い込まれてしまいそうだ。睫毛の色素も人より薄くて、光に透けて綺麗だ。お互い見つめあったまま何も言葉を発さず、部屋にはクーラーの回る音と時計の針の音が微かにするだけ。外では蝉が煩く鳴いて何かを急かしているようだ。クーラーが効いてくる頃合のはずなのに、体は熱くて思考が上手く回らない。このままキスをしてしまってもいいのではないか、そんな考えが脳内を駆け巡り始める。夏の暑さのせいにしたって許されるような気がしてきた。
ごくりと唾液を飲み込んで、少しずつ陸に顔を近付ける。……陸、嫌だったら逃げていいんだぞ。俺の想いとは反対に陸は何故か顔をそらすこともしなくて俺をただ見つめ続けている。そうだ、これは夏のせいだ。夏の暑さのせいで——。
微かに聞こえてきた陸の母親が階段を登ってくる音で我に返る。
「ぁ、わ、わりぃ…ちょっとぼーっとしてたわ」
慌てて陸から離れて陸の方を見ると何も言わず耳まで赤くさせて明後日の方を向いている。その耳が赤いのは、暑さのせいなのか?それとも——
「りk……」
陸に何か言おうとした時、ちょうど陸の母親が部屋のドアを開けた。
「陸〜!海くーん!飲み物とお菓子持ってきたわよ〜……あら?」
不自然に空いた距離を見て、陸の母親が一瞬不思議そうに首を傾げる。
「どうしたのよ、そんなに離れて座っちゃって。暑かったのかしら?クーラーの温度下げてもいいからね〜」
陸の母親は俺と陸の間にある机の上に飲み物とおやつを置いて部屋を出て行った。
……あの時、俺は陸に何を聞こうと思ったんだろう。聞いて何をしたかったのだろう。確証なんてほぼ無いに等しいのに、もしかしたら陸が耳まで赤くしていたのは本当に暑さのせいかもしれない。陸も俺が好きだという根拠も確信も無いのに気持ちを聞こうとしていた自分に呆れる。勢いで告白したって意味無いのに。
陸と俺の間に沈黙が流れる。静かな部屋には時計の針の音だけが響いて、外では変わらず蝉が鳴いている。自分の心臓の音がやたらと煩い。
「お、温度下げる?」
最初に沈黙を破ったのは陸だ。
「そうするか」
再び沈黙が訪れる。麦茶の氷がからんっと音を立てる。
「どうする?ゲーム、するか?」
とてもゲームができるような状態ではなさそうではあるが一応聞いてみる。
「いい…勉強するわ」
あまりにも弱々しい声が返ってきて思わず吹き出してしまった。すると
「なーに笑ってんだよぉ」
拗ねて陸が頬を膨らませる。
「ふっ…ハハハッ、ごめ、だって聞いたことない大きさの声だったから…クッ…フフ…」
ツボに入って笑いが止まらない。俺につられて陸も笑いだす。
「アハハ!たしかに!俺あんな小さい声出るんだな!アハハ!めっちゃ変だったわ!」
可笑しい〜と言いながら陸はけらけら笑う。気が付けば自然と距離は戻っていた。一通り2人で笑ったあと、教科書とノートをカバンから取り出し机の上に並べる。
「じゃ、陸が勉強の方がいいって言うから、始めますか?勉強会」
陸を見てニヤリとすると、陸はしまったという顔をしたあと観念したように小さく息を吐いて
「言っちゃったもんな〜勉強するって〜しゃーなし…言質取られちゃったし、やりますか〜」
と伸びをして俺に笑いかける。
「じゃあ、まずは1番点数の低い数学から」
こうして1番の目的である勉強会が始まった。
勉強会が始まって1時間。
「ゔぁ゙〜……もうダメだァ…全然頭回んねぇ〜」
