シュートでも、ボールを蹴った時でもない。
背を向けて走り出したその瞬間だ。
「ぶつかって、倒されて、でもすぐに立ち上がって追いかけてたでしょ。すごい、かっこいいなって思って録画してたところの、一番いいと思ったところを描いたの」
りおが柊の試合で一番良いと思ったところは、決めたところでもなんでもなかった。
倒されて、転んで、でも立ち上がって前を向いて足を踏み出したその瞬間。
心臓が締め付けられたように痛い。
いとおしさなのか嬉しさなのか、もう柊にはわからず、ただ渦巻くような感情が心臓をきゅうっと締め付ける。
「すっげえ、すげえ嬉しい。ありがと、りお」
「ほんとう?めちゃくちゃ頑張ったから嬉しい。何回も描きなおしてね」
「おま、描いてた絵があったのに?無理したのか?」
「う、ううん!ちゃんと絵の具が乾くまでの時間をね、使ったから。でも何回も失敗しちゃって、なかなか満足いくのが描けなくてね」
ひょっとして、りおが慌ててかくしていたスケッチブックの中は。
「スケッチブック、ひょっとして全部、俺を描いてた?」
「えへへ……うん、けっこう使っちゃった」
あ、でも、とりおは目を輝かせた。
「だからね、けっこうデッサンうまくなったよ。これまで運動してる人とかあんまり描いたことなかったから」
「―――――マジで、マジで嬉しい。ほんとうにありがとう」
このまま、りおを抱きしめたい。
好きだって言いたい。キスしたい。
でもそれは、そんなことを、きっと、りおは望んでいない。
「嬉しすぎてやべー。もう早速これ部屋に飾る!その前に、家族に見せびらかして、あ、やっぱ内緒にしよっかな」
絵を掲げて喜ぶ柊に、りおは目を細めて微笑む。
「そこまで喜んでもらえて嬉しいよ」
だって好きな奴が、一番かっこいいと思って頑張って描いてくれた絵だぞ。
そう言いたくなるのを堪え、柊は笑って誤魔化した。
「そ、それよりさ、お前の絵、完成して良かったな。ひまわりのやつ。ちゃんと目立つ所に展示してあって」
「……うん」
なぜかりおの表情は暗い。
そこで柊は、はっと気づいた。
「ひょっとして、茜のヤツに見て欲しかったのか?」
柊の問いに、りおの表情は固まり、唇が小さく震えた。
泣きそうになりながら小さく頷くりおに、柊は慌て言った。
「まっ、まだ文化祭、時間あるし、ひょっとしたらアイツ来て」
「無理って。忙しいし、行く気ないって。それからずっと、未読無視されてる」
「ハァ?」
「もうインスタもPINEも見れないって」
「いやいや、んなはずねーじゃん、せめてPINEは見ないと困るじゃん」
「だから、わたしのだけ見てないんだと思う」
とうとうりおはこらえきれずに、ぼろぼろと泣き始めてしまった。
「もう、本当に茜、わたしのこと、無理になっちゃったのかな。そんなにあたし、ウザかったのかな」
柊の前で本音が出てしまったりおは、ぼろぼろと涙をこぼし、肩を揺らす。
(こいつ、マジで、こんなにもあいつのこと)
きっと美術室で絵の具を塗っていた間、りおはあいつの、茜の事を考えていたのだ。
「あたし、絵だって、変えたのに。これなら茜に、見せられるって、思ったのに」
「絵?」
なにを変えたのか、柊は判らずに尋ねた。
最初からりおの絵は、ただのひまわりだったはずだ。
「……ほんとうはね、あのひまわり、茜がくれたものなの。茜が、あたしに。庭に咲かせたひまわりを、やるよってくれたの。あたし、嬉しくて、そのときの茜を、ずっと忘れたくないって思って」
その瞬間、柊は思い出した。
初めて美術室に入ったあのとき、りおは確かにひまわりを掴む手を描いていた。
でもいつのまにかそれは背景に塗りこめられて、消えていたから。
(じゃあ、ひょっとして)
「それって、お前の、絵のお前の帽子についてた、ヤツ?」
柊がひとめぼれした絵の中のりおがかぶっている麦わら帽子には、ひまわりの飾りがついていた。
こくんとりおは頷いた。
「嬉しくて、帽子につけたの。そしたら茜が、ばかだなって笑って、写メ、とってくれて」
耳元で心臓の跳ねる音が聞こえた気がした。
じゃあ、完全にこいつら、絶対両想いのはずじゃねえかよ。
そんなに仲が良かったのに、どうして。
(なんだよ、なんだよ茜のヤツ!)
