俺が『有栖川の友達』という名の世話係に、任命されてしまった日の翌朝。
「……眠い」
まだ全然夏な空気の中、俺はあくびを噛み殺しつつ、高校近くにある新築マンションを目指し、歩いていた。
担任によると、そのマンションの1001号室が有栖川の自宅だそうなので、『文化祭が終わるまで毎朝迎えに行く』という職務を果たすためだ。
「……有栖川って金持ちなのか?」
次の角を曲がればマンションの出入口が見える、というあたりで、下品な疑問が口をついて出た。
有栖川が住むマンションは、タワマンといえるほどの高さはないが、中々の高層マンションで、外観も高級感があって洒落ている。
このあたりは駅にも学校にも近い人気エリアで、去年建ったばかりの新築でもあるし。
「一ヶ月半もお迎えって、だる……」
俺が伸びをしながら一人言を言い、角を曲がった時だった。
「じゃけぇ! 今日は学校行くって言っとるじゃろ!」
若い男のイラついた大声が俺の足をストップさせ、俺は反射的に声の主を探した。
「友達が迎えに来るけぇ、大丈夫じゃ言うとるじゃろうが!」
声の主はすぐに見つかり、彼は俺の目的地であるマンションの前に立っており——って、有栖川じゃん!?
「マンションの人や、周りに住んどる人たちがびっくりするけん、大声ださんで。——伊織くん、七月は学校行ったり休んだりじゃったじゃろ。だから心配しとるんよ」
有栖川が怒鳴りつけている相手は、四十代くらいの中肉中背のおじさんだった。
おじさんは俺に背を向けているので表情は見えないが、言葉通り本当に有栖川を心配しているように聞こえた。
「今日は行くけん、心配せんでええし!」
「ほんまに?」
「ほんまじゃ!」
「嘘じゃない?」
「嘘じゃねぇ!」
小学校低学年の子が朝、親としてそうな会話だな。有栖川がしゃべってんの、どこの方言だろ?
俺がぼんやりとそんなことを考えながら二人を眺めていると、有栖川と目があった。
「叔父さんな、『本家の跡取り息子をくれぐれもよろしく』と、兄貴から君のことを強く頼まれとる。だから伊織くんに登校拒否されると、叔父さん困るんじゃ。——伊織くん、聞いとる?」
有栖川の叔父さんは首をかしげた後、何故だか絶望の表情を浮かべる有栖川の視線を追ってふり返り、俺を見つけた。
車が道を走る音と鳥の鳴き声だけが、数秒、場に響いた。
「伊織くんの友達?」
有栖川と同じ制服を俺が着ているため、そう判断したらしい叔父さんが甥へと向き直り、尋ねる。
「あ……うん! 友達の山本!」
有栖川は青ざめたままではあったが、はずむ声と笑顔で答えた。
「ね、俺の言葉に嘘はなかったでしょ」
おお、さっきまで方言全開でギャンギャン怒鳴っていたとは思えない、ナチュラルな標準語と穏やかさだな。
「おはよう、山本!」
「お、おう。おはよ、有栖川」
有栖川がキラキラの笑顔で挨拶してきたから、俺もつられて笑顔で返す。
有栖川の叔父さんは、俺たちの顔を交互に見た後、ほっとしたように笑った。
「いつも伊織がお世話になってます。伊織の叔父です」
「はじめまして、山本です」
有栖川の叔父さんも、俺と話す時は標準語になるんだな?
