彼に恋する君に恋した、フェルメールブルーの絵の君へ

 「それって、私があげたやつ?」

 尋ねるりおに、柊(シュウ)はまっすぐ見つめて頷く。

 「うん。だから絶対誰にもやりたくないの。俺専用だから。せっかくりおが選んでくれたのに」
 「ふ、ふたつも持って来てるの?」
 「そーだけど?だって簡単に使ったら勿体ないじゃん。いい匂いだし、りおに会う時に使うよ」
 「……」

 なぜかりおは困ったように黙ってしまって、柊(シュウ)は「?」と首を傾げた。

 「な、なんか今日、暑いね!絵具も乾かないし!」
 「そ、う?」

 そんな暑いかな、と柊(シュウ)が思い、油性ペンを戻そうとしたその時だった。

 「あ、あたしお水入れてくる!」

 カップを持って立ち上がったりおと、ペンを戻そうとした柊(シュウ)がおもいきりぶつかってしまった。
 軽いりおは「きゃっ」と柊(シュウ)に飛ばされそうになり、柊(シュウ)は慌てて「あぶない!」とりおの頭を抱きかかえ、横へ倒れ込む。
 ちいさなりおの体はすっぽり柊(シュウ)に包まれた。

 「……ってぇえ」

 柊(シュウ)に抱きかかえられたりおは慌てて起き上った。

 「だ、大丈夫?ごめんね、私が急に振り返っちゃって……、」
 「りお!」

 床に座り込んだままの柊(シュウ)に怒鳴られ、りおはびくっと床に座ったまま背を伸ばす。
 柊(シュウ)は頭の先から足先まで、りおの状態を確認すると、ほっと溜息をついた。

 「良かった。どこにもなんも、ぶつかってねーな」

 ぽん、とりおの両腕を軽く叩き、柊(シュウ)は立ち上がる。

 「やっべ、イーゼル落ちてんじゃん」

 りおは、一瞬青ざめて起き上るが、柊(シュウ)は笑顔で答えた。

 「安心しろりお。お前の絵、無事だぞ」

 ほらな、と柊(シュウ)は、倒れたりおのイーゼルを戻し、絵をかけなおした。
 絵が無事だったのは、柊(シュウ)がとっさに腕で守ってくれたからだ。
 肘をのばして、乾いていない絵の具が床につかないように。
 そのうえ、りおまでちゃんと守った。
 どうしてだろうとりおは胸が張り裂けそうになる。
 柊(シュウ)はいつも、りおを、りおの世界を、必ず守ってくれている。
 思わず涙ぐむりおに、柊(シュウ)は慌てた。

 「ど、どしたりお!やっぱどこか怪我したか?」

 おろおろと尋ねる柊(シュウ)に、りおは首を横に振った。

 「大丈夫。平気。びっくりしただけ」
 「そ、それならいいけど。マジで本気で怪我してねえ?」

 こくんと頷くりおに、柊(シュウ)はほっとしつつも、どうしていいか判らない。
 そんな時だった。

 「ただいまー、りお、お菓子買って……ってヒイラギ師匠!なにやってるんすか!」
 「なんもしてねーよ!」
 「ちょっとまって、りお泣いてんじゃん!おい画伯!」
 「だからなんもしてねーよ!りおとぶつかって、絵が落ちそうだったから!そんでりおがびっくりしたんだって!」
 「なんだ、やっぱそうか」
 「なんだじゃねーよ!」

 滅茶苦茶焦ったわ、と慌てる柊(シュウ)に、俯くりおは肩を震わせた。
 まだ泣いているのかと心配した柊(シュウ)だったが、りおはもう笑っていた。

 「もう無理、おかしすぎる……」

 泣きながら笑うりおに、柊(シュウ)は慌てたが、笑顔だった。

 「あたし、お菓子食べる。安心したらおなかすいた!」
 「そうそう、画伯、限定のファンタあったから買って来た」
 「まじか。わけろ」
 「そのつもりさあ!カップなんか用意!」
 「イエッサ!」

