彼に恋する君に恋した、フェルメールブルーの絵の君へ

 部員に揶揄われながら三枚目の下手糞なデッサンを上げたところで、りおはようやく戻って来た。
 いつもどおりの、おでこをぱっちん留めでとめていて、元通りの様子に柊(シュウ)はほっとした。
 ふう、と気合を入れてイーゼルの前に座ったりおは再び絵に集中し始めて、柊(シュウ)も他の部員に真面目にデッサンのことを訪ねては修正を続けた。

 部活動の終わりを知らせるチャイムが響き、部員たちはそれぞれ帰路につくことにした。

 「じゃあねー、りお」
 「お疲れっス」

 あまり触れられたくないだろうと、柊(シュウ)も早めに美術室を去ろうとしたその時だった。

 「ヒイラギ君。ちょっと……その、」

 柊(シュウ)の貸したタオルを握りしめるりおに、柊(シュウ)は小さくため息をつく。

 「気にすんなって。俺がへんなこと言って悪かったよ」

 りおは小さく、首を横に振った。

 「ううん大丈夫。ちょっと……いろいろびっくりして」
 「大丈夫だから。ま、今日はもう帰ろうぜ。遅くなったら危ないし」
 「あの、タオル」
 「いいって。使えよ。まだちょっと絵の具残ってるぞ」

 頬を指して柊(シュウ)が言うと、りおはちょっと慌てて自分の頬に手をあてるが、柊(シュウ)は「うそ」と笑う。

 「ちょっと、もう」
 「帰ってきちんと確認しろよ。じゃーな!」

 そう言うと柊(シュウ)は照れを隠す様に背を向けたまま手を振った。


 家に帰り、食事をすませて風呂にゆっくり浸かり、さて、あとはゲームでもするかなとコントローラーを手に取ったその時だった。
 机の上に置いていたスマホが振動して、画面が明るくなった。
 てっきりいつものように親友のヨータからだと思い込んで、柊(シュウ)はなにも確認せずに通話ボタンをスワイプした。

 「もしもし?どしたんヨータ?」

 すると、暫くの沈黙の後、女の子の小さな声が聞こえた。

 『あの、ごめんなさい、紺野、です。紺野りお。美術部の』
 「りお?!」

 驚きのあまり、大きな声で叫んでしまい、柊(シュウ)はあわててコントローラーを放り投げた。
 なぜか部屋のドアを慌てて閉めて、開けっ放しの窓をガラガラっと閉じる。

 (やべやべ。つい叫んじまった)

 『とつぜんごめんね。ひょっとして誰かと約束してた?』

 慌てる柊(シュウ)の様子にりおは申し訳なさそうな声で尋ねるが、柊(シュウ)は見えないのに首をぶんぶんと横に振った。

 「い、いや全然。気にすんなよ。この時間にかけてくんの大抵ヨータだから思い込んでて」

 深呼吸しながら、柊(シュウ)は一気に上がった熱を下げるようにパジャマ代わりのユニフォームの裾を広げて仰いだ。

 「それより、どうした?なんかあった?」

 わざとらしく尋ねたが、間違いなくあの絵の事だろう。

 『その、ヒイラギ君が見たって言う絵の事を教えて欲しくて』
 「別にいいけど。なに聞きたい?」
 『大きな絵って言ってたでしょ?その……』
 「ひょっとしてお前の彼氏が描いた?」

 平静さを装い柊(シュウ)が尋ねると、スピーカー越しにりおが息を吸う、ひゅっという音が聞こえた。
 やっぱりそうなのか、となぜか柊(シュウ)の胸がちくっと傷む。

 『ううん、違うくて。多分だけど、幼馴染』
 「へえ、幼馴染かあ。随分と上手いんだな」
 『上手だった?』
 「上手かったよ。俺思わず写真に撮っ……」
 『写真にとったの?』

