柊らが看板を作っている最中も、りおは油絵と向き合っていた。
それとは別に、時々スケッチブックを取り出しては、いろんなものを描いていた。
「りーお、何描いてんの」
「きゃっ!」
あわてて柊の目からスケッチブックを隠すりおに、柊は「なんだよ」とむっとする。
「なに?俺に見せたくないもの?」
「へ、下手だから。恥ずかしいんだよ」
「えぇーりおが下手だったら俺なんか最悪じゃん」
「ご、ごめんね。ちゃんとしたの、なら見せるし」
「いや、別にいいよ。邪魔したな」
りおが嫌がる事を柊がするはずもなく、そういって笑って柊は部活の仲間のなかへ戻って行った。
(ヒイラギ君が、いなくなる)
入部して二か月程度なのに、柊は美術部のムードを明るくする。
それなのに、どこかへ行くのだろうか。
ぶんぶんとりおは、首を横に振った。
十月二十五日
今日もまた、学校は文化祭準備のために開かれていて、美術部員はそれぞれの作品作りに励んでいた。
りおの絵もかなり完成に近い。
デッサンに飽きた柊は、いつものようにりおの絵を覗いた。
りおの描くひまわりの絵は、ほとんど完成に近かった。
「だいぶいいじゃん」
「うん、これなら間に合いそう。絵の具がかわかなくてどうしようか焦ったけど、なんとかなりそう」
ほっとして笑うりおに、柊も隣で笑う。
「すげーよな。やっぱり絵って、描くのスゲー時間かかるんだ」
「大きさにもよるけどね」
笑うりおに、だったら、と柊は思う。
(りおを描いたあの絵って、どんだけ時間、かかってんだよ)
「絵の具だってけっこうかかるし、私も部費で賄って貰わなかったらどんだけお小遣いあっても足りないよ」
「えっ、全部出してくれねえの?」
「いまのところはなんとかなってる。でもあんまり作るとやっぱりね」
「じゃあ、美術館にあるやつとかどんだけなん」
「アハハ、そりゃものすごく絵の具を使ってるよ。知ってる?ヒイラギ君、宝石を砕いて絵の具に混ぜて作られた絵もあるんだよ」
「はあ?そんな富豪のが?」
「有名なのは、フェルメールの『真珠の耳飾りの少女』だよ。画集があるでしょ?」
りおが部室に置いてある画集を広げ、柊に見せると「知ってる!」と柊は驚く。
「うん。この青はね、フェルメールブルーって言われるくらいなの」
「ほーん、すげえな。高そうな絵の具だ」
「アハハ、高いよ」
「待って、じゃあ買えるのか?宝石入りの絵の具!」
「そうだねえ、多分これと同じくらいで一万円とか」
「いちまん!」
りおが見せたのは、油絵の具のチューブだったけれど、この小さなチューブで一万円、と知らない世界に柊は絶句した。
「すげー、俺なんも知らん」
美術部のくせになにも知ろうとしなかったな、とやや反省だ。
「でもヒイラギ君は、サッカーに詳しいでしょ?ユニのこと、みんな滅茶苦茶感謝してたよ」
「あー、だってあのくらい」
「実はね、他のクラスでも、それ聞いて助かった子もいるんだって」
「まじか。じゃあ良かった」
「だから、きっとそういうものなんだよ。きっと、本当はみんないろんなこと知ってて、実は当たり前って思ってる事知らなかったりするんだって」
りおの言葉は心地よい。
隠すこともなくて、意地を張る事も、マウントも、感情を隠したりすることもない。
きっとこれも、りおの素直な言葉だ。
「りおはスゲーよ。俺だったら、知らない事は恥ずかしいって思うし、絶対隠す」
「その気持ちはわかるなあ」
「下手なのは恥ずいし、上手いものしか見せたくない」
「うんうん」
笑って賛同するりおに、柊は続けた。
「だから、実はちょっと、判ってた。俺、絶対サッカーは自慢できるって思ってたから、りお達を誘った」
うなじを撫でながら柊は呟く。
「自分が下手すぎんの嫌でサッカーから離れたクセに、お前らならきっと俺を上手いって褒めてくれるってわかってた」
「実際にすごく上手だったよ?」
「そりゃミニゲーム程度じゃバレないよ。ちょっとスキルがあって。でも、それだけだ」
はは、と笑って柊はりおの足元に膝を曲げてしゃがみ込み、膝を抱え込んだ。
「俺は、逃げたんだ。プロになるとか大きなこと言って。でもクラブから弾かれて」
柊は笑いながらため息をついた。
「小学生のころは無敵だった。FWで、誰も俺に敵わなかった。身長が一気に伸びたけど、そんときDFにコンバートしろって言われて、そこしか居場所がねーからOKしたけど、今度は筋肉つかねーわ、足はおせえわで」
自分で自分の傷をえぐる自分が馬鹿みたいだ、と柊は思う。
でもきっと、りおの前だから言える。