そんなヤツほっとけとか、忘れろとか。
言える立場に柊はいない。
涙を流すりおを、どうにか慰めたくても、なにひとつ言葉が浮かばない。
せっかくの文化祭、頑張って描いた、しかも絵を変えてまで、そんなにしてまで、りおは茜を待っていたのに。
泣くな、と言おうとしてポケットからハンカチを出そうとして、柊は自分がなにも持っていないことに気づく。
どうしようと思って、柊は自分が着ているお揃いのTシャツを思いっきり引っ張って、りおの涙を拭いた。
「泣くなよ」
そう言うも、りおは頷き、柊を見て「ぶっ」と吹き出す。
「ひ、ヒイラギ君、おなか丸出しだよ?」
「だってハンカチ持ってねーもん」
「だからってもう……ほんとおかしい」
泣きながら笑うりおに、柊は照れながら、オーバーサイズのTシャツでやさしくりおの涙を拭った。
「ごめんね、ありがとう。へんなとこみせちゃって」
「いーって。気にすんな。お前もさ、気にすんなってのは無理でも。元気、出せよ」
「うん。がんばる」
俯くりおのおでこを、柊はばちんと手のひらで叩いた。
「いたっ」
「ほら、涙止まっただろ?」
「もう~痛すぎて逆に泣くよ」
「えっ、ごめん!そんなに痛かったか?」
おろおろとする柊に、りおは「うそ」と顔を上げた。
柊はぐるんと体を回した。
「もーなんだよ!焦ったじゃん!」
「あはは。おでこの仕返し」
言いながらりおは、柊が以前プレゼントしたひまわりのかっちん留めをつけなおした。
「もう平気。ダイジョウブ」
ふん、とりおは両腕でガッツポーズを作ったので、柊も力こぶをつくる真似をした。
文化祭が終わり、マックで打ち上げをする頃には、りおの涙はすっかり引いて、楽しそうに笑っていた。
きっと本当はいろいろあるんだろうけどきっと我慢しているんだろうとおもうといじらしかった。
(茜のヤツ、マジで馬鹿じゃねえの)
あんなにりおに好かれてて、あんなに考えてくれているのに。
(あんなクソでけー絵を描いて、ウザイとか)
茜のやっていることも言っている事も、なにもかも柊からは意味が不明すぎだった。
(こんど見つけたら、ゼッテーに文句言ってやるからな)
そして言ってやろうか。
お前なんかよりよっぽど俺のほうが、りおを大事にできるって。
そしてもし。
りおが、茜の事を忘れる日が来るとしたら、その時は、自分はりおの隣に並ぶことができるだろうか。
せめて好きだと、伝える事ができるだろうか。
十一月十一日
文化祭が終わり十日余りが過ぎた。
柊はかわらず美術室に入り浸り、美術部員や先輩とお菓子を食べながら下手糞なデッサンを続けたり、図録を眺めたり、おすすめのアニメを教えて貰ったり、そんな呑気な日々を過ごしていた。
「ところでヒイラギ師匠、進路はどうされるおつもりで?」
「進路?大学?」
まだ1年なのに?と首を傾げる柊に美術部員は首を横に振った。
「そうではなく、文理ですわ。ぼちぼち文理の選択が試験前にあるじゃないですか」
そういやそうだったな、と柊は思い出す。
背を向けて走り出したその瞬間だ。
「ぶつかって、倒されて、でもすぐに立ち上がって追いかけてたでしょ。すごい、かっこいいなって思って録画してたところの、一番いいと思ったところを描いたの」
りおが柊の試合で一番良いと思ったところは、決めたところでもなんでもなかった。
倒されて、転んで、でも立ち上がって前を向いて足を踏み出したその瞬間。
心臓が締め付けられたように痛い。
いとおしさなのか嬉しさなのか、もう柊にはわからず、ただ渦巻くような感情が心臓をきゅうっと締め付ける。