 驚くりおの声に、あ、やべ!撮影禁止だったんだった!と今更思い出してしまって、柊(シュウ)は慌てた。

 「や、そうじゃなくて、あんまりいい絵だったんでつい、その撮影注意されて、消そうと思ってて、その、ごめんいますぐ消す!」

 慌てて写真のフォルダーをタップしようとしたがその瞬間。

 『待って!』

 りおの叫ぶような声が聞こえ、柊(シュウ)は動きを止めた。

 『待ってヒイラギ君。絵の写真、撮ってるって言ったよね、本当?まだある?』

 今更誤魔化すことも出来ず、柊(シュウ)はしょんぼりと項垂れた。

 「マジ。持ってるごめん。でも最初は知らんかって、注意されて消そうとしたら呼ばれたんでそのまま忘れて……」
 『じゃあ、まだデータは残ってるんだ』
 「うん。まだある。ゴメン」

 何度も謝る柊(シュウ)だったが、りおはほっとしたため息をつく。

 『そっか、あるんだ。そっかあ……あのさ、ヒイラギ君。もしよかったら、そのデータ送ってくれる?』
 「え?」
 『私、その絵を見たことないの。だから見てみたくて』
 「そりゃ……だってお前の絵だから、俺はいいけど」
 『本当?』
 「いーよ。ちょっと待ってろよ」

 柊(シュウ)はそう言うと写真データを探し、りおへとデータを送信した。
 ぴこんという音と共にりおの元へデータが届くと、りおは静かに、絵を見ているようだった。

 『そっか。ちゃんと描けてたんだ』

 安心したようなりおの声に、柊(シュウ)はこらえきれずに尋ねた。

 「なあ、その絵のこと、聞いて良い?お前の彼氏じゃないなら、誰が描いたん?」
 『幼馴染なんだ。この男子校に通ってるの。絵の下の方にサインがあるでしょ?』

 そう言われて、柊(シュウ)は絵をズームにしてよく見ると、キャンバスの右下に『Akane.H』とサインがあった。

 「アカネ……?」
 『そう。土師原(はじはら)茜(あかね)。幼馴染でね、うちの近くに住んでるの。親同士が知り合いで』
 「へえー、そうなんか」

 思わず柊(シュウ)はムッとする。
 その男子校はこのあたりでは偏差値が一番高く、つまりは名門校というやつだ。

 「頭いーんだな、はじはらってヤツ」
 『うん。昔からすっごい頭よくって。私いつも勉強教えてもらってたけど、ついてけなくて』

 確かに柊(シュウ)とりおが通っている学校は、そこまでハイレベルではないけれど、平均値は超えてるしそんなに悪くない。

 (そりゃそっちの男子校には負けるけど!)

 『同じ絵画教室に通ってたの。そこでもすごく上手でね』

 なぜかむっとしてしまう柊(シュウ)は「へー」と気の乗らない返事をする。

 「お前は文化祭、行かなかったのか?でかでかと飾られてたけど」

 柊(シュウ)の問いかけに、暫くスピーカーの向こうのりおは黙っていた。
 沈黙の中、りおの呼吸音が聞こえて、やがてりおは静かに言った。

 『……茜に絶対に来るなって言われてて。チケットも貰えなくて』
 「はぁ?なんだそれ」

 絵を描いたくせにそのモデル本人に来るなとはどういう事だよと柊(シュウ)は腹を立てる。
 だったら飾らなきゃいいのに、とすら柊(シュウ)は思うが、りおは苦笑しているのがスピーカー越しに伝わるくらい、寂し気な声で笑って言った。

 『仕方ないんだよね。あたし、茜にはウザがられてるから』
 「うざがられてるって。なんでだよ」

 少なくともあんなに大きなキャンバスに、まぶしい笑顔を絵に描くくらいなのに?と不思議がる柊(シュウ)に、りおは言った。

 『あたしね、昔から、茜の事が好きなの。茜もそれ気づいてて。だからウザイんだろうと思う』

 落ち込むりおの声に、柊(シュウ)の心臓が締め付けられたように痛む。
 耳元でドクンと音がしたようで、柊(シュウ)は息を飲んだ。