早くも陸は音《ね》を上げて机に突っ伏す。
「おいおい、まだ1時間しか経ってないぞ?」
陸の脇腹を肘で小突く。
「1時間も頑張ったもーん」
陸は俺の方に顔を向けて悪戯っぽく笑う。
「はいはい。偉い偉い」
くすりと笑って、陸の頭を撫でる。
「なんだよ〜子供扱いすんなし〜」
と言いながらも陸は嬉しそうに目を細める。初めて見る顔だった。陸の笑顔はこれまで沢山見てきたけどこの笑顔は初めて見る顔だ。陸ってこんな顔もするんだ……。トクントクンと胸が鳴る。そんな無防備な顔、俺にしていいの?漫画みたいなセリフが喉元まで出かけた。
「久しぶりに海が撫でてくれた。嬉しい。」
陸が、頭の上に置かれた俺の手を頬に添わせて目を閉じる。
ごぎゅっと喉が鳴る。心臓がけたたましく動く。勘違いしちゃダメだきっと深い意味は無いと頭の中で警鐘が鳴る。
「……陸、眠い?」
やっとの思いで絞り出した言葉に陸が小さく答える。
「うーん…そうかも…」
俺の手を握ったまま、陸の瞬きが多くなっていく。
「1時間頑張ったし、仮眠取るか?」
「…そうやって海は俺を甘やかすんだから…」
くふふっと陸がふにゃふにゃの笑顔を見せる。
「甘やかしてはいないと思うが?」
「……甘やかしてるよ…海は。今も、昔も、ずっと…ね…俺は……」
何かを言いかけて、陸はゆっくりと瞼を閉じて眠ってしまった。陸が眠りについたのを確認して俺は小さく呟く。
「そうだよ。甘やかしてるよ。今も昔も、陸が世界で1番大事だから。」
小学生の時から変わらない寝顔を見つめながら、もう片方の手で陸の髪を優しく撫で梳く。
外では蜩が鳴き始め、夜の訪れを知らせている。下の階から聞こえてくる調理の音を聴きながら、暫くの間陸の寝顔を眺めた。
「陸〜?海くーん?ご飯出来たよ〜!」
1階から聞こえた声に目を覚ます。どうやら俺も眠ってしまっていたらしい。机の上には勉強道具が散らかったまま、窓の外はすっかり暗くなっている。ふと視線を落とすと、陸はまだ俺の手を握ったまま気持ち良さそうに眠っている。
「陸、陸。起きろ。晩飯出来たって」
起こすのは少しばかり気が引けるが、せっかくの晩飯が冷めてしまうといけないので、軽く揺すって陸を起こす。
「ん〜……ん…?はっ!え!?おれ、寝てた!?」
目が覚めた陸が我に返る。そして俺の手を握っている自分の手を見て驚く。
「え!!!おれ、海の手、握ってたん!?」
パッと手を離すと俺と自分の手を交互に見た。
「そうだよ」
「完全に無意識だったわ……」
そうだろうと思った。でなきゃあんな顔はしないだろうし。それにしても、無意識であの顔とあの行動は怖すぎるだろ…。何とか耐えたけどかなりギリギリだったんだからな。
「え、俺、なんか変なこと言ってないよな?」
陸が恐る恐る俺を見る。
「さぁ?どうだろうな?それより、晩飯だってさ。俺おばさん手伝うから先行くわ。」
「え、ちょ、なんで教えてくんないの!気になるじゃん!」
海の意地悪!と騒ぐ陸を無視して、1階へ向かう。
お前が覚えていないならそれでいいよ。俺はずっと忘れないよ。忘れてやんないよ。俺だけの大切な宝物にしておくから。
「海の意地悪!悪魔!」
後ろからまだやんや言いながら陸もついてくる。
「あらあら、仲良しね〜。仲良しなのはいい事よ」
ふふふと陸の母親は嬉しそうに笑う。
食卓には、生姜焼きや肉じゃがなど沢山のおかずが並んでいる。