「すっげえ、すげえ嬉しい。ありがと、りお」
「ほんとう?めちゃくちゃ頑張ったから嬉しい。何回も描きなおしてね」
「おま、描いてた絵があったのに?無理したのか?」
「う、ううん!ちゃんと絵の具が乾くまでの時間をね、使ったから。でも何回も失敗しちゃって、なかなか満足いくのが描けなくてね」
ひょっとして、りおが慌ててかくしていたスケッチブックの中は。
「スケッチブック、ひょっとして全部、俺を描いてた?」
「えへへ……うん、けっこう使っちゃった」
あ、でも、とりおは目を輝かせた。
「だからね、けっこうデッサンうまくなったよ。これまで運動してる人とかあんまり描いたことなかったから」
「―――――マジで、マジで嬉しい。ほんとうにありがとう」
このまま、りおを抱きしめたい。
好きだって言いたい。キスしたい。
でもそれは、そんなことを、きっと、りおは望んでいない。
「嬉しすぎてやべー。もう早速これ部屋に飾る!その前に、家族に見せびらかして、あ、やっぱ内緒にしよっかな」
絵を掲げて喜ぶ柊に、りおは目を細めて微笑む。
「そこまで喜んでもらえて嬉しいよ」
だって好きな奴が、一番かっこいいと思って頑張って描いてくれた絵だぞ。
そう言いたくなるのを堪え、柊は笑って誤魔化した。
「そ、それよりさ、お前の絵、完成して良かったな。ひまわりのやつ。ちゃんと目立つ所に展示してあって」
「……うん」
なぜかりおの表情は暗い。
そこで柊は、はっと気づいた。
「ひょっとして、茜のヤツに見て欲しかったのか?」
柊の問いに、りおの表情は固まり、唇が小さく震えた。
泣きそうになりながら小さく頷くりおに、柊は慌て言った。
「まっ、まだ文化祭、時間あるし、ひょっとしたらアイツ来て」
「無理って。忙しいし、行く気ないって。それからずっと、未読無視されてる」
「ハァ?」
「もうインスタもPINEも見れないって」
「いやいや、んなはずねーじゃん、せめてPINEは見ないと困るじゃん」
「だから、わたしのだけ見てないんだと思う」
とうとうりおはこらえきれずに、ぼろぼろと泣き始めてしまった。
「もう、本当に茜、わたしのこと、無理になっちゃったのかな。そんなにあたし、ウザかったのかな」
柊の前で本音が出てしまったりおは、ぼろぼろと涙をこぼし、肩を揺らす。
(こいつ、マジで、こんなにもあいつのこと)
きっと美術室で絵の具を塗っていた間、りおはあいつの、茜の事を考えていたのだ。
「あたし、絵だって、変えたのに。これなら茜に、見せられるって、思ったのに」
「絵?」
なにを変えたのか、柊は判らずに尋ねた。
最初からりおの絵は、ただのひまわりだったはずだ。
「……ほんとうはね、あのひまわり、茜がくれたものなの。茜が、あたしに。庭に咲かせたひまわりを、やるよってくれたの。あたし、嬉しくて、そのときの茜を、ずっと忘れたくないって思って」
その瞬間、柊は思い出した。
初めて美術室に入ったあのとき、りおは確かにひまわりを掴む手を描いていた。
でもいつのまにかそれは背景に塗りこめられて、消えていたから。
(じゃあ、ひょっとして)
「それって、お前の、絵のお前の帽子についてた、ヤツ?」
柊がひとめぼれした絵の中のりおがかぶっている麦わら帽子には、ひまわりの飾りがついていた。
こくんとりおは頷いた。
「嬉しくて、帽子につけたの。そしたら茜が、ばかだなって笑って、写メ、とってくれて」
耳元で心臓の跳ねる音が聞こえた気がした。
じゃあ、完全にこいつら、絶対両想いのはずじゃねえかよ。
そんなに仲が良かったのに、どうして。
(なんだよ、なんだよ茜のヤツ!)
