あと1点の俺たちは。


1学期最終日——
課題だった陸の期末テストは何とか全教科赤点を避けることに成功した。
「海~!まじで勉強付き合ってくれてありがと~」
 成績表を抱き締めながら安堵した表情で陸が俺に向き合って座る。
 「いいって。陸が練習不参加にならなくて良かった」
 クシャッと陸の頭を撫でる。撫でられた陸は嬉しそうに目を細める。
 「マジで感謝しかないわ…。お礼に海のお願いを一つ聞いてあげる!」
 「なんでも?」
 ほんの少し期待を込めて聞く。
 「なんでも…では、ないかも…」
 陸は少し申し訳なさそうに眉毛を下げてはにかむ。
 「冗談、意地悪してごめんな」
 「でも!俺にできる範囲だったらなんでも聞くよ」
 …好きだから付き合ってほしい、というのはさすがに無理だろうな…。強制みたいな感じで付き合いたくはないし…。うーん…。悩む俺を陸はじっと見つめる。
 「あ。一個思いついた。」
 「お。何なに?」
 ずいっと陸が身を乗り出す。
 「今週末の夏祭り。一緒に行こう。」
 ぱっと陸の瞳が輝く。そして陸は大きく何度もうなづく。
 「行こう!行こう!何着てく!?」
 すでに待ちきれないというように陸はさらに俺の方に身を乗り出して楽しそうに話す。鼻がぶつかりそうなほど近くに陸の顔がある。
 「浴衣着てくれねぇの?」
 ちらりと陸を見ると丁度陸の目線とぶつかった。バチッと音がしそうなほど間近でぶつかり合った視線に陸が慌てて体を離す。
 「わ、わりぃ!ちょっとテンション上がりすぎたわ!」
 ふいっと横を向いた陸の耳が真っ赤になっている。陸の家に久しぶりに泊りに行った日のキス未遂の時から、陸は俺と目が合ったり指先が触れたりするだけでやけに過剰に反応するようになったし、そのたびに耳まで真っ赤にさせることが増えたように思う。今までそんな反応をされてこなかったのもあって、俺の心の中に「もしかしたら…」という淡い期待が浮かんでは消える。
 「祭りの話は帰りながらしようぜ!」
 まだ顔を赤くさせたままの陸が鞄を持って立ち上がる。
 「なにをそんなにテンパってんだよ」
 くすくすと俺は笑って陸をからかう。
 「テンパってねぇし!海のば~か!もう帰る!」
 拗ねと照れが混じったような顔をして陸は足早に教室を出る。
 「…ふっ。か~わい。」
 独り言ちて、陸の後を追う。
 
 蝉の声が騒がしい夏のいつもの帰り道を歩く。
 「陸さ~ん?なに照れてるんすか~?」
 相変わらず早足で半歩前を歩く陸の背中に声を掛ける。
 「……わかんない。」
 蝉の声で搔き消されそうなか弱い返事。
 「…わかんない、か…」
 「早くわかってくれるとたすかるんだけどなあ…」
 陸に聞こえないように小さくつぶやく。
 「なんか言った?」
 まだ拗ねたような顔で陸が振り返る。
 「何にも言ってないけど?」
 ほんとか~?と陸が俺を睨む。
 「それより陸さ、祭り何着てくの?」
 「ん~、私服か甚平かな~」
 再び前を向いて歩きだした陸が間延びした声で答える。
 「え~?浴衣着てくんねぇの?」
 「お前、ほんと俺の浴衣姿好きだよな」
 陸の声がわずかに弾んでいる。
 浴衣姿というより陸が着るから好きなんだけど、そんなことは言えないので少し言葉に詰まる。生ぬるい夏の風が吹き抜ける。
 「……好きだ。」
 ようやく発した俺の言葉に陸の肩が小さく跳ねる。蝉の声が一段と大きく聞こえ始める。
 わざと間をおいて俺は続ける。
 「陸の浴衣姿がな。」
 その言葉にほっとしたように陸の肩が下がる。
 「あはは!変なの、男の浴衣姿が好きなんて変わってるよ。ふつうは女の子の浴衣姿だろ」
 陸は焦ると饒舌になる。
 「…そうだな。変なのかもな。」