「暑い中、甥を迎えにきてくれてありがとう。私はこのマンションのオーナーをしてるから、学校で伊織くんに何かあったら、教えてくれると嬉しいな。——伊織くん、ちゃんと高校へ行くんだよ」
「分かってる」
笑顔を消し、一瞬でぶすくれた顔になった有栖川は、俺の隣まで歩いてくると、俺の腕をぐいっと引っぱった。
「行こう」
「あ、ちょっ!——行ってきます!」
そのまま有栖川が歩きだしたものだから、俺は慌てて叔父さんに軽く一礼し、コケないように有栖川に歩調をあわせる。
「二人ともいってらっしゃい!」
叔父さんのご機嫌な声に見送られ、俺たちは学校へと歩き出す。
*
有栖川の叔父さんから、俺たちが完全に見えなくなったところで、有栖川が足を止めた。
「さっき聞いたことは誰にも言うな」
「痛っ」
有栖川が掴んでいた俺の腕に爪をたててきたから、急いでふり払う。
「僕が田舎者だってことをバラしたら、お前をぶっ殺してミンチにして、瀬戸内海へ魚のエサとして撒く」
「えらく具体的に物騒だな!」
能面みたいな無表情と低音ボイスで、朝っぱらから何を言い出すんだコイツは。
「別に田舎出身だからってバカにするつもりないし、秘密にしておきたいことなら、言いふらしたりしねぇよ」
「本当か?」
遅刻したくねぇなと歩きだした俺を、有栖川がにらむ。
田舎出身って、そんなに気にすることかなぁ? ここだって政令指定都市ではあるけど東京じゃないから、東京人から見たら田舎だろうし。
「約束する。そのかわり、一つお願い」
「は?」
「俺のこと、『お前』じゃなくて、名前で呼んでくれ」
「何で?」
「まだたいして仲良くないのに『お前』って言われると、ちょっと感じ悪いなって思うから」
俺の言葉が相当意外だったらしく、有栖川は鳩が豆鉄砲をくらったような顔をした。
「そうか?」
「そうだよ。自分の身に置き換えて考えてみろよ」
「うーん……そうかも? 分かった」
有栖川は完全に納得した様子ではなかったが、うなずいた。
「なら、これからは颯太と呼ぶことにする」
今度は俺が目を丸くする番だった。
「みよじじゃなく、下の名前!?」
「名前で呼べと言ったのはお前だろ!……島ではみんな下の名前で呼びあっているけど、都会じゃ違うのか?」
「下の名前やあだ名で呼ぶのは、仲良くなってからだな。初対面やまだあまり仲良くない時は、みよじで呼びあうのがこっちじゃ普通。有栖川の島では、下の名前で呼ぶのが普通なんだ?」
「親戚だらけで、みよじじゃ誰か分からないから、下の名前で呼ぶ」
「あ、なるほど。じゃ、『颯太』って呼んでくれて全然OK。——もしかして有栖川って、あのマンションで一人暮らししてんの?」
俺は納得ついでに、気になっていることを聞いてみた。
「うん。島には中学までしかないから、高校に進学するなら本土へ出るしかないし、親は島で仕事してるからな」
「そっか。家事とか大変なんだろうけど、うらやましいな。俺も大学生になったら一人暮らししたいなぁ。有栖川は——あ」
そこまで言った時、俺は非対称性に気づき、どうすべきか少し悩んだ。
「颯太?」
「俺も有栖川のこと、下の名前で呼んでいい?」
学校で、俺はみよじ呼び・有栖川は名前呼びだと、有栖川だけ突然名前呼びしだした距離無し野郎だと、クラスメイトたちに誤解されてしまう。
それはさすがに可哀想だから、俺が有栖川にあわせることで、バランスをとろう。
「別に構わないけど?」
「じゃあ、これからは有栖川じゃなく、伊織って呼ぶな」
まだ全然下の名前で呼びあうほどの関係じゃないから、妙な感じがしたし、少し照れ臭いけど、釣りあいを取るためだ。
「うん」
有栖川——伊織が、ニッと笑った。
しかし……下の名前で呼んだだけで、距離が少し縮まったような……不思議な感覚になるな。
「伊織の事情を知らないクラスのみんなのことは、『お前』じゃなく、みよじで呼べよ。友達作りたいなら、絶対」
「分かった」
伊織が神妙な顔でうなずく。
昨日『家来』と言われた時はどうしようかと思ったが、意外にも素直にアドバイスを聞き入れてくれた。
伊織って案外、根は素直な良い奴で、土台からガチで性格がヤバイ奴ではないのかも?
もしかして、伊織のつっけんどんな返答や王様みたいな偉そうな態度は、田舎出身であることを隠そうとしての事故だった?
島からこちらに引っ越してきて、まだすべてに慣れない四月。
伊織が方言をしゃべらないように言葉を選びすぎて、結果として、ぶっきらぼうな命令口調になってしまった——なら、納得できなくも……ないな?