「海くんが来るって聞いたから、おばさん張り切っちゃった!食べれるだけでいいからね〜無理して全部食べちゃダメよ?」
「ありがとうございます!おばさんの飯めっちゃ美味しいので楽しみにしてました!」
「あら〜!嬉しいわあ!さあさ、食べましょ」
賑やかな夕ご飯は緩やかに過ぎ、風呂の時間まで俺と陸はリビングでくつろぐ。
二人横並びでテレビを見ていると、飯を食べて眠くなったのか、陸が俺の肩に寄りかかる。
「眠いか?」
「……んぅ〜ん」
うんなのかううんなのか分からない返事をして、陸が俺の肩に頬を擦り寄せる。陸の柔らかい毛が耳を掠める。擽ったくて歯痒い。
「風呂まで寝てなよ。風呂になったら俺が起こしてやるから。」
陸の頭をポンッとすると、それを合図に陸は眠りについた。
ここ最近、部活により力を入れていたからきっと陸も疲れていたのだろう。キャプテンは他の部員と違って責任の大きさもプレッシャーの大きさも桁違いだろう。嫌な顔もせず弱音も吐かずいつも笑顔で明るく振る舞う陸には頭が上がらない。
「無理だけはするなよ。」
陸の頭を優しく撫でて、俺は流れっぱなしになっていたテレビに目線を戻した。ずっと煩い心臓の音が寄りかかる陸に聞こえていませんように。そんなことを思いながら気もそぞろなままテレビを見つめるふりをした。
「陸ね、海くんが忙しくて家に来なくなった時期、すごく落ち込んでたの」
不意に後ろからかけられた言葉に振り返る。声の主は、陸の母親だ。
「……そう、なんですか?」
陸と距離を置いていた時期、陸は俺と仲が悪くなったとは言わず、俺が忙しいのだと説明していたと知る。
「ええ。海が全然話し掛けてくれない。俺なんかしたかな?もしかして本当は俺がウザかったのかなって、ずっと言ってたわ」
「そんなことは!」
「ふふふ。分かってるわよ。だからね、私も言ってあげたの。それは違うんじゃないかなって。きっと忙しいだけよって。」
陸の母親は口元に優しい笑をたたえる。
「あ。そうだわ。お風呂湧いたわよ。二人で入ってきなさい?」
「分かりま…え!?2人で?!?」
聞き捨てならない言葉に思わず大きな声が出てしまった。
「んぁ!?何!?」
俺の声に陸が飛び起きる。寝起きの陸の口許からは涎が少し垂れている。
「……なんでもない。陸、涎垂れてる。」
手の甲で優しく涎を拭う。
「なんでもなくないわよ〜?お風呂が湧いたから二人で入ってきてねって言ったの。」
「なんだ、お風呂か〜」
いやいやいや…なんだじゃないだろ…。……陸には「なんだ」で済む話だろうけど……。おばさんもおばさんだよ!と叫びたいのを我慢して抵抗を試みる。
「いやいやいや…一緒には無理ですよ!俺と陸も高校生ですし、二人ではいるのは流石に狭いんじゃないかなぁ?って…」
「あらまぁ。家のお風呂が小さいって言いたいのかしら?」
陸の母親が、よよよと泣き真似をする。陸のお茶目なところは母親譲りだな。じゃなくて……
「えっと、いや、そういうことではないんです、けど……ほら、俺も陸もデカくなりましたし?」
慌てて否定をするも今度は陸が
「……もう俺と一緒に風呂に入りたくないってことぉ?」
わざとらしく瞳を潤ませる。
一緒に入りたいに決まってんだろうが!でも俺の理性が保てないからダメなんだってば!こっちはお前を邪な目で見てる男だぞ!?あまりにも危機感が無さすぎる!