 ……《普通》か…。普通ってなんだろうな、お前のことが好きな俺は普通じゃないんだろうか。歩くのを辞めて俺は俯いた。こんなことで泣きそうになるなんて情けねぇの…。握った拳に汗が滲む。蝉と蜩の大合唱が頭に響く。
 「海?」
 半歩前を歩いていたはずの陸がいつの間にかそばに来ていて、俯く俺の顔を覗き込む。
 「うわっ!お前すごい汗だぞ!?大丈夫か?! 」
 「…だいじょばない。」
 絞り出すように言う俺に陸はさらに心配そうな顔をする。そして、鞄から水筒を取り出して俺に差し出す。
 「ほら、水飲んで。」
 差し出された水筒を受け取りじっと見つめる。…陸は、間接キスとか気にしない、よな。気にしているのはいつも俺だけ。片思いって不毛で不憫で惨めだ。
陸の水筒にわざと口をつける。なぜか陸は俺の口許をじっと見つめている。
「……そんな見られたら飲みにくい」
「あ、いや、ごめん、間接キスになるなと思っちゃって」
 かぁっと陸の顔が赤くなっていく。そんな陸を見ながら1口お茶を飲み込んだ。
「お前も、顔真っ赤だぞ。ほら、お茶飲めよ」
自分が口をつけた水筒を陸に返す。
「いや、いいよ…これは、そういうのじゃないって言うか…」
もごもごと口ごもる陸の頭をポンポンと優しく叩く。
「……ごめんな……困らせて」
狡くてごめん。意地悪してごめん。でも俺のこと意識して欲しいから許してくれ。
気まずいような微妙な空気で俺たちは一言も話さず、暑い暑い夏の道を少し距離を置いて歩いた。

 そして迎えた夏祭り当日。陸との合流時間は17時。陸から「浴衣着てくから海も絶対着てこいよな!」とお達しがあったので、姉に着付けてもらう。手際よく俺に浴衣を着つけていた姉が突然口を開いた。
「海、あんたさ、陸くんのこと好きなんでしょ?」
核心を突かれた言葉に変な汗が出る。
「……え、いや、そんな」
「好きなんでしょ?」
咄嗟に否定しようとした俺の言葉を姉はすぐに遮って、鋭い視線で俺を見据える。私には全てお見通しだというように姉は俺を見つめる。
「……そうだけど。なんで分かったんだよ」
「なんでって、あんたの姉だからだよ」
「なにそれ」
「それに海は隠せてると思ってるんだろうけどね、案外顔に出てるからね」
 くすくすと姉は笑う。
「え、そんなに?」
「他の人はどうか分からないけど」わたしは家族だからねーと着付けをしながら姉は続ける。
「陸にも、気付かれてたりするのかな」
「さぁね?そんなのは陸くんに聞かないとわかんないわ」
「あんた達が進路どうするか知らないけど、高校最後の夏でしょ?好きな子と祭り行けるのも最後かもしんないから、悔いのないようにね。楽しんでおいで」
 姉が俺の背中をぽんと叩く。あっという間に綺麗に着付けられていた。
「ありがとう。姉ちゃん」
「海〜!陸くん待ってるわよ〜」
母の呼ぶ声がする。
「ほら!行ってこい!男前!」
 姉が背中を押して送り出す。玄関を開けると陸が俺に気付いて笑顔になる。白地に細い縦縞の浴衣がとてもよく似合っている。この時点で誘ってよかったと心の底から思う。
「海はカッコイイから浴衣が良く似合うな〜!海は黒か紺の浴衣を着てくるだろうなって思ってたから白にして正解だったわ!」
 陸が言ってくれた"カッコイイ"という言葉に思わず口角が上がりそうになる。
「……陸の方こそ、白の浴衣めっちゃ似合ってるよ。汚さないように気を付けないとな。」
「へへへ……」
 陸の浴衣を指さして褒めると陸は嬉しそうに笑う。お互いを褒めあって2人とも気恥ずかしくなったのか、会話が続かない。それを見兼ねた母が、俺と陸の背中を叩く。
「はいはい!2人とも男前だよ〜!さぁ早く行っておいで!」
 背中を押された俺たちはゆっくりと祭りの会場まで歩き始める。カラコロと下駄の音が夕方の住宅街に鳴る。
