彼に恋する君に恋した、フェルメールブルーの絵の君へ

 でもりおは笑顔で続けた。

 「そう、なーんもわかんないの。だからね、実は絵もそんなところあるの。あのね、実は、油絵って、削ったら他の絵があることもあるんだよ」
 「そんなのあんの?」
 「うん。キャンバスの再利用とか、実は別の絵があったのに上から塗ったりね。さっきのフェルメールの図録にもあるはず……ほら、見てこれ」

 りおが見せてくれたのは、フェルメールの『窓辺で手紙を読む女』というタイトルがついた絵だった。

 「最初は壁だったの。でも実はキューピッドの絵があるってわかって修復されたのよ」
 「そんなんあるのか」
 「実際はフェルメールが塗ったんじゃないらしいけど、でもそんなのわかんないよね、知らなかったら」
 「そうだなあ」
 「だからね、わたし、絵も人と同じだなって思うんだ。見たらすぐ、そのまま判る気がするけど、きっといろんなものが隠されてたり、塗り込まれてたりとかするんだろうなって。でも最初から、それしか知らなかったら、それがその人だって思っちゃうんだろうなって」

 柊(シュウ)は顔を上げると、りおは微笑んでいた。

 「ヒイラギ君は、わたしにとっては世界一、サッカーが上手い、プロみたいな人だよ」

 がたん、と柊(シュウ)は思わず立ち上がった。

 「―――――俺、ちょ、ちょっとファンタ……買ってくる。グレープのやつ!好きだから!」
 「うん?購買?」

 くるっと背を向けて美術室を出て、りおに向かって叫んだ。

 「俺、すっげー、ファンタのグレープ好きだから!大好きだから!なんなら世界一だから!」
 「そ、そっか。行ってらっしゃい」

 柊(シュウ)の妙な勢いに乗せられ、りおは苦笑して手を振ったが、柊(シュウ)はそれどころじゃない。

 「うぉおおおおおおおおお!」

 廊下を叫びながら、走って購買の自販機へ向かう。

 「好きだあああああああ!世界で一番、大好きだあああああ!ファンタ!!!!グレープ!!!!」

 大声でそう叫びながら走る柊(シュウ)に、廊下ですれ違ったヨータは呆れた。

 「なんだシュウのやつ。そんなファンタ好きだったっけ?」

 変な奴、と首を傾げた。

 自販機の前に到着すると、柊(シュウ)はごつんと自販機に頭をぶつけた。
 通りすがりの生徒がぎょっとして見ていたが、柊(シュウ)はかまわずもう一度頭をぶつける。
 柊(シュウ)はポケットから小銭を出し、投入すると再びごつんと頭を当てた。
 がちゃんという音と共に出てきたのは、つめたいおしるこだった。

 「なんだよもう……」

 がっかりしながら柊(シュウ)はもういちど冷静になって小銭を入れ、今度こそファンタグレープを買った。
 肩を落としながら廊下を歩いていると、さっきすれ違った親友のヨータが「よう」と声をかけてきたので、柊(シュウ)は「これやる」とヨータに缶を渡した。

 「サンキュー、お前も美術部頑張れよ、後で差し入れ行くわ」
 「おう……」

 軽く手を上げた柊(シュウ)だったが、ヨータは受け取った缶を見て、ますます首を傾げた。

 「つめたいおしるこ……?あいつファンタ買いに行ったんじゃなかったのか?」

 廊下を歩きながら、柊(シュウ)はどうしようと焦った。
 いますぐりおに好きだと伝えたい。
 めちゃくちゃ抱きしめたい。
 あんな男なんかやめろって言いたい。
 ろくなやつじゃないし、絶対俺の方がりおを大事にするって。

 (でも、)

 『茜(あかね)が、髪を巻いてくれた、の』

 柊(シュウ)が一目ぼれした、りおが描かれた絵。
 あの大きな絵を描いたのは、茜(あかね)だ。

 『髪を編んでくれたのも、服を選んでくれたのも茜(あかね)でね』

 顔を赤くして照れるりおの表情は、どうみても茜(あかね)を好きな女の子の顔だ。
 柊(シュウ)は拳を握りしめる。

 (……言えるわけねーよな)