「…ぐっ…それは違うんだけど…」
「じゃあいいじゃん!」
「良くない!」
「なんで?見られても減るもんじゃないし、それに一緒に風呂なんて数え切れないほどしてきたじゃんか!何を今更恥ずかしがっちゃってんの〜?」
思春期か〜?と陸がニヤニヤする。
思春期だよ!思春期だから良くないつってんの!俺はお前に片想いしてて常に理性との戦いなわけ!なんて言えるはずもなくて。結局、脱衣所まで強制連行されて、片想い相手の生着替えを真ん前で見ている。というより見させられてる。新しいタイプの拷問でしかない。正直、目のやり場がない。俺の葛藤は露知らず、陸は目の前で瞬く間に服を脱いでいく。顕になっていく身体を見てはいけないと思いつつも、つい目がいってしまうのは抗えない本能なのだろうか。変に緊張して着替えるのが遅い俺を既に全裸になった陸は何故か真ん前で待ち構えている。
「……何……」
「何って海が脱ぎ終わるの待ってる」
「……いや、待たなくていいだろ…」
お前が裸で真ん前に立ってて、俺は今ピンチなんだ。勃ちそうなんだよ……幼馴染の前で勃ってはいけないところが…。
でも、待つなと言っても、陸は聞かないだろうな。
「……ハァ。分かったよ。もう少しだから待ってろ」
俺が服を脱ぎ終わるのを確認すると、陸は俺の腕を掴み、風呂のドアを開けそのまま俺と一緒に中に入った。
「洗いっこしようよ!」
「しない」
「なんで?」
「もうガキじゃねぇから」
「ケチ〜」
ケチじゃねぇんだって、こっちは。洗いっこなんてしてみろ、俺の理性がぶっ飛んでお前なんか1発で押し倒してるからな。あと本当にずっとやばい。ギリギリ理性保ててるけどいつ無くなるか分からない。お前にはなんて事ないだろうけどな、俺にとっては一大事でしかないんだわ。
流石に湯船に2人はナシだろと言ったが、陸が二人で入ると言って聞かないので、仕方なく陸と向き合う形で湯船に浸かる。が、これはかなりまずい。本当にまずい。陸の身体を直視出来てしまうこの視界は目に毒すぎる。油断したら勃ちそう。冗談抜きで。何度も小さく深呼吸をして気持ちを落ち着かせるのがやっとだ。一方の陸は、どこから出してきたのか分からない昔使っていたおもちゃを手にはしゃいでいる。全く呑気で無邪気なものだ。
「見ろよ!海!これ懐かしいな!」
ちゃっちい水鉄砲を手にして小さな子供のようにはしゃぐ。
「アハハ!なつかしいなーこれ!海!見ろよ!これ!なぁ!アハハ、ハハ…いや〜…なつかしいな…ほんとに……ハハ……ハハハッ…ハ……」
だがしかし、風呂中に響き渡っていた声はいつの間にか尻すぼみになり、ついには静まり返った。楽しそうに笑っていた顔からは段々と笑顔が消え始め、ついには俯いてしまった。握られていたはずの水鉄砲はいつの間にか湯船に寂しく浮かんでいる。水音だけが風呂場に響く中、陸が静かに口を開く。
「……なぁ、海……」
「……なんだよ」
「……思ってた以上に、この状況、はずいわ……」
「…………」
だから言ったじゃないか!高校生二人で湯船はナシだと!俺は静かに唇を噛んだ。
「…………海とさ、向き合う形は恥ずいけど、背中向けてたら大丈夫な気がしてきたから、そっち行っていい?」
「は?」
何を言い出すんだこいつは。勘弁してくれ、それは俺が死ぬ。
「いや……行っていい?じゃねぇよ……」
「……行くわ」
「は?おい、待て……」
俺の制止を無視して、陸は向きを変えるとそのままでいいものを何故か俺の開いた足と足の間に入った。
細身だけどしっかりと鍛えられた陸の身体がすぐそこにある。身体と身体がほぼ引っ付いてるような状態で、俺の理性はどこまで持つだろう。
最初は、これならいける気がする!と言っていた陸は徐々に俯き始めている。すぐそこにある陸のうなじ。じわじわと耳まで赤く染まっていく肌。全てが刺激でしかない。落ち着け…落ち着け。気にしたら負けだ…気にしては——。
陸が恥ずかしそうに身動ぎをする。
「……海……」
消え入りそうな声で俺の名前を呼ぶ。
「……何」