「その浴衣は、海が選んだやつ?」
乾いた下駄の音に、陸の声が重なる。
「いいや。なんか父さんが昔着てたやつだって」
「へぇ〜。物持ちがいいんだな。昔のやつとは思えないくらい似合ってんなお前」
「陸のは?」
「自分で選んで買ったやつ」
 ふふっと陸が微かに笑う音。
「すげぇ似合ってるよ。陸にぴったり。」
 陸を横目に見ると、意図せず視線が重なる。陸はすぐさま恥ずかしげに視線を逸らした。再び二人の間に沈黙が流れる。カラ、コロという下駄の音、遠くで鳴く蜩の声、そして段々と近づく祭囃子の音が二人を包む。
祭りの音が近づくに連れて陸の横顔が明るくなっていく。
「陸は祭りが好きだな。」
オレンジ色になり始めた夕日に照らされる横顔をじっと見つめながら話しかける。
「特別感があってテンション上がんねぇ?」
 こっちを向いた瞳が煌めいている。屋台がすぐそこまで見えると、陸は駆けだした。
「海!見ろよ!屋台がいっぱいだ!」
小学生のように目を輝かせてはしゃぐ陸。祭りで浮足立つ雑踏の中へ迷わず進んでいく。少しづつ陸との距離ができはじめる。この雑踏の中に陸が消えて行ってしまいそうな気がして咄嗟に陸の手を掴む。少し驚いた顔で陸が振り返った。
「どうした?」
俺の方を見て陸は穏やかな柔らかい笑顔を見せる。——この顔も初めてだ…。
 「……いや…はぐれるといけないと思ったから…」
 視線を落とし、苦し紛れの言い訳に手汗がジワリと滲む。変に思われていないだろうか。不審がってはいないだろうか。
 「ふはっ。なんだそれ、もうガキじゃねぇっての!」あーおかしい!と目にうっすら涙を浮かべて陸は笑う。
 「…わかんないだろ?」
 「まったく、海は俺に過保護すぎなんだよ」
 そう言いつつも陸は俺の手を握り返して笑った。
 「じゃあ俺も海が迷子にならないように手、繋いでおいてやるよ」
 陸は誇らしげに胸を反らすような仕草をしたのち、俺の手を引いて再び雑踏を掻き分け始めた。繋がれた手がやけに熱くて心臓が激しく脈打つ。俺の半歩前を歩く陸はいったい今どんな顔をしているのだろう。
しばらく人ごみの中を歩いていると、陸がある屋台の前で足を止めて俺から手を離した。陸の視線の先には、 イカ焼きがずらりと並んでいる。それを見て俺は思わず笑みがこぼれる。
「陸は昔から夏祭りの最初はイカ焼きだもんな」
「海も食べる?」
「いいよ、俺は。ほしいなら買ってきなよ。ここで待ってるから。」
「じゃあ行ってくるわ」
 屋台に向かって歩く陸の後ろ姿を見送る。陸はいつも俺も食べるかどうか聞いてくれるんだよな…そういうところが本当に——
「好きだな…」
ぽつりと零した言葉は雑踏に掻き消される。騒がしくて陸の耳に届かない時にしか言えないなんて意気地なしにもほどがある。小さくため息をつくと、丁度陸が屋台から戻ってきた。既にイカ焼きをパクつきながらニコニコ笑顔で。
「海~、どうした?浮かない顔して。イカ焼き一口やるから元気出せって」
 ん。と陸が俺にイカ焼きを差し出す。ついこの間水筒の間接キスで顔を赤くさせていた奴の行動とは思えない大胆さだ。せっかくの祭りだ、俺も今日は少しばかり羽目を外させてもらう。差し出してきた手を掴んでそのままグイっと自分の口まで引き寄せて、イカ焼きにかぶりつく。わっ…ちょ…と陸の焦った声が聞こえたが無視をしてやった。どうだ、これで少し意識したんじゃないか?と陸を見ると、かぁっと顔を赤くしてそっぽを向いてしまった。
あーどうしよう。可愛すぎる、できるなら今ここですぐにでも抱きしめてしまいたい……。衝動をぐっと抑えるように、俺は拳を固く握った。そんな俺たちの横を女の人2人組が、「あの子達可愛い〜」「お友達かな?」などと言いながら通り過ぎて行く。その言葉にハッとした陸が俺から逃げるように離れる。