上手だと素直に褒めてくれるりおだから。
「……高校はサッカー部のあるところを選べって言われたけど、推薦蹴った。なんかバカバカしくなってさ。どうせプロなんかなれないのに、なにやってたんだろって。スゲー馬鹿じゃん俺って。海外行くぜ!とか調子こいてたのメチャクチャ恥ずくて」
だから、と柊は言った。
「サッカー部ないここの高校選んだ。お前なら余裕だしって。……誘ってくれたのヨータなんだ」
「そう、だったんだ」
「サッカーから逃げて、ほっとしてた。でも毎日、なにかに置いてかれてるみたいで、俺だけ全然、止まってるみたいでさ」
逃げたくせに。
だから、萌々にしつこく誘われた時、断るのすら面倒で、文化祭について行った。
そこで、りおの絵を見つけた。
いじけてくすむ毎日を過ごしていた柊の目の前に現れた、屈託なく笑う美しい絵。
あんまりにもキラキラして、凄くて、圧倒された。
そのモデルはいま、柊の隣で筆を走らせている。
「美術部のみんな、スゲー真剣で、俺、恥ずかしくなった。実はちょっと見下してたところあった。絵なんか描いてさ。でもみんな滅茶苦茶本気で真剣で。イラストも、絵も、ユニを買う時もすげー本気だった」
柊にとっては当たり前の、ただのスポーツショップで真剣にユニフォームを探し、興味を持って、作品にも向き合って。
あ、俺全然駄目だ、俺なんかいい絵が描けるわけない。
毎日デッサンして、毎日絵を描いて、毎日どんなに練習して。
「……でもさ、あたしたちが絵を描いてるときにさ、ヒイラギ君はサッカーしてたんでしょ?」
りおは筆を走らせながら言う。
「きっとみんな同じなんだよ。あたしたちが絵を描いてる間、ヒイラギ君はサッカーしてた。そんで、あたしたちがお菓子を食べたり、絵の具が乾くの待ってるときみたいに、いまヒイラギ君は休んでるんだよ」
ね、とりおは笑った。
「いいじゃん、ずっと頑張ってきたんでしょ。長いお休みだったって思えば」
「休み……」
そんな風に考えたことはなかった。
サッカーから逃げて、自分はどうしようもない奴だって。
そんなことばかり柊は考えていた。
「決めつけなくていいじゃない。だってなにもわからないんだから」
「なにも……」
そうだろうか。
こんなにくすぶる気持ちが、変わる日が来るなんて柊には思えない。
それとは別に、時々スケッチブックを取り出しては、いろんなものを描いていた。
「りーお、何描いてんの」
「きゃっ!」
あわてて柊の目からスケッチブックを隠すりおに、柊は「なんだよ」とむっとする。
「なに?俺に見せたくないもの?」
「へ、下手だから。恥ずかしいんだよ」
「えぇーりおが下手だったら俺なんか最悪じゃん」
「ご、ごめんね。ちゃんとしたの、なら見せるし」
「いや、別にいいよ。邪魔したな」
りおが嫌がる事を柊がするはずもなく、そういって笑って柊は部活の仲間のなかへ戻って行った。
(ヒイラギ君が、いなくなる)
入部して二か月程度なのに、柊は美術部のムードを明るくする。
それなのに、どこかへ行くのだろうか。
ぶんぶんとりおは、首を横に振った。
十月二十五日
今日もまた、学校は文化祭準備のために開かれていて、美術部員はそれぞれの作品作りに励んでいた。
りおの絵もかなり完成に近い。
デッサンに飽きた柊は、いつものようにりおの絵を覗いた。
りおの描くひまわりの絵は、ほとんど完成に近かった。
「だいぶいいじゃん」
「うん、これなら間に合いそう。絵の具がかわかなくてどうしようか焦ったけど、なんとかなりそう」
ほっとして笑うりおに、柊も隣で笑う。
「すげーよな。やっぱり絵って、描くのスゲー時間かかるんだ」
「大きさにもよるけどね」
笑うりおに、だったら、と柊は思う。
(りおを描いたあの絵って、どんだけ時間、かかってんだよ)
「絵の具だってけっこうかかるし、私も部費で賄って貰わなかったらどんだけお小遣いあっても足りないよ」
「えっ、全部出してくれねえの?」
「いまのところはなんとかなってる。でもあんまり作るとやっぱりね」
「じゃあ、美術館にあるやつとかどんだけなん」
「アハハ、そりゃものすごく絵の具を使ってるよ。知ってる?ヒイラギ君、宝石を砕いて絵の具に混ぜて作られた絵もあるんだよ」
「はあ?そんな富豪のが?」
「有名なのは、フェルメールの『真珠の耳飾りの少女』だよ。画集があるでしょ?」
りおが部室に置いてある画集を広げ、柊に見せると「知ってる!」と柊は驚く。
「うん。この青はね、フェルメールブルーって言われるくらいなの」
「ほーん、すげえな。高そうな絵の具だ」
