陸への恋心を隠すと決めたはいいが、恋心というものは思っていた以上に面倒なものだった。
気付かれてはいけないと思っているのに、陸へのスキンシップは増えていく一方だった。好きだと自覚してからブレーキが壊れてしまったのか、自覚する前より距離も近くなり陸に触れることも増えたような気もした。今までは褒める時に撫でていた頭も何も無くても気が付くと撫でていたり、陸の柔らかな毛を手で梳いていたり、常に陸の身体のどこかには触れていたりした。そんな俺たちを見ていた周りの奴らはいつしか俺のことを「投山のセコム」と呼ぶようになった。それに対して陸はいつも「俺ってば大事にされてんのな!」と嬉しそうに笑っていた。やはり陸の笑顔はこの世で1番可愛らしいと思った。それから、良かったと思った。隣にいることを嫌がってないと内心ほっとしていた。だからそれに甘えていた。好きだと伝えられなくても、隣に居るだけでいい親友同士のスキンシップとして陸に触れることができるだけでいいと。中学三年生になっても俺たちは変わらずで、進学する高校も一緒になった。というより俺が陸と一緒が良かったのだ。陸が行きたいと言った県内の野球部の強い高校に進学した。高校生活もちゃんと幼馴染で親友として陸の隣でやっていけると、このままで大丈夫だと過信していた。
けれども、スマートフォンを得た高校生はインターネットに染まりやすかった。日々スマートフォンから嘘も誠もいいことも悪い事も吸収して知識として頭に入れられていく。
「なぁ、打野と投山って付き合ってんの?」
夏休み前の考査期間。いつも通りの放課後の教室で不意に投げかけられたその言葉に、賑やかだった空気がしんっと静まった。
「…え?」
俺の正面、陸が困ったように返事をした。
「え?じゃなくてさ、お前らいっつも一緒に居るし距離ちけぇし、付き合ってんのかなって」
質問を投げかけてきた友人は俺と陸を交互に指さした。もし、からかっていたならば、上手く返せたのかもしれない。けれどもそいつの顔が何故か真剣だったから俺は上手く返せずにいた。というかなんと返すのが正解か分からなかった。それは陸も同じだったようで、2人とも否定も肯定も出来なかった。それを見て周りの友人たちが微かにざわつき始めた。
「え、お前らってそういうことだったの?」
「たしかにダチにしては距離近いよな!」
「ほら、こういうのってなんて言うんだっけ?」
友人たちが陸の方を見た。一斉に見られた陸が困ったように俺を見た。戸惑ったような傷ついたような顔をしていた。それを見て俺は気が付いた。好きだと言葉にしていなくても距離が近いだけで周りと違うと思われてしまう。その事で陸を困らせてしまうし傷付けてしまうかもしれないと。陸を困らせたくないと思って告白はしないことにしていたのに、これではいけない、距離を置いた方がいいと俺は思った。ズキズキと胸が痛くなるのを隠しながら俺は口を開いた。
「何言ってんだよ。陸とはただの幼馴染だって!」
その時に見た陸の安心した笑った顔と心の奥の見えない傷から止めどなく血が溢れるような感覚は今でも忘れることができない。
友人たちは、だよな〜と呑気に笑うとすぐに別の話題に切り替えた。
「ただの幼馴染」自分の言葉に、勝手に傷付いて俺は俯いて唇を噛んだ。分かってる。全部俺の自業自得だ。それに、これは陸のため。陸を傷付けないためだから。自分に何度も言い聞かせた。
「海〜?どした?お腹痛い?」
俯いたままの俺を不思議に思った陸が俺の顔を覗き込んで上目遣いがちに見つめた。
……あ、やばいな。陸の顔を見たら涙が出そうだ。ここから逃げなくちゃ、陸から離れなくちゃ。
「わりぃ、俺用事思い出したから先帰るわ」
立ち上がって教室から出ようとすると陸も立ち上がって「俺も行く!待ってよ!」と言ってきた。
「ごめん。今日は一人で帰らせてくれ」
「……え。」
陸を置いて、なんの用事も無いくせに慌てたフリをして教室を出た。
一人で帰るいつもの道はやけに静かだった。それもそうか。いつもは隣に陸がいて、他愛もないことをずっと楽しそうに話してたっけ。そんなことを思っていたら気が付けば涙が頬を伝っていた。
「……っハハッ……明日どんな顔であいつに会えばいいのか分かんねぇよ……」
溢れて止まらない涙を袖口で拭いながら独りごちた。
けれども陸は、どこまでも純粋で真っ直ぐで誰よりも優しいやつだ。俺の様子が変だったのを気にしてくれたのか、その日の夕方に家を訪ねてきた。
「海〜?陸くんきてくれたよー?なんか海に話があるって!」