 いつもの美術部の様子に戻って、りおも笑って空っぽのカップを差し出した。

 部活禁止になると美術室にも入れないので、部員らは文化祭前の準備をできるだけ急いだ。
 りおはギリギリまで絵を頑張っていたけれど、絵の具が乾くのになかなか時間がかかりすぎて、順調ではないらしい。

 「じゃあ、絵はそのままおいとくのか?」
 「うん。仕方ないよ、どうせ試験もあるし、暫くはあのままだね」

 残念そうな表情に、本当は絵を描きたいんだな、と柊(シュウ)も思う。

 「じゃ、部活禁止の間、どーするかな。家で勉強するのも絶対気が散るし、図書館は難易度高そうだし」
 「ヒイラギ君、生涯学習センター知らないの?図書館に併設の」
 「なにそれ?」

 図書館は受験勉強の追い込みでしか使った事がない柊(シュウ)が尋ねると、りおが言った。

 「試験前は学生に勉強場所を解放してくれるの。予約がいるけど、あたしたちいつもそこで勉強してるの」
 「そんなんあるんだ。知らなかった」
 「じゃあ、ヒイラギ君も一緒に行く?エアコン完備で、静かだし、自販機もあるし、近くにコンビニもあるの」
 「まじか。最高じゃん。俺も一緒に行くよ」

 するとりおが「良かった」とほっと溜息をつく。

 「どしたん?またアイツとか来たりするん?」

 りおの片思いの、あの意地悪そうな茜が来るのだろうか、と柊(シュウ)が警戒すると、りおは首を横に振った。

 「ううん、別の学校の女子。時々うるさくて追い出されるんだけど、ちょっと怖いんだよね」

 図書館近辺の学校の生徒がそこに集まるのだが、時々他校の、俗にいう一軍女子が来るらしい。

 「悪気はないんだろうけど、飽きたらスマホ弄ってたり、内緒話してたりしてちょっと怖かったから。ヒイラギ君いたらちょっと助かる」

 話を横で聞いていた美術部員が突っ込んだ。

 「そうだそうだ、一軍女子には一軍男子をぶつけろ!」
 「我々には馬狼がついてるぞ!」
 「ブルロじゃねーって。あー……だったらヨータの奴も呼ぶわ。あいつもデケーから、なんかあったら心配ねーだろ?」
 「まじか」
 「本気か」

 ヨータは美術室に遊びに来てはお菓子をつまんだり、逆に差し入れをするようにもなっていたので、いまではすっかり美術部員とも顔なじみだ。

 「いやー、一軍さまが二人もいたら我々、ゆっくりできるわ」
 「なんでそんな怯えてんだよ。同じ高校生だろーが」
 「陽キャに陰キャの気持ちはわからん」
 「そうそう。とにかくわれら影の属性は光にほろぼされるさだめ」
 「消せよそんな設定」

 柊(シュウ)がすかさずツッコミを入れた。


 十月四日。

 日曜日の朝、八時五十分に、柊(シュウ)は図書館の前に立っていた。
 図書館前のバス停に一台のバスが到着し、なかからぞろぞろと美術部員が現れた。

 「おす、おはよう。みんな居るな?」
 「おはようございますヒイラギどの。相変わらずお早い」
 「まーな。んで、勉強場所ってどこ?」
 「こっち」

 部員らに教えられ、柊(シュウ)はエスカレーターに向かう。

 「ここ、ずっと使ってるから内緒で優先の予約取れるの」

 りおが言って、柊(シュウ)は頷く。

 「へえ、そうなんだ」
 「本当は駄目なんだよ。でもずっと通ってるからって係の人が席を押さえてくれるの」
 「親切だな。俺いきなり参加してよかったん?」

 するとりおは唇に指をあて、エスカレーターの後ろに立っている柊(シュウ)を見上げて言った。