「アハハ、高いよ」
「待って、じゃあ買えるのか?宝石入りの絵の具!」
「そうだねえ、多分これと同じくらいで一万円とか」
「いちまん!」
りおが見せたのは、油絵の具のチューブだったけれど、この小さなチューブで一万円、と知らない世界に柊は絶句した。
「すげー、俺なんも知らん」
美術部のくせになにも知ろうとしなかったな、とやや反省だ。
「でもヒイラギ君は、サッカーに詳しいでしょ?ユニのこと、みんな滅茶苦茶感謝してたよ」
「あー、だってあのくらい」
「実はね、他のクラスでも、それ聞いて助かった子もいるんだって」
「まじか。じゃあ良かった」
「だから、きっとそういうものなんだよ。きっと、本当はみんないろんなこと知ってて、実は当たり前って思ってる事知らなかったりするんだって」
りおの言葉は心地よい。
隠すこともなくて、意地を張る事も、マウントも、感情を隠したりすることもない。
きっとこれも、りおの素直な言葉だ。
「りおはスゲーよ。俺だったら、知らない事は恥ずかしいって思うし、絶対隠す」
「その気持ちはわかるなあ」
「下手なのは恥ずいし、上手いものしか見せたくない」
「うんうん」
笑って賛同するりおに、柊は続けた。
「だから、実はちょっと、判ってた。俺、絶対サッカーは自慢できるって思ってたから、りお達を誘った」
うなじを撫でながら柊は呟く。
「自分が下手すぎんの嫌でサッカーから離れたクセに、お前らならきっと俺を上手いって褒めてくれるってわかってた」
「実際にすごく上手だったよ?」
「そりゃミニゲーム程度じゃバレないよ。ちょっとスキルがあって。でも、それだけだ」
はは、と笑って柊はりおの足元に膝を曲げてしゃがみ込み、膝を抱え込んだ。
「俺は、逃げたんだ。プロになるとか大きなこと言って。でもクラブから弾かれて」
柊は笑いながらため息をついた。
「小学生のころは無敵だった。FWで、誰も俺に敵わなかった。身長が一気に伸びたけど、そんときDFにコンバートしろって言われて、そこしか居場所がねーからOKしたけど、今度は筋肉つかねーわ、足はおせえわで」
自分で自分の傷をえぐる自分が馬鹿みたいだ、と柊は思う。
でもきっと、りおの前だから言える。
上手だと素直に褒めてくれるりおだから。
「……高校はサッカー部のあるところを選べって言われたけど、推薦蹴った。なんかバカバカしくなってさ。どうせプロなんかなれないのに、なにやってたんだろって。スゲー馬鹿じゃん俺って。海外行くぜ!とか調子こいてたのメチャクチャ恥ずくて」
だから、と柊は言った。
「サッカー部ないここの高校選んだ。お前なら余裕だしって。……誘ってくれたのヨータなんだ」
「そう、だったんだ」
「サッカーから逃げて、ほっとしてた。でも毎日、なにかに置いてかれてるみたいで、俺だけ全然、止まってるみたいでさ」
逃げたくせに。
だから、萌々にしつこく誘われた時、断るのすら面倒で、文化祭について行った。
そこで、りおの絵を見つけた。
いじけてくすむ毎日を過ごしていた柊の目の前に現れた、屈託なく笑う美しい絵。
あんまりにもキラキラして、凄くて、圧倒された。
そのモデルはいま、柊の隣で筆を走らせている。
「美術部のみんな、スゲー真剣で、俺、恥ずかしくなった。実はちょっと見下してたところあった。絵なんか描いてさ。でもみんな滅茶苦茶本気で真剣で。イラストも、絵も、ユニを買う時もすげー本気だった」
柊にとっては当たり前の、ただのスポーツショップで真剣にユニフォームを探し、興味を持って、作品にも向き合って。
あ、俺全然駄目だ、俺なんかいい絵が描けるわけない。
毎日デッサンして、毎日絵を描いて、毎日どんなに練習して。
「……でもさ、あたしたちが絵を描いてるときにさ、ヒイラギ君はサッカーしてたんでしょ?」
りおは筆を走らせながら言う。
「きっとみんな同じなんだよ。あたしたちが絵を描いてる間、ヒイラギ君はサッカーしてた。そんで、あたしたちがお菓子を食べたり、絵の具が乾くの待ってるときみたいに、いまヒイラギ君は休んでるんだよ」
ね、とりおは笑った。
「いいじゃん、ずっと頑張ってきたんでしょ。長いお休みだったって思えば」
「休み……」
そんな風に考えたことはなかった。
サッカーから逃げて、自分はどうしようもない奴だって。
そんなことばかり柊は考えていた。
「決めつけなくていいじゃない。だってなにもわからないんだから」
「なにも……」
そうだろうか。
こんなにくすぶる気持ちが、変わる日が来るなんて柊には思えない。