「……なんか…固いのが…当たってるんですけど……」
俺の負けが確定した。
「…………生理現象……」
大嘘だ。正直、陸の裸に欲情している。凄く。とても。
「…………俺、出るわ……」
空気に耐えきれなくなって俺は、陸より先に風呂を出た。
素早く着替えると俺は一目散に陸の部屋へ戻って陸のベッドに腰かける。
「うあああ……やってしまった……」
絶対陸のやつ引いてる…やらかしたほんとにやらかした……。でも陸も陸だろ…おれが片思いしてるの知らないとはいえ、なーにが背中向けてたら大丈夫な気がするだ!それに背中向けるだけでいいのをなぜ足の間に入ってきた!?意味が分からない!あれは絶対狙ってやってないから余計にタチが悪い!固いのが当たってるんですけどじゃないだろ!そりゃ固くもなりますが!?好きなやつと素肌が触れ合い続けたら!ひとしきり荒ぶって、少し冷静になる。
陸が出てきても何事も無かったようにしよう。あれは事故だ。そう。生理現象だから仕方ない。
大きく深呼吸をし終わると同時くらいに、陸が部屋のドアを開けた。
胸元がゆるゆるのティシャツに、パンツ姿で髪も濡れたままの陸が俺の前に来てストンと座る。既に眠気が来ているのか目を擦りながらうつらうつらしている。
「おい、陸、髪くらい乾かせよ……」
陸の頭をコツっと指で軽く押す
「……じゃあ、海が乾かしてよ」
どこからか持ってきたドライヤーを陸が俺に差し出す。
学校ではしっかりしている陸も家ではゆるゆるのほわっほわになる。きっとこの姿を知っているのは陸の家族以外は俺しか居ない。その優越感が甘やかしをより強くさせる。
「……仕方ないなぁ」
「んふふっ、海は優しいなぁ」
嬉しそうに笑う陸の髪を優しく乾かしながら俺は呟く。
「陸にだけだから」
「?何か言った?」
「なんでも。」
余程、俺のブローイングが気持ち良かったのか、終わる頃の陸はほぼほぼ寝ているような状態になっていた。
「陸。陸。このままで寝たら腰痛めるし、風邪引くぞ」
優しく起こすと、眠たい目を擦りながら陸は自分のベッドへ移動して横になった。
「ほら、タオルケットもちゃんと腹にかけて。」
夢の中へ入りかけている陸にそっとタオルケットを掛けてやる。
自分も下に敷かれた客用の布団で横になる。陸の匂いが色濃くする。こんなの寝れるわけねぇよ……と内心頭を抱えた。
「……なぁ、海……」
陸が眠たそうな声で問い掛ける。
「ん?」
「……今年は、夏祭り…一緒に……行けるよな?」
夏祭りという言葉に胸がチクリと痛む。去年、夏祭り一緒に行けなかったの、ショックだったんだな……。ごめんな。
「……今年は一緒に行こうな」
「アハ……やった……やく……そく……」
最後まで言いきらずに、陸は眠りについた。規則正しい寝息が微かに聞こえる。
「おやすみ。陸。」
電気を消して俺も眠りについた。
それから何時間が経ったのだろう。陸の匂いしかしない布団で落ち着いて眠れる訳もなく、真夜中に目が覚めてしまった。遠くから蜩の鳴く声と、時計の針音しか聞こえない静かな夜だ。隣からは規則正しい陸の寝息が小さく聞こえる。1度目が覚めてしまうと中々寝付けず、再び眠ることを諦めて俺は起き上がり、寝ている陸の傍に寄る。陸はと言うとそれはとても気持ち良さそうに穏やかな顔をして眠っている。嗚呼なんて可愛いんだろう。愛しくて仕方がないや。愛しさで込み上げてそうになる涙を堪えながら、陸の額にかかる髪を指で優しく払う。…寝ている今ならキスしても気付かれないだろうか。ゆっくりと顔を近づけていく。優しく陸の頬を撫で、唇が触れ合うまで数センチのところで、俺は近づけるのをやめた。陸自身の意見も聞かずキスをしようと思った自分に嫌悪感が湧いたからだ。
「……陸。好きだよ。世界で1番。」
「……陸……ごめん……好きになって……ごめん……」
愛しさは悲しみに変わって涙となり、陸の頬の上にぽつりと落ちた。涙をそっと指で拭って、陸のおでこに優しくキスをして俺はまた布団に戻った。勿論、そのあとまともに眠れる訳もなく、気が付いたら朝日が昇っていた。