部屋のドアを勝手に開けて母親が言った。陸が?俺にわざわざなんの用だろうか。会いたい。会いたいけど、今会ってどんな顔したらいいんだ何を話せばいいんだ。それにきっと俺は陸の顔を見たら泣いてしまう気がしてならなかった。
「……明日にしてって言ってきて」
「はぁ?それくらい自分で言いなさいよ」
母親が眉を顰めた。ごもっともではある。
「……ちょっと、今陸と顔合わせられないから」
俺の返事に母親は首を傾げつつも「喧嘩でもしたの〜?珍しいわね〜」と言い残すと玄関へと降りて行った。1階から母親と陸の話す声が微かに聞こえた。少し残念そうな陸の声になんとも言えない気持ちになった。
その夜、俺は改めて陸から距離を置くことを決意した。それから頭の中で『いつも通り』の会話を何度も何度もシュミレーションをして気がつけば朝日が昇っていた。
大丈夫だ。これまで通りいつも通り、俺は陸と話せる。大きく息を吸って家のドアを開けた。
外では陸が既に待っていて、俺を見るとぱあっと顔を輝かせた。
「おはよ、陸。」
「おー!おはよう!」
よし。ちゃんといつも通りおはようは言えた。大丈夫。出来る。これまでと変わらず幼馴染を出来ている。陸の頭を撫でたい衝動をぐっとこらえながら俺は笑顔を作った。
「体調は?」
「へ?」
陸の唐突な質問に思わず戸惑った。
「昨日お前ん家行ったけどさ、おばさんが海体調が悪くなっちゃって動けないから明日にしてって言われたからさ」
……母親、そこまでしてくれとは言ってないが…まぁ助かった。感謝しよう。
「あー、まぁな、ちょっと。でももう大丈夫だ。」
「そっか!なら良かった!あ!でさ、昨日お前ん家行った理由なんだけど」
ガサゴソと陸は鞄の中を探し始めた。
「あ!あった!これこれ」
陸が俺に1枚の紙を手渡した。その紙には
「夏祭り?」
今年の夏祭りの案内が書かれていた。
「そう!毎年恒例だろ?だから今年も誘おうと思って!」
俺と陸は物心ついた時から、毎年夏は一緒に夏祭りに出掛けていた。俺と違って陸には友達が沢山いるはずなのに俺と行くのが一番だと言ってこれまで俺以外を誘ったことはないのだという。俺も俺で陸と一緒に祭りに行けるのが嬉しくて堪らなくて好きだと自覚してからも、あくまで友人として幼馴染として断ることはしなかった。
けれど、もう一緒に行くのは辞めにしよう。もし同級生に会ったらどうする?やっぱり付き合ってるじゃないかと言われたらどうする?それでまた陸が困るのならば陸を困らせてしまうのならば、行かないのが正解だと思った。
「……あー、ごめん……」
「…ごめんって何が?」
「夏祭り、今年は一緒に行けねぇや」
「なんで?何かあるの?」
陸の声が少し上ずった。
「……ないけど」
「ないならいいじゃん?」
良くない。だって、お前は昨日俺と付き合ってるんじゃないかと聞かれて困った顔をしてたじゃないか。それなのにさらに疑われてしまうようなことをしたら、今度は何を言われるか分からないだろう。俺はお前を悲しませたくはないんだ。お前は悲しいとかそういった感情を人に見せないから、ひとりで抱え込んでしまうから、人からの評価に誰よりも傷付きやすいから。それに、俺はもうお前のことをこれまでと同じ目では見ていないんだぞ。そんな俺と一緒に居ていいわけがないだろう。
「……良くない」
「……昨日からお前、変だぞ?どうしたんだよ。まさか昨日言われたこと気にしてんのか?大丈夫だって!あいつも本気で言ってないし俺も気にしてないからさ!」
じゃあなんであんな顔をしたんだ。俺の方を見たんだ。本当は困ってたはずだろ。なんで気にしてないなんて言うんだ。喉元まで出かけた言葉をぐっと飲み込んだ。
「あと、俺、陸との距離感直すから」
「え?なんで?」
「いくら幼馴染だからってあの距離は無いよなって思ったんだ」
嘘だ。そんなことは1ミリも思っていない。本当はもっと近くにいたい。触れていたい。じくじくと胸に痛みが広がっていく。
「なんでだよ……意味わかんねぇよ……!」
陸が俯いて俺の腕を掴んだ。
「ごめん。俺、先行くな。」
俺の腕を掴む手をそっと解いて、何かを言いたげにしていた陸を置いて一人で学校へ向かった。
それから俺は常に陸の隣に居ることも、自分から触れることもしないようにした。昔は陸しか話せる人がいなかったが成長するにつれて陸以外の人とも話すようになった。だから独りではなかった。孤立はしなかった。だけど、心にぽっかりと穴が開いたような、どこか物足りなくて寂しい気持ちだけがずっと奥底に留まっていた。何度か陸と目が合うことがあった。その度に俺の方が先に目を逸らした。陸とすれ違う時も陸は俺に何かを言おうとしていたけれどそれをわざと気付いていないフリをした。本当に最低だ。