「俺の手ごといくとは思わねぇじゃん…」
陸が口を尖らせ、少し俯く。陸はいつも拗ねると口を尖らせて俯く癖がある。もう何年も一緒にいるから分かる。
「ハハ。ごめんって。拗ねんなって」
両手でイカ焼きの串を握り締めている陸の頭を撫でる。
「射的奢ってくれたら許す」
唇を尖らせながらイカ焼きを頬張る陸が小さな声で答えた。
陸はいつも決まって屋台の射的をやりたがる。小さい時、全然景品が取れなくてギャン泣きした陸の顔を思い出して小さく吹き出した。
「……何笑ってんだよ」
ジトリと陸が俺を睨む。
「お前が景品取れなくてギャン泣きした時のこと思い出してた」
「!!あれは、俺の黒歴史だから思い出すなよぉ……」
陸が眉を下げた。
「俺にとっては大切な思い出なんだけどなぁ。陸は違うんだ?」
意地悪に返すと、陸はバツが悪そうに口をもごつかせて、数秒黙った後
「……俺もだけどさぁ」
 と消え入りそうな声が返ってきた。このままいじると、さらに拗ねてしまいかねないので、もうこれ以上この話はしないことにした。
「ほら、射的の屋台あったぞ、やるか?」
陸の浴衣の袖をくいっと引っ張って知らせる。ようやくイカ焼きを食べ終わった陸は、俺に食べ終わった串を手渡すと一目散に屋台へと駆けていく。俺は、見失わないようにその後をつけていく。景品を真剣に吟味している陸に声を掛ける。本当に何事にも真剣な所は、陸の長所だと思う。
「で?何狙いなん?」
「あれとあれ」
陸が指さしたのは、ムッとした顔の小さな猫のぬいぐるみキーホルダーとその隣に並ぶくりくりと丸い目をした同じサイズの犬のぬいぐるみキーホルダー。最新ゲーム機かと思っていた俺は驚いて聞き返す。
「本当にあれでいいのか?」
陸は標的ふたつをしっかりと見据えたまま静かに頷いた。財布から五百円玉を取り出して陸の手のひらに乗せた。
チャンスは10回。最新ゲーム機に比べたら比較的取りやすいとは思うが。陸の持つ銃口の先、標的を俺もじっと見つめた。1発、また1発と順調に当たるものの、やはりなかなか倒れてはくれない。どうしてそこまで欲しいのか理由は分からないが、弾数が減って行くたびに陸が少しずつ焦っているように見える。残りの弾は二発。猫と犬、どちらも一発で仕留めなければならない。が、結果はどちらも得られることができずに終わってしまった。ひどく残念そうな顔をしている陸に居た堪れなくなった俺は、陸が狙っていたぬいぐるみたちを獲るために射的に挑戦することにした。陸がやっていたのを見ていたから分かる。弱点を狙って弾を放つと狙い通り、猫のぬいぐるみはいとも簡単に落ちた。あとは犬だ。犬も猫と同じようにやれば取れるはずだ。しっかりと狙いを定めて弾を放つ。放たれた弾は見事に命中しその勢いで犬のぬいぐるみを落としていった。横で見ていた陸が小さく声を上げた。屋台の人から景品を受け取ると、俺は陸に犬の方を差し出す。
「ほら、陸。これが欲しかったんだろ?」
 すると陸はゆっくり首を横に振り、もう片方の手に持っていた猫の方を指さした。
「猫の方がいい」
俺の手から奪い去るように猫のぬいぐるみを取ると、陸は目を細めて笑った。……犬の方が似合うのに?と首を傾げる。
「そもそもなんでこのふたつが良かったんだ?俺はてっきり最新ゲーム機が欲しいのかと思ってたけど?」
猫のぬいぐるみを嬉しそうに掲げて歩く陸に尋ねる。
「だって、似てるんだもん。」
「似てる?」
「俺と海に!」
 手に持った犬のぬいぐるみを見る。たしかにどことなく陸に似ているような気がする。
「ハハッ確かにそうだな似てるな俺たちに」
「なんか、運命?みたいなの感じちゃったからどーしても欲しくて」