 りおは、柊(シュウ)を信用しているから、茜(あかね)のことを好きなのだと教えてくれたのだ。

 ひたすらに絵にむきあうりおをずっと見ていた柊(シュウ)には、嫌でもわかるようになってきてしまった。
 あの大きな、りおの笑顔の絵を、茜(あかね)はきっと真剣に描き込んできたのだと。
 りおもそれを判っているから、あの絵をどうしても見たがったのだと。

 りおだけが、本物を見たことがない。
 柊(シュウ)をひと目で恋に落とした茜(あかね)の絵の感情が、柊(シュウ)には見えてしまう気がした。

 「……ただいま」
 「おかえり。ファンタグレープあった?」
 「あった。買って来た」
 「そっか。良かったね」

 笑うりおは、そうだ、と立ち上がる。

 「あたしも水、くんでこようっと」

 柊(シュウ)がプレゼントしたカラーカップはすっかりりおの愛用品で、常に部室でも持ち歩いていた。

 「ちょい待て。りお、お前、まさか」
 「え?」
 「ひょっとして、ずっとフツーに水ばっか飲んでたのって、絵の具買うためか?」
 「え、ええっ、なんでバレたの?」

 驚くりおに、柊(シュウ)は落ち込んだ。

 (まじかー、俺、なんで気づかないの)

 もう自分がどうしようもなく情けなくて、柊(シュウ)はファンタグレープのプルタブを開けた。

 「りお、カップあけろ」
 「え?」
 「カップ。いいからあけろ。カラなんだろ」
 「え、う、うん」

 上蓋を外したりおのカップの中に、柊(シュウ)はファンタをなみなみと注いだ。

 「ちょっと、ヒイラギ君?めちゃくちゃいっぱい、」
 「いいから飲め!ファンタグレープ!うまいから!」
 「う、うん」

 ほとんど全部注いでしまい、柊(シュウ)はほぼカラになった缶をりおのカラーカップにあてた。

 「ほら、かんぱーい」
 「か、かんぱい……」

 そういって柊(シュウ)はほとんどない缶のファンタをすすり、りおはストローから、色の変わったカップのファンタを、ごくごくと飲み込んだ。


 予告通り、自分のダンス部が片付いたヨータが、際入れをもってやってきた。

 「おいシュウ、差し入れ持って来てやったぞ。なにが欲しい?」
 「ファンタ」
 「おまえ、どんだけファンタ飲めば気が済むんだよ」

 言いながらもヨータは、コンビニで買って来たペットボトルのファンタを柊(シュウ)に渡した。

 「ヒイラギ君、本当にファンタ好きなんだね」

 傍で笑うりおに、ヨータが笑って柊(シュウ)を指さした。

 「だってコイツ、殆どジャンク食ったことねえからな」
 「ジャンク……?ファンタが?」
 「そっ、ファンタもコーラもジュースもお菓子も、カップ麺もコンビニ飯も、なーんも」
 「えぇええ!なんで?いつも部室で食べてるよね?」

 美術室でだらだらとお菓子を食べてはジュースを飲んでいるのは、常に柊(シュウ)なのにとりおは驚く。

 「でしょ?だってコイツ、プロ目指してたから子供の時からジャンク口にしてなかったの」
 「よけーな事言うなヨータ」
 「いいじゃん別に。いまは食いまくってんだし」
 「だってサッカー選手じゃねーもん」

 むくれる柊(シュウ)だが、りおは『ジャンクを食べたことがない』ことにまだ驚いていた。

 「だって、よくマック行くし……」
 「ガキん時、誕生日とか大事な試合に勝てたご褒美とか、そんなんでしか食わなかったよな」

 ヨータが柊(シュウ)と肩を組みながら言うと、柊(シュウ)も「まーな」と返す。

 「驚いた。プロのサッカー選手って、そんな大変なの?」
 「俺が勝手にやってただけ。プロの選手で、そういうのかっこいいって思って真似しただけ。でも結局クビになったから意味なかった」

 プシュ、とキャップをあけてごくごくとファンタを飲む。
 でもその顔はちっとも嬉しそうじゃなくて、りおの胸をちくりと刺した。