そんなヤツほっとけとか、忘れろとか。
言える立場に柊はいない。
涙を流すりおを、どうにか慰めたくても、なにひとつ言葉が浮かばない。
せっかくの文化祭、頑張って描いた、しかも絵を変えてまで、そんなにしてまで、りおは茜を待っていたのに。
泣くな、と言おうとしてポケットからハンカチを出そうとして、柊は自分がなにも持っていないことに気づく。
どうしようと思って、柊は自分が着ているお揃いのTシャツを思いっきり引っ張って、りおの涙を拭いた。
「泣くなよ」
そう言うも、りおは頷き、柊を見て「ぶっ」と吹き出す。
「ひ、ヒイラギ君、おなか丸出しだよ?」
「だってハンカチ持ってねーもん」
「だからってもう……ほんとおかしい」
泣きながら笑うりおに、柊は照れながら、オーバーサイズのTシャツでやさしくりおの涙を拭った。
「ごめんね、ありがとう。へんなとこみせちゃって」
「いーって。気にすんな。お前もさ、気にすんなってのは無理でも。元気、出せよ」
「うん。がんばる」
俯くりおのおでこを、柊はばちんと手のひらで叩いた。
「いたっ」
「ほら、涙止まっただろ?」
「もう~痛すぎて逆に泣くよ」
「えっ、ごめん!そんなに痛かったか?」
おろおろとする柊に、りおは「うそ」と顔を上げた。
柊はぐるんと体を回した。
「もーなんだよ!焦ったじゃん!」
「あはは。おでこの仕返し」
言いながらりおは、柊が以前プレゼントしたひまわりのかっちん留めをつけなおした。
「もう平気。ダイジョウブ」
ふん、とりおは両腕でガッツポーズを作ったので、柊も力こぶをつくる真似をした。
文化祭が終わり、マックで打ち上げをする頃には、りおの涙はすっかり引いて、楽しそうに笑っていた。
きっと本当はいろいろあるんだろうけどきっと我慢しているんだろうとおもうといじらしかった。
(茜のヤツ、マジで馬鹿じゃねえの)
あんなにりおに好かれてて、あんなに考えてくれているのに。
(あんなクソでけー絵を描いて、ウザイとか)
茜のやっていることも言っている事も、なにもかも柊からは意味が不明すぎだった。
(こんど見つけたら、ゼッテーに文句言ってやるからな)
そして言ってやろうか。
お前なんかよりよっぽど俺のほうが、りおを大事にできるって。
そしてもし。
りおが、茜の事を忘れる日が来るとしたら、その時は、自分はりおの隣に並ぶことができるだろうか。
せめて好きだと、伝える事ができるだろうか。
十一月十一日
文化祭が終わり十日余りが過ぎた。
柊はかわらず美術室に入り浸り、美術部員や先輩とお菓子を食べながら下手糞なデッサンを続けたり、図録を眺めたり、おすすめのアニメを教えて貰ったり、そんな呑気な日々を過ごしていた。
「ところでヒイラギ師匠、進路はどうされるおつもりで?」
「進路?大学?」
まだ1年なのに?と首を傾げる柊に美術部員は首を横に振った。
「そうではなく、文理ですわ。ぼちぼち文理の選択が試験前にあるじゃないですか」
そういやそうだったな、と柊は思い出す。