こんなにぎくしゃくしていても部活だけは必ず顔を出した。陸に会いたくない訳では無いから。唯一陸と会話しなくても心が繋がり合う時間だったから。
野球部が強いからという理由で入った高校は先輩の引退とともに、かつての強さを失いつつあった。学校が強かったのではなくてその代の先輩が格別だったのだと入ってから知った。甲子園常連校だったのに今では甲子園に行けたら奇跡と言われるようになっていた。それでも俺と陸とほか数名のおかげで徐々に勝ち進んでいけることが増えた。去年は甲子園のための県大会で優勝するところまで行けた。甲子園まで少しづつ近付いていた。この頃から陸は、甲子園への憧れがより強くなっていた。陸が他の部員たちと、来年こそは甲子園に行きたいと話すのを何度も耳にした。
けれどもその夏、甲子園に行くことは叶ったものの本戦の序盤で敗退してしまった。涙を流す先輩の姿を見て、来年こそは優勝しようと心に誓った。
甲子園への夢が途絶えたあとは皆青春を謳歌することに力を注いでいた。本来なら俺も陸と海へ行ったりキャンプをしたりしているはずだが、今年はどちらも誘うことなく誘われることもなく、時間だけがゆっくりと過ぎていった。いつもはあっという間に終わっていた夏休みがこの年だけはやけに長く感じて早く終わってくれと願っていた。
夏が過ぎて秋になっても俺と陸には見えない壁ができたままで、ほとんど会話すらもしなくなっていた。もう陸に嫌われたのだと思っていた。どうせ叶わない恋だからいっその事嫌われて関わることが無くなった方が良いと本気で思ってしまう自分が少なからず居た。でも、やはり嫌われるのは怖かった。どこまでも自分勝手だと今は思う。陸と距離を置いてから女子生徒に呼び出されることがしばしばあった。どれも好きだとか付き合って欲しいとかそういう話で正直うんざりしていた。それに俺は陸しか好きじゃない。けれど他の人にそんな理由を言えるわけがなく、適当に理由をつけて断り続けた。
そうこうしてるうちに季節は過ぎてあっという間に高校2年生の修了式になっていた。
このまま陸とぎくしゃくしたまま高校2年生を終わっていいのか……微かに迷い始めた時、最初に口を開いたのは陸の方だった。
「海!」
修了式も終わり、帰りの支度をしているところに陸が声を掛けたのだ。
「……何」
陸の方を見ることなく支度の手を止めないまま答えた。
「俺、やだよ。」
陸の声が少し震えていた。
「嫌って何が?」
陸が嫌だという理由は知っていた。が、わざと知らないフリをした。
「わかってるくせにしらばっくれんな」
陸がぎゅっと拳を握るのが見えた。顔は見るのが怖くて見れなかった。
「……陸はいいの?」
「……なにが」
「俺と一緒に居たら、また付き合ってんのかとか言われるぞ」
「いいしそんなの」
拗ねたような声が返ってきた。
「そうは言ってもなぁ……」俺は良くないんだよなぁ。
帰りの支度も終わったので、席を去ろうとした俺の腕を陸が掴んだ。
「勝手に言わせとけばいい!それよりも俺はお前が隣に居ないのとか目が合ったのにそらされるのとか!避けられてるほうが嫌だった!一緒に帰れない方が嫌だった!」
そこで、腕を掴む手を振り解ければよかったのに。俺は陸の手を振りほどくことができなくて、陸の方を見てしまったんだ。
目に涙を溜めて今にも泣きそうな顔をして陸は俺を見ていた。目が合うと俺の腕を掴む手に少し力が入った。
「……一緒に居られなくて寂しかったのは、俺だけ?」
陸が首を傾げた。寂しくないわけがない。俺はずっとお前の隣に行きたかった。お前の隣は俺じゃなきゃ嫌だった。でもお前が悪く言われないために我慢したんだ。色々と言いたい言葉は心の中に押しとどめて口を開いた。
「……俺も、寂しかった」
俺の言葉にそれまで泣きそうだった陸がニコッと嬉しそうに笑った。
陸の笑った顔を久しぶりに見た。嗚呼やっぱり可愛い、愛しいと思った。陸は笑顔が一番似合う。
「一緒に帰ろう!」
何ヶ月かぶりに陸と二人で帰った。久しぶりに二人で帰ったこの日はとても穏やかな春がもうすぐそこまで来ているのを肌に感じるそんな日だった。
こうして俺と陸はまた前と同じ距離感に戻った。周りもさほど気にしなくなったのか、当たり前だと思うようになったのか、相変わらず俺のことを投山のセコムと呼んだり俺たち二人のことを打投コンビと呼ぶようになった。時々、陸の様子を気にしながらも、穏やかに緩やかに季節は流れ、俺たちは高校生活最後の年を迎える。