『家来』発言も、田舎者とナメられないように虚勢をはってのことだった、のか?
「……眠い」
まだ全然夏な空気の中、俺はあくびを噛み殺しつつ、高校近くにある新築マンションを目指し、歩いていた。
担任によると、そのマンションの1001号室が有栖川の自宅だそうなので、『文化祭が終わるまで毎朝迎えに行く』という職務を果たすためだ。
「……有栖川って金持ちなのか?」
次の角を曲がればマンションの出入口が見える、というあたりで、下品な疑問が口をついて出た。
有栖川が住むマンションは、タワマンといえるほどの高さはないが、中々の高層マンションで、外観も高級感があって洒落ている。
このあたりは駅にも学校にも近い人気エリアで、去年建ったばかりの新築でもあるし。
「一ヶ月半もお迎えって、だる……」
俺が伸びをしながら一人言を言い、角を曲がった時だった。
「じゃけぇ! 今日は学校行くって言っとるじゃろ!」
若い男のイラついた大声が俺の足をストップさせ、俺は反射的に声の主を探した。
「友達が迎えに来るけぇ、大丈夫じゃ言うとるじゃろうが!」
声の主はすぐに見つかり、彼は俺の目的地であるマンションの前に立っており——って、有栖川じゃん!?
「マンションの人や、周りに住んどる人たちがびっくりするけん、大声ださんで。——伊織くん、七月は学校行ったり休んだりじゃったじゃろ。だから心配しとるんよ」
有栖川が怒鳴りつけている相手は、四十代くらいの中肉中背のおじさんだった。
おじさんは俺に背を向けているので表情は見えないが、言葉通り本当に有栖川を心配しているように聞こえた。
「今日は行くけん、心配せんでええし!」
「ほんまに?」
「ほんまじゃ!」
「嘘じゃない?」
「嘘じゃねぇ!」
小学校低学年の子が朝、親としてそうな会話だな。有栖川がしゃべってんの、どこの方言だろ?
俺がぼんやりとそんなことを考えながら二人を眺めていると、有栖川と目があった。
「叔父さんな、『本家の跡取り息子をくれぐれもよろしく』と、兄貴から君のことを強く頼まれとる。だから伊織くんに登校拒否されると、叔父さん困るんじゃ。——伊織くん、聞いとる?」
有栖川の叔父さんは首をかしげた後、何故だか絶望の表情を浮かべる有栖川の視線を追ってふり返り、俺を見つけた。
車が道を走る音と鳥の鳴き声だけが、数秒、場に響いた。
「伊織くんの友達?」
有栖川と同じ制服を俺が着ているため、そう判断したらしい叔父さんが甥へと向き直り、尋ねる。
「あ……うん! 友達の山本!」
有栖川は青ざめたままではあったが、はずむ声と笑顔で答えた。
「ね、俺の言葉に嘘はなかったでしょ」
おお、さっきまで方言全開でギャンギャン怒鳴っていたとは思えない、ナチュラルな標準語と穏やかさだな。
「おはよう、山本!」
「お、おう。おはよ、有栖川」
有栖川がキラキラの笑顔で挨拶してきたから、俺もつられて笑顔で返す。
有栖川の叔父さんは、俺たちの顔を交互に見た後、ほっとしたように笑った。
「いつも伊織がお世話になってます。伊織の叔父です」
「はじめまして、山本です」
有栖川の叔父さんも、俺と話す時は標準語になるんだな?
