有栖川伊織は、俺の世界の外にいる

四時間目は数学で、終了のチャイムが鳴った後も、先生は十分近くしゃべり続け、俺はかなりイライラした。だって腹が減っているから。
「伊織、飯食おうぜ」
先生が教室から出ていくなり俺は立ち上がり、伊織の席まで行って昼飯に誘った。
「購買ってどこにあるんだ?」
「ん?」
「今朝、少しゴタついただろ。だからコンビニへ寄るのを忘れて、昼飯がない」
「マジかよ!? なら急がないと。ついてこい!」
購買は早い者勝ち。のんびりしていたら焼け野原になる。

*

「……ダメだったか」
購買へ着いた俺は、ため息と共に天井を仰いだ。
弁当のケースは空で、パンのケースにはかろうじて数個、人気のないパンが残っているだけだった。
「伊織、もっと早く買い忘れてたこと教えてくれよ……」
「僕も四時間目が始まってから思い出したんだ」
「あ、そう」
ぼっち脱出が嬉しすぎて、昼飯のことは頭からすっぽ抜けたのか?
ええと、残っているのは——うぐいすパン。レーズンパン。そして、アンパンが二個。
「どれ買う?」
「全部甘いパンだな」
「血で血を洗う食料獲得戦争に出遅れたんだ。我慢しろ」
男子高校生の昼飯としては、中々厳しいラインナップだが、何もないよりはマシだろう。
「あら、山本くん?」
四つしかないんだから、もう全部買ったら? と、俺が伊織に言おうとした時だった。
購買のバックヤードにつながっている戸が開き、中から購買のオバチャンが現れた。
「あ、こんにちは」
軽く俺は頭を下げる。
一学期の俺の掃除場所が、購買前の廊下だったため、俺はオバチャンと顔見知りなのだ。
「今日はお弁当じゃないんだ?」
「俺は弁当なんですけど、コイツが……」
「あらそうなの。——ちょっと待ってて」
そう言うとオバチャンはバックヤードへ行き、すぐ戻ってきた。
「これ、よかったら食べる?」
オバチャンが俺たちへと差し出した手は、コンビニのタマゴサンドの袋をつまんでいて。
「ろくなパン残ってなくて、困ってるんでしょ?」
「ダメですよ! オバチャンの昼飯でしょ!」
俺は首を高速で左右にふる。
「まだ他におにぎりやお菓子なんかも買ってるから、大丈夫よ」
「でも──」
本当にもらっていいものか俺が迷っていると、横から伸びた手が、オバチャンが持つタマゴサンドを取った。
「これだけ?」
タマゴサンドを持った伊織が、不満げに言う。
「カツサンドの方がよかったな」
「ご、ごめんねぇ。私、タマゴサンドが好きなのよ」
オバチャンは一瞬固まったが、すぐに苦笑いしながら返事をした。
「オバチャン、コイツが失礼なこと言ってごめん! 今コイツに常識教え中だから、勘弁してやって!」
フリーズしている場合ではない、と俺はすぐさま腰を直角に曲げ、オバチャンに謝る。
「大丈夫よ、気にしてないから」
「颯太、急にどうした?」
伊織が奇妙なものを見る目で俺を見る。奇妙なのはお前だよ!
「『どうした?』じゃない! 何でありがとうございますじゃなく、文句が出てくんだよ!?」
「僕は思ったことを言っただけだが?」
「脳直でしゃべるな! 聞いた人がどう思うか考えてからしゃべれ!」
伊織って根は素直な良い奴で、田舎出身コンプレックスから空回っていただけだったのでは?——なんていう俺の予想は、大ハズレでした!

*

レーズンパンとアンパン、そしてタマゴサンドの代金を伊織に払わせ、俺たちは購買を出た。
「相手はくれると言ってるのに、何故支払う必要があるんだ?」
「……お前、宇宙人だったりする?」
それか伊織の故郷は、百パーセント言葉通り受け取るのが普通なのか?
「何を言ってるんだ? 地球人に決まっているだろう。——ん」
伊織がぶっきらぼうに、パンの入った袋を俺へ突き出してきた。
「え、何?」
「持て」
「は?」
「持って」
伊織の意図が分からない俺は、袋と伊織の顔を交互に見る。
「何で? 自分で持てよ」
「何故? 僕の荷物持てるの、嬉しいだろ?」
伊織の『僕の方こそ意味が分からない』という顔を、俺は数秒ながめ——正解だろう答えにたどり着いた。
今朝得た、有栖川伊織の新情報——中学までしかない島出身、本家の跡取り息子、人気エリアに建つ新築高級マンションオーナーの叔父は過保護っぽい。
これらから推測される答えは、方言をしゃべらないように言葉を選んだ結果、伊織は無愛想になったのではない。田舎者とナメられないよう、虚勢をはってのことでもない。
コイツが王様みたいに偉そうなのは、少子化の島で大人たちに甘やかされて育った、三文安のボンボンだからだ!
「……伊織」
軽くめまいがした。
「俺は、お前の部下でも家来でもない」
「友達で家来だろう?」
「違う!」
思ったより大声が出て、自分でもびっくりしたが、俺は言葉を続けた。
「絶対家来じゃないし、友達ってのは対等なんだよ!」
伊織は眉を寄せ、「対等?」と、理解できない様子でオウム返ししてきた。
「特別な事情がない限り、自分の荷物は自分で持つのが普通で当たり前!」
「何で? 僕が頼んでるんだから、少しくらい持ってくれたっていいだろう?」
「頼むなら『持って下さい』か、せめて『持ってくれない?』だろ!」
「言い方が少し違うだけじゃないか」
「言い方って超大事だから! 言い方一つで、相手に与える印象がすげー違うから!」
伊織は不満を隠さず、子供っぽく頬を膨らませた。
「友達なんだから、細かいこと言うなよ」
「細かくねーよ、普通だよ! 伊織が普通じゃねぇの! 友達だから注意してやってんの!」
「……あっそう」
伊織は俺をにらんだかと思うと、ぷいと顔をそむけ、一人でどこかへと早足で歩き出した。
「あ、おい! 待てよ!」
伊織は俺の制止を無視し、廊下の角を曲がって、その姿を俺の視界から完全に消した。
「何なんだよ、あの田舎者っ!」
残された俺は、苛立ちに任せて頭をぐしゃぐしゃとかく。
俺ってば、あんな三文安坊っちゃんを矯正して、友達作りに協力してあげなきゃいけないワケ……!?
少し前まで、「案外すぐ友達できるかも?」なんて楽観視していた自分をビンタしたい。
俺は大きくため息をつき、伊織を追いかけることなくそのまま教室へ戻り、理貴ちゃんたちと昼飯を食った。
そしてこの日は昼休み以降、俺が伊織に話しかけることはなかったし、伊織から話しかけてくることもなかった。