有栖川伊織は、俺の世界の外にいる

俺はいつもより約五分早く、伊織が住むマンション前に到着した。
「……おはよ」
それなのに、伊織はもういつもの場所に立って俺を待っていて、横目で俺を見て挨拶してきた。
「お、おう。おはよ、伊織」
お互いにぎこちない挨拶だった。
「昼はまだ時々暑い日もあるけど、もう朝と晩はすっかり秋だな」
挨拶したら即謝ろうと決めていたのに、互いの間を流れるぎこちない空気に、俺はついどうでもいい話をしてしまう。
「そうだな。——昨日、颯太が言ったことを、一晩考えた」
「え?」
俺は視線を、アスファルトから伊織へ変える。
「僕が颯太を好きだなんておかしい、と颯太が言っただろ。だから僕は家に帰ってからずっと、そうなのか考えた」
「あ……」
「何時間も真剣に考えたけど、やっぱりおかしいのは僕じゃなく、颯太だと思うぞ」
俺と違い、即本題へ入った伊織は、するどい目で俺を見てくる。
「颯太も、あの時の僕との会話について、少しくらいはアレコレ考えただろ? 考えてなかったらぶっ飛ばす。——ということで、考えた結果の返事を、今ここで改めて僕に聞かせろ」
「返事って?」
何から話せば……と、俺がまごついていると、伊織が一歩こちらへ近づいて言った。
「颯太、僕の恋人になれ」
「んぁ?」
脳がフリーズして、変な声がでた。
ええと、俺の予定としてはね、まず昨日のことを謝って、その後一ヶ月以内に告白できたらなぁって思っててぇ……。
なのにどうして、今日会ってから五分もたたないうちに、俺は伊織から二回目の告白? を受けているんだ!?
「……なるよな? 今誰ともつきあってないなら、試しに僕とつきあってみたっていいじゃないか」
「――ちょ、ちょっと待ってくれる!? 俺、昨日のことを謝りたいんだけど!?」
「謝ればいいだろ」
「そういう言い方ないだろ!——じゃなくて! 謝るんだけど、ちょっと待って!」
俺は混乱し、リアルに頭を抱えた。
昨日お前、告白した俺にトンチンカンな酷いことを言われて、泣いて怒って帰ったよな。
それなのに昨日の今日、しかも挨拶後すぐに、また俺に「恋人になれ」って!
ミスリルかオリハルコン並みの超硬度メンタルすぎる。養殖コミュ強でしかない俺とは違いすぎて、伊織すごい。
あぁもう俺ってば、そんなことを感心してる場合じゃないだろうが。伝えるべきことを伝えなきゃ!
「昨日はごめん!」
俺は腰を直角に曲げ、大声で謝った。
「伊織が俺のことを好きだと言ってくれたのに、俺は『そんなの変だ』とか『お前が俺を好きになるわけない』とか、たくさん酷いことを言った。本当にごめん」
言葉にすると、改めて自分のバカさ加減が身に染みる。
「昨日伊織が帰ってから、俺もずっといっぱい考えた」
「それで?」
「……俺が間違ってた」
俺はゆっくりと顔を上げ、じっとこちらを見つめる伊織と、目をあわせる。
「俺さ、『俺のどこが伊織と釣りあうんだろう?』て、ずっと考えてた」
昨日の夕飯が終わるまで気がつかなかった、俺の歪んだ価値観。
「でも、そういうことじゃなかったんだよな。伊織は俺の『これ』というスペックを見て、好きになったわけじゃなくて。……俺だって、そうだったことに気がついた」
「『俺だって、そうだった』?」
伊織の瞳が少しだけ揺れ、俺の言葉を形のいい唇で繰り返す。
スッと俺は冷たい空気を吸い、三秒呼吸を止め——俺を見る伊織の目をまっすぐに見つめ返し、本音を吐き出した。
「だから俺も……伊織の恋人になりたい!」
ドッドッドッって、耳の中の血管が脈打つ音がすごくうるさくて、胸の鼓動も爆発しそうなほど速くてヤバイ。
「……本当に?」
伊織は二度も俺に告白したくせに、綺麗な色あいの目を大きく見開く。
俺はダッシュした後みたいに肺が苦しいから、大きくうなずくことで伊織に返事をした。
「それは、つまり——颯太が僕の彼氏になるということで、間違いないな?」
俺は恥ずかしさに耐えながら、再び大きくうなずいた後、声をしぼり出して「……なる」と答えた。
「そうか」
伊織の顔に、じわじわと笑みが広がっていく。
「じゃあ、今から僕は、颯太の彼氏だな?」
「うん」
昨日熱が出てた時より顔が熱いかも……と、思いながら俺が言えば、伊織は「ふふ」と花がほころぶように笑った。
「ね、颯太。さっきの、もう一回言って」
「さっきの?」
「『だから俺も伊織の恋人になりたい!』って」
「断る」
異常に速い心拍がやっと落ち着きつつあるのに、また言ったらまたドキドキが再発して、今度こそたぶん死ぬ気がするから。
「何で?」
伊織が不満を隠さず、眉間にシワを寄せた。
「俺が恥ずか死ぬから」
「はぁー!? 僕が何回颯太に好きって言ったと思ってる!? 昨日のことを悪いと思ってるなら、もう一回くらい言ってくれたっていいだろ!」
うーん、痛いところを突いてくる……。
「それとこれとは別だろ」
「別じゃない。言って!」
伊織は両手を腰にあて、ジト目で俺を見てくる。
「……仕方ねぇなぁ。もう一回だけだからな」
言わないと許さない! という伊織の圧に負け、俺は観念して言葉を紡ぐ。
「俺……伊織のこと好きだから、恋人になりたい」
さっきよりはマシだが、ぐぁー! 心臓がー! と、うつ向いた赤い顔の俺を、伊織がキラキラ笑顔で覗き込んでくる。
「僕もだよ!——ねぇねぇ、もう一回言って」
「嫌だ! もう今日は言わん!」
「なら明日になったら、また言ってくれる?」
「気が向いたらな!」
俺が手で顔をおおうと、伊織は「絶対に気が向いてくれよな!」と言い、声を上げてケラケラ笑う。
俺はそんな伊織を指の隙間からチラ見し——胸の奥ではりつめていたものが、ようやくほどけていく感じがした。
俺と伊織は両思いで、俺は伊織の恋人で、伊織は俺の恋人。
できたてほやほやの事実を、改めて脳内で言葉にした俺は、にへらと顔の全筋肉がゆるんだのが分かった。