カラコロと下駄が鳴る。日はいつ間にか暮れていて、薄暗く人と人との境界が曖昧になる。ふと視線を落とした先、すっかり解かれて無防備に揺れる陸の右手を掴む。今度は驚かずに、陸は俺の手をきゅっと握り返した。お互い話すことが見つからず手を繋いだまま無言で歩く時間が続く。正確には俺は言いたいことが沢山ある。
けれど内容は、これは脈があるって思ってしまってもいいのだろうか。俺はさ、自分に都合のいいことしか考えたくないよ。だけど、勘違いするのは嫌なんだ。お前は俺をどう思ってるの?聴きたいよ、いつになったら聞いていい?そんな事ばかりでとても今聞くような事じゃなくて、何も言えないでいる。
花火の打ち上げ時間はもうすぐ。このまま無言のまま花火になるのか?と思ったその時、陸が何かを見つけおもむろに駆け出した。引っ張られる形でついていった先は、りんご飴の屋台。陸はいつも何かを食べながら花火を見る。それも決まって甘いもの。どうやら今年の花火のお供はりんご飴の気分らしい。
「そんなに食べ切れるか?」
 艶々のりんご飴を持つ陸に聞く。
「食べ切れるだろ!なんてたって男子高校生だからな!」
 全く根拠のない理由を誇らしげに語る。
「食べれなくなっても俺は食べてやらないからな?」
「じゃあ、欲しいって言ってもやらないからな?」
 りんご飴をくるくると回しながら、にひひと陸は笑う。
 花火の時間が近付くにつれ、場所取りに向かう人達が増えてきた。が、俺たちふたりには関係がない。何故なら、小さな時から花火を見る場所は決まっているから。二人で一緒に見つけた花火がいちばんきれいに見える穴場。俺と陸以外誰も知らない場所。俺たちふたりはまたどちらからでもなく自然と手を繋いで、俺たちだけの特等席の場所まで向かった。
 二人の特等席は祭りの会場から少し外れたところにある小さな御堂。祭りの喧騒から離れていつも静かだ。蜩の鳴き声がよく聞こえて、ほんの少しだけ遠くから祭りの音と声が聞こえるだけ。御堂に腰掛けて花火が上がるのを待つ。少しひんやりとした空気が木を揺らし、頬を撫でていく。陸は体育座りをして無言でりんご飴を食べている。
 すると、陸の膝の上から猫のぬいぐるみがぽとりと地面に落ちる。拾ってあげようと身を乗り出した矢先に、同じように拾おうとしていた陸の肩と触れ合い、伸ばした指先が重なる。
「りく…っ…」
陸に譲ろうとして顔を上げると、息がかかりそうなほど近くに陸の顔があった。目と目が合う。思わず息を呑んだ。りんご飴で赤く染った陸の唇が不思議なほど美味しそうに見えて、それに惹き寄せられるように陸の唇を塞いだ。最初の花火の音が鳴り、陸の顔を光が照らす。花火の爆音さえ小さく感じるほど心臓の鼓動がうるさい。首筋を汗が伝う。ゆっくりと唇を離した。今までだったら焦って謝っていたはずなのに、何故か言葉が出なくて陸も黙ったままだ。陸はふいっと顔をそらすと何事も無かったように花火を見上げる。その耳はりんご飴みたいに真っ赤になっていて、それがどうしようもなく可愛くて愛しくて仕方なかった。俺はほとんど花火を見ずに花火の光に照らされた横顔を焼き付けるように見つめた。どうしてキスを拒まなかった?耳が赤くなっていたのはどういう意味?俺の事、どう思ってる?やっぱり、都合良く考えてしまうよ。陸も俺のことが好きなんじゃないかって。ねぇ、それでいいの?陸は。お願いだからこれ以上俺を調子に乗らせないでくれ。違うなら違うと嫌なら嫌だと言ってくれよ。
 花火の後のことはほとんど覚えていない。2人とも黙り込んだまま帰る道が静かに感じたことくらいしか記憶にない。まるで夢みたいだった。現実だと思い出す度に顔から火が出そうだ。好きだと言えなくてもいい付き合えなくてもいい。だからどうかこの幸せが長く続きますように、そう願った。
 けれどそれは俺自身によって、壊されてしまうことをこの時の俺はまだ知る由もない。