「暑い中、甥を迎えにきてくれてありがとう。私はこのマンションのオーナーをしてるから、学校で伊織くんに何かあったら、教えてくれると嬉しいな。——伊織くん、ちゃんと高校へ行くんだよ」
「分かってる」
笑顔を消し、一瞬でぶすくれた顔になった有栖川は、俺の隣まで歩いてくると、俺の腕をぐいっと引っぱった。
「行こう」
「あ、ちょっ!——行ってきます!」
そのまま有栖川が歩きだしたものだから、俺は慌てて叔父さんに軽く一礼し、コケないように有栖川に歩調をあわせる。
「二人ともいってらっしゃい!」
叔父さんのご機嫌な声に見送られ、俺たちは学校へと歩き出す。
*
有栖川の叔父さんから、俺たちが完全に見えなくなったところで、有栖川が足を止めた。
「さっき聞いたことは誰にも言うな」
「痛っ」
有栖川が掴んでいた俺の腕に爪をたててきたから、急いでふり払う。
「僕が田舎者だってことをバラしたら、お前をぶっ殺してミンチにして、瀬戸内海へ魚のエサとして撒く」
「えらく具体的に物騒だな!」
能面みたいな無表情と低音ボイスで、朝っぱらから何を言い出すんだコイツは。
「別に田舎出身だからってバカにするつもりないし、秘密にしておきたいことなら、言いふらしたりしねぇよ」
「本当か?」
遅刻したくねぇなと歩きだした俺を、有栖川がにらむ。
田舎出身って、そんなに気にすることかなぁ? ここだって政令指定都市ではあるけど東京じゃないから、東京人から見たら田舎だろうし。
「約束する。そのかわり、一つお願い」
「は?」
「俺のこと、『お前』じゃなくて、名前で呼んでくれ」
「何で?」
「まだたいして仲良くないのに『お前』って言われると、ちょっと感じ悪いなって思うから」
俺の言葉が相当意外だったらしく、有栖川は鳩が豆鉄砲をくらったような顔をした。
「そうか?」
「そうだよ。自分の身に置き換えて考えてみろよ」
「うーん……そうかも? 分かった」
有栖川は完全に納得した様子ではなかったが、うなずいた。
「なら、これからは颯太と呼ぶことにする」
今度は俺が目を丸くする番だった。
「みよじじゃなく、下の名前!?」
「名前で呼べと言ったのはお前だろ!……島ではみんな下の名前で呼びあっているけど、都会じゃ違うのか?」
「下の名前やあだ名で呼ぶのは、仲良くなってからだな。初対面やまだあまり仲良くない時は、みよじで呼びあうのがこっちじゃ普通。有栖川の島では、下の名前で呼ぶのが普通なんだ?」
「親戚だらけで、みよじじゃ誰か分からないから、下の名前で呼ぶ」
「あ、なるほど。じゃ、『颯太』って呼んでくれて全然OK。——もしかして有栖川って、あのマンションで一人暮らししてんの?」
俺は納得ついでに、気になっていることを聞いてみた。
「うん。島には中学までしかないから、高校に進学するなら本土へ出るしかないし、親は島で仕事してるからな」
「そっか。家事とか大変なんだろうけど、うらやましいな。俺も大学生になったら一人暮らししたいなぁ。有栖川は——あ」
そこまで言った時、俺は非対称性に気づき、どうすべきか少し悩んだ。
「颯太?」
「俺も有栖川のこと、下の名前で呼んでいい?」
学校で、俺はみよじ呼び・有栖川は名前呼びだと、有栖川だけ突然名前呼びしだした距離無し野郎だと、クラスメイトたちに誤解されてしまう。
それはさすがに可哀想だから、俺が有栖川にあわせることで、バランスをとろう。
「別に構わないけど?」
「じゃあ、これからは有栖川じゃなく、伊織って呼ぶな」
まだ全然下の名前で呼びあうほどの関係じゃないから、妙な感じがしたし、少し照れ臭いけど、釣りあいを取るためだ。
「うん」
有栖川——伊織が、ニッと笑った。
しかし……下の名前で呼んだだけで、距離が少し縮まったような……不思議な感覚になるな。
「伊織の事情を知らないクラスのみんなのことは、『お前』じゃなく、みよじで呼べよ。友達作りたいなら、絶対」
「分かった」
伊織が神妙な顔でうなずく。
昨日『家来』と言われた時はどうしようかと思ったが、意外にも素直にアドバイスを聞き入れてくれた。
伊織って案外、根は素直な良い奴で、土台からガチで性格がヤバイ奴ではないのかも?
もしかして、伊織のつっけんどんな返答や王様みたいな偉そうな態度は、田舎出身であることを隠そうとしての事故だった?
島からこちらに引っ越してきて、まだすべてに慣れない四月。
伊織が方言をしゃべらないように言葉を選びすぎて、結果として、ぶっきらぼうな命令口調になってしまった——なら、納得できなくも……ないな?
『家来』発言も、田舎者とナメられないように虚勢をはってのことだった、のか?
